時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

-2:起動:

がっぷりと。そりゃあもうがっぷりと、噛み付かれた――――と言ったほうが正しいかもしれない。
「ん、ぐ!? む、うぐぅうんううう〜〜〜〜っ!!!」
隙間が出来ないほどぴったり、柔らかくて冷たい唇が、ジンの口を塞いでいる。振り解きたいのだが、相手の腕力+鎧としての重さ、まで加わっているのでとてもどかすことが出来ない。
「う、う〜わぁ〜、大胆〜」
やや顔を赤らめながらも、ハクシはからかうのを忘れない。
「え? え? え、え? な、なに? トク兄〜」
「……………(ふるふる)」
惨劇の直前、両目をしっかり兄の両手に塞がれたデイは、わたわたしながら疑問符を飛ばすが、トクヤはぴっちりと指の隙間を閉じて、駄目、という風に首を振った。
美しい鎧に対して、ジンもそれほど見目は悪くない男だ。決して見苦しい光景ではないのだが、勿論とうの本人はそれどころではない。
「む、ぐ、ううぐっ!?」
ずるり、と鎧の舌が歯列を割って入り込んでくる。純粋な気色悪さに鳥肌が立った瞬間、何とその舌―――らしきものがぐぐぅっと伸び、喉の奥まで突っ込んできた。
「む、ぐ、ぐぐっ!? ん…ぐがっ、ぶはぁっ!!」
酸欠と不快と羞恥から顔を真っ赤にさせ、漸くジンは深すぎる口付けを振り解いた。というより、相手の目的が終わったので自分から離れた、の方が正しい。口が離れる直前、舌よりはかなり長くて黒いチューブのようなものが、ジンの喉から鎧の口に向かって滑り込んでいった。鎧は眉一つ動かさず、ゆっくりと上半身を起こして、どこか宙を見つめたまま小声で呟いた。
「…遺電シ情報朱得…照GO完了」
「言語機能が随分杜撰だな。お前を作った奴等はそっちに重きは置いてなかったってことか」
一人狂態に目もくれず、黙々と作業台を片付けていた先生はそれを終わらせると、独り言を呟きながら二人―――正確には一人と一体の方へ近づく。
「て…てっ、め…何しやがんだコラアアアアアアアッ!!」
衝撃と嘔吐きが漸く収まったらしく、口をごしごし手の甲で拭い叫びながらジンが後退る。腰が抜けたのか、足と尻と片腕だけで床を這いずっていくのがかなり情けない。
「こいつに入力してやった遺伝子の情報が、お前と同一かどうか確認したんだ。かなり大雑把な方法だがな」
黙ったまま座り込んでいる鎧の代わりに、先生が簡潔に説明する。
「…どういう事だよ…」
ゆらりと体を起こし、疑問と警戒を視線に込めてじろりと鎧を睨む。同じく立ち上がる鎧は虚ろな紫色の硝子球ような瞳でジンを見返すだけだった。
先生は自分のデスクの前に戻り、どこの機器に繋がっているのか解らないキーボードを引き寄せると軽く叩いた。
「お前達の持っている偽鎧と、原理は全く同じだ。お前達の血肉に合わせて設定され、装着することによって神経が接続され完全に身体の一部となる。差は、性能だけだ―――、零、ちょっとこっちに来てくれ」
天井から伸びたコネクタを掴んで鎧の名を呼ぶが、それは何の反応も起こさず、ただ呆っと空を見ている。
「っと、そうか。ジン、こいつに命令してやれ」
「へ?」
「鎧は主の為にしか動かない。零はもうお前以外の言うことを聞かないんだ」
「な…ちょっと待てよ! 俺はそんなん別に頼んじゃいな…」
「言っただろう。鎧は主の為にしか動かない―――動けない、んだ。俺が言われたのは『そいつを動かして欲しい』ってことだけだしな。諦めろ。お前が、そいつの主だ」
さらっと言い切られたとんでもない台詞に、一同絶句した。
前にも明記したが、「鎧」というのはイコールこの街の最高権力者、伯爵の財産に他ならない。美しいそれらを寵愛するのも、兵器として纏うことが出来るのも伯爵一人だというのがこの街の「常識」だったのだ。
「そんなん…ありなのかよ」
「ありだ。理由は解らんが、そいつは伯爵に『捨てられた』んだろうな」
「そんな…こ、こんなにきれいなのに?」
ずっと大人しく話を聞いていたデイが、悲しそうな声で言った。
「別に壊れてる、とかじゃなさそうなのにな〜。勿体ねえ〜」
及び腰ながら、ハクシも鎧に近づく。かなり至近距離に来られても、鎧は視線を送るだけで動かない。
ぽん、とトクヤがジンの腰を軽く叩く。はたっとジンが横を見ると、軽く顎をしゃくられた。無言の促しに、ジンは眉根を顰め…渋々と、鎧の名を呼んだ。
「えー…っと、『ゼロ』」
ぱっ、と鎧の視線がジンに合わさった。思わず後ずさりたくなるのを堪えて、頬を指で掻きながら「命令」する。
「と…取り敢えず、先生のとこに行けよ」
こくり、と小さく首を動かし、鎧は迷いのない動きで真っ直ぐ先生の方に向かってかつかつと歩いた。途中にいたハクシを押しのけて。
「んのぁっ」
そんなに力が入っていなさそうな腕にあっさりハクシはすてんと転がされた。
「だ、だいじょうぶ、ハク兄?」
「お、おお〜。すっげぇ〜! 本ッ当にジンの言うこと聞くんだな〜!!」
冷たい床に尻餅をついたまま、ハクシが興奮気味に叫ぶ。ゆっくり歩いて彼に近づいたトクヤも、こくこくと頷いた。
「てめぇら、人事だと思いやがって…」
コネクタを口に銜えて何やら調べられている鎧を、新しい玩具を見つけた子供の瞳で見つめ面白そうに笑う仲間達を、ジン
は苦虫を噛み潰した声でいなした。
「で、でもすごいよね? 本物の鎧なんて、伯爵さましか持ってないんだもん」
「そ〜だぜ、良かったじゃ〜ん! あ〜んな濃厚なチューまでかまされて役得役得…あぎゃっ!」
「思い出させんじゃねえ!」
偽鎧のある方の腕で思い切りハクシの頭に拳骨を張り、あのなんとも気色悪い感触を思い出し身震いする。どんな美女だろうがあんな口付けは御免被りたい。
「…ん? お前、性別設定されてないのか」
思わず、という感じで口から漏らした先生の言葉に、全員はたっとそちらに視線をやる。
「…………先生。どゆこと?」
嫌な予感を払拭したく、ジンが恐る恐る口火を切る。
「ん? ああ。大抵の鎧は女性形態をしてるのはお前らも知ってるよな」
全員頷く。税の徴収に来るのも、犯罪を取り締まるのも、皆美しい女性の姿をした鎧だ。伯爵の愛妾と言われる彼女達には、実際に性処理機能も付属されているらしい――というもっぱらの噂だ。噂というのは、勿論確かめようとする無謀な輩がいない為である。
実際、警備鎧に何度も追い掛け回されているジン達にとって鎧というのは脅威の対象にしかならなかった。彼女達はその腕や足を剣や鞭、さまざまな武器に変形させて自分達を襲う恐るべき狩人だ。
「まぁそれはあの『伯爵』の高尚なご趣味って奴だろうが…こいつにはその機能が無い。というより、性別の設計がされてないんだ。無性だな」
「なーにぃ!?」
「え〜、勿体ねえ〜。こんっな美人さんなのに…」
「あ、で、でもそういえば、おっぱいないね…」
顔を赤らめながら言われたデイの台詞の通り、ゼロと呼ばれた鎧の身体は細身で平坦としている。体中を無骨なベルトで覆われている為、いまいちはっきりとはしないが、胸や腰に余分な肉はついていないように見える。そういえば鎧の奴等は皆無駄に乳と尻があったな、とジンは半分遠くなった意識の片隅で呟いた。
別に、その手の性癖に偏見があるわけではない。ではないが、自分にはっきり言ってそういう趣味は無い。どう反応すれば良いのか解らず呆然としてしまったジンの肩を、慰めを込めてトクヤがぽむ、と叩いた。








「俺は! 持ち運びが面倒だから動かして欲しかっただけで、自分で使いたいわけじゃねぇ―――――――!!!!」
ジンの本音の絶叫が、皹の入った空にわんわんと響いた。
「ま〜ま〜、落ち着けってジン」
「これが落ち着いていられるかぁ!! ったく、高値で売れそうだったから持ってったのに…!」
「で、でもどっちにしろ、完全なかたちの『鎧』なんて売れなかったかも…」
「バラすとかどうにか、方法なんていくらでもあんだろ!」
「…………………………」
ハクシとデイが両側から必死に憤るジンを宥めすかせる中、ジンの唇の前にトクヤが一本指を立てた。剣呑な瞳でジンがそちらを睨むと、促すようにトクヤが後ろに顔を向けた。その先には、自分達の4、5歩後ろをすたすたと歩くかの鎧が居る。
「…別に気ィ使う必要ねぇよ、あんな奴らに」
それでも心なしか声のトーンを落とす。先刻、「何か不具合があったらまた来い」と先生に無理矢理ラボを追い出された4人は、ゼロと一緒に街へ続く瓦礫道を歩いていた。正直、特にジンは途方にくれながら。
「大体どうすんだよアイツ」
「そりゃ〜勿論、ジンが連れて帰るんだろ?」
「何でだよ!!」
「だ、だってジン、あれのごしゅじんさまなんだよね?」
「(こくこく)」
「俺は承諾してねぇ! 第一―――」
………ドスッドスッドスッドスッ!!
「オラァ! どけどけガキ共ォ!!」
重い地響きと共に、口汚い罵声が少年達に飛んだ。ハクシとデイはびくりと肩を竦め、トクヤは無言のまま腰に下げていたボウガンを手に取り、ジンは剣呑な目で音源を睨みつけた。
瓦礫を蹴散らして、重い金属の4本足がこちらに向かって走ってくる。その足はお椀のような胴体と、そこから伸びる首と尻尾を供えた、何ともけったいな機械馬だった。胴体には悪趣味なピンク色の林檎がでかでかとペインティングされている。見様によっては脱力しか催さないその機動馬は、ジン達の目の前でざしゃあっ、と土煙を立てて止まった。
「オウオウてめぇら、俺達リンゴ三兄弟の道を塞ぐたぁオコガマシイ奴等だぜッ!」
頭の上に乗った、髭面の男が偉そうに叫ぶ。
「オイオイてめぇら、命が惜しかったらとっととどきな!」
尻尾の上に乗った、やはり髭面の男が声高に叫ぶ。
「オラオラてめぇら、聞く耳持ってんのかァ!? この俺達が何も盗らずに見逃してやろうっつってんだ、幸運に思いやがれッ!!」
身体の上に乗った、更にやはり髭面の男が高慢に叫ぶ。
彼等はこの街の鼻抓み者達の一つだった。自分達で稼ごうとはせず、他人の蓄えを奪って伯爵に胡麻を擦っている盗賊達はこの街に沢山いる。その中でもこの兄弟は、見た目のトンチキっぷりを裏切る形で喧嘩が強く―――この街ではイコール使っている偽鎧が多いこと―――、恐れられている者達である。ジン達が持っている偽鎧の中で戦闘に使えるのはジンの左腕くらいで、どうあっても勝ち目の無い相手だ。普段なら逃げの一途を取る面々だったのだが、
「ど、どうする〜? ジン…」
既に腰の引けているハクシを馬鹿にしたように見遣り、ジンはその瞳に何か含んだ炎を灯した。
「…丁度良いぜ。オイ、お前―――えーっと、…ゼロ」
離れたところでただ呆っと五月蝿い髭面達を眺めていた美しい鎧が、不意にこちらを向いた。その顔に驚きや怯えは全くといって良いほど見えない。こいつやっぱどっか故障してるんじゃねぇか、と思いつつ、ジンは彼に「命令」をした。
「お前、鎧ならかなり強いんだろ? こいつらぶっちめて見ろよ」
「え、ええ〜…あ、あぶないよう…」
トクヤの腰にしっかり捕まったまま、デイが泣きそうな声で返す。宥めるようにその頭を撫でながらも、トクヤもあまり乗り気ではないようだ。大丈夫か?というように首を傾げてみせる。
「いんだよ。どーせ売れないんならこき使ってやる。どうだ、できねぇのか?」
「…居間ノ命令は、『コの物達を破壊セ世』と言フ粉とか?」
その美しい唇から漏れるにはあまりにもたどたどしい言葉を紡ぎながら、ゼロはゆっくりと巨大機械馬を指差した。
「あ? ま、まぁ…そーだけどよ」
「理解シた」
ガツッ、と高いヒールが瓦礫を踏んだ。何の躊躇いもなくつかつかと歩き、ゼロはジン達を守るように男達との間に仁王立ちになった。
「オウオウ! べっぴんさんじゃねーか!」
「オイオイ! ガキ共には勿体無さ過ぎるぜ!」
「オラオラ! 俺達が可愛がってやるぜぇ!!」
機体の上の男達が色めき立つ中、鎧はゆっくりと自分の右手を顔の前に翳した。




「第壱封印限定解除。起動:三日月<クレセントムーン>」




今までと段違いの、滑らかな言葉が滑り出した瞬間。
バチバチバチンッ!と、右腕を覆っていた幾重ものベルトが弾け飛んだ。
その下には、本来なら顔と同じ肌の色の腕があるはず、なのだが――――
「ひぅっ…」
デイが短い悲鳴を上げた。無理もないことで、それはかなりグロテスクな光景だった。
腕であるべきものは、うねうねと動く幾本もの黒いチューブがまとまり合わさった塊だった。先刻自分の喉の奥に入り込んだものとそれが同じであることに気づき、ジンの喉が吐き気を堪える為にぐびりと鳴った。
それはあっという間に解け、組み直され、細く長く別の形を作り出す。
シュルルルッ!!
ねらり、と鈍い光源を反射して刃が光った。
時間にすればほんの一瞬で。鎧の右腕から下が、反り返った鋭利な刀と化していた。
「オ、オウオウ! こいつ鎧じゃねーか!!」
「オ、オイオイ! どうする兄貴ィ!!」
「オ、オラオラ! てめえらビビってんじゃねぇ、たかが鎧一つに――――」
機械馬の上で情けなくじたばたする男達を無視し、ゼロはがっと腰を落とした。




―――――――――――瞬!!




ブワッ、と風が辺りに巻き起こった。
ズ、ズズ、と音がする。何か、と認識する間もなかった。
「「「んのおわああああああああっ!!!!」」」
男達の濁声の絶叫があたりに響き。



ズガシャアアアアアンン!!



機械馬の胴体が、赤い土の地面に落ちた。―――まだ地面にしっかり立っている四足を残して。
その足の間を素晴らしいスピードで走り抜けたゼロが、右腕を一閃しただけで。
足と胴の繋ぎ目が、すっぱりと切断されていた。
「あ、ありえねえぞ! こんな出力のある鎧なんて、聞いたこたねぇ! ―――ひっ!!」
よたよたと覚束ない足取りで機体から逃げ出そうとした男の前に、ガツッと高いヒールの足が下りる。見上げるとそこには、逆光でも美しく見える冷たい鎧の容貌が見えた。
「ひいいい! 助けてくれえ!!」
情けなく命乞いする男達の声を勿論聞かず、ゼロはその右腕を大きく振り被った。
「お、おい、マジ…?」
呆然とその様相を見ていたハクシが、声を喉から絞り出す。
「や、やめ…」
怯えきったデイの声にも、勿論鎧は止まらない。
ズアッ! と黒い刃が、男の首めがけて振り下ろされ―――――――!




「止めろオ―――――――――ッ!!」




がくん、と止まった。恐怖の余り失禁してしまった男の首、ぎりぎりの位置で刃を止めて、ゼロは不思議そうに声の主を見遣った。
「…止めろ。止まれ、この馬鹿」
ゆっくりと、一歩一歩ゼロに近づきながら、ジンは「命令」する。じり、じり、と近づき、そっとその業物に変わった腕を抑え、ゆっくりと刃を退かせた。
「そこまでしろとは言ってねえ。…充分だ、止めろ」
自分の額に冷や汗が落ちているのも理解しながら、それでもジンは命令を続けた。こくり、とゼロの顎が小さく動き、刃が下ろされる。びゅるん!と音がして、あっという間に刃は元通りの腕に組み直った。
それを気持ち悪そうに見遣りながらも、ジンは髭面達に向き直った。
「こんな目に遭いたくなかったら、もう俺達にちょっかい出すんじゃねぇぞ。とっとと失せろ」
「ち…畜生! 覚えてやがれよぉ!!」
定説の憎まれ口を吐いて、ほうほうの呈で男達はお互いの肩を支えて走り去っていった。