時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

13:故障:

「はやくおっきくなりたいなぁ」
妹はすぐにそう言う。
「だって、おっきくなったらもっと、じょうずにあるけるよね?」
何でだ、と問うと彼女は必ずそう言った。
それは、もどかしい自分の身体と、自分を置いて危険を冒して金を稼ぐ兄に対する、彼女なりの希望なのだろう。
「そうすればもっと、おにいちゃんといっしょにいられるよね?」
一生動かない足、合わない拾い物の鎧、それしか持っていなくても彼女は笑う。
だから。
だから。
絶対に、離れないと誓った。気恥ずかしくて、一度も言ったことはないけれど。
言えば良かった。
後悔した。
だって今、どこにも




「―――――――ッ!!」
目が、開いた。
目の前に、顔が四つあって思わず身を捩ると、激痛が身体中に広がって悲鳴も出せなかった。
「ジ〜ン〜!! やっと気が付いたのかよぉ〜!!」
「よ、よかったっ、よかったぁ、ジン…!」
「…………(ほぅ)」
「しぶとい奴だな、本当に…」
顔を覗きこんでいた面々が、ハクシ、デイ、トクヤ、先生の順番で顔を引いていく。見慣れたボロボロの天井がやっと視界に入り、自分が家に寝かされているのに漸く気がついた。ぐるりと視界を動かし、身体を起こそうとすると、先生に両肩を抑えられた。
「………ん、で………」
「喋るな、まだ本調子じゃないんだ。しかし良く生きてたな。今回ばかりは駄目かと思ったんだが」
「ひで…っく、あ! レキ、は?」
「ジンくん、僕ならここなのです」
痛みの中から不意に記憶が戻ってきて、咄嗟に名前を呼ぶと、目を閉じたままの友人の顔がひょっこり自分を覗きこんでくれた。肩の力がふうっと抜ける。
「怪我、は…?」
「平気なのです。ジンくんの方が、酷い怪我なのです」
そう言ってレキは笑って見せる。確かに見た感じ、怪我は無さそうだった。安堵の息を小さく漏らし、―――一番気になって一番聞きたくなかった名前を呼んだ。
「そ、か。…………ネジ、は?」
搾り出された問いに、部屋の空気が一瞬凍った。
「…申し訳、ないのです。僕が至らないばっかりに」
「…ばぁ、か。お前のせいじゃ、ねえよ」
引き攣る頬を堪えてどうにか笑って見せると、いつも穏やかなレキの顔が更に申し訳なさそうに歪み、失敗したと思った。
「…ちっくしょ〜。本当に、どうなってんだよ〜」
「ネジちゃん…」
髪を掻き回しながらハクシが思わずという感じで声を上げ、じわじわと涙が浮かんできたデイがぺたんと床に座る。その頭を慰めるようにトクヤは何度も撫でた。先生は救急箱を片付けながら、やはり冷静に解説する。
「大体の事情はゼロに聞いた。気持ちは解るが、今は休んでおけ」
「けど、」
「そいつらの目的は、お前達の排除だったんだろう。その為にネジを拉致した。お前達が生きている限り、命の心配は無いだろう」
「………………」
冷静過ぎるが的確な指摘に、ジンは渋々ながらも頷く。情け無いが本当に身体が動かないのも事実だ。
「命を分けて貰ったあいつの為にも、今は治すことに専念しろ」
「…あ?」
意味が解らなくて胡乱な返事を出す。先生は無言で、シャツを脱がされていたジンの裸の胸、ど真ん中を指で指した。
「…? ……………!?」
その時気づいた。
自分の身体のど真ん中に、妙な窪みがある。どうにか身体を起こしてまじまじと見ると、そこには薄ぼんやりと碧色に輝く石ころが埋めこまれていた。更に、そこから放射状に沢山の亀裂のようなものが入って、そこに黒いかさぶたのような隆起が出来ていて、かなりグロテスクに仕上がっていた。
「ッ…何だこりゃあ――――――――――ッ!!」
ジンがそう叫ぶのも無理もない程に。






×××



「よう、お疲れさん」
この街を睥睨する搭の狭い廊下の中、不意に声をかけられて一子は伏せていた顔を上げた。この搭の中で、自分にこんな砕けた言葉をかけるのは一人しかいない。
「どうしたんだ? 一子お姉様ともあろう方が、取り乱して標的討ち洩らすなんて」
「貴方には関係ありません」
恐ろしいほど冷たい声と視線を向けられても、廊下の壁に頭を預けて腕を組み不敵に笑う紅い髪の男――ー五樹は全く動じなかった。
「な? 俺の言う通り、保険をかけといて正解だったろ?」
「――――っ」
悔しさに、一子は唇を噛んだ。もし相手が零を使いこなしているのなら、一子でも勝つのは難しいだろうから人質を取る、と進言したのは五樹だった。一子は勿論他の妹達も反論したが、彼女達の親であり主――伯爵が二つ返事で許可を出したので渋々従ったのだ。そして結局それが役に立ちつつある。それが一子はとても悔しかった。自分よりも自分以外の鎧が、伯爵の役に立つのが許せないのだ。
そしてその怒りは、自分を動揺させて止めを刺せ得なかった人間と、自分の至らぬ兄に向けられた。
「―――私はそのような手、使いたくもありません。必ずや私の力だけで仕留めて差し上げますわ」
「勝手にしなよ」
「それより、何かご用ではなくて?」
「ああ、忘れてた。―――『伯爵』が呼んでるよ」
それを聞いた瞬間、はっと一子が息を呑む。そのままぎろりっと五樹を睨み、それを早く言いなさい!とばかりに踵を返して全力で駆け出す。五樹は肩を軽く竦めただけで、その場を去った。
塔の一室、それなりに装飾は凝っているがセキュリティが厳重な部屋の中へ入る。
「あっ、おかえりなさーい! おにいちゃん」
この塔全体に場違いな大声が響いて、五樹は思わず眩暈がした。
部屋の真中に置いてある豪奢なベッドの上、ちょこんと小さな女の子が座っている。彼女は五樹の姿を認め、本当に自然に挨拶をした。
「…ただいま」
一瞬だけ躊躇して、五樹は笑顔を見せてやる。自分を兄だと信じている、愚かな少女の為に。
「ねぇおにいちゃん、あたしいつまでここにいればいいの? おそうじとか、おせんたくとかしなくていいの?」
「大丈夫だよ。もうちょっとで全部終わるから。そうすればすぐ家に帰れるさ」
言いながら五樹はゆっくりとネジに近づき、右手の人差し指をチュイン、と音を立てて尖らせる。「妹」を抱き寄せると同時に、彼女の首筋にその針を刺した。ぴくん、と小さな体が震えて、そのままころんとベッドに横になる。
これが五樹の最も得意とする能力だった。直接脳神経にアクセスして、記憶や意識の操作を行う。戦闘能力は姉達に遠く及ばないが、この性能によって伯爵に実力を認めさせているのだ。
「―――本当、子供って馬鹿だよなぁ」
何の心配もない顔で安らかに眠っている少女に、五樹は自分でも気づかない程僅かに自嘲の笑みを向けていた。




一際豪奢な寝室のドアの前で、妹達が右往左往していた。
「落ち着きなさい! 何事ですか!」
「「「お姉様!! お父様が―――」」」
「おどきなさい!」
縋りついてくる妹達を振り解き、一子は厳重に閉ざされているロックをあっさりと解除し、部屋の中に飛び込んだ。
「お父様!!」
「…一子! 一子か!?」
広い寝床の上、掛け物を被って震えていた男ががばりと起き上がる。こけつまろびつ、ベッドの上に乗った一子の方へ詰め寄り、そのまま抱きついた。一子はしっかりと、でっぷりと太った醜悪な男を何の躊躇いもなく抱き寄せた。
「た、助けてくれ! 奴が…零が、生きているのだ! まだ生きているのだ! わしを恨んで、こ…殺しに来るッ!!」
その言葉に僅かに動揺しながらも、一子はゆっくりと言葉を紡いだ。
愛する父の、不安を拭う為に。
「大丈夫、大丈夫ですお父様。お兄様の機能は停止させました。もし万が一、稼動していたとしても、私が確実にお兄様を破壊します。どうか、ご安心下さいませ…」
「あ、ああ、そうか、そうだな。一子、お前は良い子だ、良い子だなぁあ」
自分の体にしがみ付き全身を撫でてくる腕に、一子はうっとりと従った。
この幸福の為に、自分は稼動しているのだ。
父を苦しめるものは何であろうと許さない。
「お父様…一子は必ずや、お父様の期待に応えて見せますわ」
人と同じように模して作られた服を脱ぎ捨て裸体を晒し、一子は自ら寝台の上に倒れた。嬉々として自分に圧し掛かってくる重みを受け止め、耳元で物騒な台詞を囁く。
「他など必要ありません―――私こそが、お父様の為の唯一の鎧ですわ」
やがてゆっくりと自分の中に入ってくる質量を受け止め、一子は幸せそうな溜息を吐いた。



×××





風が、強かった。空に入った皹の向こう側から、いつもとは比べ物にならない強風が吹き付けているらしい。
何度も眠って起きてを繰り返して、漸く起き上がれるようになった。自分としてはかなり長い時間が経ったような気がするが、先生に聞くと丁度一日ぐらいしか経っていないようだ。あれだけの怪我を負って、これぐらいで動けるのはやはり、自分の体の中に埋め込まれた不気味な石のお陰らしい。
「鎧の動力炉だと言っていい。細胞の代謝機能を格段に活性化させて、破損した、即ち怪我をした部分を短時間で修復する事が可能になる。本来そこから切り離された鎧の細胞は死滅して消失するが、唯一の例外が―――主の体だ。お前達の体はもう既に同一線の上に乗っていて、同じ体として扱われている。お前の中にそれがある限り、お前もゼロも肉体的な損傷で死ぬ事はない。ただし、お前が死ねばゼロも死ぬ」
先生はそう言っていた。
とんでもないものを埋め込んでくれた鎧は、家から程好く離れた小高い廃棄材の丘の上に、風に吹かれて佇んでいた。
「ゼロ!!」
びくり、と肩が震えたような気がした。ゆっくりと、銀糸の頭が振り向いた。
「塵」
「何やってんだ、んなとこで」
「―――塔ヲ、見てイた」
お互いの体を気遣うことはしなかった。実際、ゼロの体は表面を見る限りもう分断されているところは見当たらなかったし、普通に稼動しているように見えた。
踏むとすぐがらがらと崩れてしまう丘を注意深く登り、ゼロの隣に並んだ。風がさっきよりも強くなったようだ。
暫く、沈黙が続く。ゼロはそっと、隣の苛烈な瞳で塔を睨みつけている主の横顔を視界に納めて唇を開こうとした。
「塵。ス」
「すまないとか言いやがったら今ここから蹴り落とすぞ」
しかしその言葉はジンによって止められた。一瞬眼を瞬かせるゼロの紫色の瞳に、ジンはしっかりと視線を合わせて声を荒げた。
「すまねえと思ってない奴に謝られても意味ねんだよ! お前にとっちゃ、ネジの事なんざどうでもいいんだろうが!」
「、否」
「どこが違う!? お前は、俺さえ生きてりゃいいんだろ!? こんなご大層なもん植え付けてまで、俺のこと助けて! 
主さえ生きてりゃお前は文句ねぇ鎧だろうが――――ッ!!」
「否! 否否否!!!」
ボルテージの上がったジンの声は、それ以上に上がったゼロの悲鳴のような否定で止められた。夢中で叫んでいたジンもはっと我に返る。目の前で、ゼロが両手で頭を抱えて蹲っていた。
「…螺子ハ…ちガう…!!」
搾り出すような、声。嫌な罪悪感が湧いて、ジンも思わずその場に膝をつき、鎧の肩に両手を置いた。
「やハリ…ワタ志は故障して居ル…! お前の意フ透り、本来お前以概の存在ハワタ志に不必用だ。それナノに」
無邪気に自分に触れてきてくれた少女。
「ゼロがいいなら、それでいい」と何度も言ってくれた少女。
いつでも、笑っていた少女。
「螺子が――――、笑って 呉れルのが…うれし、かッタ」
「―――――!」
驚愕のあまり、声が出せなかった。
信じられない事を紡いだ、ぎごちない言葉と。
僅かに上向いた、今にも泣きそうに歪んでいた顔に。
「塵ッ…ワタ志を廃棄シて呉れ…! 主ヲ護れヌ…誤作動ヲ起コす鎧ハ、存在シてはならなイッ…!!」
「…か、ヤロ…!!」
今にも地面に突っ伏しそうになる鎧を、無理矢理持ち上げて。
両の腕で、掻き抱いた。





「…! じ、ン…?」
「それのどこが悪いってんだよ! 何が廃棄だ…! ざけんな! そう言うことは早く言えよバカ野郎が!!」
何が起こっているのか解っていない鎧の耳元で思い切り叫んでやる。我ながらどうにも意地っ張りだと思ったが、こういう風にしか言えなかった。
「勘違いしてんのは…ッ俺の方じゃねぇか…!!」
嬉しかった。
それが鎧にとっては致命的な誤作動だったとしても。
本当に、嬉しかったのだ。
「塵…? 泣いテいるのカ?」
「うるせっ…!」
「泣く、ナ。お前も―――螺子、も。泣くノヲ、観るのハ…否、だ」
激情のまま零れてしまった雫を、黒い皮で包まれた冷たい指が拭ったけれど、ちっとも不快ではなかった。
「気づけよ…さっきのは、八つ当たりだっつーの…!」
「泣くナ、塵―――」
お互いをお互いの腕で包み込んだ。
あれだけ強かった風が、弱まったような気がした。





×××




「―――あれ…?」
「どうした?」
部屋一杯に広げた紙にらくがきをしていたネジは、ふと顔をあげた。溜息を隠して付き合わされていた五樹が尋ねると、こくりと首を傾げた。
「ねえおにいちゃん、あたしたちのほかにここにだれかいなかった…?」
「………何いってんだ? 気のせいだろ?」
「う、ん…そうだよね…」
内心五樹は冷や汗を掻いていた。何度も操作をしているはずなのに、未だに完全な洗脳が出来ない。ふとした時に、今の状態に違和感を感じて思い出そうとしている。今まで自分がここまで梃子摺った人間は居なかった―――一体何故、こんな小さな子供のどこにそんな精神力があるというのか。
「ふぁ…」
ネジが小さく欠伸をした。最近睡眠に落ちる感覚が短くなってきている。脳に負担がかかっている証拠だ。これ以上精神操作の回数を増やすと、命に関わるかもしれない。
「…眠いか? だったら寝とけ」
「うん…おにいちゃん…」
とろとろとまどろむ「妹」を、抱き上げて寝台まで運ぶ。当然のようにネジはきゅっと五樹の体にしがみついてきた。
「おにいちゃん…あたしはやくおっきくなるね…」
「ん? ああ…」
眠りの下から唐突にそんな風に言われ、戸惑いながらも返事を返すと。
「はやくちゃんとあるけるようになって…おにいちゃんといっしょにはたらくからね…」
笑顔と共にそう言って、少女は安らかな眠りに沈んでいった。