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のんべんだらりんごった煮サイト

027.間違ったのは何処だろう

 重い音と共に、地下牢の鉄格子が開く。その前に立たされた金髪の青年は拘束もされていなかったが、逆らわず一歩前に出て、牢の中に入った。
「追って沙汰があるまで、ここにいるように」
 そう言った兵士の顔には、僅かな同情が浮かんでいた。彼からすれば、つい先日まで魔王と戦っていた兵士や冒険者と懇意にしていた、一介の武器屋に過ぎない彼を犯罪者として投獄するのに良心が痛むのだろう。
 いつも通りの朝、店を開こうと外に出たらあっという間に兵士に拘束され、何も説明されずにここまで連れてこられた当の武器屋は、この黴臭い地下牢に連れてこられても、特に何の感慨も顔に浮かべてはいなかった。
 事実、彼は随分と落ち着いていた。毎日真面目に生きてきただけなのに、急に犯罪者扱いをされたら誰でも冷静でいられないだろう。しかし彼はただゆっくりと牢の中を歩き回り、最後に隅に据えてある固い寝台に腰かけて息を吐く。
 実は、彼は己の運命がこうなるのではないかと、数日前から思っていたのだ。
 魔王は倒れた。冒険者達は報酬を手に様々な国へと散っていき、騎士団は解体するという。魔王軍との戦争は終わり、平和な世の中がやってくると、町人達は皆言っている。つまり――武器は、必要なくなるのだと。
 以前から、争いを好まぬ人達に自分の仕事が白い眼で見られていたことは知っている。今までは必要悪だからと見逃されていたのが、最大の脅威が消えた今看過できなくなってしまった、それだけだろう。
 冒険者ギルドで何度か顔を合わせた騎士団長が、「魔王が倒れるのも時間の問題だ」と言いつつ、僅かに憂いを湛えた目で自分を見ていたことを思い出す。彼もこの事実を知っており、止められないことを心苦しく思っているのだろうと思った。それほど誠実な人なのだと、知っていたつもりなので。
 彼を責めるつもりもないし、今の自分の有様について、武器屋は嘆かない。いつか来るべき日が、今来たというだけのことだ。
 ただ――胼胝だらけの自分の両手を見下ろして、溜息を吐く。
 もう自分には、武器を打つことが出来ないのだろうと。
 その事実だけが、彼の心を締め付けた。


×××


 この国一番の武器屋が、人心を悪戯に騒がした罪で拘束されたという報告は、彼の元にも届いていた。
「――どういう事ですか! 何故彼が……!」
 思わず、愛国騎士団長は目の前の机を拳で叩いてしまった。彼らしからぬ激昂に、報告していた部下はびくりと肩を震わせる。その事実に騎士団長自身もすぐに気づき、すみません、と小さく告げた。
「団長。仰る通り、これは横暴な処断です」
「我々愛国騎士団を解体するだけでは飽き足らず、国王はこの国から武力を全て無くすつもりです」
 周りの部下も、あからさまな怒りを見せることは無かったが、今回の武器屋逮捕についての不満を口々に発した。彼らにとってあの武器屋は、魔王と戦うための強力な武器を仕入れてくれる、頼りになる仲間だった。それをこんな理不尽に処罰されて、動揺と疑念が皆の心に渦巻いていた。
「何という事を――。確かに、魔王の脅威は去りました。しかし、全ての武力を放棄することは愚策です。他国もいずれ国力を盛り返し、台頭してくるでしょう。その時に騎士団も、武器も無くては蹂躙されるだけです」
 冷静さを取り戻したように見える騎士団長――正確には、既に国王より騎士団の解体を命じられているので元・騎士団長となるのだが――の言葉に、部下達は皆頷いた。若き頃から武術を研磨し、この国を守ってきた自負のある騎士達は、魔王を滅ぼした立役者であるにも関わらず、この采配を告げた王に対する不信と不満を誰もが持っていた。
「騎士団長。我等以下全ての部下は、団長の決断に従います」
「どうぞ、ご決断を!」
「団長!」
 騎士達の心は、もう決まっていた。その熱を真正面からしっかりと受け止め、騎士団長はその流麗な眉間に皺を寄せたまま――苦渋の決断をした。
「――決起します。この国はもはや、我等の守りを必要としない。ならば我等は、我等の望むものを守りましょう」
 おお、と部屋全体から声が上がる。誰もが喜び、気焔を上げる中、騎士団長は唯一人――辛そうに俯き、腹心にだけ聞こえる声で呟く。
「拘束されている者も、出来る限り助けます。見取り図と見張りの確認を」
「承知しました」
 腹心は言葉少なに答え、部屋を出ていく。
 騎士団長はただ、黙ったまま、ただ一人の安否を気遣っていた。
 ――どうして、貴方が。
 騎士団の解体と、血を流した者達を蔑ろにする国王の采配に、不信を持っていたのは騎士団長も同じだった。しかし、平和になった国に再び血を流させる決断をしてしまった最後の一押しは、紛れもなく、かの武器屋の拘束だった。
 彼は何も悪くない。彼の作った武器で血を流し命を屠ったのは、他ならぬ騎士団や冒険者達だ。ならば彼の咎は我々が受けるべきであり、彼が拘束される謂れなど全く無い筈だ。
 彼はただ、只管に、真摯に――
 あの美しい武器を、作り続けていただけで――
「……どうか、暫し。耐えて下さい」
 彼が今この瞬間も、理不尽な目に遭っているのかと思うと、身が刻まれる思いがする。どうか無事で、と祈ることしか、今の騎士団長には出来なかった。


×××


 僅かな水音が聞こえ、武器屋は目を覚ました。
 流水では無く、雨音だ。どうやら雨が降っているようだ。ほんの僅か、武器屋の眉間に皺が寄る。
 拘束される前に、窓の鍵を一つ開けておいた。飼っていた白猫が、いつも外に出る時の為の窓を。割と強かな元野良だし、飢えることは無いと思うが――たった一匹の家族が、雨の中で無事でいてくれるかどうか、それを案じて武器屋は目を閉じる。
 太陽の見えないこの牢屋では日付の感覚もあまり解らないが、出される粗末な食事の数によればもう3日は経っているだろう。いつ裁きが下るのか、さっぱり解らないのが辛いところだ。此処に入って以来、見張りすら碌にやってこない。随分と奥まったところにある牢屋らしい。
 誰とも話せない、ことはそんなに辛くない。元々かなり無口な方だし、誰かと話すことを楽しめるだけの知識も度量も無い。
 幼い日、祖父が剣を打つ姿と、そこに飛び散る火花、真っ赤に焼けた鉄が美しい形を取る様に魅せられてから。
 彼は、全くの、不純物の無い、「武器を造るもの」になった。そうなろう、そうであろうと、自分で決めた。
 何故と問うのは野暮だし、誰に強制されたわけでもない。ただ、己はそういうものであるのだと、気づいて、理解して、納得した。彼の出した結論は、そんな所だ。
 だから、己の運命が終焉するその瞬間まで、武器を造り続けることが出来なかったことだけが、随分と心残りで――
 つらつらと埒もないことを考えていると、金属の扉が開く重たい音がした。
 僅かに、肩が緊張する。次の食事の時間にはまだ間がある筈だ。ついに、処刑場に引き立てられる時が来たのかと思い、立ち上がる。
 微かな物音。どさりと、何かが倒れる音。そして、慌ただしく駆けてくる足音。暗がりの中から、近づいてきた人影が、僅かに濡れた紫紺の外套を翻したことに気づき、武器屋は牢の中で僅かに目を見開いた。
 駆けて来た人影は、無言のまま取り出した鍵束を乱暴に揺らし、もどかしげに鉄格子の扉に差し込む。軋み、引き摺る音を大きく立てながらも、牢は開いた。
「さぁ、早く! 話は後です!」
 ――何故。武器屋の心に飛来するのは、その問いだけだった。
 城で高い地位に居る筈の騎士団長がこんな寂れた牢まで降りてくる筈もないし、何より彼の行動は、まるで脱獄の幇助だ。何故彼がそんなことをしでかそうとしているのか、理由がさっぱり解らず、動けない。
 そんな武器屋に業を煮やしたのか、騎士団長は僅かに顔を歪め、「今は、私の後に付いて来てください!」と早口で囁く。
 促しに、武器屋は一瞬迷い。僅かに戸惑いながらも、一歩前に踏み出す。
 無意識に伸ばした手を、強く捕まれ。驚いた時には、彼に引き摺られるように駆け出していた。


×××


 牢から出ると辺りは薄暗く、やはり雨が降っていた。
 どうも城からはかなり離れた山中の牢だったらしく、辺りは鬱蒼とした森に覆われている。獣道しか無さそうな夜の山を、騎士団長は躊躇いなく進んでいく。武器屋の手を、掴んだまま。
 雨足は強く、すぐに頭からずぶ濡れになった。あっという間に冷えた体に耐えられず、小さくくしゃみをした瞬間、足を止めてしまって繋いでいた手も離れた。走り続けて、そんなにない体力も限界だったので。
 数歩先に出て、騎士団長も歩みを止めた。武器屋よりも当然身体能力は高いだろう彼は、僅かに息を荒くしていただけだったが、そのまま振り向かずにぽつりと呟いた。聞かせる気が無い、独白のような囁きで。
「魔王がいたことで保たれていたバランスが崩れてしまった。我が愛国騎士団も、役目を終えた今となっては……邪魔者扱い」
 彼の声は静かだった。少なくとも、其処に怒りや悲しみの感情は含まれていないようだった。どう答えを返せば良いのか解らず武器屋が黙っていると、騎士団長が振り向く。
 彼は――酷く、思いつめた顔をしていた。しかしやはり、そこにある感情は怒りや、悲しみでは無い。武器屋がいつも見ていた、穏やかで優しい視線では無く――どこか、奇妙な熱の籠った、揺れる視線。それを真正面から受け止めて、何故か武器屋の心臓に動揺が走った。
「私は新しい国造りを計画しています」
 その為、次に告げられた言葉の意味が一瞬理解できなかった。彼が――今の全ての立場を捨てて、この国に反旗を翻すのだと。
 やはり何故、と思った。確かに理不尽な扱いを受けているのは事実だろうが、武器屋から見れば冷静な彼にしては早まった決断としか思えない。この国一番の武勇を誇っていても、決して争いが好きな人では無かった筈なのに、と。
 耐え切れず、何故という問いを、唇から吐こうとした瞬間。
「この計画にはどうしてもあなたが必要です」
 続けられた言葉に、今度こそ武器屋の呼吸は止まってしまった。
 騎士団長は一歩前に出る。もう一歩踏み出したら、武器屋とぶつかるぐらいの位置で、雨音に負けない程の声で、告げる。
「我々の思想はあなたには求めません。ただ……我々の国で武器を造っていただきたい」
 どくりと、先刻とは別の理由で武器屋の心臓が鳴る。思わず俯き、自分の両手を見下ろした。
 武器が、打てる。彼と共に、行くのならば。


×××


「あなたは脱走犯となってしまった。あなたは……我々と共に歩む道しかないのです」
 自分で言いながら、なんという傲慢だ、と騎士団長は自嘲する。
 彼に何の選択もさせず、ここまで引っ張ってきたのは自分だ。彼の気持ちなど欠片も考えず、ただ、彼を――理不尽な責め苦を受けている彼を救いたかった。彼自身は救いなど、求めていないかもしれないのに、と。
 己の浅ましさに嫌気が刺すが、口から出てくるのは彼に阿るような言葉だけ。
「あなたは悪ではない! ……あなたが造る武器で、人々を救うのです」
 どうか、是と答えてほしい。あなたをこのまま、死なせたく無い。
 祈るように叫んだ言葉に、彼はどう思ったのか。ずっと伏せていた顔を、上げると。
 彼は、いつものように。ギルドで顔を合わせていた時と、全く同じく。
 微笑んでいるような、泣き出す直前のような。どちらとも取れる、不思議な表情を雨に晒していた。
「……どうして」
 ぽつりと、雨音に消されそうになるぐらい、小さな声が聞こえた。騎士団長が驚いたように目を見開くと、ほんの少しだけ彼は、困った顔をして。
「どうして、俺だったんですか」
 真っ直ぐに突きつけられた問いに、騎士団長は、ずっと身の内で守っていた大切なものを、刃物で抉られて取り出されたような気がした。
 反射的に、口を開き、彼に向かってある言葉を告げようとして――ぐっと、飲み込む。
 これから、自分は――自分達は、いつ果てるとも知れぬ戦に身を置くことになる。勝てるかどうかも解らない、絶望的な戦いに。
 そのために、やらなければならないことも、必要なものも沢山あって。そんな中で、この心の内に燻る火種は、外に出してはいけないものだと、本能で理解していた。
「……。……理由は、先刻申し上げた以上の、意味は、ありません。あなたの、鍛冶師としての腕が、必要です」
 随分と白々しい言葉だと、自分で分かっていながら、重ねることしかできなかった。
 目の前の、彼は。やはり表情を動かさず――一回だけ。小さく、こくりと頷いた。
 それを見た瞬間、騎士団長は己の衝動を抑えきれなくなり。
「ッ――!」
 一歩前に出て、彼の手を取り。その場に跪いて――
 申し訳ない、とは言わない。
 有難うございます、とは言えない。
 彼にこれ以上、重荷を背負わせるわけにはいかなかった。
「っ、ぁ」
 だから僅かに、驚いた声が、彼の唇から漏れても構わずに。
 鎚を握り、鉱石を叩き、武器を鍛え続けた為、胼胝だらけで爪の間も黒く染まっている、彼の指先に。
 まるで許しを請うように――触れるだけの口付けを落とした。


×××


 冷えた指先に当てられた唇は燃える鉄のように熱くて、武器屋は怯んだ。
 反射的に指を引こうとすると、何の抵抗も無く拘束は解かれた。立ち上がった騎士団長も――全ての感情を押さえつけたような、固い顔と声で。
「――行きましょう。夜のうちに、山を下ります。道は把握していますので、付いて来てください」
 それだけ言って、雨の中を歩いていく彼の背を追いながら、武器屋は、――失敗した、と思った。
 理由は解らない。ただ、何かとてつもない間違いを犯してしまった気がした。
 自分が、先刻手を引いてしまったせいで、彼が自分に向けてくる感情の理由は、もう二度と言うことが無いだろうと、ぼんやりとだが気づいてしまった。
 しかし、それを取り戻すために、どうしたら良いのかも分からない。
 無作法を詫びても、彼はお気になさらずと言うだろう。
 助けてくれたことに対して礼を言っても、彼は必要な事をしたまでですと言うだろう。
 きっと、平和なときには請えば見せてくれた、彼自身の本音を、もう二度と出すことの出来ない場所まで、自分は追いやってしまった気がした。
 最早、全てが遅い。何も言えず、武器屋は歩みを進める。
 武器を作ることだけが、己の在り方であるのに。
 彼のために自分の技術が、役立てることが嬉しいと――そう思ってしまう己の傲慢を、戒めるように唇を噛んだまま。
 雨は、山を下り、隣町に着いても、決して止むことは無かった。