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桃色花吹雪〜困惑編〜

「惇兄ー。今日一緒に呑まねぇ?」
従弟がそんな言葉と共に夏候惇の屋敷へ酒瓶を持ってきたのは、日も落ちて間もない時のことだった。決して珍しくないその光景を、夏候惇は何の躊躇いも無く歓待した。
不思議に思ったのは、いつもの酒の席ならば、無口な従兄に向かって引っ切り無しに語りかけてくる夏候淵が、いくら酒を喉に通してもどこか困惑したように押し黙っているのに気付いてからだった。
「如何した、淵?」
「へっ?」
不意に話しかけられて、夏候淵の声が跳ね上がる。どんなに年を取っても変わらないその子供のような反応に夏候惇は口元だけで笑い、改めて問いかけた。
「何か―――、悩みでもあるんじゃないのか。役に立てるか解らんが、取り合えず話してみろ」
ここに別口の従兄であり、自分達の主君である乱世の奸雄がいれば、言葉を巧みに操り全て聞き出して見せただろうが、生憎自分にはそんな器用な事は出来ない。朴訥であっても、真っ直ぐ問いかける方が性に合う。
一方夏候淵の方は、本当にそんなつもりは欠片も無かったらしく、つぶらな目を見開いてぽかんとしていたが、やがて従兄に言われた言葉に従わん為か、ぐにぐにと首を傾げ始める。やがて、何某かを思いついたように口を開いた。
「あー…あるっていや、あるかな。大したことじゃねぇんだけど」
「何だ?」
やはりそうだったのかと思いつつも驚きながら夏候惇は短い言葉で続きを促した。何せ相手は良く言えば猪突猛進悪く言えば単純馬鹿―――とかく「悩」とか「迷」という文字には縁の無い性格をしているのだ。そんな彼の悩みともなれば、心配と共に興味が沸いてしまうのも不謹慎だが当然で。
「あのさ。あいつ―――張コウのことなんだけどよ」
ぺき。
しかし次に続けられた言葉の中の名前を聞き、夏候惇は手の中の猪口を割り砕いてしまった。同時に脳裏を過ぎるのは、馬鹿でかい長身から放たれる紫色の蝶々の気。
どんなに深酒をしても意識を飛ばしたことが無い筈の脳髄がずくずく痛む。
別に彼の事を嫌っているわけではない。武将として頼りになる男であり、主君の覇道を助ける存在であることを理解している。しかしそれでも気が合うかどうかは別口だ。否それ以前に―――珍獣として以外に、どうやって付き合えば良いのか解らないというのが正直なところだった。
尚且つ自分の従弟である目の前の彼は、あの男と極普通に友情などを結んでいるらしくそれがまた眩暈を起こさせる。
会話をしようとするだけで疲れきってしまう自分は、羨ましいとは思えないが素直に尊敬すらしてしまう。
だが、この会話に出てくるとなると、ついに夏候淵にも限界が訪れたのだろうか。不安なのか安堵なのか複雑な心を抱えたまま、夏候惇は片目線だけで従弟を促した。
「あいつよぉ、何かっちゅーと何でもかんでも『美しいー!』って言うだろ? まあそれは面白いから良いんだけどよ」
良くは無いだろう、と思いつつも夏候惇は口を挟まない。夏候淵の方は従兄の葛藤に全く気付かず、太い指でぽりぽりと頬を掻いてから続けた。
「けどよぉ、その、俺にもそう言うってぇのは、何か違うだろ?」
ぐしゃ。
今度は今まさに酒を注ごうとしていた瓶子を握りつぶしてしまった。流石に従兄の異変に気付いた夏候淵が、どうした惇兄ー?と暢気に聞いてくる。
転じて夏候惇は混乱していた。従弟は確かに粗雑なところはあるが好漢で、男としての魅力は申し分ないと身内贔屓ながらも思っている。しかし、かの男による美意識の槍玉に上げられるかどうかは甚だ疑問だ。確かに張コウは顔だけ見れば大層な美形ではあるが、その性格と服飾趣味はかなり斜め上に捩れている。そんな彼に美を褒めそやされるのが如何なることか―――正直、あまり考えたくない。
「それは……………災難だった、な」
そうとしか言えない。慰めを兼ねてぽんぽんと相手の肩を叩いていると、夏候淵は不思議そうに首を傾げて否を唱えた。
「いやぁ、別にそりゃ良いんだぜ? ちょっち照れるけど、悪い気はしねぇし…」
それで良いのか!と夏候惇は再び頭痛を堪える。お前あいつに毒されすぎてはいないかと忠告したくなり、実行に移そうとしたときに更なる衝撃が夏候惇を襲った。
「なんつーか、さ。あいつに面と向かってそう言われると…なんか、落ち着かねぇんだよ」
「………、どういう…事だ?」
嫌な恐怖がじんわりと背中を這いずってくる。これ以上は危険だと解っていても、義務感のように問うてしまった。夏候淵は酒のせいでなく僅かに頬を染めながら、更に爆弾を言い募る。
「あいつ、顔だけは普通に別嬪だろ? でもって顔合わせて笑ってそう言われちまうと、照れるっつーか…なんかこう、緊張するっつか落ち着かなくなっちまうんだよ。おかしいよなぁ、やっぱ。それでついあいつのこと避けちまって、変に思われてるだろうし、せっかくダチになったのにロクに話も出来ねぇなんて嫌だしなぁ。だからさ惇兄、上手く落ち着いて話出来る方法、何かねぇかなぁ? …あれ? 惇兄ー?」
何の悪意も持たないはずの従弟の言葉は、確実に夏候惇の体力を抉り削っていったようだ。ぐったりと床に突っ伏してしまった彼をどう思ったのか、「もう潰れっちまったのか惇兄ー、珍しいな」と夏候淵は無邪気に言っている。いっそそれならどんなに楽かと思いつつ、夏候惇もいい加減意識を放棄したくなってきた。
従弟が遠くなっていく。
そんなことを思いながら、ほんの少し涙ぐむ夏候惇であった。