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009.漫談

「ローレンス、ローレンス」
 いつになく甘えた風なテメレアの呼びかけに、ローレンスはつい眦を下げてしまう。すっかり体も大きくなり、最早体躯だけなら立派な雄竜である筈の彼が、生まれたときから変わらぬ仕草で話しかけてくるのが、嬉しくて仕方がない。何とも親ばかなことだと自重するべきかもしれないが、今現在の幸福感には堪えがたく、微笑んで受け止める事しか出来ない、否、したくない。
「なんだい、テメレア。今日の食事が足りなかったかな?」
 ならばすぐに用意させよう、と言いかけた口は、ふるりと横に振られた顎で止められた。
「違うよ、どうしても確認したいことがあったんだ」
「ふむ?」
 長旅でどこか不調な部分でも出たのかと、心配げに眉を寄せてしまうローレンスに対し、テメレアはあくまで快活に言葉を続けた。
「中国でメイとぼくがしていたこと、ローレンスはしたことがある?」
「ん、ごほっ」
 思わず咳き込んでしまい、原因であるテメレアに大丈夫? と爪でそっと背をさすられる羽目になった。平気さをアピールするために片手を上げてから、どうにか平静を保つよう努力して答える。
「テメレア。藪から棒に何をーー否、それ以前にそういうことは、あまり」
 何とか言葉を飾って言いたいのだが、焦りと羞恥心が邪魔をして歯切れ悪くなる。テメレアの方はきょとんとしたままだ。彼にはーー否、ドラゴンにはそもそもこの手の羞恥心が無いのだろうか。
 確かに自分達人間も、ドラゴンの繁殖についてならば冷静に語るし、彼らもその手のことは承知済みにも見える。だがしかし、このように無邪気に問いかけられるものではない、絶対にない、とローレンスは自らの常識にしがみつく。
「少なくとも、他のクルー達に聞くのは止めてくれ。特に、エミリーには」
 まだ年端もゆかぬ少女にこのような発言を許すわけにはいかない。キャプテンの責任感をもって告げると、テメレアは心外だと言いたげに鼻を鳴らした。
「こんなこと、他の人達には聞かないよ。あなたにだけだ、ローレンス」
 きっぱりと言い切られた言葉に、その内容も忘れてローレンスの心は浮き立った。彼の「特別」であることを改めて理解し、胸の奥が暖かくなる。ーー彼自身の危機は、全く去っていないというのに。
「だから、教えてほしいんだ。あなたはどんな風に、あれをするのか。ぼくは全部メイに教えて貰ったけど、あなたもそうなの? 例えばほら、ジェーンとか」
「テメレア!!」
 思わず叫んでしまい、周りに聞かれなかったかと慌てて見渡す。幸い、竜とその乗り手の、僅かな時間を使った交流を邪魔するような無粋な輩は、テメレアクルーの中にはいなかった。心底安堵の息を吐いてから、これだけははっきりと言わねばならぬ、とローレンスは腹を括り、テメレアを見つめたまま言った。
「テメレア……何故そこに、ジェーンの名前が出てくるんだい?」
「だってローレンスは、ジェーンとつがいなのでしょう?」
 今度こそ間違いなく、ローレンスは轟沈した。今ここに剣を持っていたら、柄に自分の頭を思い切りぶつけたいところだ。
 両手で頭を抱えてしまった自分の乗り手に、流石のテメレアも自分が何か悪いことを言ったのは気がついたらしく、申し訳なさそうに鼻先を擦り寄せてきた。
「ごめんなさい、ローレンス。ぼく、あなたを困らせるつもりじゃなかったんだよ」
「いや、解っている。解っているとも、君の優しさも好奇心旺盛なところも。だが少し待ってくれ、少しだけでいいんだ」
 自分の子供に情事を知られていた後ろめたさというか、恋人に浮気がばれた罪悪感というか。どちらもローレンスは味わったことのない心地だったが、今の状態がそうなのではないだろうか、という馬鹿らしい妄言が浮かんでくる。ごしごしと自分の手で顔を擦り、ようやく一心地ついた。
「テメレア、君が興味を覚える気持ちも分からないでもない。だがその手のことはみだりに口に出してはいけないよ。君の母上も悲しむだろう」
 我ながら卑怯な手段だとは思ったが、母の名を出すとテメレアの冠翼はへたりと萎えた。彼自身にも、その手のことは母に対して声高に述べるわけにはいかないものであるという思いはちゃんとあるようだった。心底安堵の息を吐き、ローレンスは襟元を正した。
「解ったよ、ローレンス。でもひとつだけ教えて」
「何かな?」
「あのね」
 テメレア自身にも恥じらいがあるのか、ぐいと鼻先をローレンスに近づけてくる。その仕草が可愛らしく、当然のようにローレンスは堅い鱗に包まれたそこを撫で、促してやった。
牙の並んだ大きな口を僅かに開き、そこからこぼれ出た呟きは。
「……ずっと相手のされるがままになってたら、嫌われないかな? でも、どうやって勉強すればいいと思う?」
「……」
 念のために心構えをしていたおかげで、叫び出すのはかろうじて堪えた。
 彼の疑問が解らなくもないところがまた辛い。男ならば、しとねの上で全て女性に任せるのは、キョウジが傷つくものだろう。
 だが、技術と知識をどのように得るか、ということに関しては、ローレンスは再び轟沈するしかない。人と竜の差もある、ただ語るだけで理解に繋がるとは思えないし、何よりも、テメレアに俗な知識を与えるのは出来る限り避けたいと、今でも思ってしまうローレンスなのだから。
 中国にならばその手の教本もあるのだろうか、いやしかし、とぐるぐる考えるローレンスは、じっと自分を見つめてくる大きな瞳から逃れることは叶わず、絶望的なため息を一つ吐いた。