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のんべんだらりんごった煮サイト

012.銀狐

 ガレオンのサロンに入ってきた船長の姿を、当然一番最初に捉えたのはジョーだった。
「あ、何それ! 超高そうじゃない!」
 しかし、真っ先に声を上げたのはルカだった。金目のものに目がない彼女は、いつもの赤いジャケットの上に羽織られた豪奢な毛皮にすっかり目を奪われている。
 毎日のトレーニングノルマである腹筋をしながら、またか、とジョーは心の中で密かに思う。
 派手好きで衣装持ちのマーベラスは、たまにこうやってクルー相手に即席のファッションショーを開く。普段あまり着ないタイプの服を着たり、豪華な羽根飾りのついた帽子を被ってきたり、ジョーから見れば動きにくいだろう高いヒールのブーツを履いてきたりする。
 そして何をするでもなく、ひとしきり全員に見せて、反応が返ってきたら満足して部屋に戻る。全くうちのキャプテンは子供だ、と思いつつ、ジョーは腹筋を続けた。
「うわぁ、派手だねぇ。それってもしかして、ウォルト星のシルバーフォックスじゃない?」
 ルカにせがまれて作っていた昼下がりのおやつをテーブルに置きながら、ハカセも割と目ざとい。お茶を用意していたアイムも、王族らしい目利きでええ、と頷いた。
「乱獲が進んでしまい、大変貴重なものと聞いています。今この宇宙でも、これだけのものを持っている方は少ないのでは無いでしょうか」
「へぇ、そうなのか」
「そうなのか、って……知らずに着てたの、マーベラス?」
 宝の持ち腐れにもほどがあるわよ、と薮睨みしてくるルカの視線をさらりといなし、「さぁな」と言いながらマーベラスは堂々とハカセの皿から焼き菓子を一つ摘み、船長席にどかりと腰掛けた。
「いつ手に入れたかも忘れちまったからなあ」
「もったいない! くれるか売って!」
「お前にゃ、サイズがでかすぎるだろ」
 ルカも同じように皿から一つ浚いながら、マーベラスに食ってかかっている。二人とも行儀悪いよ! というハカセの注意と、ルカさんお茶が入りましたよ、というアイムのおっとりとした促しに、ルカは渋々とだが矛を収めた。
「飽きたら本気で頂戴ね! 絶対」
「そりゃねぇな、気に入ってんだ」
 ぶすっと膨れながらも椅子に座り、アイムが手ずから入れたお茶を作法も何もなく一口呷ると、それだけでルカの機嫌は大分上向いたようだった。
「あ、これ美味しい。甘いの何? ジャム?」
「はい、ハカセさんの手作りジャムですよ。この星ではこのような紅茶の嗜み方もあるそうで、見よう見まねですが。お口に合ったようで何よりです」
 きゃっきゃとはしゃぐ女性陣にハカセは安堵し、マーベラスは不敵に笑い、ジョーは我関せずを貫く。
 元々、金目のものをマーベラスに強請るのはルカの癖のようなもので、マーベラスが飽きたか興味のないものはあっさりと譲渡される。逆にお気に入りならば絶対に手放さないのも、ルカとて承知の上。つまり、良くあることなのだ。
 手持ちの菓子をぺろりと平らげたマーベラスも、ルカの反応を充分に引き出したと満足したようだった。するりと立ち上がり、船長室に繋がるドアをくぐっていく。
 丁度腹筋を終了したジョーも、軽く汗を拭っただけでそれに続いた。



 船長室はマーベラスの城だ。このゴーカイガレオン自体が元々全てマーベラスの所有物同然だが、この部屋には他のクルーも緊急事態でない限り入ることは許されない。――ジョー以外は。
 銀色に輝く毛皮の裾を翻しながら、大股で部屋に入るマーベラスに続き、ジョーも自然に部屋に入る。
「どうした?」
 半分は揶揄、半分は純粋な疑問。不敵な笑みはそのままに問うてくる船長に、ジョーは冷静な声音で答えた。
「――似合っている」
 ぼそり、と呟かれた朴訥な感想に、くっ、とマーベラスが吹き出した。
「お前、それ言いたいためだけに来たのかよ?」
 くつくつと笑いながら、かなり広いベッドの上にどさりとマーベラスが寝そべる。毛皮は着たままでぐしゃりと背中に潰され、もしルカに見られたらまた目を三角にされるだろうに、気にした風もない。
「毛皮が痛むぞ」
「知るかよ」
 物を大事にする、という観点は無縁の男だと分かっているが、ジョーは僅かに眉間の皺を寄せる。ハカセではあるまいし、別に口うるさい事を言いたいわけではない。ただ、――彼を飾る物は多い方が良い、と思うだけだ。
 マーベラスは、己を飾るのが上手い。自分に似合う物がなんであるかを、自分が欲する物がなんであるかを、ちゃんと理解している。
 それを一番傍で見ていられる、という事実が、何よりジョーには誇らしく心地よい。
 ――彼に最初に選ばれたのは、己なのだという自負があるから。
 信じる物を全て失って、ザンギャックから逃亡し続けた果てに出会った赤き海賊。
 全くの偶然であるし、彼の気まぐれでしかないと解っていても。
 お前が気に入った、と真っ直ぐに見つめられたあの瞬間、己の全ては彼のものとなったのだから。
「……その毛皮」
「ん?」
「まだルカが仲間になる前だ。ザンギャックの私掠船を襲い返した時に、ため込んでいた宝の中にあった」
「あー……そうだったか?」
 本気で忘れているらしいマーベラスに、苦笑しか出来ない。確かにそんな略奪行為は数え切れないほど行っていたので、仕方ないとも言えるが。
「見つけたのは俺だ。お前に似合うと思って、渡した」
 ジョー自身も、先刻のハカセ達の話を聞くまで、その毛皮がそこまで値打ちのある物だと知らなかった。ただ、この美しい毛並みと色が、彼に似合うと思った。だから渡した、それだけだ。
 今と同じ、「着るか」と朴訥な声と共に無造作に渡した。洒落た言い回しなど出来なかったし、する必要性も感じなかった。
『へぇ、こりゃいいな。サンキュ』
 それなのに、今までザンギャックの兵士相手に暴れ回っていたとは思えないほど、嬉しそうな、無邪気な笑顔で礼など言われたから。
 まだ血に濡れた衣装の上から毛皮を羽織り、どうだ? などと聞いてきたから。
「――似合っている」
 あの時と同じ。一言だけ、素直な賞賛のみを捧げる。
 く、とまたマーベラスが笑った。揶揄ではなく、あの時と同じような、嬉しさが堪えきれない子供のような笑み。
 一瞬それにジョーが目を奪われた隙に、無造作に束ねた髪を掴まれ、引っ張られた。
 とっさにベッドへ膝をつき、鼻先が触れ合うほどの位置でどうにか止まると、マーベラスの吐息がジョーの唇を擽った。
「こりゃいいな。サンキュ」
「――……」
 全く、この男にはかなわない。覚えていたのか、思い出したのか、それすら解らないし、解る気もしない。
 ただ、この男に出会えた幸運に感謝し、幸福を噛みしめることしか出来ない。
 耐えきれず、ジョーがするりと両手を伸ばし、マーベラスの肩から銀の毛皮を滑り落とす。異論は無いらしい船長はにやりと笑って、噛みつくように口づけてきた。