時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

289.冷たい感触

 宇宙は静かだ。本来、生命体が活動できる場所では無い。
 もし何の防備も無くその中に飛び込んだら、あっという間に体は凍り付いてしまう。時間と空間の概念も曖昧になる、命の存在を拒否する場所。
 そんな世界で生きる為に、宇宙船には様々な設備が備え付けられている。重力に始まり、気温管理や、一日の時間を設定し、起床・就寝時間を決めるのも大事だ。その辺りが曖昧になると、いざどこかの星に到着した時に、様々な齟齬が起きてしまうからだ。
 機械生命体であるバランスは、有機生命体よりも睡眠=スリープの時間は短くて良いが、それでも周りに合わせて就寝時間中は自室で大人しくしている。
 常にハイテンションだと思われているバランスだが、自分一人でいる時まで騒ぐことは無い。キュウレンジャーに加入して、久しぶりにゆっくりできる時間が取れたので、最近流行のファッション雑誌――バランスが見るのは、ボディのカラーリング剤の特集辺りだが――を、のんびりと眺めていたのだが。
「……バランス。バランス」
「ん? ナーガ?」
 静かな部屋の、廊下に続くドアの向こう側から響く、低く小さな声。この世で一番聞き覚えのある、自分の相方が呼ぶ己の名前であることに気付いて、すぐ寝転んでいたベッドから起き上がる。こんな遅い時間に彼が起きてくることは珍しく、何かあったのという不安をいつも通りの明るい鍍金で覆い隠してから、ドアを開けた。
「ハァ〜イ! どしたのナーガ……って顔! いっつも色白だけど、いつにもまして血色悪すぎな〜い!!?」
 目の前にぬうと立っている、自分より頭半分背の高い相棒の顔を見て、驚いた。元々色素の薄い顔立ちをしているナーガだが、普段以上に随分と青白い。無表情のままだがその体はほんの少し震えており、バランスがおろおろとしているうちに、ナーガは改めて相棒の名を呼んで訴える。
「バランス。……さむい」
「えええどゥーしたの一体! 顔色ホワイトどころかブルーまでいっちゃってるよ〜!」
「おれは、シルバーだ……」
「そういう意味じゃなくてぇ! 何があったの!」
「……へやが、さむい」
「ハァ!?」
 ぼそ、と呟かれた真実に、只でさえ高いバランスの声がひっくり返った。
 
 
 ナーガの言葉に嘘は無く――そもそも嘘も冗談も言える性質ではない――彼に与えられた個室は随分と冷え切っていた。宇宙空間でも快適に過ごせるよう、オリオン号の空調は完璧である筈なのに。
「……あ〜、これはダメダメだねぇ〜。基盤が完全に、イカれちゃってるよぉ〜」
 手首から伸ばした数本のケーブルで、天井の空調を確認していたバランスが肩を竦めた。その隣で未だ震えながら、ナーガが尋ねる。
「バランスの、ちからで、うごかせないのか?」
「ん〜、ボクが出来るのは、操るだけなのぉー。足怪我した奴を無理やり操っても、歩かせることはできないでしょお?」
「なるほど……」
 説明に納得したらしく小さく頷くナーガだが、その顔は未だ青白い。ヘビツカイ座系出身の彼は、元々寒さに弱く、一定の温度を下回ると体の機能が低下して、所謂冬眠状態に陥ってしまうらしいことを、バランスも当の本人から聞いていた。出会った頃は、気温の低い惑星に行ったところ、朝起きられなくなってしまって、大層慌てたことも懐かしい。
「さぁって、どうしよっか。ラプターちゃんでも呼んでくる?」
 この宇宙船の管理を任されているアンドロイドの彼女なら、空調の修理か、出来なくても予備部屋の準備をしてくれるだろう。まだ起きてるかもしれないし、とバランスが踵を返しながら言うと、その手の小指がくん、と引かれた。
「バランス」
「んん? ……なあに?」
 ナーガの白い指が、バランスの金色の指に絡んで、くいと引っ張っている。子供が親に訴えるようなそのやり方に、バランスは一瞬戸惑うが、それでも彼の突拍子もない行動には慣れている方なので、優しく問う。
「いっしょに、ねてくれ」
「ハ?」
 今度こそ、バランスは自慢の発声器間を動かすことすら出来ずに、完全に沈黙した。控えめにそっと手指を握られているだけなのに、振り解けない。肩に手を置いたり、ハイタッチしたりというボディタッチは、全部バランスの方からやってきていて、こうやってナーガが自発的に触れてくるのが、珍しすぎて。
 対するナーガは、そんなバランスの困惑に全く気付いていないらしく、強い瞳でじっとバランスを見つめながら、ぼそぼそと続ける。
「さむいのは、にがてだ」
「えー……あー……うん。知ってるけど。あのねナーガ? ボク、機械生命体なのね?」
「おれも、しってる」
「うんだから、一緒に寝てもぜんっぜん! あったまらないよ? 体表温度なんてたかが知れてるよ? そういうのは人間体の、もっとカワイコちゃんとかに言いなさいよ!」
 言ってから、あ、この船にいる奴で当てはまるのハミィちゃんだけだ、もし本当にやったらスパーダに怒られるかも、と思う。流石に相方が三枚おろしの蒲焼にされるのは忍びないので、訂正しようと思った時。
「でも、バランスは」
「うん? 何?」
 矢継ぎ早なバランスの声に考え込んでいたらしいナーガが顔を上げ、真っ直ぐにバランスを見つめて言う。彼が「怒り」の感情を認識出来てから、バランスは彼の言葉を止めることを慎むようにしている。そうやって自発的な意見を出していけば、いつかそれ以外の感情も自分が気づいて、彼に認識させてあげることが出来るかもしれない。
 ……ボク、変わったのかなぁ。少なくとも最初は、こんなこと思って無かったのにな。
 表情が動いたらきっと滲み出ていただろう苦笑をして、相棒の答えを待つ。自分の思いを言葉にすることも慣れていないナーガは、何度も口を開閉しながら、それでもやっと声を絞り出す。
「……おれよりも、あたたかいと、おもう」
 ほんの僅か、バランスでなければ気づけない程の。出会ってすぐの頃、「バランスについていけば、まちがいない」と言っていた時と、同じ。口の両端がほんの少しだけ持ち上がった、まるっで蛍火のような微笑み。
 寒さに弱くても恒温生物である彼が、機械の体より熱を持たないわけはないのに。そんな微笑みを見せて、そんな言葉を選べた彼の感情とは、いったい如何なるものなのか。
 ――それに名前を与えるのは、バランスの役目であると自負していたのに。今まで幾らでも出来たその行為が、上手く出来なくなった。
 自分が思った通りの答えを彼に与えたら、今度は自分の中に沸き起こるものに、嫌でも名前をつけなければならなくなってしまう、から。
「……うん! 良し! 寝よっか!」
「いいのか?」
「別に嫌な訳じゃないしぃ〜! ただホント、ボクの体表冷たいよ? 覚悟しといてね?」
「へいきだ。バランスなら」
「あーもぉ〜……」
 ぼやきながら、自然にナーガの背を抱いて、バランスは寧ろ軽い足取りで自室へ戻る。入る前にさり気なくコンソールを弄り、部屋の気温を高めに設定しながら。
 僅かに乱れていた寝台を軽く整えてやると、ナーガは全く躊躇いなく靴を脱いでそこに潜り込む。蛇がとぐろを巻くように背の高い体を折り畳んで丸まり、ベッドサイドに立つバランスをじっと見上げた。観念して天井を一度仰ぎ、バランスもその横に寝転がる。
 どこか安心したように、そっと目を閉じるナーガの顔を見ながら、バランスは部屋の照明を落とす。そして自分の体内の駆動率を上げて、体表の熱をせめてほんの少し上げることに邁進することにした。