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のんべんだらりんごった煮サイト

226.一人にはさせない

 下生えの茂った森の中を、メルトは急ぎ足で歩く。騎士の修業を受ける先輩達に、幼馴染を連れてこいと厳命されたからだ。
 彼らは一様に、稽古にしては随分と沢山の傷を負っていた。それだけで、メルトには自分の幼馴染が、またやらかしたのだと気づいて唇を噛んだ。
「また大暴れした上、詫びもせずに逃げ出したぞ」
「腕自体は悪くないが、性格が苛烈過ぎる」
「あんな気性では、とても騎士にはなれまい」
 嫌味交じりの忠告は何故かメルトに向けられて――本人に向けたらまた激昂するからだろう――、ただ頭を下げることしか出来なかった。別にメルト自身が悪いわけではないのに。
 事実、先輩や同期達から向けられるメルトへの視線は、同情的なものも多い。あんな幼馴染の面倒を見せられて、苦労するな、と。
 大変ではない、とは言わないが、勝手にそう思われる方が個人的には腹が立つ。何故なら――。
 思考している内に、川に出た。滝壺に近い岩場を見上げると、一番高い所に丸まってしゃがんでいる、赤い服が見えて安堵する。喧嘩をする度に、ここに来ることをメルトは知っていたから。
「コウ!」
 声をかけると、びくっと体が震え、ぷいと顔を逸らされた。構わず、足場を軽やかに踏んで自分も岩場の上に立つ。
 両膝を抱えてしゃがんだままの幼馴染は、服は泥だらけであちこち破れていたし、腕や足に生傷を負ったまま治療もしていなかった。呆れたように溜息を吐くと、まずコウの側に腰かけ、腰に結わえていた荷物から薬草を取り出す。
「傷、見せろ」
「……ん」
 端的に告げると、声だけは不満げだったが、おずおずと擦り傷だらけの手を伸ばされた。
 周りの者達には、扱いにくい、困った奴だと言われ続けているけれど、メルトにとってコウほど素直な者はそういないと思う。己に正直すぎるだけなのだ、この幼馴染は。
 生の薬草を軽く噛んで柔らかくしてから、包帯と一緒に傷に巻き付けてやる。僅かに染みるのだろう、コウの体がびくりと震える。
「っ……」
「ごめん、痛いか?」
「ううん」
 ふるふると首を横に振られて、ほっとする。やがて見えるところだけでも傷の治療を終えて、メルトは自分の尻を叩いて立ち上がり、もう一度コウに向かって手を伸ばした。
「さぁ、帰るぞ」
「……皆、怒ってた?」
 しゃがんだまま、聞いてくるコウの顔には、訓練をしていた時の荒々しさは全く見えない。誰もが彼を、他人を慮らない乱暴者だと唾棄するけれど、そんなわけがない、とメルトは反論したい。彼は確かに苛烈な本性を持つが、同時に誰かを傷つけたことを後悔することが出来ている。ただの自己中心的な子供なら、暴れるだけ暴れて、こうやって他人の顔色を伺うこともないだろう。
 コウは優しい。ただ、その優しさを発揮する術を知らないだけだ。そう信じているから、メルトはほんの少し笑って彼に告げる。
「ああ。ちゃんと、怪我させたひとには謝れよ」
「……メルトもいっしょ?」
「しょうがないな。連れて行ってやるから」
「うん」
 ようやく、コウの方から伸びてきた手をしっかり掴んで、岩場から降りる。やっと安心したように顔をほころばせた彼を宥める為に、出来るだけゆっくりと里まで帰る。
 ――もしコウが、他の人に優しく出来るようになったら、素晴らしい騎士になれるだろう。そんな確信が、既にメルトの中にあった。


 ×××


 どうして上手く出来ないんだろう、とコウはいつも考える。
 怒りに身を任せては駄目。ただ力を振るうだけでは駄目。沢山の先輩達に言われて、ちゃんと自分でも解っているつもりなのに、武器を握って振るうと、もう駄目だ。頭の中が真っ赤になって、何も考えられなくなる
 負けるのが悔しくて、背を向けた相手に武器を叩きつける。怯んだ隙に、追撃を加える。本当の闘いなら、やってもおかしくないことなのに、すぐに叱られる。
 また、頭の縁がじわりと熱くなる気がして、流れる滝の音を聞きなら、ぶるぶると首を横に振った。
 今日も、先輩達に怪我を負わせて、散々怒られて――逃げ出した。解っているつもり、と言うと解っていないだろう、と頭ごなしに怒鳴られる。出来ないのは事実なので、何も言い返せない。
 このままではとても騎士にはなれない、と皆に言われる。じゃあ、どうすればいいんだろう。
 ぐしゃぐしゃと頭を掻いて膝に顔を埋めた時、滝の音の間から声が聞こえた。
「コウ!」
 はっと顔を上げ、いつの間にかやってきていた青い髪の幼馴染の顔を見て、泣きそうになり――慌てて顔を伏せた。
 どうして、という想いがまた沸いてくる。どうして、メルトはこんなに優しくできるんだろう。
 メルトはすぐにコウの傍までやってきて、自分の荷物から薬草を取り出して手を伸ばす。
「傷、見せろ」
「……ん」
 端的な促しに、これ以上無視することが出来ず、そっと手を伸ばす。引き攣れたように痛むまだ血が滲んだ傷を見て、メルトは僅かに眉を療めた。そして、丁寧に薬草を巻いて治療を始める。
 無言のまま、コウは考える。どうしてメルトはこんなに優しいのだろう。治療だって、他のひとにされるより、メルトがしてくれた方が全然痛くない。訓練の時、コウがまた頭に血を登らせても、冷静に攻撃を往なされて、メルトが勝つ。頭も良くて、色々なことを知っている。メルトは凄い。
 ……早く強くならないと、メルトが先に騎士になってしまう。自分は騎士になれないままで。
「っ……」
「ごめん、痛いか?」
「ううん」
 怖くて、ぎゅっと手を握るとメルトが勘違いをしたようなので、慌てて首を横に振る。そうか、とちょっと微笑むメルトの顔は、本当に優しい。
 やがて全ての傷に包帯を巻き終えて、メルトが立ち上がる。どうしようかと思う前に、また彼は手を伸ばしてくれる。
「さぁ、帰るぞ」
「……皆、怒ってた?」
 当たり前のことを聞くと、メルトはほんのちょっと困った顔をするが、差し出した手を下げようとしない
「ああ。ちゃんと、怪我させたひとには謝れよ」
「……メルトもいっしょ?」
「しょうがないな。連れて行ってやるから」
「うん」
 ひとりだけであいつらと話したら、また自分が怒ってしまうかもしれない。そんな恐怖を堪えてお願いすると、なんてことないように応じてくれて、コウもやっと顔を綻ばせる。
 メルトがいてくれるなら、大丈夫。彼の真似をすれば、自分も優しいままでいられる。
 安心して、まだ剣胼胝の少ない、柔らかな幼馴染の手をぎゅっと握りしめた。