時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

004.輪ゴム

 たまの休日、義人は最近めっきりさぼっていた、寮の自室の掃除でもやろうかと思い立った。
「ヨシト、ナニしてアソぶ?」
「ごめん機龍、今日はちょっと遊べないんだ」
 本日が休日だとちゃんと理解している同居人――義人にしか認識できない、機械の精霊のきらきらした眼差しをどうにかかわしつつ、今日は掃除をするのだと宥める。自他共に認めるワーカホリックの義人にとって、久々の休日を有意義に使う手段が他に思いつかなかったのだ。うっかり目の前の守護者に構い出すと、嬉々として甘えてくるだろうし、ついつい自分も甘やかして一日過ぎてしまう。何度かそんな休日を過ごしてきてしまった義人にとって、今日を逃すわけにはいかなかったのだ。
 遊んでくれない相手に機龍は不満げだったが、それでもずっと義人の傍にいられるのが嬉しいらしく、掃除機を軽くかけたり、棚の埃を落したりと忙しなく動く彼の後をちょこちょこと着いて回り、動きの真似をしている。手伝うという概念が無いのが玉に瑕だが、義人の方も手伝わせるつもりはない。
 簡単な掃除はすぐに終わったので、折角だからとベッドの下も整理することにする。何が入っているのか判別不能な箱を取り出し、埃を払って開けてみた。
「ヨシト、これナニ?」
「うわぁ、何だこれ。こんなのとって置いてたっけ……」
 箱を覗き込んで目をぱちくりさせる機龍と供に、義人も呆れた。中に入っていたのは、昔作ったプラモデルの欠片だの、服から飛んだボタンだの、頭が潰れて使い物にならないネジだの、とにかくがらくたばかりだった。処分をするにも手続きが必要で、面倒くさくてそのまま仕舞いこんでいたものなのだろう。流石に恥ずかしくて、全部捨ててしまおうと改めて中身を探る。
「?」
 整理を続ける義人の隣で、がらくたの中から偶然飛び出した何かを機龍が捕まえる。他のものを動かす拍子に弾いてしまったのか、何の変哲も無い輪ゴムだった。しかし機龍は当然見るのが始めてだったらしく、しげしげと眺めて両手の指で輪の端を抓み、ぎゅうと引っ張る。
 見た目よりも凄まじい力を誇る機龍の腕で、それは悠々と限界まで伸ばされた。その抵抗の無さに機龍自身が吃驚した瞬間、固い金属の指先からつるん、とゴムの端が抜けた。当然物凄い勢いでそれは元の形に戻り――
 ぱちんっ。
「ピャッ?!」
「大丈夫か、機龍!?」
 小さな悲鳴に、初めて義人は彼の動向に気付いて慌てる。
「ン、ヘイキ。でも、ピックリした」
 普通の人間ならばかなり痛かっただろうが、元が巨大兵器・現在は機械の精霊である彼にとっては、大した痛みも感じなかったようだ。義人はほっと胸を撫で下ろし、部屋の隅まで弾けた輪ゴムを拾いに行った。
「ヨシト、これナニにツカう?」
「うーん、色々だなぁ。蓋を閉める為に止めたりとか……昔、糸巻き戦車とか作ったなぁそういえば」
「イトマきセンシャ?」
 金色の瞳がぱちくりとこちらを見詰めてくる様が面映く、説明するより見せたほうが早いかと思う。がらくた箱をひっくり返すと、すぐに材料を見繕う事が出来た。
 元々こういう手慰みの玩具作りは得意だ。輪ゴムを糸巻きの穴に通し、片方を小さく折った楊枝で止め、もう片方に割り箸を連結させる。ぐるぐると割り箸を回し、充分にゴムを捻ってから、平らな床に置く。
 がらららら、と中々派手な音を立てて床を滑っていく糸巻きを見て、機龍の目が真ん丸に見開かれる。
「ヨシト! これスゴい! ナニ!?」
「あはは」
 金色の輝きが増した瞳で見つめられて、思わず笑いが漏れる。始めて見る玩具に興味津々の機龍が、四つん這いになって糸巻きを追っていく。身長だけなら義人とそう変わらない筈なのに、その様と動きは子犬か子猫のように見えてしまう。
 両手で無造作に掴んだ玩具を持ったまま、膝でいざって己の下に戻ってくる兵器の精霊。秋葉に見られたら、さぞかし馬鹿にされるか引かれるかの二択だろうが、義人の心には愛しさしか浮かんでこない。
 差し出してくる手を取ると、見た目は人とそう変わらないのに、ひんやりと冷たく硬い。
 嘗てこの手に、破壊しかさせなかったのは他ならぬ己なのだから。
 少しでも、彼が。壊す以外の事を覚えられたらと思うのは、傲慢だろうか。
「ヨシト? ドウした?」
「ん……何でもないよ。機龍もやってみる?」
「ドウすればイい?」
「簡単だよ、そこを回して……ああ、引っ張らないで」
 義人と義人の生み出すもの限定で好奇心旺盛な精霊は、ぐにぐにぐいぐい、手の中の玩具を弄くっている。その上からそんなに大きさの変わらない手をそっと包み、ゴムを捻るのを促してやる。
「はい、いいよ。離してみて」
「ン」
 こくん、と素直に肯いて、恐る恐ると言っても良い手付きで機龍が玩具を離す。先刻よりも勢い良く、がらがらと床を滑っていく姿に、金色の瞳が瞬いた。
「デキた! ヨシト、デキた!」
「よしよし」
 興奮気味な機龍が可愛くてつい、頭を撫でてやってしまう。金属の糸が触れ合うしゃらしゃらという音が心地良い。
 すっかり玩具がお気に召したのか、また四つん這いで取りに行った機龍は、しかし自分でゴムを回そうとはせず、またその両手を義人に向ける。
「もう自分で出来るだろ?」
「ヨシトのテがイい」
「……」
 忘れていた、この精霊は自分の手に触れられるのが大好きなのだということを。僅かに紅潮しただろう己の頬をぺちりと叩き、きょとんとしたままの機龍の手をきゅっと握ってやる。すぐさま上機嫌な顔で笑う彼の顔を、静止できない。
 この無造作で無尽蔵な好意に、未だ慣れることは出来ない。元々他者と深くかかわることが少なかった自分にとって威力が大きいという事もあるが、それより何より。
 自分は、彼の好意を受けていい人間ではないのだという負い目が、義人の中に未だに在る。
 彼を生み出し、彼を戦わせ、彼を殺した。その最期はたとえ彼自身が望んだことだとしても、その罪は己にあると義人は思っている。
 数奇な運命によって、再び出会うことが叶ったのなら――償わなければならない。もう二度と、彼を望まぬ戦いに駆り立てることなど無いように。彼が望むもの全てを、与えてやれるように。
 再び糸巻き戦車を走らせて戻ってくる機龍が、もうイッカイ、と両手を伸ばしてくる。どこまでも無邪気な子供のように、敵を抉る為に付けられた手で玩具を握り締めて。
 何故だかとても、堪らなくなって――義人はベッドに腰かけた。
「ヨシト? もうソウジしなくてイいのか?」
「……うん。今日はもう終わり。――機龍」
「ン?」
「おいで」
 両手を広げて、そっと促す。本来無表情である筈の彼の顔が、満面の笑みで破顔する。先刻まで夢中だった玩具をぽいと放り出し、突進するような勢いで抱きついてきた。
「ヨシト、ヨシト、ヨシト」
「うん。……うん」
 背中を丁度いい力の強さでぎゅうぎゅうと抱き締め、頬を胸に摺り寄せて甘えてくる機精の、金属の味がする髪にこっそり口付けて。
 床に放り出されて止まっている、糸巻き戦車を、どうにか手を伸ばして大事そうに拾う。
 人を殺さない優しい戦車が、誰も殺めない優しい兵器を見守っているように錯覚したので。