時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

131.例えばこんな愛のカタチ

「ほらっ圭一郎先輩! つかさ先輩も! 行きますよ!? かんぱーい!!」
 騒がしい居酒屋の片隅で、レモン酎ハイのジョッキを雫が飛ぶのも構わずに振り上げる咲也に、ビールジョッキを既に半分開けているつかさが苦笑と共に溜息を吐いた。
「咲也、気持ちは解るが少し落ち着け。もう五回目だぞ」
「だって嬉しいじゃないですか〜! 初美花ちゃん達が無事に戻ってきたんですよ!?」
 ドグラニオとの激闘から一年が経ち、犠牲に胸を痛めながらも世界の平和の為、国際警察はギャングラーの残党と戦う日々を続けていた。
 そんな中、ドグラニオの金庫の中に閉じ込められていた筈の三人の回答が復活し、元気な姿を見せてくれたのだ。咲也の喜びは一入で、主賓がいないお祝い回と称して先輩二人を居酒屋に連れ込んだというわけだ。つかさも、敵対しつつも友情を育んだ彼らのことを気にかけ続けていたので、嬉しくないわけもなく、咲也の煩さにも目を瞑っている。
 と、もう一つのジョッキが空になり、年季の入った居酒屋のテーブルにだん、と置かれた。
「はしゃぎ過ぎだぞ咲也。確かに彼らの無事は喜ばしい事だが、快盗を続けるとあっては見過ごすわけにはいかん。明日、まずはノエルを締め上げるぞ。絶対に何か知っている筈だ」
 ビールを一気飲みしても全く顔色が変わらない朝加圭一郎は、形の良い眦をキリキリと吊り上げ、厳しい瞳で能天気な後輩をぎろりと睨む。
「そうですけどぉ。今日ぐらいは手放しで喜んだっていいじゃないですかぁ! ほらつかさ先輩も、何か言って下さいよ〜」
 普段なら慌てて謝っただろうが、今日は咲也も嬉しさと酒の力でそう簡単には挫けない。ジョッキの端を咥えつつ味方を増やそうと訴えると、つかさも遠慮なく自分のビールを空にしてから、フッと不敵に笑った。
「圭一郎、口元が緩んでいるぞ」
「っ何!?」
 慌ててぐいと拳を拭う同期に、語るに落ちたとつかさは笑う。四角四面で生真面目な彼――これでも警察に入った直後を考えると随分と丸くなった――の抑えきれない嬉しさを、彼女はちゃんと理解している。
「私も今日だけは、咲也に賛成だ。考えることもやるべきことも幾らでもあるが、今だけは彼らの無事を喜ぼうじゃないか」
「そうですよね! ほらほら、乾杯しますよー!」
「それはもういい」
 えー、と不満げな声を上げる後輩と、新しい飲み物を注文する為店員を呼ぶ同期の顔は、同じように綻んでいて。
 圭一郎も、耐え切れずに緩んでしまう口元を自覚して、手で覆うしかなかった。


 ×××


 散々杯を重ねた上で、もう一軒行きましょうよ! と駄々を捏ねる咲也を二人がかりでタクシーに放り込み、つかさを駅まで送ってから。圭一郎は一人、寮へと向かう夜道を歩く。
 彼にしては珍しく、随分と酒を過ごしてしまった自覚はあった。不甲斐ないがやはり、浮かれているのだろうと何処か他人事のように考える。
 自然と鼻歌まで漏れそうになって、流石に少し酔いを醒まそうと、近所の公園に寄った。
 すっかり夜の帳が降りて、外灯も少ない住宅街の小さな公園なので、全く人気は無い。手近なベンチに腰掛けて、空を見上げて息を吐く。
 街の明かりが少ない分、星が良く見えた。一見真っ暗にしか見えない夜闇の中に、確かに瞬く輝きがある。ごく自然に、彼の瞳に似ている、と思った。
 人懐っこく見えて、その実どこか影がある瞳。しかし時たま自分に向けてくる視線の中に、まるで火花のような輝きが見えた。彼が快盗であると判明した時、怒りも驚きも勿論あったが、何より納得してしまったのは――その瞳を、赤い仮面の奥に見たことがあったからなのだろう。
 あの仮面はノエル曰く、他者の認識を阻害するらしく、顔立ちは全く似ているように見えなかった。それでも瞳にだけ既視感があったのは、それがあまりにも――
「……いかんな」
 どうも酒のせいか、思考が纏まらない。考えることは色々あるのに、ただ今だけは、とも思ってしまう。咲也の言うことではないが、どうしても。
「会いたいな。……魁利くんに」
 もっとちゃんと話を聞きたい。言いたいことも沢山ある。何より、元気な顔を見たい。警察官としての矜持も建前も、全部剥がしてしまえば中にあるのはそんなもの。普段は隠し通せていた筈なのに、酒一つでここまで緩んでしまうとは、やはり自分は浮かれているのだろう。
 いい加減くだを巻くのは止めて、そろそろ帰らねば――と思い、立ち上がった瞬間。
 がっさ、と近場の木が大きく揺れて、何事かと振り仰げば。
「……は?」
「……あ」
 まるで猫の尾のように、深い赤色の燕尾服が垂れ下がっている。まさか、と思ってそれを目線で追うと。
 今まさに、木から落ちかけた体を如何にか支えようとして硬直している、快盗の、夜野魁利が、そこにいた。
「――ッ!!」
「っ待て!!」
 次の瞬間、物凄い勢いで身を翻し、木から飛び降りて逃げ出す快盗を、全速力で警察は追う破目になった。


 ×××


(――馬鹿か!? なにやってんだよ!?)
 魁利が心の中で叫ぶ悪罵は、自分に向けたものだった。
 ドグラニオの金庫から解放されたら一年経っていた――中では時間間隔が全く働かず、もっと長かった気もするし短かった気もする――のも驚いたし、その為に自分が助けた兄達が尽力してくれていたことも知って。
 一度大切な人を失ってから、ずっと凍り付いていた心臓が、漸く脈打ちだしたような気がした。
 嬉しかったし、ノエル達ルパン家に恩を返す為もあり、何より天職だと内心思っているので、快盗家業を続けることにした。当然のように透真も初美花も頷いたので驚いたけど、驚いたことを怒られた。それも嬉しかった、言葉では言えなかったけど。
 コグレやノエルはほんの少しだけ難色を示したけど同時に嬉しそうだったし、グッティは大はしゃぎで喜んでくれた。兄達――透真の婚約者と初美花の親友まで、手伝うと言ってくれたのはちょっと困ったけど、やっぱり嬉しかった。
 遠く離れた街に新しく基盤を作り、ギャングラーの残党を探してコレクションを集め――再び警察と、邂逅した。
 予想はしていたし、遅すぎとも思った。彼等なら――圭一郎なら、間違いなく快盗である自分を追いかけてくると理解していたし、期待もしていた。
 そう、期待してしまったのだ。……快盗を続けていれば、もう一度会えるのだ、ということを。
 あまりにも恥ずかしすぎて、兄にも仲間達にも言っていない。透真辺りにはもう気づかれているかもしれないが。
 最初は邪魔で、次は利用してやろうと思って、その度に彼の真っ直ぐさに打ちのめされて。苦しくて悔しいのに、無視することも出来なくて――
 最終的に、己の在り方を曲げてまで自分を救おうと言ってくれた彼に、自分は完全に敗北したのだ。だから、素直に願えた。あんたはそのままでいてくれ、と。
 それで全部終わった筈だったのに、こうやって生き残ってしまったから、欲が出て来てしまった。
 仲間達に何やかんやと理由を述べて、この街に残って。昔調べておいた圭一郎の家にこっそり寄った。家主はいなかったし、不法侵入する気もなかったので、帰ろうかどうしようか迷っていたら、珍しく酒を入れたらしい彼の姿を見つけてしまい、吾ながらストーカーかと自嘲しつつこっそり伺っていたら、名前なんかを呼ばれるから慌てて逃げるのを失敗した。
 そして、今に至る。
「待て! 待たないか魁利くん!」
「人違いだっつーの!!」
「そんなわけがあるかー!!」
 仮面を着けているとはいえ、この格好で前に現れたら言い訳できないことは解っていたので内心ごもっとも、と思いつつ更に走る。幸い向こうの体は本調子では無いので、ワイヤーを使って飛べば逃げられるだろう。
 残念ながらあまり高い建物が無い住宅街、せめてと思い外灯の上に飛び乗り、そのまま逃げようとして――
「待て……待ってくれ、頼む!!」
 命令では無く、懇願に変わった声に、動きが止まってしまった。
「捕まらなくていい、離れたままでもいいから……顔を見せてくれ。声を、聞かせてくれ」
 外灯に縋りつくように俯いて、はっきりと言われた訴えに、ちゃんと動き出していた筈の心臓が一瞬止まった気がした。
「なんでもいい、君と話がしたいんだ。……魁利くん、頼む」
 そんな、彼らしくない、泣き出しそうな声で絞り出されたら。
 ひょいと無造作に、宙に舞う。飛距離は僅かで、音もなく地面に下りると同時――仮面を結わえていた紐を躊躇いなく解いていた。
「……必死過ぎでしょ、圭ちゃん。酔ってる?」
 優位を保ちたかったが、声は震えていなかっただろうか。


 ×××


 遠かった声がほんの少し近くなって、はっと顔を上げる。
 丁度十歩、離れた位置。暗い外灯がまるでスポットライトのように、赤い装束とシルクハットを照らしている。
 するりと解いた仮面の下から見えたのは、いつも通りの不敵な笑顔で、挑むように――それでもほんの少し、ジュレで会っていた時のような親しみが籠っていたのは、気のせいでは無いと思いたい。
 咄嗟に踏み出しそうになった己の体を如何にか堪える。きっと今近づいたら、彼はまた逃げ出してしまう。それだけは嫌だ、と思った。
「……元気そうだな」
「おかげさまで」
 何とか絞り出した言葉に、皮肉とも言える答えが返ってきて、笑ってしまった。やはり、と納得してしまったからだ。彼はにっくき快盗であり、ルパンレッドであり――夜野魁利なのだと。
 笑われたことに驚いたのか、大きな瞳がぱち、と一度不思議そうに瞬く。やはり星の輝く夜空に似ていると思った。
「色々と、聞きたいことがある」
「だろうね」
「言いたいこともある」
「うん」
 責められていると感じたのだろうか、顔が僅かに俯く。違う、そんな顔をさせたいわけではなくて。
「だが――今は只、言わせてくれ。君が無事で、本当に良かった」
 離れている距離がもどかしい。互いに銃を向けて争っている時の方が、ずっと近いのは何の皮肉だろうか。
「そして、また会うことが出来て、とても嬉しい。ありがとう」
 ぱっと上がった相手の顔と、目線をしっかり合わせて告げると、魁利の色白の頬が赤く染まっていた。外灯の下だから良く見える。体調が悪いのか、と案じて足を踏み出しかけてしまった時。
「……良く恥ずかしげもなく言えるよなぁ」
 ぼそぼそ、と怒っているというより、困ったような声の呟きが聞こえて、首を傾げてしまう。何故なら、
「恥ずかしくは無い。隠す必要もない本音だからな」
「だからさぁ」
 何か言い返そうとしたのか、逸らされていた顔がこちらに向いて、すぐまた逸らされる。今そんな間抜けな顔をしているのだろうか、と圭一郎は思う。緩んでいる自覚はあるが。
 確かもう成人を迎えている筈だが、語尾や仕草がどこか幼いそんな姿を見ていると、彼は一番重かった荷物を降ろすことが出来たのだ、と改めて安堵する。謝罪も兼ねた事情聴取の際、彼の兄と話したことも何度かあるが、真面目で人当たりの良い、優しい男性だった。弟が成した事実に心を痛めていたが、同時に穏かにかつ希望を捨てずに過ごしていた。
 ……本当なら、その兄と一緒に、幸せに暮らして欲しい。もう危険な事に足を突っ込まず、一般市民として、自分が守れる場所に居て欲しい。だがそれは、己のエゴであり、彼は絶対にそれを受け取らないと知っているから。
「……君が許してくれるのなら、こうやって、また会いたい」
 自然に口から漏れた希望に圭一郎自身が驚いた。勿論目の前の魁利も、同様に驚いていたが。
「っ、何それ。いいの? 見逃しどころか、快盗と警察の癒着じゃない?」
 皮肉気に笑って出される疑問符は、やんわりとした拒絶だ。だが圭一郎はもう知っている、彼が今な言い草をする時は――本当に欲しいものがあるのに、気にしない振りをしている時だと。
「確かに君は快盗だ。だが同時に――俺の、大切な友人だ」
 だから真っ直ぐに己の気持ちを告げる。彼のように言葉を紡いで相手を丸め込むことなど、自分には出来ない。
 ……彼を助けられないなら、警察と言う職を辞そうと本気で考えたあの時から、この想いは変わっていない。
「君には笑っていて欲しいし、出来ることならその姿を傍で見ていたいんだ」
 言いたいことを言い終えてふう、と息を吐くと、返事が何も無くてふと相手を見遣る。自分より背の高い年下の青年は、呆然とした顔で完全に絶句していた。
「……あのさ、圭ちゃん」
「うむ、何だ?」
「それって、言葉の選び方が悪いっつーか……トモダチにかける言葉じゃなくね?」
 どういう意味だ、と聞こうとして、服の色に負けないぐらい、帽子の下から覗く彼の耳が真っ赤になっていることに漸く気付いた。シルクハットの鍔が強く引き下げられ、見えるのが口元だけになって。
「……告白、みてーなもんじゃん」
「……む?」
 告白。確かに言うべきことを言ったが、それが何故ここまで戸惑う理由になるのだろうか。彼は優しい子だから、好意を拒否するのが難しいのかもしれない。無理はしなくていい、と言おうとした瞬間、「マジか」と小さい呟きが耳に届き。
「……帰る!!」
「何!? ま――ぶっ!!」
 叫ぶと同時、その姿が掻き消えて慌てて飛び出した瞬間、すぱーん! と目の前に紙のようなものが叩きつけられた。すかさず剥がすと、快盗が良く使っていた予告状のカードであり、裏地は一軒真っ白だが端に何か書き付けられている。
「これは――」
 何の特徴も無い、使い捨てのような記号と文字の羅列のメールアドレス。恐らく、探知などされないような細工も既にしてあるに違いない。
「……全く」
 呆れたような声には、自嘲も含まれている。只管に快盗とギャングラーを追い続けていた頃の自分から見たら、なんと腑抜けたことをと思われるだろうに。
「登録も、しない方が良いだろうな。打つのに骨が折れそうだが」
 彼の方から手を伸ばしてくれたことが、嬉しくて仕方が無い。酔いは大分醒めたと思ったのだが、まだ残っているのかもしれない、頬が弛むのを止められない。
 そのまま、彼にしては信じられないぐらい上機嫌な足取りで寮に帰っていく。
 まるで、初恋が実った少年のように。


 ×××


 一方、逃げ出した快盗は。
「……馬鹿じゃねぇの」
 それほど遠くない茂みの中でまるで迷子の子供のように丸まって隠れていた。
「思って無かったら言えないだろあんな恥ずい台詞。ていうか自覚無しか、あのドン鈍熱血おまわりめ」
 シルクハットをぎゅうと掴んで、どうにか隠そうとするその頬は赤い。この色が引かない限り、塒に帰ることは出来ないだろう。
 圭一郎よりもずっと前に己の気持ちを自覚していて、だからこそ一生言わないことを決めていた魁利には、彼の言葉が熱すぎた。熱を取り戻したばかりの心臓が、全部融かされてしまうぐらいに。
「……圭ちゃんのせいだからな」
 絞り出した悪罵は甘い。何故なら、彼が諦めなかったおかげで自分は大切なものを取り戻すだけでなく、再会することすら出来たのだから。一度叶えられてしまったら、我儘を我慢することが難しくなった。
 火照る顔を夜風に当てるように、飛び上がりながら魁利は密かに囁く。
「覚悟しとけよ、あの野郎」
 何せ自分は快盗だ、欲しいものは必ず手に入れてみせるのだから。