時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

002.MDとCD

「ねぇねぇ、マユズミちゃ〜ん。ここら辺の棚、見ても良いッスか?」
「別に良いですよ、どうぞ」
 わぁい、と子供のような声を上げて、棚に頭を突っ込まんばかりの勢いでごそごそとやり出す九月の大きな尻を見ながら、黛は呆れたように溜息を吐いた。
「……そんな格好するんなら、せめて下を履いてください」
「いやん、えっち。パンツは履いてますよぉ、スケスケで機能美に溢れてますけど」
「だからですよっ」
 いかがわしいデザインの下着に包まれたその様は、変に隠されている分淫靡に見える。勿論そんなものを見せられても、劣情を催すわけではなく、単に見たくないだけだ。
「同性のパンツ見せられて何が楽しいんですか」
「え〜、異性のパンツなら見て楽しいのね? マユズミちゃんったら」
「違います! 勝手に不名誉な属性擦り付けないで下さい!」
 もうかなり長い付き合いになった元風俗嬢の、人を馬鹿にしたような突拍子も無い言動には慣れたが、疲れないわけではない。全てが気に食わなくて一言毎に反発していたこともある。流石に今は、それなりには落ち着いたが。
 何せ、兎に騙されて死に掛けたり、樹になったと思ったら宝石の中に閉じ込められたり、処女喪失したりと、あの森での一年を思い浮かべると、気が狂わなかったのが不思議だと思う。
 実際、もしかしたら気は狂っているのかもしれないけれど、心に刺さっていた多量の棘は、それでぼろぼろと抜け落ちた。前よりは穏やかに日々を過ごせるようになったのだから、良かったのだろう、と黛も悟りを開いている。
 胡散臭い語り部の男と、傍迷惑な青い魔女にはあれ以来会っていない。働き者の記録者は、この町を離れたらしいが、律儀な事で季節の挨拶状を欠かすことは無い。結局一番付き合いが長いのは、目の前の破天荒な踊り手だった。久しぶりの休日が重なったので、自分の家に誘ってのんびりしようとするぐらいには、親しい相手になっていた。
 傍若無人で人の都合などお構いなしな人柄に見えながら、こうやって黛が許可を出さない限り、彼女は私物に触らない。他人と自分の間に明確な線を引き、相手に踏み込まない代わりに自分も踏み込ませない。
 黛が嘗て目指していたつもりで失敗したものとは大きく異なる、そしてずっと上手な人の関わり方。
 そんな一線の引き方を、最初は気付かずに邪険にして、次に気付いて安堵して、今は――ほんの少し、不満を持っている自分が悔しい。
 こうやって何度か無理やり理由をつけて、黛の部屋に泊まりに来ているにも関わらず、黛は彼女の住所すら知らない。持っている個人情報は精々携帯の番号だけで、それすらも仕事用なのを黛は知っている。
 正しく、猫のようにふらふらと気が向いた時だけ、塒を貸してくれとやってくる。黛の気持ちなど、おかまいなしに――そう思わせながら、とても気を使って。
 複雑な思いを堪えて、黛はあくまで自然さを装ってそっけなく告げた。
「別に大したもの、入ってませんよ。古くてもう聞かないのばっかりです」
「うはー、懐かしいですねぇ。CDはともかく、MDは全然見なくなりましたね〜」
 ざらざらと絨毯の上に九月が引っ張り出したのは、銀色に輝く円盤を包んだ色とりどりのケース。黛の趣味である様々なアーティストの公式盤や、レンタル等で集めて纏めたのだろう自作のものまで。嘗てレコードとカセットテープに代わり、音楽界を席巻した彼等も、今や古い時代の象徴になってしまっていた。
「まぁ、もっぱら今はデータ転送一本ですからね。会社とやりとりするのも、その方が楽だし」
「あたしはちょっと味気ないと感じちゃうタチですねぇ〜。こういうの、見てるだけでも楽しいじゃないですか」
 古い人間なのですよぅ、と笑う九月に、何も言わなかったが黛も心の中で同意した。便利になったことを憂うわけではないが、今まで慣れ親しんできたものが淘汰されていく寂しさは、僅かにだがある。
 鮮やかな色のMDを順番に並べて、おおーレインボー! と笑う九月に、思わず黛が噴出したその時。
「あら? これ、ラベル無いですねぇ。……もしかして?」
「っ……何でもありませんよ。空ですよ、多分」
 ぴん、と何かを気付いたような九月の顔に、黛はぐっと同様を堪えてなんでもない返事をする。が、人の心の機微を読む事に長けた踊り手は、そのような子供だましの演技など全てお見通しだったようだ。
「う〜ふ〜ふ〜? 昔なつかし若気の至りってヤツですかぁ? マユズミちゃあ〜ん、MDプレイヤーまだ持ってますぅ〜?」
「駄目! 駄目、却下です! 聞かせられません! っどうしてそういうのばっかり見つけるんですか貴方は!」
「だぁって、几帳面なマユズミちゃんが、封の開いたヤツにラベル貼ってないってことは、貼ってたのを剥がしてそのままにしてたんじゃないですかぁ? だ・と・したら、タイトルも恥ずかしくて剥がしちゃったけど捨てることも出来ないもの、ですよねぇえ?」
「うるさい! 止めて! 馬鹿!」
 ちくちく図星を刺してくる九月の攻撃に、限界まで頬を火照らせた黛が叫ぶ。普段難しい理屈を捏ね繰り回す言葉が全然出てこず、子供のような罵りしか言えなくなっている。
 九月の推察は当っていて、無印のMDには遥か昔、音楽を始めたばかりの黛が自作した入魂の一本だ。自分ひとりでこっそり録音した、技巧も何も無い、思い出すだけで顔から火が出る、しかし手放す事もできなかった代物。隠したいからこそ他のMDに紛れさせて、何でもないもののように放り捨てておいたのに、何故こうまで目ざとく発見されてしまうのか。
 涙目になりながら飛び掛ると、あまり抵抗もせずに「にゃんっ」と可愛い声を出して倒れた。すぐさま手から黄緑色のMDを奪取して自分の胸に抱え込むと、寝転がったまま九月はくすくす笑っている。
 風呂上りの下ろした髪が床に広がって、寝巻き代わりの大きなTシャツの襟刳りから覗く肩が色っぽいが、浮べている顔は相手をからかいたい気持ちが滲み捲っている猫の笑いだ。
「人の黒歴史暴いて楽しいんですか?! ヘンタイ!」
「やぁーん、ごめんってぇ。ちょおっとイジワルしちゃったけど、怒んないでぇ」
 肩口から振り向き様に罵ってやると、全然反省していない顔で頬を摺り寄せられた。女独特の甘い香りが鼻を擽り、若干落ち着いてしまう自分が悔しい。
「……聞いたって面白いものでもないですよ。下手くそな、ガキのお遊びです」
「でも、マユズミちゃんの歌ですよ?」
 自嘲の笑いは、あっさりとした声で止められてしまう。目頭がじわりと熱くなり、黛は慌てて視線を戻す。背中に張り付いていた温もりが、腕を伸ばしてしがみついてきて、逃げられなくなった。
「あたし、マユズミちゃんのお歌好きですもん。どんなんだって聞きたいですよ。ムキになっちゃって、ごめんなさいです」
 よしよしと頭を撫でてくる手と、子供をあやすような言葉にまた悔しくなる。言葉を軽くしてはいるが、きっとこの願望は九月の本音だ。そう素直に思えるぐらいには、黛は彼女の好意を沢山受け取っている。
 それなのに、九月はそれ以上踏み込んでこない。冷静に慎重に、柔い言葉と甘い吐息で包んだ結論で、綺麗に人の間に線を引いていく。
 今振り向いたら、失敗したなぁという顔で笑っている彼女の顔が見られるかもしれない。抱き締めてくる腕の力はかなり強いので、無理だろうけれど。
 何だかやっぱり腹が立って――子供である自分を隠す事を、黛は随分と前に改めた――不機嫌この上ないという声で、ぼそりと呟いた。
「……いいですよ」
「え?」
「聞いてもいいですよ、って言ってるんです。持ってってもいいですけど、どうせ家にMDプレイヤーなんて無いんでしょう」
「あ、あの、マユズミちゃん?」
 腹を括った黛の低い声と対称的に、九月の声はおろおろと戸惑っている。いつになく素直な黛の言動に、面食らっているのだろう。
 抱き締められた状態のまま、黛は手を伸ばし、山ほどMDの入っていた箱を漁ると、一番奥に仕舞いこまれたMDプレイヤーが出て来た。電池が切れていなければ、まだ動く筈だ。
「え〜と、あの〜、無理しなくてもいいですよぅ?」
「無理なんかしてません。九月さんに聞いて欲しいんです」
「う、うわあん、白のマユズミちゃんが眩しすぎるよぅ……!」
 耐え切れなくなったのか、黛から身を離した九月がごろごろと床を転がって突っ伏す。隠しているつもりなのだろうが、僅かに覗く耳の先が赤い。素晴らしい達成感と勝利を味わい、黛はイヤホンを片方、その耳に差し込んだ。
「うゃっ」
「本当に、素人の手慰みですからね。期待ゼロでお願いします」
「……うん」
 突っ伏したまま、こくんと肯く九月の頭を見届けて、黛も覚悟を決めて再生ボタンを押した。
 昔好きだった、バンドのコピー曲。無謀にも無理やり作った、あちこちにパクリが散見されるオリジナル曲。まだボイストレーニングもろくにしていない、若い自分の声。
 はっきりいって鳥肌ものだったが、黛も我慢して聞いた。やはり九月の反応を見るのが怖く、また相手に背を向けて膝を抱えてはいたが。
 と、その背中にまた、ぽすりと柔らかいものが圧し掛かってくる。何も言わず、また何も答えず、二人無言で拙い音の羅列を聞いた。
 やがて、黛にとって非常に長い十数分が終わり、重い溜息を吐く。手際よくMDを取り出して、本格的に今度割って捨てようかな、と思っていたら、ぽそりと背中に呟きが落ちた。
「……どうして?」
 彼女にしては珍しく言葉少なだったが、言いたいことはちゃんと通じた。僅かに紅潮する頬を無視して、ぶつぶつと黛は呟く。
「……人の家に泊まりに来たがる割に遠慮しいの、ボクには絶対敷居を跨がせてくれない貴方への意趣返しととって下さって結構です」
「いやん、もう。マユズミちゃんったらイケメンなんだからぁ」
 一度それとなく話を出した時、「狭い部屋ですからおもてなしなんて出来ませんよぅ」とさらりとかわされた。多分これからも、そう簡単に踏み込ませてはくれないのだろう。
 語り部や記録者なら、その意を汲んで一歩下がることができるのだろうが、自分はしたくない。だって自分は歌い手だ、己が声を踊り手に届けなければ意味など無いのだ。
「……ねぇ、ねぇ、マユズミちゃん」
「何ですか」
 だから、こうやって伺うように聞いてくる彼女の声にはちゃんと答える。
「もし、もしですよ。あたしの部屋が二目と見られない汚部屋だったら、片付けるの手伝ってくれますかぁ?」
「嫌ですよ。自分でやってください。人を迎えるんなら、それぐらい当然です」
「ですよねぇ〜」
「……綺麗になるまで、しょうがないから待っててあげますよ」
「……うん。……うん」
 最後の肯きが僅かに掠れて聞こえたのには、気付かない振りをした。