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ヨハネの黙示録・第二章


見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。
この女と姦淫する者をも、
悔い改めて彼女のわざから離れなければ、
大きな患難の中に投げ入れる。






「子供の頃、ここが私の部屋だったんです」
夜。屋根裏部屋の狭いベッドに無理矢理二人寝転んで、天窓から降り落ちる月光に身を任せていた。
「養父と挨拶してから、この部屋に入ると、晴れた夜は月の光で充分明るかった。…今のように」
「ベッドに直接当たるよね。眩しくない?」
「いえ。直に慣れましたから」
「ふぅん」
全てを満遍なく、強く照らす太陽とは違う月の光。
それは柔らかく、優しい。眠りに誘う、夜の輝きだから。
「こうやって窓の外を眺めていると、やがて月が見えてきて……」
そこで言葉を切り、空を仰ぐ。幼い頃、たった一人で思った気持ちを、思い出す。
「単純に、純粋に。あぁ、あそこに神が居るのだと、何の躊躇いもなく信じることが出来た」
美しかったから。優しかったから。
それはまさしく、自分が思い浮かべていた神そのもので。
あの頃は―――、何の疑問も持たず、感謝を奉げることが出来たのだ。疑うことなど、知らなかったから。
眼鏡の下から夜空に送る視線に、どうしようもない慕情と憧憬が含まれているのに亜輝は気づいた。ぢくりと胸が痛む。苛々とした気持ちを消したくて、手錠で繋がれたままの手をぎゅっと握った。
ふっと留架の眼に現実の光が戻り、横に寝転んでいる亜輝と視線を合わせた。
「…すみません」
解っている、と言うように詫びると、彼女は満足げに笑った。
「もう、居ないんだから」
「…えぇ」
亜輝はふと硝子ごしの空を見た。鈍く輝く月が自分達を睥睨していることに気づき、
「……亜輝?」
その光を遮る様に、留架の上に乗った。自分の作る影の中で、留架の瞳が輝きを増したことに安堵する。まだ足りない、と言うように、彼のその瞳を覆っている無機物を取り払う。
「何を」
「あんなの、見なくていいよ。あんたは、あたしだけ見てればいいんだっ」
これだけ近ければ、視力の矯正なんて必要ないだろう?
「邪魔なんだよ。あんたを覆ってるもの全部。全部、取り払って素っ裸にしてやる。何にもいらない、必要ないっ」
襟首を掴んで、噛みつくようなキスをした。
「…っ、獣ですか貴方は」
「別にいいもん」
ケモノでいい。自分だけ見ててくれれば、イイ。


カミサマになんか、渡さない。
このキレイな人間は、あたしだけのモノ。




夢中で、手首の鎖に歯を立てた。
足りない。
これだけじゃ、足りない。




繋がりたい。



交じり合いたい。



離れたく、ない。











―――それは罪になりますか。

無意識の問いかけが、声に出ていたらしい。







それが罪だとして、誰が罰を与えるの?

何事もなかった様に、彼女は答えた。






――――――…。

不覚にも、答えを返せなかった。







神はこの世に居ないんでしょ?

自分の上に座ったまま、彼女は勝ち誇った様に笑ったのだ。











耐えきれぬ熱さと僅かな痛みを消費して、溶けた。











―――――――ざまぁみろ。

意識が飛ぶ瞬間、亜輝は月を仰いでそう言った、ような、気がした。








貴方は、強い人だ。





我侭なだけだよ。





だからですよ。






















しゃきん。
紙を鋏で切る、軽い音がした。
しゃきん。
薄暗い部屋に、それだけ響く。
しゃきん。
長い黒髪の美少女が、机の前に座り。
しゃきん。
無言でその行為を繰り返す。
しゃきん。
切っている紙達は、目の前のアルバムから引き剥がされた、
しゃきん。
数少ない家族の写真。
しゃきん。
特定の人間が写っている更に少ないそれだけを引き抜いて、
しゃき、しゃきん。
全部切り抜いた。
小さな山になったその写真を灰皿の上に盛って。



「……………………………」
シュッ……
何の躊躇いもなく、火を点けた。
見る見るうちに炎を上げる写真に照らされたその顔には、


例えようもないほどの悦びが乗っていた。


めらめらと燃え尽きていく、写真。
別の音が聞えた。空気を震わすような僅かな音。


……すくす…………くすくすくす…


それは、紛れもない笑い声。
本当に嬉しそうな、笑い声。













どれだけ、気を失っていたのだろう。
ふと眼を覚ますと、目の前に男の寝顔があった。
「…………!」
動揺を抑えて、まじまじと見てみる。
キレイだ。少し癖のついた黒い髪とか、閉じられた目に付いてくる睫とか、骨張った体の隅々に至るまで。
――――これは、あたしのもの。
もう離さない。絶対に離さない。離してくれって言っても、離してなんかやらない―――
枕元に、彼の眼鏡が放り出してあった。何となく手にとって、かけてみる。
(世界が違う……)
目の端が歪んでいる様で、面白かった。そのまま上を見てみると、歪んだ窓と歪んだ月が見えた。
人工のレンズごしで見る月は、不細工だった。
あんなものに縛られるのは、滑稽だと思った。
奪ってやった。
ざまぁみろ。
もう、あんたの声はこいつに届かない。
留架には、もうあんたは必要ない。
あたしだけ居ればいいんだから。
「…失せろ。ばーか」
風が強くなってきたのか、流れてきた雲が月を隠し、部屋に闇が訪れた。
そのことに満足して、彼の隣に寝転ぶと、温もりを求める様に彼の右腕が廻されて来た。
暖かさに破顔して自分も左腕を伸ばして相手に絡めた。
そのまま、二人で眠った。