時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

052.幼子

 夜中にふと、小太郎は目を覚ました。
 勿論船は宇宙空間に浮いているから、あくまで夜と設定される時間だけれど。
 別に悪夢を見たとか、明確な理由があるわけではない。ただ漠然とした不安が眠りを浅くして、目が自然に開いてしまったのだ。……いつ終わるともしれない戦いに身を投じている、更に歳若い者であれば当たり前のことだった。
 目を閉じて、何度か寝返りを打ってみるものの、一度遠ざかった眠りは中々訪れてくれない。諦めて起き上がり、自室からそっと抜け出した。
 ――兄貴のところに行こうかな。
 少し考えて、首を横に振る。いつもなら、どんなに遅い時間でも小太郎が尋ねれば、スティンガーは起きて迎え入れてくれた。小太郎が眠れないと知るや、自分の寝床に寝かせて子守唄を歌ってくれた。それは小太郎にとってとても有難い、優しい時間だったけれど――今は駄目だ、と思う。
 新しい戦艦が手に入り、司令と無事に再会して。そしてついにチャンプが、仲間の元に戻ってきてくれた。皆喜んだけど、誰よりも何よりも喜んだのは、相棒であるスティンガーに違いない。
 今日もスパーダの心尽くしの御馳走を皆で味わった後。当然のようにスティンガーはチャンプを彼の為に用意された個室へ案内していき、誰もそれを止めなかった。きっと二人で、積もる話に花を咲かせているだろう。そこを邪魔するのは忍びなかった。……もしかしたらもう少し肉体に寄った会話をしているかもしれないが、当然小太郎にはそこまで思い至る知識は無い。
 兄貴分の幸せな時間を邪魔する気は毛頭ない小太郎は、私室スペースから離れて、まだちゃんと見たことのない船内を見学でもしようと、のんびり歩いていたのだが。
「あれ? ツルギ……?」
 外に面した大きな窓の桟に腰かけて、暗い真空ガラスに寄り掛かったまま外を眺めている、深い赤のコートを羽織った男がいた。
 普段の覇気に溢れた姿とは全く異なる、凄く静かな佇まいだった。正しく鳳凰の火のように力強く輝く瞳はやや伏せられて、窓の外に浮かぶ大きな青い母星をじっと見つめている。まるでそれは、もう二度と届かない場所をずっと眺めているようで、
「――なんてこった。眠れないのか、小太郎センパイ?」
 どう声をかけようかと逡巡しているうちに、ツルギの方が先に小太郎に気付いた。いつもの口癖から軽口を叩くその姿からは、先刻までの何処か儚く見えた様は既に鳴りを潜めており、輝く瞳は真っ直ぐに小太郎を見詰めてくる。その様に何故か安堵を覚えつつ、小太郎も彼に近づいた。
「まあね。ツルギも眠れないの?」
「おいおい、俺様はこの300年間眠り続けていた男だぞ? 眠れないんじゃない、眠らないんだ」
 堂々と言ってくるので思わず信じかけたが、普段はちゃんと自室で眠っている筈だし、ブリッジで転寝しているのを見たこともある。たぶん嘘だ。思わず冷たい目でちろりと見てやると、全く堪えた様子もなくツルギは立ち上がる。
「お前がもう少し年上なら、良い方法があるんだが……、まあ、少し位なら良いだろう。キッチンに行くぞ」
「えっ」
 相変わらず自分のやりたいようにやり、相手を振り回すツルギの勢いに小太郎は咄嗟に対応できず、踵を返してせかせかと歩き出す背中を慌てて追った。
 新しい船のキッチンは、その高性能ぶりに上機嫌のスパーダが毎日、隅から隅まで掃除をしているせいもあり、どの器具にも床にも汚れ一つなくぴかぴかだ。そんなシェフの城にツルギは無遠慮に入り込み、最初から狙いを定めていたらしい、小太郎の背では届かない高いところにある収納棚を開ける。
「あ! それお酒でしょ!? 駄目だよ!」
 ツルギが取り出した黒色の小さな瓶を見咎めて小太郎が言うが、相手はいけしゃあしゃあと答える。
「安心しろ、ここの戸棚の中身は自由に持ち出し可能だ」
「ええ……スパーダが許したの?」
「ああ、あまりにも俺様と司令が酒を盗みに入り込むから、あいつも業を煮やしてな。この棚以外に手を出すなと宣言していた」
 どれだけセキュリティを厚くしても、あの司令とこの男ならいくらでも抜け道を見つけられるのだろう。涙を飲んで諦めただろうスパーダの姿を思い起こして小太郎はちょっぴり同情する。料理の最中にラッキーやハミィと一緒にしょっちゅうつまみ食いをしている小太郎も、まあまあ同罪かもしれないが。
「そして小太郎センパイには――これだ」
「え? わわっ」
 無造作に手を突き出され、零れ落ちてきたものを慌てて両手で受け止める。ころころと掌の上で跳ねる色とりどりの銀紙で包まれたそれは、
「何これ……お菓子?」
「チョコレートボンボンだ。知らないのか?」
 目をぱちくりさせる小太郎に対し、ツルギが意外そうに問うてくる。
「うん、チョコなんてキュウレンジャーになるまで、あんまり食べたことなかったし」
 星の殆どをジャアクマターに支配されていた地球では、嗜好品が自由に手に入る地区は少ない。口に出来るのは本当にたまにしか無かった。掌一杯のそれに幸福感を感じつつ、「こんなにあるなら半分ぐらい、次郎に送っていい?」と問うと、
「……そうか」
 思ったよりも静かな声でそう言われて、小太郎がぱちりと目を瞬かせているうちに、いつも通りの不敵な笑みを浮かべたツルギはわしわしと頭を撫でて来た。
「こっそり食べろよ、あと弟にはやらない方が良い。お前も今日は1個か2個にしておけ」
「?」
 言われた言葉の意味はいまいち解らないが、ツルギの方は堂々とキッチンのスツールに腰かけて、瓶に直接口をつけている。遠慮なく中身を全部飲み干すつもりなのだろう。小太郎も諦めて相伴することにし、その隣の背の高い椅子の上によいしょとよじ登る。作業台の上にばらりと広げた菓子を一粒取り、銀紙を剥く。ちょっと変わった形をしたチョコレートは良い匂いがして、遠慮なく口に放り込んだ。
「……、!? なにこれっ」
 甘い塊に唇を綻ばせながら噛み締めると、口の中に僅かな渋みを持つ液体が広がって、思わず両手で口を押えた。ごくんと咄嗟に飲み込むと、舌と喉がかっと熱くなる。初めて味わう感覚に目を白黒させていると、耐え切れずといった体でツルギが噴き出した。
「面白いだろう? チョコレートの中に酒が入っているんだ」
「お酒!? 俺、まだ未成年なんだけど!」
「所詮菓子だ、そう気にするもんじゃない。まあ弱い奴は酔っ払う場合もあるからな、無理そうならもう止めておけ」
「……大丈夫。チョコは美味しいし」
「ほう、いける口だな。成人したら晩酌に付き合ってくれ」
 驚いたが、一瞬の辛味が消えた後のチョコレートはとても甘く感じ、正直美味しかった。ちょっと悪いことをしている高揚感にも押され、もう一粒口に含む。今度はゆっくり、口の中で溶かしながら。
「これもスパーダがしまってたの?」
「いや、こいつは俺様の私物だ。……戦場でも気軽に酒の味が楽しめるし、昔これが好きな奴がいてな」
 口元を酒で湿らせながら、ツルギはごく自然に語る。まるで闇夜の烏のような真っ黒の瓶を揺らして見つめるその瞳は、先刻窓の外を見ていた時と同じ視線に見えた。
 ……ツルギの過去を、小太郎は詳しく知らない。300年前に行った仲間達はその眼で見て来たのだろうが、あまり声高に話す内容でも無かったのだろうし、無理に聞こうとも思わない。
 それなのに、そんなツルギの瞳を見ていると、小太郎の中に僅かな焦燥が湧いた。普段見ることがない姿だったからかもしれないが、何故だかつきりと胸の奥が痛む。どうしてだろう、と内心思っている内に、ツルギはほんの僅か口元を緩めて。
「酒が飲めない奴でな、甘い物が無いと酒の席に付き合わないと抜かすから、この俺様の貴重な物資を分けてやったというわけだ」
 言葉だけなら貶しているように聞こえるが、その顔はとても穏やかで。そしてその、甘いもの好きの青年は、もうこの世界のどこにもいないのだということが、嫌でも解ってしまって。
「……ツルギは、そのひとのことが好きだったの?」
 きゅう、と小太郎の喉が僅かに鳴って。胸の奥の痛みが熱さになり、何故か責めるような音の混じった声が、唇をついて出てしまった。
 不躾すぎる、普段なら言わないだろう言葉に、小太郎自身も驚いて自分の口をまた両手で塞ぐが、ツルギも驚いたように小太郎と視線を合わせてくる。それをどこか嬉しく思う間もなく、彼は苦笑して小太郎の額をつん、と指で突いた。
「酔っ払ってるな? 小太郎センパイ」
「え……これが、酔ってるってことなの?」
「顔が赤い、食べ過ぎたな。今日はもう止めとけ」
 明日二日酔いになっても知らんぞ? とからかわれながら、手元のチョコレートを没収される。ふとテーブルの上を見ると、剥いた後の紙屑が4,5個分ぐらい転がっていた。……確かに食べ過ぎたのかもしれない。随分と頭と心がふわふわして、言葉が止められない。
「ちがうよ。ツルギが、昔の仲間のことを好きなのが、嫌なんじゃなくて」
「ああ、解ってる」
「おれ達、おれ、まだ未熟かもしれないけど、ツルギといっしょに、」
「解ってる、大丈夫だ」
「ちがう、ちがうよ……ツルギはなんにも悪くない……」
 優しく諭してくれる言葉へ、何度も首を横に振る。ますます頭が上手く動かなくなる。彼を責めたいわけじゃない、自分が認められていないとも思っていない、ただ、そうただ、
「おれのほうも見てよ……」
 自分といるのに、彼の視線がずっと他に向いているのが、何故だかとても嫌だったのだ。
 ツルギの服の端を掴んでどうにか言いたい言葉を絞り出すと、なんてこった、と小さくツルギの声が聞こえた。
「やれやれ、悪酔いだな」
 呆れたような溜息の後、不意に体がふわりと浮かぶ。彼に抱き上げられたのだ、と気づく前に、ほんのりと漂う酒の香と、触れ合う場所から伝わる体温が、とても心地よく感じた。
「もう眠れるだろう? 小太郎センパイ」
「まだ、おきてるよ……」
「目が閉じてるぞ。頼むから寝る前に部屋だけ教えてくれ」
 とろとろと意識が融けていく。折角一緒にいるのに。もっと話したい。チョコレートが美味しかった。まとまらない思考の中、きっと成人すれば彼と一緒に酒を酌み交わすことも、彼を困らせないようにも出来るのだろうと思って、
「おれ、早く大人になりたいよ……」
 夢見心地のまま、切実な思いを呟くと。
「お前は充分大人だよ、小太郎」
 夢かもしれないが、ツルギのそんな声が聞こえた気がして――すとんと意識が眠りに落ちた。


 ×××


「……ったく、なんてこった」
 腕の中で安らかな寝息を立てている小さな仲間に向けて、ツルギは珍しく心底困ったふうに溜息を吐いた。
 彼を運ぶことは全く苦ではないし、自分の部屋に寝かせれば済むことだろう。困っているのは、そんな理由では無くて。
 軽い体。まだ細い手足。年の頃は、ツルギの常識に照らし合わせれば、まだ親に甘えて初等教育を受けている頃合いだろう。菓子だって、自分が食べたいものを好きに選んでいい筈だ。……そんな子供が、武器を手に取って戦わなければいけないという事実が、ツルギの胸を苦く焦がす。
 彼の意志を否定しているわけでは、勿論無い。彼は強い、紛れもなく肩を並べて戦える仲間だと良く知っている。……だからこそ、そうならなければならなかったこの世界が度し難い。
 まるで壊れ物のようにそっと彼の体を抱き寄せて、ゆっくりと廊下を歩く。せめて彼の眠りを、妨げないように。
 あまり私物の無い自分の部屋に帰り、小太郎を下ろして上着を脱ごうとするが、そんな彼の手がしっかりとコートの端を握り締めて取れない為、諦めて自分もそのまま寝台に寝転がった。
「んん……」
 むずかるように小太郎が身を捩り、もそもそとツルギの胸の中に潜り込んでくる。その姿はやはり、幼い子供にしか見えなくて、ツルギは苦く笑った。
「安心しろ。お前が眠っている時ぐらいは、俺様が守ってやる」
 そして必ず、彼の様な子供が戦わずとも健やかに生きていける世界を作る。その為には永遠を失った己の命など、使うことに躊躇いは無い。
「……また、お前に怒られるかな。クエルボ」
 これが性分なのだと何回言っても、まだ不死身であった自分の体を心配してくれたカラス座の青年を思い出すと。
 何故か眠っている筈の小太郎の眉間に皺が寄ったので、宥めるように頭をぽんぽんと叩き、自分の腕を枕として貸してやることにした。