時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

106.血相を変えて

 時計のアラームが、朝と指定する時間を告げる音を小さく鳴らし、スパーダの意識はすぐ覚醒した。
「ん……」
 寝起きは悪い方では無く、この宇宙船では誰よりも早く起きて食事の準備をしているのに、何故だか今日は随分と頭も体も重い。
 参ったなぁ、早く支度をしないと、とどうにか体を持ち上げ、上掛けと一緒に重さがどさり、と寝台の上に落ちて――
「――あっ」
 漸く自分が、何も身に着けていない事に気づき、そして今まで自分を抱き寄せていた腕が重さの正体で、紫色の鱗に包まれていることにも思い至って、一気に頬が紅潮した。思い出してしまった、昨日の事も、全部。
 隣で大きな体を丸めて、すうすうと意外に可愛い寝息を立てているのは、キュウレンジャーの司令官、人望と信頼は薄いけれどどこか憎めない、竜人(ドラゴニュート)のショウ・ロンポーだった。
 命令無視をした結果、イカーゲンとマーダッコに捕えられたところを彼に助けられ、互いの誤解と思いをぶつけ合った結果、まあつまり、そういうことになった。思い出すと更に脳が茹るが、なってしまったものは仕方ない。何せ肉体には随分と負担がかかるのに、嫌では無いのだから。
 大きな顎を枕に乗せて、気持ちよさそうに眠っている彼の姿を見るのは悪くなかったけれど、いい加減食事の下拵えをしなくては。気合を入れようと、ぱちんと両手で頬を叩き、
「つっ」
 叩いたものとは別の痛みがぴりりと指先に走った。理由が解らずその場所を見てみると、爪の間に僅かに溜まった赤黒い痕。
「え? ……ぁ」
 何故こんなところを怪我したのか、一瞬理由が解らなくて、すぐ思い至った。先刻とは別の意味で頬に赤が乗る。
 人間(ヒューマノイド)と竜人では皮膚の強度が全く違う。つまり、力加減が出来ないまま彼の皮膚に爪を立てて――自分の指の方を痛めた、という具合だ。
 これは恥ずかしいけれど、まあこの人に傷が無かったのなら良いか、とほんの僅か息を吐いた時――龍の瞼がぴくりと動き、大きな瞳がぐるりと動いてスパーダを捉えた。
「……お早う、スパーダ」
 普段の突拍子も無いことを言い出す甲高い声とは裏腹の、掠れたような低い声に、ついどきりと心臓が騒いでしまう。自分の頬に伸びてくる手が細心の注意を払い、爪で傷つけないように触れてくるのが優しすぎて。
「おはよう、ございます」
 そっとその手に自分の手を添えて、微笑んで応える。うん、とやはり吐息交じりで呟く眠そうな彼は、ひくひくと鼻先を動かし――
「血っ!!? スパーダ、大丈夫か!!」
 がばあ、と立ち上がり、あまりにも唐突過ぎて反応が出来ないスパーダの、裸のままの足首を思い切りつかんでひっくり返した。つまりあられの無い格好をなんの遮りも無く全て見せてしまい、更に足の間に鼻先を突っ込む勢いでショウは近づいてきて、
「ぅわああああ朝っぱらから何やってんですか貴方は!!!」
「おふゥ!!?」
 反射的に、力いっぱいスパーダはショウの顎を蹴り飛ばした。当然である。
 どしゃあ、とベッドの下に巨体が倒れ伏したのを見ないまま、素早くスパーダはシーツを掴んで包まった。怒りとか恥じらいとか焦りとかそういうものを全部含めた目で睨み付けてやると、同じく全裸のままのショウがやっと我に返ったらしく、床に正座してぺこぺこと頭を下げてくる。
「ま、待ってくれ、すまない。ちょっと慌ててしまったんだ」
「だから、何がですか」
 ベッドに同じく正座したまま、言い分を聞こうとばかりに見下すスパーダの視線を受け止めながら、ショウはもごもごと奇行の言い訳をする。
「いやあ、そのう。君から、血の臭いがしたもので、てっきり。……傷つけてしまったのか、と」
 心底済まなそうに首を垂れるショウの後ろ頭を見ながら、スパーダも漸く理解が出来た。竜人の鋭い嗅覚は、指先でもう固まっている血の臭いすら、嗅ぎ付けてしまったのだろう。……確かに閨を共にして、傷と言ったらまずそこが思いつくかもしれないが。
「だからって、あの確かめ方は無いと思います」
 自分の身を案じてくれたのは嬉しいが、デリカシーが無さ過ぎる。僅かな喜びを隠してあくまで不機嫌そうに言うと、申し訳ございませんでした、と土下座された。流石に全裸でされるのは忍びないので、もう良いですよと許してから、なんでも無いことのように言う。
「指ですよ、怪我したのは。大したことありませんし、大丈夫です」
 じゃあ朝ご飯作りに行きますね、と寝台から立ち上がり、服を着ようとしたその時――後ろからぎゅうと抱きすくめられた。何を、と問うかわりに、
「……すまない。私のせいだな」
 ぼそりと耳元で囁かれて身が竦む。この人はやっぱり、自分が彼の低い声に弱いと解ってやっているんだろうか、と疑いながらスパーダも言う。
「司令のせいじゃありませんよ。僕が勝手に」
 言い募ろうとした声は、するりと手を取られて止められた。血の滲んだ指先を見つめて、ショウはどこか辛そうに呟く。
「私の皮膚が柔ければ、こんな怪我はしなかったじゃないか。……君の、大切な指を」
 スパーダがシェフであるということを誰よりも理解し、尊重しているショウの、愛おしむような声が擽ったくて、スパーダはどうにか体を捩るが、脱出を許してくれない。
 その、硬いけれど冷たくは無い彼の鱗の感触が、スパーダは決して嫌では無いので。
「……僕は、嬉しいですよ。貴方の鱗のおかげで、僕は貴方を傷つけなくて済んだんですから」
 そっと背に体重を預けると、ますますぎゅうと抱きしめられた。その腕は心地良いけれど、そろそろ出なければいけない。
「ほら、支度がありますから」
 時間通りに用意が完了しないと、皆が腹を空かせてしまう。だから、と促すように相手の腕を撫ぜると、不意に体が浮いた。
「、え」
 咄嗟の事に反応できないうちに、ぼすんと背中がベッドに当たる。いつの間にか、シーツ一枚を隔たりにしただけで、相手に覆い被されていた。
「え、え?! ちょっと待ってください! 何を、」
「今日の君は体調が悪くて朝ご飯は作れない、良いね? なあにこの辺境でも宇宙ピザぐらいは取れるさ」
「へ、平気ですよこれぐらい!」
「ダ・メ・だ。指先に怪我なんて、シェフにとっては重症さ。それでも気に病むのなら――」
 一体何が最後のスイッチを押したのか、スパーダにはどうしても解らないまま、ショウの口端がにんまりと吊り上がる。
「今日は二人仲良く、寝坊したということにしようじゃないか」
 そのままぱくりと、牙で傷つけないように赤い指先を咥えられて、スパーダは抵抗が出来なくなってしまった。


 ×××


 結果。
 朝食の時間になっても厨房に火すら入っていないことに、キュウレンジャー達は半分が驚き、半分は司令も姿を見せない事と合わせて納得はしていたが、出来合いのピザでは敏腕シェフが作る朝食には到底叶わず。
 やっと起きて来た司令は――残念ながらスパーダは本当に起きられなくなった――総勢9人による吊し上げを受けることになり、ピザの代金を全て自腹で払うことになるのだった。