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023.雨の中で

 ――これは、参ったな。
 薄汚れたビルの間に縦に長い体を収めて如何にか雨宿りをしながら、ノボルは一人で曇天を見上げる。
 情報屋の仕事で、湾岸地区まで一人で遠出をすること自体はそんなに珍しいことではなかった。幼馴染達は心配するし、自分の所業を思えばそう考えるのも解らなくはないが、大丈夫だとどうにか言いくるめてバイクを転がした、のは良いのだが。
 生憎と天気予報よりも早く空が掻き曇り、ろくな装備も無しにバイクに乗るのがちょっと拙い事態になった。やむなく傍らに停めて、自分も雨宿りをしたのだが。
 残念ながら雨足は遠のく気配もなく、秋口に入り始めた気温は少しずつ下がり始めて。古傷を抱えた膝が、冷えによってしくしくと痛み出したのだ。
 最悪タクシーを呼んで帰ることも考えたが、治安の悪さはSWORD地区に負けないこの辺りに、何の寄る辺もなくバイクを放置するのも嫌だ。
 かといって山王に連絡をすれば、トラックのひとつも用意して迎えに来てくれるかもしれないが――またコブラとヤマトに目を三角にして叱られるのも出来れば避けたい。暫く一人で出かけるのを許して貰えなくなりそうだし。
「Sup ma.雨宿りかい?」
「良い店があるぜ、休んでいきな」
 そしてあからさまににやにや笑いを張り付けた湾岸地区のチンピラ共が声をかけてくるのももう三度目だ。うち二回はヤクザ仕込の威嚇で散らしてやったが、これは少々面倒そうだ。随分とガタイの良い、日本人離れした容姿。もしかしたら少々大物――MIGHTY WARRIORSの息がかかった奴かもしれない。勿論その威を借りているだけの可能性もあるが。
「Thanxs,でも良いよ。人待ちなんだ」
「こんな雨にほっとくなんて酷い彼氏だな? いいだろ、行こうぜ」
 どうも彼等にとってはノボルの線の細さは侮辱や粘性の視線を向けられてしまうものらしい。ガタイはともかく背丈だけなら負けないのにな、と内心少し悔しがっていると、ぐいと肩に手をかけられた。咄嗟に振り解きたくなるが、まるでそれを止めるように足がしくりと痛んだ。僅かに眉を顰めたノボルへ面白そうに笑うと、煙草で染まった黄色い歯を剥き出しにして男が近づいてくる。
「ヘヘ、こんなとこで美人なお嬢さんに出会えるとはなぁ。楽しませてやるぜ?」
「……Fuck away,dick head.」
「アァ!!?」
 ヤニ臭い口臭と下卑た笑顔に耐え切れず、ノータイムで煽りの罵声が出てしまった。性の暴力で他者を虐げようとする輩に対する慈悲など、生憎ノボルは一滴も持ち合わせていなかった。己の体も場所の危険も全て度外視し、目の前の相手を叩きのめすことしか考えられなくなる。
 肩に置かれていた手をぎしりと掴み、もう片方で拳を握り締めた時――
「――Hey,guys.Watz up?」
 低い声と共に、路地がぬうと現れた巨体に塞がれた。男達だけではなく、ノボルも驚く。その男は――
「ふぉ、フォー!? なんであんたがここに」
「そいつに何の用だ」
「あ、アンタのオンナか!? へへ、悪かったよ」
 間違いない。黒白堂駅でのDOUBTvsSWORD連合軍の際、ノボルと戦ったMIGHTY WARRIORSのニューフェイス。その巨体に似合った怪力とスタミナを誇る男。
 ノボルに絡んでいた男達も彼の強さは良く知っているのだろう、慌てて逃げを取る。唐突な乱入者に流石のノボルもぽかんとして――何せ彼が自分を助ける理由が全く見当たらない――すると、フォーの方が改めてこの場に残っているノボルをまじまじと見て。
「……ぁ、お前、SWORDの奴か」
「知らずに声かけたのか……?」
 初めて気づいたようにぽつりと呟いた声の毒気の無さに、思わずノボルの肩からも力が抜けてしまった。
「なんで、ここに?」
 言葉は朴訥だが油断なく辺りを見回すフォーに、連れを警戒しているのだろうと理解してノボルは息を吐く。一難去ってまた一難、だがこちらも向こうを刺激したいわけではない。
「一人だよ、仕事でね。内容は秘密だけど」
 簡単に説明してやるも、ただで返されるとは当然思えない。意地張らずに早めにコブラかヤマトに連絡しておけば良かった、と内心後悔していると。
「そうか、わかった」
 あっさりと頷かれて、がくりと思わず体を傾がせてしまう。別に足が痛んだわけでは無いのだが、咄嗟に膝を庇うように動いてしまった時、
「――! 大丈夫か」
 素早く、随分と逞しい――太さが自分のものより二倍はある腕で、しっかりと支えられてしまった。有り得ない状況に目を瞬かせて、そこから逃げる意識を無くしてしまう。
「すまない、もっと早く声をかければ、良かった。怪我は?」
「あー……いや、大丈夫」
「でも、足が」
「これは、元からさ。事故った時の古傷だ」
 顔を覗き込んでくる、とんでもなく強い筈の男の顔が、随分と心配そうで。その情けなさに思わず笑って、ノボルも普段は自分から言う事など無い、昔の話がぽろりと口から出てしまった。仮想敵の一員にこんなことを、言うべきではないと理性ではちゃんと解っているのに。
「……そんな体で、お前、俺と戦ったのか」
 どこか感慨深げな声に首を傾げる間もなく、ぎゅうと抱きしめられた。驚愕に身を震わせるよりも先にすぐに拘束は解かれ、ちゃんと立たされる。ああ、ハグなんてこいつらにとっては挨拶みたいなものか、と僅かな動揺を打ち消す。自分の体が誰かに全部抱き込まれるなんて、成人男性がそうそう味わうものでもない。どう反応すべきか、ノボルが自慢の頭脳の回転数をどうにか上げようとしているうちに、フォーは踵を返すと路地の傍らに止めてあるバイクをぽんと叩き。
「お前のか?」
「ああ、うん」
「サンノー地区まで送る。鍵、貸せ」
 ひょい、と長い腕を伸ばしてくるその男には、やっぱりノボルの思考は一瞬停止してしまった。
「……なんで」
 漸く絞り出せたのは、そんな何の捻りも無い疑問の提示だけで。フォーの方は何故ノボルが拒むのか解らないといった体で、図体の割にあどけない顔を不思議そうに傾がせて。
「その足じゃ、バイク、無理だろ。雨も止んできた、俺が運転する」
「いや、だから」
「もうすぐ、FUNK JUNGLEが開店する」
 言われた言葉にはっと息を飲む。雲の隙間から漸く出てきた太陽はもう傾いで海に沈みかけている。一号店は琥珀との戦いにより破壊され、放棄されたが、逞しい彼らが建てた二号店は元気に営業中らしい。この辺りの物騒さは更に増すだろう、あまり時間は無い。
「……誓う。何もしない。ちゃんと、送る」
 迷っているノボルに駄目押しのように、フォーはバイクにどかりと跨ると、もう一度手を伸ばす。ノボルは迷った末に――愛車のキーを、その上に乗せた。


 ×××


 ヤマトよりも幾分広くて厚いその背中は、少々捕まり辛かった。
 自分のバイクを手に入れるまでは幼馴染の後ろに乗せて貰うのが当たり前だったので、戸惑うことは無かったが。
 何より、フォーが随分と安全運転で、きっと山王のバイク乗り達から見ればトロ過ぎると怒るぐらいのスピードでゆっくりと海沿いを走っていくので。
「……なぁ、あまりバイク乗らないんだろ?」
 被せられた自分のメットをごつんと背に当てて言うと、硬い背中はびくともしなかったが、ちょっと戸惑った声が聞こえてきた。
「Sorry,……これが精いっぱいだ!」
「ふ、ははは」
 笑ってしまった。つい先日血で血を洗うレベルの抗争をした相手なのに。
「笑うな! 次、どこだ!」
「ああ、次の信号を右!」
 インカム無しでバイクの上で会話するのは大変だが、相手の声も大きかったので問題は無かった。街中に入れば更に運転手は土地勘が無いらしく、ノボルのナビゲートが無ければ山王以外の地区に紛れ込んでしまうかもしれない。どこに行ってもフォーが見咎められれば、面倒事が起こるのは間違いない――なので、なるべくノボルは入り組んだ裏道を指示した。
 勿論運転手に道を覚えさせない為でもあったけれど――何故か、そういう理由には使われないだろうと思うぐらいには、既にノボルはこのお人好しの大男を信用していた。
 結果、山王の外れまで辿り着いたのは、随分と日が落ちてしまったころだった。自然とバイクのスピードは落ち、ノボルは降りる。これ以上は危険すぎるからだ。
「ありがと、助かった。ここからは押して行くさ」
「……足は大丈夫か?」
「もう平気だって」
 フォーはやはり心配そうだったが、鍵をノボルに返すことに躊躇いはしなかった。大柄な体がバイクから降り、ノボルがハンドルを握ってから。
「お前こそ、どうやって帰るんだ?」
 ふと今気づいたと言いたげに言ってやると、フォーははっと大きな目を見開き、うろうろと視線を彷徨わせる。……どうやら本気で、そこまで考えていなかったようだ。耐え切れなくて、ノボルはもう一度噴き出した。
「っふ……!」
「……笑うな」
 ばつが悪そうに眉間に皺を寄せるフォーに、ノボルは笑いながら、自分の財布を取り出す。適当に札を取り出して彼に差し出してやると、ぱちりと零れ落ちそうな目が瞬いた。
「タクシー代。迷惑料込みだから」
 相手に借りを作りたくもないので、至極当然と言った体で渡したのだが、何故か大男は不満げに唇を歪めた。そんなものが目的だったわけでは無い、と言いたげに。
「借りを、返しただけだ」
「借り?」
 言われた言葉の意味が解らず、ノボルの方が首を傾げる。今日一日彼に借りっぱなしなのはこちらの方なのに。
 フォーはやはり不機嫌そうに――正確には、どこか悔しそうに呟く。大きな肩をまるで、叱られる前の子供のように竦めながら。
「……オレは、お前に、勝てなかったから」
「――」
 ぼそりと言われた言葉に、ノボルは絶句してしまった。
 彼は強い、間違いなく。粒揃いのMIGHTY WARRIORSの中でも、かなり上の部類に入るはずだ。対する自分は病み上がりだし、ヤマトのように頑丈でもコブラのように強くもない。あの戦いの時も、彼のパワーを捌いて直撃を防ぐだけで精一杯だったのに。
「だから、いらない。これで、貸し借り無しだ」
 ぐ、と札ごとノボルの拳をぎゅっと握って押し返してくる彼の掌はとても大きく、熱かった。
「……買い被りすぎ、なんだけどなぁ」
「What's?」
 俯いて小さく呟いた自嘲は、彼に届かなかったようだ。
「いいや。――じゃあ、今度はこっちが返すさ」
 ほんの僅かな高揚を身の内で押し殺して、笑って手を引いてやると、フォーはまだ不満そうだったがうん、と頷いた。てっきりまた貸し借りの事を言うのかと思えば、
「……出来れば、戦いたくない。喧嘩は、苦手だ」
 やはり恥ずかしそうに、肩を竦めてぽつりと呟いてから、大きな体は踵を返す。その言葉に、またノボルはぽかんとする。どうも彼と話していると、予想外の言葉ばかりで、困るけれど――
「……俺も。喧嘩、苦手なんだ」
 その背中にぼそりと告げてやると、ちょっと驚いたように振り向いたので、耐え切れずにノボルはまた笑った。
 吃驚した後、ほんの少し破顔した、体に不似合いな無邪気な笑顔が、決して不愉快では無かったので。