時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

090.封じ込める

※某Gロ第二段前提の話







 傷の手当は、基本的に自分一人ですること。自分で立ち上がれないものは置いていかれるだけだから。
 ルパンレンジャーの三人には、約束と言う名の誓いを守る為、そういう不文律をひとつ作っていた。
 だから例え、自分で治療しにくい場所の傷でも、仲間に頼ることは決してしない。
「よ……っと、ぅ」
 鏡で背中を見ながら、慎重に大き目の湿布薬を貼った魁利は、僅かに染みる薄荷の匂いと傷の痛みに眉を顰めた。
 ここはジュレの屋根裏にある魁利の自室であり、三人の部屋の中では一番小さいが魁利は割と気に入っている。透真は料理に関する本が、初美花は自分で縫製したのを含め服が沢山ある為――この生活を始めた時にどちらも大部分処分したそうだが、仕事に関わるものでもあるからやはり増えていくのだ――手狭な部屋だと少々辛い。魁利はその点、持ち出した私物など微々たるものだったし、秘密基地のような屋根が三角の部屋も気に入っていた。子供の頃から、ずっと兄と相部屋のようなものだったし。
 僅かに浮かんでしまった寂寥に気付かないふりをして、魁利はそろりと服を着た。その上からジュレのエプロンを下げ、立ち上がって身振りを確認する。――大丈夫だ、違和は無い。
「ったく、あの手榴弾野郎、思い切りやりやがって……」
 ぶつぶつ言いながら部屋を出る。この傷を与えた敵に対する憤りは兎も角、この傷を受けるに当たっての自分の振る舞いについては考えないことにする。初美花には心配され、透真には呆れられてしまったし、自分自身も全く馬鹿だという自覚もある。――それでも。
 自分を疑っていた癖に、人質にされた魁利達三人を、守るべき相手として振る舞ってくれた。結果、彼の粘りが援軍を呼び、自分達も九死に一生を得ている。
 だからあの時――倒れたパトレン1号の上に、デストラのハンマーが振り下ろされた時、身を挺してそれを庇った。結果この背にはかなり青黒い打ち身が残ってしまったが、魁利としては満足のいくものだったのだ。
「借りを作ったまま、あのおまわりに勝ち逃げされるなんて癪だし」
 自然に口から出てしまった言い訳に、後から気づいて唇を押さえる。仲間の前でも、仕事中でも、魁利は自分を常に余裕を持ち相手を翻弄するように振る舞っているが、その実彼の本質は割と直情だ。こうやって誰の目も無いところでは、つい本音が口を出てしまうぐらいには。
 自分で頬を抓って、その感情を摘み上げる。階段を降りる前に、いつも通りの笑みを浮かべ、店へ降りた。
「Bonjour、二人とも」
「魁利! 背中だいじょうぶ!?」
 年の離れた妹分が、心配しか浮かんでいない顔で詰め寄ってくる。もうすぐ開店時間だ、いつもならギリギリで降りて来た魁利に小言のひとつも飛ばすのが当たり前なのに。かなり低い位置にある丸い頭をぽふぽふ叩きながら、笑ってやる。
「あー、大丈夫だって。ま、暫くはここの手伝いは休み貰うけど」
「そっか、仕方ないね……って、大丈夫ならサボんないでよ!!」
 魁利の言い訳に納得しかけて、慌てて拳を振り上げる初美花に、素直か! と混ぜ返しながら逃げる。どうやら彼女の心配は全て払拭出来たらしい。
 恐らく、その辺の機微も全て解っているのであろう透真が仕込みの手を止めず、呆れたように口を開く。
「そうだな、幸い今日は大きな買い出しは必要ないし、お前にはちゃんとウェイターの仕事に就いてもらおう」
「げっ」
「――逃げるなよ?」
 思わず玄関に運びかけた足が、冴え冴えとした声に阻まれる。どうやら今日は真面目に仕事をするしかないらしい――これも彼なりの、今日は力仕事をするなという遠回しな労いなのだろうということまで解るので、素直に両手を上げて降参の意を示した。


 ×××


 ランチの時間が来ると、ジュレの店内はあっという間に賑やかになる。最初は快盗の隠れ蓑として使うだけだったのに、有名レストラン仕込みのシェフによる料理の美味しさと、店員がイケメンと可愛い子しかいないという話題性から、どんどん客足が増えていって嬉しいやらちょっと困るやらだが、肝心のシェフが料理の評価に対しては満足げに受け止めているので、魁利と初美花はそこに突っ込まないでおいている。
「はい、いらっしゃ――いま、せ!」
 カランと鳴ったドアベルにぱっと振り返った初美花の声が引き攣る。それだけで誰がやってきたかちゃんと理解して、魁利は内心だけで肩を竦めた。いい加減ポーカーフェイスに慣れろよー、と心配しつつ。
「久しぶりだね初美花ちゃん! 中々これなくてごめんね? 最近仕事が忙しくってさ〜、この前も快盗の偽物が……あいててて!!」
「いきなり守秘義務を破るとはどういう了見だ咲也。すまない、3人で。ランチのメニューだけ見せてくれないか?」
「は、はーい! こちらのお席へどうぞー!」
 尻尾を回転せんばかりに振り回して駆け寄ってくる大型犬、にしか見えない国際警察の青年は、先輩である女性に耳を捻り上げられて悲鳴を上げている。
 そして、その女性と同輩である、暑苦しい熱血警官の青年は、やはりいつもどおりの堅物そうな顔で、普段と何も変わった様子は見えない。
 それが何故か心臓の裏をちくちくと刺してくるような気がした。魁利はいつもこの三人が来ると初美花に任せっきりなのだが、自らメニューと水を乗せた盆を手に取り、這う這うの体で逃げ出してきた妹分とバトンタッチする。初美花が意外、といった顔をして、透真がちらりと視線だけ寄越したが、止められることは無かった。
「はい、メニューとお冷どうぞー。只今今月の限定ランチやってまーす。圭ちゃん何にする?」
「魁利くん、その圭ちゃんというのは……いや、いい」
 先日、大部分の意趣返しとそこそこのからかい、そしてほんの僅かな謝礼を込めて、随分距離を縮めた呼び名を始めたのだが、相手はまだ慣れないらしい。つかさは「なんだ、随分と仲良くなったんだな」とメニューを見ながら気にした風も無く言っているし、咲也に至っては「俺も初美花ちゃんに愛称で呼ばれたいです!」とあらぬ方向に夢を見ている。
 魁利もこの前の、負けたような、負けてないような、借りは返したけど、でもなぁ、という自分でもちゃんと納得していない感情をうろうろさせながら、結局限定ランチ三つに決まった注文に了承を返し、踵を返しかけた瞬間。
 拭き掃除をした後乾ききっていなかったのか、テーブルの下の床につるりと足を滑らせた。
「っ、と!」
「あぶな――」
 普段ならすぐに態勢を立て直せたが、今日は下手な動きをすると背中に痛みが走る。一瞬の迷いが体を上手く動かせず、どすん、と思ったよりも軽いが衝撃が背中に走った。当然、打ち身で色の変わった体は盛大に痛みを訴えて来て、
「っ……ぅ……!」
 悲鳴を上げるのは堪えた。警察の連中がいる中でこんな無様な姿を見せられない。改めて態勢を立て直そうと反射的に瞑っていた瞳を開けて――自分が倒れ込んだのが床やテーブルでは無いことに漸く気づいた。
「大丈夫か魁利くん! どこか痛めたか!?」
 体はかなりの角度に傾いでいるが、痛みを訴える背はしっかりと――随分と太い腕に支えられていて、鼻先がくっつきそうな場所に、暑苦しい言動を放っているのに目元は随分と涼やかな、心配しか浮かべていない顔があった。
「……へ、ぇ? いや、あの、背中」
「背中か!? 咄嗟に支えたと思ったが、どこか打ったのか!」
 一瞬、全ての仮面を被ることを忘れてしまった魁利に対し、背丈は魁利よりも小さいのにしっかりとその体を支えている圭一郎は、そっと体を立たせてから心配そうに背を摩ってくる。
 ぞわ、と痛みと同時に何か別の得体のしれない感触が昇ってきて、頬に熱が集まる。心臓がどんどん早くなる。拙い、早く、取り繕わねばと思うのに、いつも簡単に被ることが出来る笑顔の仮面が出てこない。
「魁利く――」
「お客様、うちの店員が失礼しました。――少し上で休んで来い」
 労わろうとする圭一郎の声を、ひやりと冷たいが決して礼儀を失っていない絶妙な声で透真が遮った。さり気なく圭一郎から魁利への視線を切るように動き、漸く魁利もちゃんと息が出来るようになる。一瞬俯いて、ぱっと顔を上げた時には「体調が悪かったけど今まで我慢してました、けどもう限界みたい、という笑顔」を作ることが出来た。
「ぁー……、さんきゅ、透真。ごめんね、圭ちゃん」
「いや、構わない。体調が悪いのなら、無理をしない方がいい」
 あっさりと騙されてくれたお人好しの刑事は、背中の怪我にも気が付かなかったようだ。安堵の息を隠してひらりと手を振ると、軽く手を挙げて返してくる。
 ……また仮面が外れそうになったので、すぐに踵を返した。
 狭い階段をゆっくり昇りながら自嘲する。いい加減、あの人のことになると自分のコントロールが上手く出来なくなることを自覚するべきなのだ、と。
 兄を失ってから、自分の感情を殺すことを覚えた。だって、ただ放り出した感情の赴くままの罵声が、自分と兄の間を完全に断ち切ってしまったのだから。
 あの過ちをもう二度と繰り返したくなくて、もう二度と同じ失敗はしないと誓って。ありったけの仮面を作って、その中に、理不尽に泣き叫んだままの自分を押し込んだ。夢物語に縋ってでも、やり直せるのならと。
 それなのに、彼と向き合ってしまうと、駄目だ。
 望んで快盗の道を選んだのに、それを責めてくる彼を、何も知らない癖にと憤りたくなる。
 自分達の夢を叶える為の最大の障壁である筈なのに、彼と言葉を交わすのが、距離が近づいていくのが、楽しくなってしまっている。
 どうして解ってくれないの。
 どうして解ろうとしてくれるの。
 ――反吐が出る!
 どさりと、自室のベッドに倒れ込む。背中がまた痛むが、最早気にならない。自分に対する苛立ちが止まらない。
 認めたくないけれど、信じたくないけれど。自分の行動が嘗て、兄に甘えながら反発していた時と全く変わらないのだ。
「……馬っ鹿馬鹿しい」
 己に対する罵り声は、随分と小さなものだった。
 両手で顔を覆って、魁利は思考する。早く仮面を、被らなければ。冷徹に、警察すらも利用して、己の望みを叶える快盗として。
 仮面の下で泣いている己の顔を、刻み潰したいと思った。



 ×××



「ごちそうさまでしたー! 初美花ちゃん、またね!」
「は、はーい、どうもー……」
「今日も美味しく頂いた、ありがとう。……どうした、圭一郎?」
「ん……いや」
 会計を済ませて、名残惜しそうに初美花の手を握ろうとする咲也を捻り上げつつ、ぼんやりと階段の方を見ていた圭一郎を呼んだ。
「彼が心配なのか? 知らないうちに、随分と仲良くなったんだな、お前達」
「仲良く……なったのだろうか。どうもあれはからかわれているだけの気がするんだが」
 むう、と眉間に皺を寄せながら、それでも圭一郎は応える。
「だが彼も、俺達が守るべき市民の一人だからな。早く元気になって欲しいと思うのは、当然だろう」
 きっぱりと、なんの含みも衒いも無く言い切られた言葉に、透真と初美花の肩が一瞬震えたことには、誰も気づかない。
「お前らしいな……」
 苦笑しながら、つかさは思う。警察学校時代から、この暑苦しさと自他共に厳しい態度から、敬遠されることも多かったが、逆に慕われることも多かった男だ。
 しかしその手の話についても古風な彼は、遠回しなモーションには全く気付かず、ストレートな告白には「すまないが、今は家庭を作ることは出来ない」ときっぱり断り、まあ浮いた話など一度も出てこなかった。
 その一つに、彼の――博愛と言えばいいのか、誰も彼もが警察として庇護対象になり、それ以上にはならないことも原因であると思われる。
 だが、しかし。ドアベルを鳴らして、ふと振り返ると、圭一郎は先刻と同じ顔で閉まったドアを見ていて、その後に店の上階へと視線を移し――溜息をひとつ吐いて踵を返した。
 その、らしくない姿につかさはぱちりと目を一つ瞬かせ、ぼそりと告げる。
「……珍しい顔だな」
「ん?」
「自覚無しか、ならいい」
「おい、どういう意味だ、つかさ」
 彼がどこにいるのか解らないまま見上げていた圭一郎の顔が、まるで、振り回される相手に恋い焦がれる男のように見えてしまったのだが。
 まさかな、と思いつかさもそれ以上の言及を止めた。