時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

310.パン食い競争

 起床時間には少し早い頃、チャンプはそろりと足を忍ばせて部屋から出た。
 その重量と金属製の足から考えて、足音を殺すのは限界があるが、それでも精一杯。カチリ、カチリと足裏が廊下を叩く音に身を竦ませつつも、どうにか居住エリアを抜け出し、台所へ。
 プシュリと僅かな音を立てて扉が開くと、中からふわりとスープの匂いが香った。チャンプは有機生命体の食物は摂取できないが、これが良い匂いだということは解らなくもない。温かさと、優しさを感じる香りだ、とチャンプ自身も思うからだ。
「あれ、チャンプ? おはよう、どうしたの?」
「おう、おはよう。すまねぇな、朝早くに」
 キッチンには縁のないはずのチャンプがやってきたことに、このキッチンの主は驚いたらしく、朝食の仕込みの手を止めた。エプロンで手を拭きながら近づいてくるスパーダに、チャンプも頭を掻きながら言う。
「あー……そのだな」
「うん?」
「相棒の奴が、エネルギー切れでな」
「……ああ、なるほど?」
 どうにも歯切れ悪く言ってしまったが、仲間内では大人のスパーダはそれで充分言いたいことを理解してくれたようだ。
 昨日は急な母船に対するジャアクマターの襲撃により、スクランブルで全員ボイジャーで出動となり、全員ヘトヘトの状態だった。
 空腹よりもまずは睡眠、が全員の総意となり、それぞれの部屋に引き上げた、のだが。
 紆余曲折経て、互いの絆を確かめ合ったチャンプとスティンガーは、ここ暫く互いの部屋を行き来していた。もっと言うなら、チャンプの部屋には専用の休眠用椅子しか無いので、寝台のあるスティンガーの部屋に二人でいつも夜を過ごしていた。
 ……ヒューマノイド用にしては随分と大きな寝台が据え付けてあったのは、この船の内装を設計した司令の余計な計らいだったのだろうか。チャンプの合流が遅れたせいで、逆にスティンガーの眠りが浅くなってしまったことを、残念ながらチャンプは知らない。
 閑話休題。
 まあつまり、疲れ果てていても同じ部屋に戻ってしまった為、その後ついついまた疲れることをしてしまい――疲労が溜まると性欲が高まるのはヒューマノイドの雄では珍しくないらしいが、まんまとチャンプも乗ってしまった。……結果、スティンガーは疲労と空腹と腰痛の三重苦に見舞われ、全く寝台から立ち上がれなくなった、という訳である。自業自得は多分にあるが、チャンプとしても責任を感じてしまい、相手がうとうとしているうちに食料調達に来たのだ。
「流石に今日は出動は無いと思うけど……あんまり無茶させちゃ駄目だよ?」
「ムゥ……すまねぇ」
 心配半分で、チャンプを軽く咎めてくれるスティンガーに大人しく頷いているうちにも、スパーダは忙しく冷蔵庫から様々なものを取り出し、ゆで卵を潰したり野菜を切ったりとてきぱき作業を続けていく。それほど時間の経たないうちに、様々な具材の挟まったサンドイッチが、バスケットいっぱいに出来上がっていた。
「こんなものかな? はいこれ、スティンガーに食べさせてあげて」
「おう、ありがとうよ。しかし随分と山盛りだな?」
「うーん、普段どうもスティンガー、遠慮してるみたいだから」
「?」
 言われた言葉の意味が解らず首を傾げると、スパーダはやはり困ったように笑いながら言った。
「来てすぐの頃、何か好物はあるかい? って聞いて漸く言ってくれたのが、悉くハミィちゃんとか小太郎の嫌いな、付け合わせの野菜ばっかりだったんだよね……」
「そうなのか?」
 そう言えば、食事中に小太郎が皿の端に避けたものを、スティンガーが「いらないのならくれ。好物なんだ」と言って食べるのを見たことがある。チャンプには味の好悪など全く理解できない感覚なので、そうなのかと納得していただけだったのだが。
「まあ普段の様子を見てたら、これが好きなのかなっていうのは大分解ってきたけど。あとサソリ座系の人は、所謂飢餓状態に強いらしくて、食事は少なくても平気なんだって。でも食べられる時はいくらでも食べるらしいから、遠慮なく全部渡してあげてよ」
「なるほどな……」
 宇宙一のシェフらしい目の付け所だとは思うが、チャンプには全く気付けなかったことだった。何せ、ロボットのボディがエネルギー補給に必要とするのはオイルのチャージだけだ。有機生命体が様々な食材を取らなければならないのは、正直面倒そうなものだとしか思えなかった。ただ、一歩引いて遠慮をしてしまう相棒の性質は良く理解していたので、素直に受け取ることにする。
「あと、はいこれ。チャンプも疲れてるんでしょ?」
 ぽいと放られて受け取ったのは、チャンプがいつもエネルギー補給に使っているオイルボトルだった。厨房には必要もない物だろうに準備しているのか、という至れり尽くせりに舌を巻いてしまう。
「やれやれ、かなわねぇな。有難く貰っておくぜ」
「今日の昼食には、二人とも出て来てね。それじゃ、ボナペティ」
「おう、伝えとくぜ」



×××



 遠慮なくオイルのストローを咥えながら、自室まで戻る。まだ殆どの者は眠っている最中だろうから、やはり慎重に。
 スティンガーの部屋のパスワードは既に教えて貰っているので、慣れた手つきで打ち込んで開く。丁度、寝台の上でもそもそと動いたスティンガーの体が起き上がるところだった。
「……チャンプ……?」
「おう、待たせたな相棒」
 寝ぼけ眼を擦りながら身を起こすスティンガーは、まだ服を纏っていなかった。普段の苛烈さはなく、チャンプの方をとろりと溶けた目が見てくる。昨日と同じ轍を踏まない為、興奮抑制のプログラムを走らせていたので、事なきを得た。そんな相棒の葛藤に気付くことなく、どうも服を着るのも億劫らしいスティンガーは、シーツを引っ張って頭から被っている。
 その鼻先に、チャンプはバスケットを差し出してやる。驚いたらしい相棒は茶色い瞳をぱちりと瞬かせ――すん、と鼻を動かした。
「これは?」
「わざわざスパーダが用意してくれたぜ。まずは腹ごしらえしとけ」
「ああ……貰おう」
 やはり空腹が限界だったらしく、スティンガーはシーツの隙間から手を伸ばしてバスケットを受け取る。中身をまじまじと見て――まず厚切りのベーコンが挟まっているサンドイッチに手を伸ばした。
 成程、好みとはそういうことか、と何となくその様子を観察していたチャンプも納得する。端から順に取るのではなく、山の中からわざわざ選んで取ったということは、それが好みだったということなのだろう。
 最初の一口はゆっくり味わい、後は矢継ぎ早にぱくぱくと。次々とサンドイッチを口に放り込んでいくその動きに全く遠慮は無い。表情はあまり変わらないが、口元がほんの少し綻んでいるのがチャンプにも見て取れた。
 ……もしここに小太郎やラッキーがいたら、当然分けてほしいと強請られただろう。そして、ラッキーには抵抗するかもしれないが、小太郎だったら何の躊躇いも無く分けてやっただろう。それぐらいの推測は、チャンプにもついた。彼らが食事を楽しんでいる時、自分はこうやってオイルを補給するだけだが――皆でテーブルを囲むのは楽しいものだし、その時に良く見た光景だったから。
 スティンガーがそんな気遣いをせずに、バスケットを抱えて遠慮なく口に詰め込んでいるその様は、自分と二人きりだからそんな気を使う必要は無いのだ、ということを理解できた。
「……何だ、さっきからジロジロと。食べたいのか?」
「いらねぇよ」
 視線に気づいたのか、眉を顰めつつもからかい半分に、食べかけのサンドイッチを差し出してくるが、普通に断る。二人旅をしていた時にも何度かこうしてやり合ったが、二人の間で通じる冗談なのだとお互い理解しているから、スティンガーも無理に押し付けることはなく、そうかとだけ言ってぱくりと口に含む。
「いや何、吾輩達は相性が良いんだな、と思っただけだ」
「っ、ごほっ!?」
 思ったままのことを言ったら何故かスティンガーが顔を真っ赤にして、口の中のサンドイッチを危うく吐き出しそうになる破目になった。