時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

031.浮ついた心

 鈍い音がして、訓練用の槍と斧がぶつかる。何百回目かの応酬で、ふと同時に緊張が途切れ、どちらからともなく自然にスティンガーとチャンプは己の武器を退いた。
「ふう! ここまでだな」
「ああ……」
 はあ、と一つ息を吐いて構えを解く。久々に一対一の戦闘訓練を行って、つい熱くなってしまった。首筋の汗を軽く拭い、訓練ブースの隅に腰を下ろした。
「どれ、お前も何か飲むか?」
「ああ、水を頼む」
「ほらよ」
 ドリンクの保管庫から自分用のオイルを取り出していたチャンプが、ミネラルウォーターの瓶をこちらに投げて寄越す。ラッキーやハミィには味気が無いと不評だが、スティンガーとしては水分が貴重な星で育ったせいで、何の味も炭酸も入っていない水は他の飲料よりも御馳走に感じるのだ。何の臭みも渋みも無く、冷たく喉を潤してくれるのが有難い。
 一口飲んで熱を落ち着けると、部屋の隅に置いておいた自分の荷物の中から、布と裁縫道具を取り出す。クールダウンの時は、針と糸を動かすのが一番落ち着く。……裁縫が、殆どの星では女性の仕事だと知った時には何となく気恥ずかしくて隠すようになっていたが、この船の上では今更だ、何せ仲間全員にばれている。
 取り出した空色の布に、黄と赤の糸で丁寧に刺繍を続けていく。絵柄はもう全て頭の中に入っているので、針の動きが鈍ることはない。刺して、返して、抜いて、刺して、その繰り返し。
「上手いもんだなぁ」
 最後の一刺し、玉を結んで、ぷつりと歯で切ったところで、感心したような声が聞こえた。ふと顔を上げると、牛の顔が思ったよりも近くにあって息を飲む。
「……何だ」
「素直に褒め言葉として受け取れよ。俺にゃあとても出来ねぇからなぁ」
 隣にどっかりと立膝をつき、膝の上に肘をついてこちらをまじまじと見てくる相棒に、何も言い返せなくなってむすりとしたまま、丁寧に布を畳んで仕舞う。確かに彼の大きな指では、縫い針を操ることは難しいだろうし、本気の台詞なのだと解るのだが、だからこそ、困る。
 緩みそうになる口元を一生懸命下げながら、荷物からもう少し藍の濃い青布を取り出す。こちらはまだ殆ど出来ていないので、早く仕上げなければいけない。
「……なるほど、そっちは小太郎のか?」
 気づいたか、と思いながら素直に頷く。刺繍の終わった空色のバンダナは、先日訓練に付き合っていた際、誤って破いてしまったものだ。お詫びも兼ねて直してやるついでに、何かまじないの刺繍を入れてやろうかと提案したら、思ったよりもとても喜ばれたので。
「……怪我避けと、病気避けのまじないだ。あって困るものでもないだろう」
「ほおー。そういう効果があるのか」
 僅かに熱を持つ頬に腹を立たせながらぼそぼそと言い募ると、興味深そうにしげしげと手元を見てくる。緊張針を自分の指に刺さないよう細心の注意を払いながら、言い訳のように尚も言い募る。
「……あいつの、弟の分も、あればいい、かと、思って」
 同じ文様を刻んでやるのは、彼と揃いのバンダナだ。気休めにしかならないと解っていても、離れた弟のことを心配している小太郎の心を、少しでも軽く出来るかもしれないと思ったから。
「元々は親が子に贈るものだから……効果はあまり無いかもしれないが……」
 きゅ、と僅かに糸を引き過ぎて布が捩れたので、慌てて伸ばして直す。これぐらいなら直しが利くな、とほっと息を吐くと、ぽんと硬いくせに優しい掌が頭の上に下りて来た。
「んな訳あるか。御利益充分だ」
「……」
 ロボットの癖に非科学的なことを信じるのか、と憎まれ口を叩きたくなったのに、何故だか喉が動かない。ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられて、止めろと頭を左右に振ると、楽しそうに笑いながらチャンプは言う。
「じゃあお前さんも、親から教えて貰ったのか? それとも――」
 そこで言葉を切って、じっとこちらを見てくるから、耐え切れずに指が止まった。このロボットがどうしようもなく、優しいことをスティンガーはもう充分理解している。彼はもう知っている、自分の親は早くに亡くなったのも、その代わりとしていてくれた人のことも。
「……ああ。兄貴が、教えてくれた」
「そうか……」
 もう一度頭を撫でられたが、今度は抵抗しなかった。出来なかったのかもしれない。決して怒りや恨みは消えないだろうに、それでも自分の大切な人を尊重してくれる彼のことを、拒絶したくなかった。
「兄貴のには、俺が入れようとしたけど……断られた。その時はまだ、針も未熟だったし……」
「そりゃあ勿体ねぇことしたな、あいつ」
「本来は、年嵩が年若に渡すものだからな……」
 言い訳しながら、心臓がきゅうと縮まった気がする。動悸が煩い。彼とこんな風に、兄の事を話せる日が来るなんて、彼に初めて出会った時は想像もつかなかった。
 胸がいっぱいになって、もう言葉が紡げなくなった自分をどう思ったのか、針が止まるまで頭を撫でる手も止まることが無かった。
「……よし、出来た」
 漸く、揃いの刺繍を縫い終えて、肩の力を抜く。おうそうか、と自然に離れていくチャンプの手をほんの少し残念に思うのを気づかないふりをして。
 丁寧に畳んで、今日の夕飯の時にでも渡そうと立ち上がった時、同時にどっこいせ、と立ち上がったチャンプから爆弾が放り投げられた。
「なあスティンガー、吾輩にも何かひとつ、入れてくれねぇか?」
「っ、なんだ急に」
「小太郎と次郎は持ってるのに、相棒の吾輩は貰えんのか?」
「〜〜……」
 いつも肩にかけている自分のジャケットをスティンガーに差し出すチャンプは、表情は変わらない筈なのに、何故だか拗ねているように見えてしまう。なんとも言えない面映ゆさが心臓を擽ってきて、先刻とは別の意味で息が苦しくなった。
「なんでもいいぜ? 今の奴が駄目ってんなら、別のでも」
「駄目、なわけは、ないが。……」
 咄嗟に、自分の中にある刺繍のレパートリーを思い出す。文字が発達しない代わりに、刺繍で意志を伝えることを文化とするのが惑星ニードルだったが、他星の者にはとても解読できまい。ならばやはりまじないの方が適切ではないかと思い、一番最初に思いついたのは、
「――ッ!」
「お? おいどうした?」
「わ、かった! どんなものになっても文句を言うなよ!!」
 ぶわ、とスティンガーの顔が一気に紅潮して、チャンプの方が驚く。考えるより先に彼のジャケットを奪い取り、スティンガーは訓練ブースを飛び出した。
「何を考えている……!」
 思わず呟きながら、どかどかと大股で廊下を歩く。何とか別の刺繍を思い出そうとしているのだが、たった一つの「正解」だと思ってしまうものが頭の中から消えてくれない。
 ……戦士が伴侶に向けて、心変わりを防ぐ、つまりは浮気防止の刺繍などあいつに入れてどうする!!
 どうせあいつも意味が解らないだろうし、裏地の隅にでも入れておいて内容はしらばっくれれば良いだけだ、と自分に言い聞かせる時点で、もう言い訳のしようが無いのだが。



 結果、数日経ってジャケットの裏地、目立たないところに刻まれた、控えめだが美しい橙色の刺繍にチャンプは当然満足し、その効果をはぐらかしたスティンガーは胸を撫で下ろしたが。
 ごく自然な好奇心と、どうせ相棒は素直に答えないだろうと言う予測を持って、リベリオンのデータベースから「正解」を引っ張り出したチャンプは、大層上機嫌であったし、その足で彼の部屋に向かい――その後は、皆様の想像通りのことになった。