時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Die Wunbe.

流れ落ちる血は、止まらなかった。


ドカッ、ドカッと断続的な揺れが腹の傷を疼かせる。もどかしい痛みに、シードは無理矢理意識を回復させられた。
僅かに身動ぎし、側の男の腕を掴む。きつい、止まれと言いたかったが声が出せない。身体全体が妙な熱を持ってだるい。
それでも、掴まれた方は意味を理解したらしく、馬の歩調を緩めた。
「気がついたか?」
頭上から降ってくる憎らしいほど落ちついた声音に、眉間に皺を寄せたまま目を開ける。
思った通り、霞む視界の中に良く見知った銀髪と冷たい碧眼が見えた。
「…っ、ガン…」
「無理をするな、まだ毒が抜けていない」
相手の名前を呼ぼうとして、喉がからからに乾いているのに気づく。毒のせいもあるだろうが、血を流しすぎたせいでもあるだろう。ぬるりとした感触を、腹に乗せられている自分の掌に感じる。先程の戦いからどれだけ時間が経ったのか知らないが、まだ止まっていない。
と、クルガンが彼を抱き上げたまま馬を止め、地面に降りた。幾分ゆっくりと地に足をつけたが、その振動ですらシードにとっては辛いらしく、ぐっと目を瞑った。
そのまま、近くの木の根元に抱き下ろすと、懐から取り出した小さな瓶をシードの乾ききった唇に押し当てた。
「…あ? …、に……」
「解毒剤だ。飲め」
間髪入れずにぐっと小瓶を傾けられる。どろりとした薬水が舌先に触れた。
「っにが……」
「我慢しろ」
飲まなければ無理矢理飲ます、と言いたげな苛立ちの混じった言葉に後押しされる様に、シードはその苦薬を喉の奥に無理矢理流しこんだ。僅かなとろみのある薬だけでは到底喉の渇きを癒せず、掠れた声で所望した。
「みず…飲みてー…」
「少しだけだぞ」
予期していたのか、携帯用の小さな水筒を同じく口元に宛がわれる。既にかなり温くなっていたが、シードにとっては何よりのご馳走だった。もどかしげに喉を鳴らして、零れた水滴が顎を伝って落ちた。
「がっつくなと言っただろう」
取り上げられた潤いを追いかける様に、舌を伸ばす。それを抑えて、クルガンは水筒を仕舞った。そして胸につけられた傷痕に目をやる。
(……遅かったか?)
ハルモニア神聖国からの間者による、予期せぬ魔剣の反撃。それは特殊な毒を含み、紅髪の猛将軍であるシードを昏倒させた。安全な場所まで一度離れてから治療を、と思っていたのだが、傷口がやや薄黒く変色している。シード自身の息もやや荒い。解毒剤だけでも早目に飲ませておけばよかったか、と唇を噛む。
しかし後悔は一瞬のことで、次にはこれからどうすべきか、を頭の中で弾き出す。
白い手袋を填めた指を、シードの唇に押し付けた。
「んっ…ルガン?」
「きつければ噛んでいろ」
それだけ言って、未だ血が止まらない傷口に口をつけ、毒があるであろう場所を思いきり吸い上げる。
「いっ……〜〜〜〜!!!!!」
傷口をもう一度抉られるような痛みに、シードは絶叫しようとして、目の前の指を噛んだ。
「っ…。――――」
クルガンの方も手加減なしに噛み締めるその痛みに眉を顰めるが、構わず吸い取った毒混じりの血液を地面に吐き捨てた。
何度も、何度もその行為を繰り返す。
「グ……ぅ〜〜〜っ! ……!!」
ぎりぎりと力の入っていくシードの歯は、薄い手袋を噛み破った。




夕刻。
一頭の馬が、ハイランド軍の夜営地まで戻ってきた。上等な銀色の馬具がつけられたそれは、当然第四将軍シードのもので。
そこから飛び降りた者は、彼自身に相違なかった。
「シード将軍!」
「ご無事でしたか! クルガン様も…!」
周りの兵士達が最敬礼し、無事を喜ぶのを見渡して、シードは毅然と言葉を発した。
「間者は逃亡した! だが後はハルモニアの奴に任せればいい! 今日中に軍の体制を立て直せ! 明朝、グリンヒルに進撃する!」
おぉ! と人込みがざわめく。その後ろから、馬から下りてゆっくりと歩き近づいてきていたクルガンが引き取る。
「先発隊はラウド隊長の部隊に任せる。包囲が完成した後、本隊の到着を待て! 間者の処理は、ザジ殿に任せましょう」
「はっ!」
伝令達が走り去っていく。そのまま二人は並んで天幕の中に入った。
「っ…く………」
ばさり、と天幕の入り口が閉じると、僅かな呻きをあげてシードがよろめく。それを隣にいたクルガンがしっかりと支えた。  
「良く耐えたな」
「へ…これぐらい、何ともないっての」
にぃっと口元を歪め、青い顔のまま笑う。戦の前に兵士の士気を削ぐ訳にはいかない。しかしこれだけの傷を受け、あれだけ毅然と振舞えたのは正直、奇跡に近いのだ。
今ですら、貧血とまだ残る毒気で足が震えて一人では立っていられない状態なのに。
「…やせ我慢はお手の者か」
「るせぇよ。…悪い、そこまで…」
「あぁ」
憎まれ口を叩き合ったのは、僅かで。伸ばされたシードの腕を肩に回し支えると、寝床まで近づき静かに寝かせた。
「は……」
身体の力をやっと全て抜いて、吐息を洩らした。自分を支えていた腕が首からそっと抜かれるのを見て、僅かに指先が紅く染まっていることに気づく。
朦朧とした頭で、その手を取り、傷口に口付けた。
「悪いな……」
間者を単独で追おうとしたのは自分。無理な攻撃で手傷を追い、ここまで迷惑をかけたのも自分。全てにおける謝罪を唇に乗せ、そのまま目を閉じた。
意識を失う様に眠ってしまったシードの髪を一筋、口付けられた指で弄びながら、クルガンは本当に珍しく口元に笑みを浮かべ、届かない返事を呟いた。
「気にするな」



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