時計+人形

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003.黒いウサギちゃん

 自分の意識が沈んでいた事に漸く気付き、はっとティーネは意識を覚醒させた。
 上半身を起こし、素早く辺りを見回すが、己が王が拠点と認めた、スノーフィールドで一番大きさも値段も高いホテルの最上階に違いない。寝転んでいたのは毛足の長い絨毯と、柔らかさでは更に上である銀色の狼――ランサーのマスターである、合成獣。
 気を緩ませすぎてしまった自分を恥じ入り、王に申し開きをせねばと言いたげに視線を動かし――部屋の中に、かの圧倒的存在感を持つ金色の王が居ない事に、不敬ながらこの時初めて気がついた。
「――やあ、起きたのかい? もっと寝ていても良いのに」
「!」
 不明を恥じて顔を俯かせたティーネだったが、不意にかけられた優しい言葉にはっと目を見開き、改めて部屋を見回す。果たして寝台の上に、緑の髪を長く広げた、人形の如く美しい若者が腰掛けていた。
 聖杯戦争において、本来ティーネの王とこの緑髪の青年は敵同士。しかし、遥かなる時を越えて再会した無二の親友でもある二人は、碌な言葉を交わさずとも、共に在る事を当然とした。きちんと盟約を結んだわけではないが、共闘関係に落ち着いたと言っても良いだろう。
 しかし、自分のサーヴァントはおらず、敵のサーヴァントとマスターがいる場所に一人残された状態では、ティーネも緊張せざるを得ない。普段から表情を見せぬ少女の顔は固く強張り、油断無く未だ眠ったままの狼から距離を取ろうとする。
 少女のそんな様を見て、ランサーのサーヴァント――エルキドゥは僅かだが悲しそうに眉尻を下げた。年端も行かぬ少女が、戦いの心得を遺憾なく見せ付ける様が、彼には不憫に映ってしまうのかもしれない。だからなのか、あくまでゆっくりと、ティーネを落ち着けるように彼は言葉を紡いだ。
「彼はちょっと出かけているよ。物見遊山が好きだからね、この時代の町を見てくると言っていた。よほど気に入ったものが見つからない限り、夕方までには帰ってくるんじゃないかな」
「……そう、ですか」
 一切敵意を見せないサーヴァントに毒気を抜かれ、ティーネの肩が僅かに下がる。王の行動を阻害する事など自分に出来る筈も無いし、己の未熟を考えれば置いていかれることも已む無しだ。そう己に言い聞かせる少女をじっと見詰める、新緑の瞳。
「……なんでしょうか?」
 やはり完全に警戒は拭わず、静かに問うティーネ。視線を受け、神の作った人形はその白磁の顔をにっこりと綻ばせた。
「まるで君は、子兎のようだね」
「なっ……」
 侮辱とも取れる言葉に、ティーネの頬が僅かに紅潮するが、対するエルキドゥは微笑んだままだ。相手に悪口を言うという概念すらないのではないか、という毒気の無さ。そのまま彼は無造作に立ち上がり、少女がはっと気づいた時にはもう傍まで来ており。
「っ、きゃ!?」
 ひょい、と擬音を付けられるほど軽々と、抱き上げられた。首根っこを掴んでからお尻を支え、腕の中に収める。
「な、何を――」
 慌てて身動ぎをするが、細いがしっかりとした腕はびくともしない。そのままエルキドゥは再び寝台に座り、ティーネを己の膝に座らせると、髪を梳り、背を撫でてくる。
 一歩間違えれば如何わしい雰囲気を持つ行為になりかねないが、その手は優しく、且つまるで獣を撫でるように純朴であった。先刻とは別口の緊張で固まっていた体が少しずつ解れていくのが解り、ティーネはそんな己の身体にただ混乱する。
 恐る恐る顔をあげると、変わらぬ笑みで自分を見下ろしている、人間とは思えない美しいひとがいて。
 ティーネは本当に困った顔で、俯いて動けなくなってしまった。
「――何をしている」
 不意に、柔らかく弛緩した空気を、金色の声が切り裂いた。はっと身を固めるティーネと対称的に、エルキドゥは欠片も動揺を見せず、ただ己が友の帰還を喜んで笑みを見せて答えた。
「お帰り、我が友よ。この国は君のその目に、どのように映ったんだい?」
「下らぬな。この一言に尽きる。幾星霜の時が過ぎようと、人の営みは変わらぬ。羨み、蔑み、奪い、殺す。王たる我が導かねば、徒に地を食い尽くして滅びるのみよ」
 世界の全て、即ち己が手にした全てを嘲る笑みを浮べながら、絶対者である王は、しかし言葉とは裏腹に上機嫌だった。身に纏っているのは金色の鎧でも、ウルクの地を思わせる露出は高いが豪奢な衣装でもなく、シンプルだが値は張るだろうと一目で解るライダースーツだ。始めて見る姿にティーネは違和感を覚えるが、どうやらこの衣装は王の御眼鏡に適ったらしい。
 喋りながら悠々と歩いてきた王は、寝台に座ったままの盟友に近づくと、すうとその手をティーネに向かって伸ばす。王が認める唯一無二の友の膝に抱き上げられた不敬を責められるのだ、とびくりと身を竦めたティーネの首筋が、再び無造作に掴まれる。
「っ……あ」
 ぐいと幼子のように、持ち上げられて。物凄く近い位置に、金色の髪と赤い瞳が見える。鼻先が触れ合いそうになる位置に王の顔があるという事実に、ティーネは褐色の肌を更に濃くしてしまった。
 身形の整い方というか、美しさならば、エルキドゥが上を行くかもしれない。だが、彼は。
 まともに見たら、眼を潰してしまうほどの力強い輝き。傲岸不遜な、世界最古の王。誰もが頭を垂れて平伏さねばならぬと、その魂が言っている。
 あの肉の焦げる臭いの満ちた洞窟で、その姿を瞳に映す栄誉を与えられてから。
 ティーネにとって、彼は、己が仕える絶対者となった。
 そんな彼の瞳が、自分を見据えている。真っ直ぐに、揺らぐことなく。
 宝石のような紅玉に、畏まることも忘れてぼうっと見蕩れてしまったティーネを見たまま、王は盟友に問う。
「これを子兎と見たか、我が友よ」
「気に障ったなら謝ろう。可愛らしくて、つい」
 悪びれることなく謝罪をし、くすくす笑う友に対し、金色の王は不敵に笑うと、彼の隣に腰掛ける。片手で持ち上げていたティーネを、無造作に膝に置きながら。
「っ……?! わ、我が王よ、恐れながら――」
「確かに幼童には違いないがな。獣ではない、こ奴は女よ」
 すっかり恐縮して身を縮こまらせてしまった少女に対し、ギルガメッシュは上機嫌だ。良く言えば従順、悪く言えば面白くない少女が、余裕を崩している様が面白かったのかもしれない。そのまま、戯れるように――ティーネの長く細い黒髪を一房、ついと撫でて遊ばせた。
「……!!」
 同じ撫でるという行為でも、エルキドゥとは全く違う。熱い糸で絡め取られ、蕩かされるような愛撫にも等しい。未だ男を知らぬ少女に、嘗て国中の女を抱いたと言われる王の手指は刺激が強すぎた。感じた事のない甘い痺れが身体に走り、頬が限界まで熱くなる。
「くくく、如何した? 王が一夜の伽を望むか」
 更にそれが面白くなったのか、ギルガメッシュはますます笑みを深くして、少女の柔らかい頬に触れんばかりに唇を近づけて囁く。吐息の熱が皮膚に伝わり、その言葉の意味を考える前に、ティーネの体から力が抜ける。王の身体に体重を預けるなど絶対に許されない筈なのに、何故か咎められることは無かった。逆に、その従順さを褒めるように、更に髪を撫でられて。
「それは止めた方がいい。こんな小さな子に、君の手管は毒になりかねない」
「ほう? 言ってくれるな、六日七晩聖娼と契ったお前が」
「あの時は夢中だったから。とても気持ち良かったし」
 少女を挟んで際どい会話を、照れ一つ見せずに交わす二人に、ティーネの脳髄はすっかり茹ってしまった。いつの間にか目を覚ましていた銀狼が、心配そうに彼女の方を見ているのがまた遣る瀬無い。
 そちらへ逃げ出したいのはやまやまだが、全てを捧げた王の腕から逃れることなど、またこの少女にはとても考え付く事ではなく。
 彼女に出来るのは、王が飽きるまで、正しく子兎のように震えていることしかないのだった。