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015.カウボーイ

 それは、ラジオ館に人工衛星が落ちるよりずっと前のこと。
 星屑と握手をしようとした幼なじみを、狂気の科学者となった少年が人質にして、ほんの少し経ったあとのことだ。
「トゥットゥルー♪ オカリーン」
「まゆりよ、俺はそんな名前ではないと何」
 度言えば解る、という少年、岡部の言葉は途中で止まってしまった。後ろから声をかけてきた幼なじみの少女を振り向けば、お気に入りの白い帽子ではなく、どう見ても男物のテンガロンハットを被っていたからだ。
「ねえねえオカリン、似合う? 似合う?」
「うむ、この狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真は敢えて言おう。サイズはぶかぶか、デザインが古臭い、何より被り方が間違っている! 総合して、似合っておらん!」
「ええ〜っ」
 太めの眉毛をきゅうっと八の字に下げて、泣きそうな顔をするまゆりに罪悪感が疼くものの、この程度で凹んで狂気のマッドサイエンティストが勤まるか、と変な責任感を持って岡部は耐える。
「せっかく、カーボーイさんになれたのに〜。ばーんっ」
「ぐはぁーっ! って、止めろ、ついノってしまったではないか。それと、車少年ではなく牛少年だ。狂気のマッドサイエンティストはそのような武器に遅れはとらん! 食らえ、"嘆きの城塞(フォート・オブ・ソロゥ)”!! これにより、俺に発射された飛び道具は全て力を失い、弾丸は地に落ちる!」
「わー、オカリンすごーい!」
 指で作られた鉄砲を前にして、全く意味のない大げさなポーズとともに技名を叫ぶと、まゆりの放った弾丸は見事地面に落ちた。元々、まゆりの撃った弾など、彼女の指先からでるはずもないのだが。
 しかしまゆりは素直に岡部の必殺技を喜び、サイズの合っていない帽子を揺らしながらにこにこ笑っている。その顔に陰りは全く見えず、岡部は気づかれないようにほっと息を吐いた。
 つい先日、まゆりは慕っていた祖母を亡くした。元々どこか夢想じみたところはあったが、大切な相手を亡くしたショックの為か、ますますその傾向が強まった。
 祖母の墓の前で、まるで自分もそちらに行くと言いたげに、空に向かって手を伸ばしていたこの少女をどうにか繋ぎ止めたくて、岡部は彼女を「人質」にした。馬鹿げた子供じみた手段だとしても、当時の岡部にはそれ以外の方法が思いつかなかったのだ。
 そしてまゆりも、「だったら、しょうがないね」と岡部の呼びかけを許容してくれた。と、岡部は思っている。少なくともあの時、まゆりは岡部の人質となることを了承してくれた。ならば彼は狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真であり続けなければならないのだ。
「で、一体どうしたのだ、その帽子は」
「うん、あのね? おばーちゃんの物置を掃除してたら、出てきたのです。おじーちゃんが昔使ってたものだろうって、お母さんが言ってたの。もう使わないから、ちょーだいって、もらってきちゃったのです」
 おばーちゃん、の単語が出てきた時、岡部は内心どきりとするが、まゆりは笑顔のままだった。少なくとも今は、彼女は星空に捕らわれていないようだ。
 だが、祖母を亡くしたことによる心の穴は、とてもまだ埋まるものではないのだろう。まゆりの両親も、祖母を懐かしみ悲しむ娘のために、遺品の整理を手伝わせたのではないだろうか。
 すると、彼女の頭の上でゆらゆら揺れるカウボーイハットが、何故だかとても不愉快に思えて、岡部は無造作に手を伸ばしてそれを奪った。背の高さは既にまゆりを抜き去っていたので、たやすかった。
「あ! オカリン、かえして〜」
「馬鹿者、このような物は没収だ! このようなオーパーツは、俺に供物として献上されるべきなのだ。装着!」
 自分に伸ばされる手を内心嬉しく思いつつもかわし、岡部はすぽりと帽子を被る。やはり大人用故ぶかぶかではあるが、まゆりよりはましだろう。
 すると、かえしてかえして、とぴょんぴょん飛んでいたまゆりが不意に目を瞬かせ、僅かに頬を紅潮させて感嘆を吐く。
「わぁ……オカリン、にあうね!」
「む? そ、そうか?」
「うんうん! かっこいいよ、オカリン!」
「フ……フゥーハハハハ! 当然だろう! この鳳凰院凶真に似合わぬ装束など無い! 食らえ、"鮮血の弾丸(ブラッディスプラッシュ・バレット”!」
 僅かな照れを覆い隠し、胸を張ってから、指で銃の形を作る。指先をまゆりに向けて必殺技を放つと、まゆりも笑いながら反撃してくる。
「きゃー! ばーんばーん!」
「おのれ、人質のくせに抵抗するか!」
「人質を撃っちゃダメだよぅ、オカリ〜ン」
 もっともなまゆりの言葉に、岡部は攻撃を中止した。僅かにずれてくる帽子が不快なので片手で持ち上げ、被り直す。その様をまゆりはじっと見て、うん、と一つ頷く。
「もっとカーボーイっぽい格好すれば、もっとかっこいいよ! ねぇねぇ、お洋服買いにいこうよ、オカリン」
「だからカーボーイでは車になってしまうではないか。それに、カウボーイの衣装と言えば何だ、あの若干破廉恥なズボンか?」
「はれんち? あとね、あのナルトさんみたいなぐるぐるぎざぎざのついた靴」
「どちらにしろ、なかなか手には入らんだろう。高いぞ、お前の貧弱な小遣いで買えるものか」
「え〜、そうなの?」
 いい考えが現実的な指摘に潰され、まゆりがいよいよ泣きそうになり、岡部は内心焦った。先刻と合わせて二回、例え己が血も涙も無いマッドサイエンティストでも、彼女を泣かせることにはどうしても尻込みしてしまう。人質の精神的健康を保つのも任務のうちだ、という我ながら苦しい言い訳をしつつ、ぴょんと癖毛の飛び出したまゆりの頭を撫でてやる。
「な、泣くな馬鹿者。そうだな、ちゃんとお前が小遣いを貯めて、衣装を用意すると言うのなら着てやらんでもない。どんな服だろうが、この俺は着こなせてしまうだろうがな! フゥーハハハハハハハハ!!」
「ほんと? じゃあまゆしぃは、いっぱいお金を貯めて、オカリンに似合うお洋服を作るのです!」
「うむうむ、そうすればいくらでも着てやろうではないか。良きに計らえ」
「わ〜い、オカリンありがと〜☆」
 そんな子供同士の、笑えるぐらい単純で真剣な言葉を、二人とも覚えてはいないのかもしれない。
 しかしこの時、少なくとも一方の目指すべき地点は、ひとつ確実に決まったのではないだろうか。



「ねぇねぇオカリン、今度のコミマにはオカリンもコスプレしようよ〜」
「却下だ。この俺、狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真には、そのような児戯に心を遊ばせる無駄な時間など無い」
 ようやっと夏が過ぎ去り、過ごしやすくなってきた未来ガジェット研究所のラボにて。おねだりを一刀両断に却下されたまゆりは、ふにゃりと眉を八の字にして呟く。
「昔約束してくれたのに……」
「何? 何をだ。お前の言うがままにコスプレをしろとでも? そんな馬鹿げたことを――」
「うん」
「するわけが、って何ぃいいい!?」
 少なくとも自分の中ではあり得ない事実を提示され、素っ頓狂な声を上げる岡部に、パソコンに向かっていたダルとソファでくつろいでいたクリスから白い目が向けられる。
「あちゃー。それはちゃんと守らなきゃいけないんじゃね? オカリン」
「女の子との約束、忘れたわけ? うわ、最低」
 一気に四面楚歌になった状況に冷や汗を流しつつも、動揺を見せていないつもりで岡部は眉間を指で押さえつつ言う。
「待て、ちょっと待て。誰も忘れたとは言っていないぞまゆり」
「ほんと?」
「無論だ。ええい、コスプレの一つや二つ、この鳳凰院凶真には造作も無いっ!」
 フゥーハハハハー! と自棄の入った笑いがラボ内にこだまする中、ダルがやれやれと肩を竦めて首を振る。
「逃げに走ったね。プライド売ったなオカリン」
「コスプレかぁ。正直興味あるわ、ねぇまゆり。衣装が完成したらお披露目してくれるわよね?」
 岡部のどんな姿を思い描いたのか、にやにや笑いながら膝を乗り出してくるクリスに、まゆりは嬉しさを隠す気もなくにこにこと笑う。
「うん! クリスちゃんも一緒にやろうよ〜」
「え、私!? いや私はちょっと」
「逃げるのかクリスティーナッ! 貴様は俺と違い、まゆりの願いを叶えてやらんと言うのか? んん〜っ?」
「この男、ムカつく……!!」
「風向きが変わったら速攻で手のひら返したお。汚いな流石オカリン汚い」
「えへへ〜、楽しみだなぁ♪」
 喧々囂々、騒ぐ三者とは裏腹に、すっかり上機嫌になったまゆりはラボの中をくるくる回りながら、がらくたの詰まっている自分の私物箱をのぞき込んで微笑む。
 そこにはすっかり色あせて穴も開いたカウボーイハットが、大事そうに仕舞われていた。