時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

所有権存在証明

 どうして自分は女ではないのだろう、と狐太郎はちょっと考える。
 勿論深刻なものでなく、思考実験のようなものだ。性別一つで自分の何かが変わるともあまり思えない。多分男だろうが女だろうが、オカルトにハマって大はしゃぎしていただろうという自信がある。
 だが――少なくとも女であれば、ひとつだけ障害が消えたのに、と思うだけだ。
「そんなに性別って大事なことですかね?」
 事務所のソファに座って、紅茶のカップにコーラを注ぎながら、外宮は不思議そうに首を傾げる。普段から性別を伏せて、日によって男装と女装を繰り返し、恋人の性別も性癖も問わない彼或いは彼女にとっては、本当に些細な問題なのだろう。性別なんて人間関係におけるスパイスの一つでしかない、と。
「そりゃあ、外宮くんみたいな美人なら自信持てるけどさぁ」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておきます」
 現在、四畳半企画KKの事務所に居るのは二人だけである。ビンタが居ない時には、二人きりの奇妙な緊張感というものが存在しているが、狐太郎自身はこの緊張感が嫌いでは無い。二人の間に流れる根底が、同じ男に惚れているということと、それでいて三人の居心地の良い状態を保ちたいと思っているからだろう。
「そりゃあ容姿も大事ですけど、結局コツは相手が欲しがるものを与えることですよ」
「出来る気がしないよぉ……」
 コーラがなみなみと注がれたカップを勧められて断りつつ、温くなったミネラルウォーターを呷りながら狐太郎も考える。
 どんな関係になりたいのか、と問われれば、彼の一番近くにいきたい。多分同性の友人としては既にそれは叶っているとも思う。じゃあこれ以上何を望んでいるのか、自分でも良く解っていない。どちらかというと、捨てられたくないという気持ちの方が強い。別に自分はビンタの持ち物ではないのに。
 我ながらぐずついた考えだと思うが、外宮は妖しい笑みを見せるだけで責めることはない。そりゃあ、彼あるいは彼女にとって、ライバルが二の足を踏んでいるのだから遠慮も容赦なく攻めるだけなのだろう。それは悔しいと思ってしまうのだから、どうしようもない。
 と、壁にかかったちょっと遅れた時計が五時少し前を指した時、外宮はするりと立ち上がった。
「ビンタさん、戻り何時になるか解んないんですよね? 今日はお先に失礼します」
「え、いいの?」
 いつもならもう少し粘るところだったので、不思議そうに問うと、今度は悪戯っぽい笑みを浮かべて自分の唇を指でついと撫ぜた。
「ハンデですよ、ボクだって負ける気はありませんが、このままだと四馬身差はつけちゃいますよ?」
「くそう、否定できない……」
 百戦錬磨の恋愛亜侠に手管で勝てるわけがないのだ、大人しく敵の塩を受け取ることにした。軋む入り口のドアを潜る時に、外宮はもう一度振り返り。
「それにボク、ビンタさんだけじゃなく狐太郎さんのことも結構好きなんで」
「……はは、ありがと」
 やはり、この空気が嫌いでは無いのは彼あるいは彼女も同じだったようだ。お疲れ様でーす、と軽やかに帰っていくバイトの背中を見送って、狐太郎はひとつ溜息を吐いた。



 ×××



 ビンタが渋い顔で帰ってきたのは、それから二時間ほど経った頃だった。普段は着ないスーツのネクタイを乱暴に緩めながら、一升瓶を肩に引っ提げて事務所に入ってきた時には、すわカチコミの武器かと心配したが。
「違ぇ」
 狐太郎の視線を不機嫌そのものの顔で否定しつつ、ごとりと応接テーブルの上に下ろされた瓶のラベルを見ると、中々にお高い日本酒だった。
「え、どうしたのこれ」
「親父に無理やり持たされたんだよ」
「ああー」
 苛々と煙草に火を点けながらソファにどさりと座るビンタに、納得の声を上げた。どう考えても四畳半企画KKの儲けでは買えない代物だ。相変わらず仲はあまり宜しくないが、酒に罪は無いと受け取ったのだろう。
「とっとと空にしてぇから付き合え」
「えー、僕あんまり飲めないのに」
「外宮はいねぇのか?」
「ああうん、今日は用事があるって」
 咄嗟に言い訳をすると舌打ちだけで返された。狐太郎よりは飲めるから人員が欲しかったのだろうが、このチャンスを逃す手は無い。手早くキッチンからグラスを二つ持ってきて、片方をビンタに渡した。
「ちょっとなら付き合うよ」
「しゃあねぇなぁ」
 普段は酒を嗜まない狐太郎が積極的なことに気を良くしたのか、ビンタは少し笑って、栓を抜いた日本酒を容赦なくなみなみと注いできた。
「ちょっとって言ったのに……」
 思わず反論すると睨まれるので、そっと水面に口を付けると、酒精は強いが思ったよりも癖は無くて飲みやすかった。やっぱり高いものは違うんだな、と思っていると、同じぐらいの量を注いだコップをビンタが一息に干す。
「ビンちゃん、ペース考えてね?」
「うるせぇ、お前も飲め」
「まだ半分も減ってないよ!?」
 慌てて仰け反るとビンタが笑ってくれたので安堵する。酒の出所については腹が立っているものの、味自体はお気に召したようだ。狐太郎も二人きりの晩酌が嫌なわけはないので、ちびちびと杯を干しつつ、ビンタの実家に対する愚痴に付き合うことにした。



 ×××



 やがて、一升瓶の中身が殆ど無くなった頃。
「あー、風俗行きてぇなぁ」
 大分酒が回ってきたビンタの口からぽろりと零れた言葉に、こちらもかなり酔っていた狐太郎の脳味噌が吃驚して飛び跳ねた。
「ふ、不潔だよビンちゃん!」
「煩ぇな童貞」
「ち、違うし!」
 更に不名誉な畳みかけをされて叫ぶが、事実を指摘された焦りが出てしまったらしく声に出して笑われた。
「行かねぇよ、金もねぇし」
 そのままあっさりと否定されたが、お金があったら行くんだ、と思った時、酷く嫌な感情がじわりと湧いて出た。
 ……やはり、どうも。自分の欲求はそちら側にも向いているらしい。ビンタと外宮がそういう関係になるのはまだいい――何せ彼あるいは彼女が本気を出したら自分は勿論ビンタも抵抗できる気がしないので――、しかし誰とも知れぬ相手、それが女性でも男性でも、ビンタに触れるという行為が行われるとしたら――今まで行われていたとするだけでも、不快感があるのだ。我ながら酷い感情だとも思うが、止められない。
「くぁ……」
 ビンタが大欠伸をしてソファに寝転がる。狐太郎より酒に強くとも、かなりのハイペースだった為いい加減酒が回ってきたのだろう。
「ビンちゃん、せめてサングラス外しなよ」
 そっと声をかけるが、僅かに唸ってひらひらと手を動かしただけで外そうとはしない。自分も残りの杯を干し、立ち上がってビンタの顔からするりとサングラスを取る。抵抗は無い。いつも彼が先に潰れた時は、こうやって面倒を見ているから当たり前だ。――信用されている、とても。
 嬉しさともどかしさが同時に襲ってきて、ソファの横の床にぺたりと腰を下ろす。完全に寝る体制に入っているビンタの瞼はぴくりとも動かず、思ったよりも長い睫毛が良く見えた。
 そこから目を逸らしながら、どうしようかな、部屋まで運ぼうかな、と悩んでいるうちに視線が、寝転がったビンタの腰に動き――そこが僅かに膨れているのを確認してしまって、く、と喉が鳴り頬が熱くなる。
 普通酒に酔ったら勃たないものなんじゃないの、と焦るが、そこはしっかり存在を主張している。風俗に行きたい、も何の誇張もなかったらしく、一人で慌てる。主にこのままでいいのか、という焦りと――今の内なら何とかなるんじゃないか、という悪魔のささやきが脳味噌を席巻した。想像上の悪魔は何故か外宮の顔をしていた。チャンスですよガンバ、と言いたげに。多分、外宮だったらこのチャンスを絶対に逃さないからだろう。
 そう、チャンス、チャンスなのだ。今なら酒の力を借りて有耶無耶のままいけるかもしれない、という後ろ向きな前向きさで、狐太郎は景気づけに、ほんの僅か残っていた一升瓶の中身を全部自分のカップに開けて飲み干した。
 ビンタの胸元、すっかり弛んで意味を成していないネクタイ。それをそっと抜き取って、持ち主の顔、目の上にそっと回す。ごめんね、と思いながら出来る限り緩く、それでもしっかりと巻き付ける。頼むから、見ないでほしいと思ったから。
 相手の視界を塞いだのを確認してから、恐る恐る、それでも手を止めずにビンタの前を寛げる。学生時代トイレで遭遇した時に見たぐらいで、馴染みの無いものだったけれど――しっかりと立ち上がっているそれが何故か酷く嬉しくて、そっと両手で包む。
 ビンタのものに触れている、という事実だけで、酷い興奮というか優越感がやってきて、鼻息が荒くなる。我ながらどうなんだと思うけれど、興奮を止めることも出来ない。おずおずと鼻先を近づけると据えた匂いがした。
「ん……ぅ」
 先端にキスをして、ぺろりと舐める。ぴく、とほんの僅か、反応する事実に泣きたくなる。どうか目を覚ましませんように、と願いながら、綺麗に剥けている先端をくるくると舐める。何とも言えぬえぐみの味がするものの、嫌では無かった。
「ん、ぅ、う、」
 多分自分がこうされると気持ちいいだろう、というやり方で、唇を窄めて先端を何度も行き来する。熱に芯がしっかり通ってきたことに気付き、心の中で快哉を上げた。
「……ぅ、ッ、なに」
 ふと、ビンタの声が聞こえてさっと血の気が引く。刺激と、目の前が暗いままなことを訝しんだのか、自分の手を伸ばしてネクタイを取ろうとしたので、
「待ってッ!」
「……? 狐太、郎?」
 声を上げてしまった。拙いと思ってももう遅い、女性だと思われていたら最後までできたかもしれないのに。
「……、ビンちゃんは気にしないで、気持ち良くなって。誰でも、好きな女の人を思い浮かべてればいいから」
「お前、何言っ――く、ぅ」
 戸惑いの声が聞こえたと同時、苦しいのを堪えて思い切り喉奥まで熱を突っ込んだ。えずきそうになるのを堪えて、必死に扱く。同時に自分のズボンも脱ぎ捨てて、既に固くなっている自分自身より更に奥、自分の零した粘る液体を纏わりつかせたまま指を伸ばす。
「っ、ふ、ぅうう」
 苦しさで歯を立てそうになって必死に堪える。口を懸命に動かしていると、ビンタの手が狐太郎の髪の上に乗った。引き剥がされる、と怯えに固まった次の瞬間。
「ふ、わ」
 思ったよりも優しく髪を撫でられて吃驚した。成程、女性を思い浮かべているのかもしれないと思ったら、自分で言った癖にちょっぴり悲しくなる。いや、今は止めようと思い直して、フェラチオと自分の開拓を必死に進める。ビンタが我に返らないうちに。
「こ、たろ、もう止せ」
「ん――……ッ」
 口の中の熱が僅かに跳ねて、ビンタが自分の名を呼んでくれた、それだけで達しそうになった。我慢できなかった、もっと深く繋がりたい、そんな衝動の赴くままに狐太郎はビンタの腰を跨いで座る。
「だいじょうぶだから、ビンちゃん、」
 そんな何の保証もない事を告げて、大きく息を吸う。ぐ、と後ろにすっかり硬くなった熱を押し付けた。
「ふぐぅ……っ」
 痛みを堪えて、息を整えて、必死に膝を曲げようとするが、痛い。痛すぎる。こんなの無理だと挫けそうになる心をどうにか奮い立たせながら、飲み込もうと四苦八苦していると。
「お、前なぁ……! この馬鹿!」
 罵声と共に、無造作にビンタは自分の目隠しを外した。色素の薄い青の瞳で睨み上げられて、反射的に狐太郎が怯えて固まると同時。ぐん、と腹筋だけ使ってビンタは飛び起き、そのまま――引き寄せるように狐太郎の腰を両手で掴んだ。
「ぅあんっ!? ッたァ……!」
 引き攣った悲鳴をあげると同時、衝撃が臀部に走って、がくがくと震える。倒れそうになる体は、ビンタの腕が支えてくれた。苦しい、痛い、それだけでない感情で目頭が熱くなる。
「びん、ちゃ、どして」
「いつまでも、好き勝手させてたまるか……」
 その瞳に浮かんでいるのは間違いなく苛立ちの筈なのに、何故だか腕は狐太郎の腰に回されて離れてくれない。そのままぐいっと自分の腰を持ち上げてくるので、痛いのと信じられないのとで声がひっくり返った。
「いた、あ! うぇえ、ビンちゃ、ビンちゃん」
「なんで、お前の方が泣いてんだよ……」
 呆れたように言われて、目の前がすっかりぼやけていることに気付いた。拭おうとする前に、ビンタの長い親指が乱暴にぐいと拭ってくれる。汗に濡れたビンタの顔、そこから真っ直ぐに見詰めてくる青い瞳が綺麗で、もう一度泣きそうになるのを堪えて、耐え切れず。
「すきだよ、ビンちゃん」
 涙と一緒に、感情が零れた。色々な言い訳やら何やらは、こんな状況で何にもならない。互いに汗だくで、滅茶苦茶で、残っているのはこの気持ちだけだ。
 自然と縋るように伸びた腕が掴まれ、しかし拒まれずぐいと首元に引っ張ってくれた。何をと思う間もなく、そのまま安ソファの上に背中を倒される。
「ぅえ、ぁ」
「良いだろう。くれるってんなら、貰ってやるよ」
 ぼそりと低い声でそんな事を言われて、きゅうと心臓が縮んだと思った瞬間。隘路の中にぐりっと熱を押し込まれて、か細い悲鳴が喉から漏れた。
「っぁ……! っひ、ぅぐぅ」
 痛い、痛いのに、ビンタが自ら動いて自分の体を開いていくことが、堪らなく嬉しくて、必死に両腕に力を込めることしか出来ない。
 はくはくと空気を求める口が、意識が飛ぶ寸前に柔らかいものに塞がれた気がするが、認識できないまま目の前が白くなった。



 ×××



「か、体中が痛い……」
「そりゃそうだろ。裂けなかったのが奇跡だぞ」
「ひぇえ怖い……」
 ぐったりと俯せでソファの上から動けない狐太郎に、さっきとは逆に床に座ったビンタが悠々と煙草を吹かしている。疲労はあるが、基礎体力の差か受け身ではないせいか、まだ体力に余裕があるようだ。
「痔にはなりたくないよぅ……薬とか塗った方がいいのかな……後なんか、足がちゃんと閉じられない……」
 満身創痍で譫言のように狐太郎が呟いていると、ふと視界が陰り――ビンタが自分の顔を覗き込んでいるのだと思った瞬間、煙草の煙を思い切り吹きかけられた。
「んっ、ごほっ、やめてぇ! 腰に響くぅ……!」
「あ、悪い」
 その二次被害は想定していなかったのだろう、いつになく素直に詫びの声が聞こえた。そして宥めるように、また頭を撫でられる。
 どうして拒まなかったのか、どうして優しくしてくれるのか、解らないままにまた狐太郎の瞳が潤む。慌てて隠そうとしてソファに顔を埋めるが、撫でる手は止められなかった。
 息苦しさが段々と心地良く変わり、ゆっくりと瞼が下がる。
「あ、ここで寝るな、明日どうすんだ」
 ほんのちょっと慌てたビンタの声が心地良くて――きっと明日からも何も変わらずいられるのだという安堵から、今度こそ狐太郎の意識は柔らかく溶けていく。
「……馬鹿。返事ぐらい聞いとけよ」
 最後に耳の中に滑り込んだ言葉の意味に気づくのは、明日外宮が出社してくる前ぎりぎりで目を覚ましてからだった。