時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

013.独壇場

 かつん、と木片に文字を書いただけの簡素な駒が、碁盤の目が描かれたベンチを叩く。
「……Wait.」
「はいこれで3回目、もう残機ゼロねー」
 眉間に限界まで皺を寄せ、ベンチに片膝を預けて身を乗り出しながら唸るジョーの旋毛を見ながら、憲は上機嫌だ。細いベンチに跨ったまま、相手から取った駒を手の上で遊ばせている。
 昔からこの国に伝わる有名なボードゲームの、簡略版のようなものだ。憲が子供達と一緒に簡単なものから遊んでいくうちに、身内ルールが増えてもはや別物のようになってしまったが。
 子供相手には負けなしの上、ルールを完全に把握している憲に、この手のことに疎いジョーが勝てるわけもない。強い駒を半分以上おまけしてもらい、更に待ったを三回許された上でこの体たらく。
 すっかり少なくなってしまった己の駒を睨みつけるジョーに、憲はほくそ笑む。
 これでも、最初の頃――憲に誘われるまま、この遊戯につきあい始めた頃よりは上達している。そろそろ駒のハンデは無くさないとマズいかなぁ、と思うぐらいには。
 勿論、まだまだ負けるつもりはない。無口で無骨なこの男に、明確なイニシアティブを持って勝てる数少ない行為なのだから。
「ほら頑張れ頑張れ。まだ手はあるよーぉ?」
 むぅ、とジョーの唇から呻きが漏れるのに笑う。やがて、熟考を終えて一つの駒が、ステンレスのベンチを滑ってこちらに向かってくる。太い指で器用なもんだ、と内心思いながら、憲は特に思考もせず、その攻撃をひょいっと潰す。彼が使う程度の定石は、もう頭の中に入っているのだ。
「……ヤハリ、オカシイ」
「え? なぁにが?」
 不意に呟かれた相手の疑問に、一瞬高鳴った心臓を無視して軽く答える。当然向こうも憲のこういう態度には慣れているので、胡乱な目で睨みながら盤の一マスを指す。
「ココニ俺ノ駒ガアッタ筈ダ。……盗ッタナ?」
 あらばれた、と内心だけで呟いて舌を出す。外に見せるのは心を気取られぬ曖昧な笑みだけだ。
 前にある駒を動かすときに、薬指と小指を使って相手の駒を密かに奪う。当然イカサマだが、ばれなければ良いと憲は本気で思っている。ばれたけど。
 今までもジョーは疑っていたのだろうが、開始の時点で自分の駒の方が多かったので、ちゃんと認識出来ていなかったようだ。勿論その辺も含めて憲は相手にハンデを与えていたのだが、流石にそこまでは気づかれていないらしい。
「憲」
「知ぃらないよぉ」
「シラバックレルナ」
「へぇ、そんな日本語知ってたんだぁ」
 からかい混じりに言ってやると、いつもなら引き下がるところだが、今日のジョーはやけに食い下がってくる。元々負けず嫌いな彼のこと、流石にこれ以上勝負ごとで手も足も出ない状態は御免なのだろう。無造作に手を伸ばし、憲の駒を握っている手を掴もうとする。
「見セロ」
「やーだって」
 駒を改められれば証拠を捕まれることになるので、憲も素早く手を引く。が、逃げにくい体勢を取っていた自分に対し、ジョーは片膝を持ち上げればすぐにベンチから立つことが出来る。流石、いつでも油断はしないのな、と内心思いつつも、手に握っていた駒を一個、ぱちんと弾く。相手が自分の手首を掴んで油断した一瞬、――己の口へ向かって。
「――!」
「んー? ふふ」
 ぱくっ、と木の駒を口に放り込み、憲はにやりと笑う。手首を捕まれたままの手から、正式に奪った駒だけをぱらぱらと落とす。ほらね、と言わんばかりに。
「……負ケズ嫌イ」
「アンタに言われたくないですぅー」
 片頬を膨らませたまま、さてこれからどうしようかな、と憲は考える。飲み込むのは嫌だけど、出したらイカサマを認めることになる。それも悔しいので、今現在の体勢――身を乗り出したジョーが己の手首を掴み、彼の膝がゲーム盤を飛び越えて膝の間にある、というこの状態を鑑みて。
「ジョー」
「?」
 無造作に名前を呼んで、相手の右手を自分の左手で逆に掴む。両手を繋いだような妙な状態に不思議そうな相手へ、べぇ、と。
 駒を上に載せたまま、舌を差し出した。取りたかったら取ってみな、と言わんばかりに。
「……………………」
 ジョーの沈黙が長い。何を望まれているのか、何をするべきなのか、彼はちゃんと理解したらしく――ほんの少しだけ、眉尻を下げた。
 決して嫌ではないのだが、乗せられているのが間違いないのもちょっと悔しい――と言ったところか。この鉄面皮をそれぐらい読める程度には、憲も経験を積んでいる。
 吐息が触れるぐらいの息が近づいて、駒を歯で噛み取ろうとしたジョーを逃がさず、自分から口ごと吸いついてやった。