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196.科学の賜物

 オリオン号のコンボーブリッジには、オレンジ色の一人掛けソファが置いてある。
 キュウレンジャーになって――正確にはショウ司令に言葉巧みに連れ込まれて――この船に初めて乗った時、スティンガーは何となくそこを「自分の席」にした。
 当時この船には司令とスティンガー以外乗っていなかったし、何より彼はスパイ活動としてジャークマターに潜り込んでいた。時たま報告の時などにやってきて、僅かな休息に替えて座る。それぐらいにしか利用していなかった。
 あの頃は、兄に対する怒りと悲しみと疑問が心の中でとぐろを巻いていて、その他のことを考える余裕が無かった。だからあの椅子も、それ以上でもそれ以下でもなかった、のだけれど。



 チャンプが無事にリベリオン本星から戻ってきて、スティンガーが己の因縁に決着をつけて暫く経った頃。
「おう、戻ったぜ!」
「アニキ、チャンプ、お帰りー!」
「お疲れ様、何か飲み物用意するね」
 簡単な偵察任務に出ていたチャンプとスティンガーがブリッジに入ると、中で本星から出された参考書を読んでいた小太郎がぱっと顔を輝かせて2人に駆け寄り、彼の相手をしていたスパーダも笑顔で立ち上がる。抱きついてきた小太郎の頭を撫でてやりつつ、何処に座るかと首を動かした時には、
「よいせっと」
「……」
 オレンジ色のソファの上に、どっかりとチャンプが座っていた。正確に言うなら、その隣に並んだ黒いソファとあわせて二つに。思わずスティンガーは眉を顰めてしまうが、その体格から一人掛けのソファではとても腰が収まらないのは解るので、仕方が無いとも思う。
 しかし、そうなると何となく、他の椅子に座るのがどうも落ち着かない。小太郎をメインテーブルの方に促しつつも、オレンジのソファの方が気にかかる。かってな間隔なのは百も承知だが、自分の領域が侵食されているようで、不快ではないが、落ち着かない。
 理不尽だと解っているが、少しは気を回せという視線をチャンプに向けてしまい――ばちりと目が合った。
 緑色の輝きを持つ、意外と表情豊かなその瞳が僅かに明滅する。逸らすのも癪なのでそのままじっと見てやると、ああ、と言いたげにチャンプは自分の拳を掌にぽんとついた。
 そして、ソファの上から腰を動かさないまま、どっかりと広げた右太股、オレンジの側に乗った足の上を、ぱんぱんと叩いて見せた。
「ほれ」
 そして、もう片方の手でまるで子供を呼ぶようにちょいちょい、と動かしてから、スティンガーを指した。
「……? ……!!」
 意味が解らず首を傾げてから、正解に辿り着いた。つまりあの戦闘用ロボットは、自分の膝にスティンガーを座れと促しているのだと。首筋から顔に血が上ってくる感触は、怒りのせいか羞恥のせいか、彼自身もあまり理解していない。ただ――ふざけるなといって突っぱねるのを躊躇ってしまうぐらいには、その提案に魅力を感じているのだということに、残念ながら彼はまだ気づいていない。
 混乱したまま、スティンガーはうろうろと視線を彷徨わせ――小太郎はチャンプの動きに気づかなかったらしく不思議そうにしていたし、スパーダは2人の姿を見比べてぴん、と来たらしく。
「んー……小太郎? そろそろ皆の分のおやつを作るから、ちょっと手伝ってくれないかな? お礼にマドレーヌをもう一個サービスするよ」
「えっ本当!? やるやる! 俺、チョコのやつがいい!」
 盛大に気を使ってくれた。違う、と言いたげに口をぱくぱくさせるスティンガーにこっそりウィンクをすると、スパーダは飛び跳ねんばかりにご機嫌になった小太郎の背を促して部屋を出て行く。
「スティンガー」
 その姿を呆然と見送っていると、声で名を呼ばれて、ぎくんと背が引き攣った。普段は戦闘以外で滅多に動かさない尾針の先をうろうろと彷徨わせつつ、ゆっくりと振り向く。
「ほら。来いよ」
 もう一度、チャンプは自分の桃を叩いて促してくる。スティンガーは苦虫を噛み潰した顔をして――紅潮した頬と動揺している尻尾は誤魔化せていなかったが――ゆっくりと歩いて、怪談を上り、彼の前に辿り着いた。やはり目を逸らしたまま、相手が全く退かないことだけは感じ取って、溜息を吐いてそっと背を向け、寄りかかるぐらいのつもりで彼の固い太股に腰を乗せる。
「もっと体重かけていいぞ」
「!」
 と思ったら、腰をぐいと抱き寄せられて、きちんと腿の上に座らせられた。
「……重いぞ」
「お前ら(ヒューマノイド)は軽すぎだ、柔いしな。これぐらいどうってこたねぇよ」
 お前に取っては誰でも軽いだろう、と大型ロボットに対して悪態を口の中だけで呟きながら、スティンガーは彼の固くて冷たい腕にそっと体重を預ける。まるで赤子を抱くように、彼の胸元に促されるのはまた癪だが、耳に届く僅かな駆動音に何も言えなくなる。
 規則正しい計器の音と、オイルが流れていく音、ギアの擦れる僅かな音。耳慣れない音の筈なのに、何故か安心するのは、これが有機生命体にとっての心臓の音と同じだからだろうか。
「すまんな、お前の椅子も使っちまって」
「……ふん」
 頭の上から降ってくる彼の声と、僅かに震える旋毛に触れた相手の顎がくすぐったく思う。彼が自分の我侭じみた欲求を理解した上で行動してくれたことに気づいて、どうしようもなく居心地が悪いが、やはり決して不快ではなくて。
「まぁ代わりに、我輩の膝で我慢してくれ。硬くてすまんが」
「別に、構わない。……俺もそんなに柔じゃない」
「ははは、そうか」
 相手に気づかれないように、そっと尻尾を彼の背に滑らせて添わせた。スパーダと小太郎が戻ってくるまでの僅かな時間だけだと言い訳しながら、スティンガーは随分と座り心地の悪いお気に入りの椅子に、深く体重をかけた。