時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

006.青い鳥

 カタカタと叩いていたキーボードから手を離し、シオンは一息吐いた。
「ふう。タック、メンテナンス終りましたよ。起動しますね」
 そう言いながら、パソコンと鳥型ロボットを繋いでいたコードを丁寧に外し、再起動をかける。ピピッ、と僅かな電子音の後、目のシャッターがかしゃりと開いた。
「……ありがとう、シオン」
「どこか身体におかしいところは無いですか?」
「大丈夫だ。君の腕は信用している」
「えへへ」
 両手で抱える事が出来るほどの大きさしかないロボットに冷静な口調で褒められ、シオンは思わずと言う風に笑いを漏らした。しんと静まり返った部屋にその声は響き、慌てて両手で口を覆う。
「……この時間だ、誰も起きては来ないだろう。そこまで気を使わなくても良いさ」
「そうですか? 良かったです」
 時計の針は既に一番高いところをゆうに回り、シオン以外の面子は全員深い夢の中だ。多少騒いでもあの図太い連中はそうそう目を覚ますまい、というのがタックの意見なのだが。
「気をつけなきゃいけませんよね。皆さん、睡眠は大切ですし。どれだけ静かにすればいいのか、僕、良く解らなくて」
「シオン……」
 時間保護局に入局するまで、ハバード星人唯一の生き残りとして、研究所に保護と言う名の監禁を受けていたシオン。彼にはまだ、他の地球人との親しい距離の詰め方がまだ良く理解できていないのだ。一年に一度しか睡眠を必要としない彼にとって、眠っている他者は、何かの拍子に起こしてしまうのではないかと、心配してしまうらしい。
「……君も少し休憩した方がいい。いくらうちが貧乏だからって、そこまで仕事を詰め込む必要は無いだろう」
 実際、いまいち仕事が振るわない他の四人と比べて、その腕前からかなりの高評価を得ているシオンの機械修理業は、トゥモローリサーチにおける生命線ではあるのだが。他の四人は勿論タックも、彼ひとりに負担を与えることを肯定することは出来ない。加えて今やっていたのは、仕事ではなくタックのメンテナンスだったのだから。
「そうですね。お言葉に甘えて、ちょっとお休みします」
 おっとりと笑ったシオンは、デスクの引き出しに仕舞っていた本を取り出す。竜也が夜一人で起きていたら暇だろう、と譲ってくれた、彼が小さい頃呼んでいた童話の本だ。紙媒体の本を手に取ったのはシオンも初めてで、何度も楽しそうに読み返している。
 最近のお気に入りは、メーテルリンクの「青い鳥」。貧しい家に生まれた兄妹が、様々な不思議の国を回って、幸福の青い鳥を探す話。しかし何処の国でも青い鳥を捕まえることは出来ず、家に帰ってきた彼らは、部屋の中の鳥籠に青い鳥がいることに気付く。しかし兄と妹が鳥を我が物にしようと争っているうちに、鳥は飛び去ってしまった――という話だ。
 シオンはデスクに停まったタックにちゃんと文面が見えるように、椅子を回してデスクに寄りかかるような形を取る。彼の体に負担をかけることなく、タックも物語を読む事が出来た。
 成る程子供向けに描かれてはいるが、人間の様々な面を描き、中々に洒落と皮肉が利いた物語だと納得する。しかしシオンにとっては、単純な冒険物語だと思っているようで、主人公達がピンチになるたびに瞳を曇らせ、切り抜けると顔を綻ばせる。ここまで熱心に読んで貰えれば、作者も本望であろうと思う。
 きちんと最後まで読み終え、シオンは溜息を吐く。アンハッピーエンドとも言える結末は、彼のお気に召さないようで、残念そうに眉尻を下げている。
「ねぇタック、どうしてずっと探していた青い鳥が、家の中にいたんでしょうか? 一体何処から、やってきたんですか?」
「ふむ……『幸せ』という漠然としたものが、身近にあることに人間は気付きにくいのだ、という教訓じゃあないかな。迂闊に兄妹同士で争ったから、また幸福が飛び去ってしまったと」
 恐らく、作者の意図したであろうことを解釈して連ねると、シオンは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうして、チルチルとミチルは、自分が幸せであることに気付かなかったんですか?」
 だってこの二人は、ずっと一緒にいるのに。
 ずっと孤独だった異星人の少年の瞳が、そう言っていた。
 一瞬、タックは言語機能を忘却し――かたり、と羽根をひとつ羽ばたいて鳴かせた。
「……ずっと幸福に浸ってしまうと、人間は慣れてしまうものらしい。だから、青い鳥が傍にずっと在っても、気付かなかったんだ」
「そうなんですか……?」
 何とか言葉を選びながら告げると、何故かシオンはきゅっと眉間に皺を寄せ、泣きそうな顔になった。何故、と内心タックが慌てていると、シオンはそっと両手を伸ばして、タックの冷たいボディに触れる。
「僕もいつか、この幸せを当たり前に思ってしまうんですか? 凄く凄く幸せなのに、忘れてしまうんですか?」
「シオン……」
 心細げな彼の声に詫びる様に、タックは己の羽をそっとシオンの腕に触れさせる。
「僕、凄く幸せなんです、今。30世紀は確かに僕の故郷ですけど、ドモンさんやアヤセさん、ユウリさんには申し訳ないんですけど……。20世紀に来れて、タツヤさんと会って、皆さんと一緒にタイムレンジャーをやることが、幸せなんです。それに」
「お、おい、シオン!?」
 ぎゅう、と温かい腕の中に抱き締められて、タックは驚いて羽根をばたつかせる。夜の空気に触れて冷え切った己の身体は、彼にとって冷たさしか齎さないだろうに、その腕は緩まない。
「タックがいてくれたから、僕達はこの時代に来れて。タックがいてくれるから、僕は夜でも、ひとりぼっちじゃないんです」
「――……」
 夜の空気は、しんと静まり返っている。大通りから離れた此処は、車の音すら聞こえない。
 優しく礼儀正しいこの少年は、ずっとこの静寂に耐えてきたのだろう。たったひとりで、ずっと。
 今やっと、一人ぼっちでなくなった子供は、それを再び失う事が一番恐ろしいのだろう。
「――大丈夫だよ」
 え、と僅かにシオンの唇が動く気配がする。タックはいつも通り淡々とした口調で、しかしその言葉に精一杯の誠意を込めて伝えた。目の前にある彼の薄い胸に、届けるかのように。
「君は、何が幸せなのか、良く知っている。その尊さも、その大切さも。君が幸せを忘れてしまう事なんて、有り得ない、きっと」
 血の通わぬ自分の言葉では、軽すぎるかもしれないが。この時代に来てから、ずっと夜を共に過ごしたこの少年を、何とか元気付けてあげたかった。
「……ありがとうございます……」
 ぎゅう、とますます腕の力が強くなって、却って彼の体の方が痛いのではないかとタックは心配するが、その拘束は緩まなかった。
 ならば、彼の気が済むまでこのままでいようと。
 遠い未来から、孤独な少年を連れてきた青い鳥は、体表から伝わる彼の体温を心地良いと感じながら、瞳のシャッターを再び下ろした。