時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

066.甘々スパイス

 銀色のスプーンで掬われた毒々しい色の炭水化物が、銀髪の青年の口の中に、規則正しく運ばれて消えていく。
「……どう? お口に合うかな?」
 料理を作った張本人、カジキ座系出身の料理人・スパーダは、ついついそうやって声をかけてしまった。調理に絶対の自信を持つ彼は、新しくオリオン号に加わったメンバーの内、有機体の食事を必要とする方――即ち、銀髪の青年ナーガ・レイに自分の腕前を披露してみたのだ。
 しかし一口目から全くのノーリアクション、返事どころか表情筋のひとつも動かさない様を見ていると、流石に不安になる。
 声をかけられたナーガは、言葉を聞いていなかったわけではないらしく、ぴたりと手を止めて隣に立つスパーダを見上げる。
 そのまま、沈黙。
「……ええと」
「……」
「ご、ごめんね? 美味しく無かったら無理しなくて良いんだよ?」
 やたらと強い目力で睨み上げられて、耐え切れずに折れてしまった。この広い宇宙、味覚の差などそれこそ星の数ほどある。そこに合わせて調理方法や味付けを変えるのがフードマイスターの本業だ。だから、わざわざラッキー達とはちょっと時間をずらして食事をしてもらい、具体的な好みの味を知りたかったのだが。
「……おいしくない、とはなんだ?」
「えっ」
 ナーガの方はやはり無表情のまま、朴訥な声でそう呟き、スパーダは絶句する。
 ――彼の母星の一族は、争いを避ける為に感情を捨てた、らしい。先日同じく仲間になった彼の相方が、テンション高く滔々と語ってくれたし、スパーダも噂だけなら聞いたことがあったけれど。
 まさか彼等は、味の好悪すら、捨ててしまったのだろうか。僅かな差異が、諍いの原因になるからと。
 食事とは人生の喜びであり、同じ食卓を囲むのは幸福の証である。人生の指針をそう置くスパーダにとっては、中々にショックな事象だった。
 そんなスパーダの戸惑いを、理由は解らないが感じ取ったらしいナーガは、やはり無表情のままだが、先刻よりも少しだけ早口で呟いた。
「わからない。バランスは、しょくじをしないから」
「……Veramente?(マジで?)」
 言われた台詞の意味を理解し、思わず母星語が漏れてしまった。信じられない、のではなく、まさかそこまで、という意味で。
 彼が感情というものを学ぶために、かの機械生命体とコンビを組んだのは理解できる。あの激しい感情表現は、確かに学ぶための指標にはなるだろう。彼の相方も、ナーガがずれた表現を見せる度に、ひとつひとつ訂正をしている。
 しかしだからこそ。機械生命体が不得手、或いは不必要なもの――例えば、味覚とか、表情とか――その辺りが、ナーガにとってもあまり重きを置かないものになってしまっているのかもしれない。
「……おいしい、おいしくない。わからない」
 口元を手で押さえて考え込むスパーダを見つめるナーガは、やはり無表情のままだったけれど。手にスプーンを持ったまま、じっと見上げてくるその姿は、どこか途方に暮れているようにも見えた。
 そう思うと、自分より随分と背の高い彼が、幼い子供のようにも見えて。元々面倒見の良いスパーダの兄気質を擽ってくる。
「……Si、解ったよ。それじゃあ、このご飯、もっと食べたいと思う?」
 微笑んで、床に片膝をついて屈み、彼の顔を下から覗き込むようにして問う。ナーガの瞼がぱち、と緩やかに一度瞬き、こくんと小さく頷いたので、そっと息を吐く。どうやら食べるのを止めたいほど不味いわけではなさそうだ。
「じゃあ、召し上がれ。足りなかったら、おかわりもあるから」
 促すと、今度は先刻よりも強くこくん、と頷いた、ような気がする。味はともかく量は足りなかったのだろうか、今度からは大盛りにしようとこっそり決める。
 再びナーガは、規則正しく食事を続け出す。何とも庇護欲のようなものが沸いてしまい、その姿を立ち上がったスパーダは微笑ましく見ていたのだが。
「あ」
 肉料理を大振りに切って口に入れた時、その口元にべたりとソースをつけてしまった。ナーガは気付いていないようで、手を止める様子は無い。下手をするとハミィより年下に見えてしまうそんな姿に苦笑して、スパーダは自分のエプロンの箸を抓み、拭ってやろうとごく自然に手を伸ばして――
 ひゅるん、と伸びて来た金色のコードに、その手を取られた。
「えっ!?」
 驚いて大声を上げている内に、その手は解放されたし、痛みも何も無かったけれど。
「バランス」
 スパーダが気付くよりも先に、ナーガがその犯人の名を呼んだ。
「ハァイ、お疲れ様ディ〜ッス! ナニナニナニ、ご馳走して貰ってんの? 良かったねぇナーガ〜。ああほら、もう。男前が台無しだよぉ?」
「ん」
 明るくはしゃぐように言葉を並べる、金色のボディに青と銀のペイントを決施した機械生命体・バランスは、踊るようにスパーダを躱してナーガの隣に辿り着き、何処からともなく取り出したハンカチでナーガの口を優しく拭ってやっている。ナーガも気にした風もなく、僅かに顔を仰のかせて素直に従っている。
「スパーダもありがとねぇ〜! ナーガ、ほっとくとご飯食べることも忘れちゃってるからさ〜、食事の時間が決まってるのは有難いのよ! ボクも基本的にご飯はいらないしぃ」
「ああ、うん、どういたしまして?」
 手首を摩りながら、スパーダは頷きつつも戸惑いを隠せない。彼の言葉に一切敵意は無かったが、先刻の行動を止められた理由も解らない。本心を隠すのが上手い、とも取れるが、見る限りはまるで――
「どれどれぇ? どれが気に入った?」
「きにいった……?」
「あぁ〜、えーと。また食べたいと思ったもの、ある?」
「それが、おいしい、ということか?」
「そう、そう! 解ってるじゃんナーガ〜!」
 そんな、大したことでも無いように、味に関する会話を交わす、表情のない機械生命体と、無表情な人型生命体は、まさしく「二人の世界」を作っていた。
 自分が感じ取れないことでも相手に教えようとするバランスと、バランスの言う事を理解しようと努めるナーガは、本当にとても楽しそうに見えて。
 何とも面映ゆいような、微笑ましいような、そんな気持ちがスパーダに湧いてしまった。
「……バランスにも、冷却水か何か、用意しようか?」
「おっ! さぁすがオリオン号、そういうのもあるの〜? じゃあお願いしようかなっ♪」
「ナーガも、お代わり持ってくる?」
「……ああ。たのむ」
 嬉しそうに声を上げてぱちんと指を鳴らすバランスと、ほんの僅か口元を緩めて答えるナーガに、胸に手を当てて笑顔で一礼することでスパーダは応えて。
「……お互い自覚なしってことなのかなぁ、あれは?」
 厨房に戻る時にこっそりそう呟きながら、中々に前途多難そうな二人のことを思い、笑いを苦笑に変えるのだった。