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011.蜂蜜

「みかる様、どうぞこちらをお納め下さい」
 ハトホルがそう言ってみかるに手渡したのは、手の中に収まる程の大きさの、小綺麗な瓶だった。
「なあにこれ?」
 素直な疑問を提示した主に従は微笑み、瓶の蓋を開けるように促した。言われるがままにみかるの手指が封を切ると、ふわりと香る芳香。
「……! はちみつだぁ!」
 その正体が何であるか当たりをつけ、みかるの顔がぱっと輝く。甘いもの好きな彼女にとっては最高の貢ぎ物だろう。
「あまり量はございませんが、お召し上がり下さいまし。妖精達の集めたものですので、みかる様のお口にも合うかと」
「全部貰っていいの? ありがとうハトホル! ――アキラ君も食べる?」
 心底嬉しそうに小瓶を抱きしめながら、みかるは少し離れた場所で銃の手入れをしていたパートナーを呼ぶ。猛禽の嘴の下から覗く視線だけが僅かに動き、すぐに逸らされた。
「いらねぇ」
「そう? じゃあわたし全部食べちゃうよー。あっハトホルも食べる?」
「いいえ、私には必要の無いものですわ。どうぞごゆっくり、お楽しみ下さいませ。では私はこれにて……」
 深々と礼をし、ハトホルは姿を消した。マグネタイトの浪費を防ぐために、COMPの中に戻ったのだろう。みかるは少し寂しそうだったが、手の中の瓶が嬉しいことには違いないようで、ご機嫌な様子でてこてこと歩き、アキラの隣にちょこんと腰掛けた。
「うわ〜ん、嬉しいー。もう手持ちのおやつも残り少なかったんだよー」
「やっとかよ。どんだけポケットに入れてんだ」
 魔界に落とされてからかなりの時が経つのに、この少女は何かと飴やらガムやらチョコレートやら、どこからとなく取り出して食べている。毎回アキラにも勧めて、断られつつ。
 これだけ食ってるのに何故幼児体型が縦にも横にも変わらないのか、とかなり失礼なことを思いながら、アキラは隣の少女を横目で見た。
 瓶の中に、普段武器を振るっている筈なのに随分と細い指が、とぷりと沈む。琥珀色の粘液を僅かにすくい上げると、糸を引いて伸び、切れた。
 無造作に指が取り出され、金色の蜜が絡んだ先端がぱくりと唇に含まれる。その一連の動作から、アキラは目が離せなかった。
「ん? やっぱりアキラ君も食べる?」
「……いらねぇ」
 二回目の返答は、少し遅れた。少女は気づいた風も無く、これ幸いと二口目を遠慮なく掬いとっている。
 ――悪魔と合体を果たしてから、人間的な食欲というものが殆ど失せた。だが、空腹感が無くなったわけではない。
 悪魔が欲するのは、他の悪魔や人間の持つ生体マグネタイト。悪魔が存在を保つために必要な力そのもの。
 勿論、アキラや他の仲魔に必要な分は常に潤沢に確保、供給されており、何も問題はない筈なのに。
 薄桃色の唇の端、僅かにこびりついた黄金色。それをぺろりと舐めとる、赤い舌。
 ぞわりと、背筋に震えが走る。寒気や怖気ではない、飢餓感だ。
 性欲なのか、食欲なのか、己でも判別できない。ただ、目の前の少女を組み敷いて全てを掻き捌きたいと、望む心が沸いてくる。
 これが悪魔としての衝動だけなのかすら、もうアキラには解らない。
 己の魂は、アモンと完全に混じりあい、同化してしまった。他の悪魔を屠り、食らうことに躊躇いは無い。
 だが、彼女は。今自分の指を舐めしゃぶりながら、暢気に、幸せそうに笑っている少女は。
 食い潰したいと望む己と、それを許さぬ己が存在するから。
 無意識のうちに伸ばされようとしていた、羽毛に包まれた腕を、人の肌がまだ残るもう片方の腕で握りしめた。
「……アキラ君、やっぱり食べたい? 食べる?」
「いらねぇっつってんだろ馬鹿」
「馬鹿って言った!」
 そう言って憤る少女は、もう全部食べちゃうからねと尖らせた唇にたっぷりと蜂蜜を詰め込み、その味にすぐ笑顔へと戻っていく。
 緊張感の無さに、毒気を抜かれたのか諦めたのか――アキラは、まだ僅かにくすぶる衝動を溜息に変えてゆっくりと吐き出した。