時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

040.手と手が重なり合えば

 夏休みのある一夜、いつも兄弟達の騒がしい声が響いているノリキの家は、珍しく静まり返っていた。
 照明をわざわざ落とした部屋の中で、輝いているのは番組が流れる表示枠。
『お分かり頂けただろうか……この部屋の片隅に潜む、恨みがましい目の悪霊を!』
「「っきゃあああああ!!!」」
 恐ろしげな音楽とそれを煽る解説の音声に、下の弟と妹が甲高い悲鳴を上げて、それぞれ座っていた膝の持ち主にしがみついた。
 つまり、弟はノリキの首にがっちり腕を巻き付けて、妹はノリキの隣に座っていた氏直の胸に顔を埋めて泣き出した。あらあら、と微笑みながらも、氏直は優しく妹の頭を撫でてやっている。
「大丈夫ですよ、怖かったらもう見なくても良いのですからね」
「怖がるのに何で見たがるんだお前達は……」
 泣く弟の背中をぽんぽんと叩いてやりながらも、ノリキは呆れたように呟く。だって友達皆見てるし! と主張する上の弟と妹も、ノリキの背中と氏直の脇にべったりくっつきながらの鑑賞なので、ノリキとしては呆れるしかない。せめて明るくしろ、と上の弟が拒むのも構わず、部屋の明かりを灯した。部屋の中の暗闇がある程度払拭された為、下の弟妹も漸く少し落ち着いたようだった。
「最後まで見る気か? もう寝るぞ」
「やだ! 最後まで見ないとホンモノ出そうじゃん!」
 意味の解らない上の弟の主張に他の弟妹が賛同し、結局明るいままではあるが恐怖番組の鑑賞を続けることになった。やれやれと言いたげなノリキの渋い顔を見て、氏直がほんのり苦笑して宥めてきた。
 ノリキからすれば、こんな夏の夜長にやるようなこの手の番組は、どう見ても作り物にしか見えず怖いも何もない。恐らく本物の幽霊を使ってはいるのだろうが、幽霊の役者ともなるとやはり人材が乏しいのか、どうも演技力に難がある。どう足掻いても子供だましなのだ。先刻から梅組専用の通信帯で同じ番組の実況を馬鹿共がやっており、演出に点数をつけたりシナリオの粗をネシンバラが指摘したりとやりたい放題だ、更に緊張感は失せる。
 また恐怖を煽る音楽が流れ出して、腕の中の弟が緊張するのを感じながら、何気なくノリキは視線を横にやる。氏直は、やはり恐怖からぐすぐすとぐずっている妹の背を撫でながら、いつも通りの柔らかい笑顔のままだ。
 ――確か昔は、怖がっていたと思うが。
 禁じられていた番組を二人でこっそり布団の中で見て、うっかりこれと同じような番組を見てしまい。後ろめたさも相俟って二人で怖くなり、手を繋いで震えながら厠に行ったものだ。自分にも当然、得体のしれないものや暗闇に対する恐怖はあったが、それよりも彼女の恐怖を少しでも和らげてやる方が優先で。
 昔の話だ。今や自分よりもゆうに強くなり、霊体に対する攻撃手段とて持っているだろう彼女には、幽霊や怪異など恐れるものではあるまい。
 ――それなのに。
 僅かばかりの緊張と焦燥を、何故かその横顔に感じてしまい、ノリキの手指が彼女に向かって動きそうになった。
 しかしそれを気取られたのか、氏直が丁度その時ノリキの方を振り向き、「どうしましたか?」と小声で聞いてくる。
 その笑顔はやはりいつも通り、普段の対外的なものとは違う、自分にだけ向けられるほんの少し深いものだったので、ノリキはそれ以上言葉を続けることは出来ず、軽く首を横に振り、改めて表示枠に向き直った。


×××


 結局最後まで番組を見終わり、すっかり怯えてしまった弟妹を全員外の共同厠へ連れていき、各々布団に潜らせた時には大分夜も深くなっていた。
 散々寝るのを渋っていた弟達に無理やり布団を被せ、二段ベッドの上から梯子を使って降りると、下のベッドで泣いていた妹達も、氏直の宥めでどうにか眠りについたようだ。
「手間をかけたな」
「いいえ」
 やっと寝た弟妹を起こさないよう小声で労うと、氏直も小声で否を返す。目を伏せたまま、しっかりしがみつき合って目を閉じている妹達を見遣り、そっと呟いた。
「……思い出しますね。昔のことを」
 聞き取れない程度の小さなものだったが、ノリキの耳にはちゃんと届いた。同じことを思っていたのかと理解した瞬間、心臓が変な方向に疼く。それを誤魔化すために蓬髪の頭を乱暴に掻き、床に敷かれた自分達用の狭い布団に腰を下ろした。
「俺達も寝るか」
「はい」
 ごく自然に同じ布団に寄り添って入る。梅組連中にこの事実を気づかれたら散々からかいの対象になるだろうが、ノリキにとっては当然のことだ。
 あれだけずっと離れていて、やっと隣に立つことが出来たのだから、これ以上離れる理由は思いつかない。安物の煎餅布団に、曲がりなりにも嘗て一国の主であった彼女を寝かせるのは、何とも申し訳ないけれど。
 薄い布団の中で、彼女は一度だけこちらを見て、嬉しそうに微笑んで上を向く。それを互いの挨拶代わりにして、そしてそのまま朝まで眠るのが、毎日の終わり、だったのだが。
 暗闇の中。いつも通り低い天井に向き直った氏直が、その体を僅かに緊張させたのが解った。
 あんな子供だましの映像を思い出して怯えるわけがない、それなのに。
 何故か彼女が、暗闇に対して恐怖を感じたように思えて――考えるより先に、ノリキは自分の腕を伸ばしていた。
「えっ、きゃ……」
 小さな悲鳴が聞こえた後、沈黙。
 寝転んだまま彼女の体を引き寄せて、頭の角が邪魔にならないように自分の胸上へと俯せに寝かせた。そのまま、彼女を守るように両腕で抱きしめてやる。
「……大丈夫か?」
「……ノリキ様、私ももう十八ですよ? あのような番組に怯えたりはしません」
 口調は拗ねたようだったが、暗闇の中でも頬の紅さは解るほど近くに居る。何より、己の頬にノリキの温もりが当たるのが本当に嬉しそうだったので、腕を解くつもりもない。
 それに――彼女が、何を恐れていたのか、何となく予想がついたので、ノリキは言葉を重ねることにした。
「大丈夫だ」
「ノリキ様……?」
「俺はお前の父親にも、お前を渡すつもりはない」
 僅かに、息を飲む音と共に腕の中の体が緊張し、予想が当たっていたことに気づく。
 彼女があの番組を見て怯えたのは、名も知らぬ怪しげな幽霊達では無い。
 番組の中でわざわざ丁寧に解説されていた、供養も無く、子孫の不甲斐なさに怒り、祟る、怨霊に関してだった。
 例えどんな理由があって、最も良い結末に辿り着けたとしても。
 彼女が、北条という国を、家を、血を、終わらせてしまったのは事実なのだ。今まで連綿とそれを繋げてきた先祖と、父親を、裏切ってしまったということも。
 それを守るために生まれ、生きて来た彼女にとっては、自分が選んだ結果だとしても、後ろめたさをどうしても感じてしまうのだろう。
 しかし、ノリキにとっては、その咎は己も負うものだと理解している。沢山の者達の力を借りたけれども、最後に北条を終わらせたのは、氏直と、ノリキだ。彼女だけに背負わせるものではないし、己だけのものでもない。
 背に回していた腕を片方だけ解いて、胸元で所在無げに出されていた彼女の手を取る。重力制御によって刀を操る彼女の指は、剣胼胝など一つなく滑らかだ。それに無骨な己の手指を絡めるのは、僅かに申し訳ない気もするけれど。
 軽く指に力を込めると、一瞬躊躇って、それでもそれ以上の力で握り返してくる。昔と、同じように。
「一緒に行くぞ、氏直」
 死ぬまで、死んでも、例え自分達の罪が裁かれるとしても。傍から離れるつもりは欠片も無いのだと、伝わるように。
「……はい。ノリキ様」
 彼女の声は僅かに震えていたが、泣いてはいないようだった。柔らかい頬が胸に擦り付けられ、絡めた手指の力が更に強くなる。
「もう……。ノリキ様は、私を甘やかし過ぎです」
 困ったように、呆れたように言葉は呟かれたけれど、離れるつもりは無いようなので。
「足りないぐらいだ」
 それだけ言って、彼女の旋毛に軽く唇を落としてやると、お返しと言いたげに彼女は顔を上げ、口付けをせがんで来たので、当然ノリキは拒まなかった。