時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Departure.

「―――――うーん…」
かちかちとややぎごちない手でキーボードを叩きながら、悠太は何とかパソコンを操っていた。簡単なインターネットしか使ったことのない悠太にとって、いきなりプログラムを操るなんて出来っこないと思っていたが、この<反乱軍>はスロットに入れただけで起動してしまう、かなり初心者に優しい代物なのだそうだ。悠太は基本操作のみを覚えればよいということで、レイに貰った、この世界では子供が使うらしいゴーグル型のナビゲートツールを付け、勉強していた。
本来勉強なんてテストの点だけを取る為にやっていたようなものだ。そんな悠太にとって、この勉強は純粋に面白いと感じた。―――自分が、役に立っていると思えたから。
と、青緑色の文字が走るゴーグルの向こう側に、ぬ、と湯気の立つカップが突き出された。てっきりレイだと思い、お礼用の笑顔を浮かべてゴーグルを外して横を向き、
「うわっ!?」
目の前に不機嫌そうな、自分と同じ顔を見つけて仰け反って椅子から落ちかけた。
「んだよそのリアクションは」
「あ、ご、ごめん。ありがとう」
「ふん」
差し出されたままだったカップを受け取り礼すると、ダストはバツが悪そうにそっぽを向いた。ちょっと口をつけると、仄かに甘い。自分達の間では貴重な砂糖湯だ。
「いいのか?」
「レイが持ってけって言ったんだよ、疲れてるからってな」
そう言うダストの手には、もう一つカップが納まっている。しっかり自分も貰っているから、とやかくは言えないらしい。湯気に怯まず思いきり呷る姿を見て、悠太は必死に口の端で笑いを噛み殺し、自分ももう一口飲んだ。
暫く、沈黙が続く。レイとマリンはもう休んでいるのだろう。ヴォーイとシェイドは、地下道に見張りに出ている。先日の襲撃から、休息は交代で取ろうと皆で決めていた。
「――――なぁ」
「ん?」
口を開いたのは、やはりダストだった。
「お前、帰りたくないのか?」
端的な問に、悠太はちょっと噎せた。
「ん、うんっ。そんなはずないじゃないか」
「じゃ、何で…」
否定の言葉に返しかけて、何を言ったらいいのか解らないらしく、ダストは不満げに唇を歪めた。
「―――ただ…」
「あ?」
「ただ。俺は―――、今、ここに居る方が…ずっと、充実…してると、思うんだ」
途切れ途切れに呟いた本音に、ダストが驚いたように自分の方を見たのを感じた。
「ごめん。必死になっている皆に、失礼なことは…解ってるんだ。でも俺は…今まで生きてきて、ここまで一生懸命になったことも、ここまで他人に認められたことも、無かったんだ」
張り合いのない生活。褒められる事も貶される事も無い。傷つかない為に、嬉しさを求めない、平坦な世界。今まではそれでいいと思っていた。それ以外の世界を知らなかったから。でも、ここへ来て。沢山の痛みと、沢山の喜びを、知った。知ることが出来た。だから。
「…………けっ、贅沢者」
「うん。解ってる」
小さい詰りに、頷いた。
「腹一杯食えて、ぐっすり眠れる世界のどこが不満なんだよ」
「不満なわけじゃないよ…うぅん、やっぱり上手く言えないや。結局これって…ただのないもの強請りなんだな」
「かもな」
肯定が降って来て驚いた。横をもう一度見ると、ダストはカップに口を付けたまま虚空を見据えている。
「だから、何も変わらないんだろうな、俺達は」
ほんの少しだけアイスブルーの目を顰めて、自嘲するそんな姿を初めて見た。呆然と只見ていたら、気付かれて不機嫌な眼にすぐ戻られた。
「………なんだよ」
「いや、そのっ…そんなネガティブな言い方、俺みたいだなって…思っただけ」
咄嗟に出た言葉に、今度はダストが吹き出した。
「ははっ…違いねぇ。てめぇのせいで感染っちまったっ」
ぺしり、と掌で軽く頭を叩かれた。本当に痛くない、只のじゃれ合いのように。
「俺のせいなのかい?」「決まってんだろっ。おら、さっさと勉強再開しろ」
「解ってるってば」
顔に押しつけられたゴーグルを付け直し、悠太は再び電子の世界に没頭した。それなのに、心の奥底にずっと、ふわりとした温かさが残っているのにも気付いていた。






『近々、ドロップ達の完全排除を目標に、大規模な清掃作戦が展開される事になりました。これにより、この都市の安全を飛躍的に上昇させる事が出来ると、ラグランジュが発表いたしました』
抑揚のない機械音声のニュースが、マリンの抱えたポータブル3Dモニタから基地の中に響く。全員がそれを聞き、緊張を漲らせた。
「…来ると思うか」
「かなりの確率でな。今までは単なるデマだったが、ラグランジュニュースでやるとなると半端じゃねぇ」
不安を隠さずに呟いたヴォーイに、ダストは冷静に返す。
「早速試す日が来そうだぜ」と、悠太の方を見て呟く。ぐびりっと喉を鳴らして、悠太も頷いた。
「大丈夫よ、わたしもサポートするからっ」
悠太の両肩に手を置き、顔を覗きこんでレイが微笑む。
『尚、日程は発表できませんが、恐らく一ヶ月以降後の事になると―――』
「デマだな」
続くニュースを、ダストは一発で切り捨てる。それに頷いたのはシェイドだった。
「準備期間は一瞬で終る。油断させて、恐らくもっと早く動く」
「移動した方が良さそうだ。全員準備しとけ」
「うん。マリン、行こう」
「ん…」
全員が狭い部屋の中で、簡単に荷物を纏める。武器と小道具、一人一人に簡易食料と水を分けると僅かにしかならなかったが、無いよりはマシだ。
「――――行くぜ」
ダストに全員が頷き、彼を先頭にドアを潜った。