時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

暗闇の迷路

召喚師達の嘲りの笑い声が響く。
剣戟と悲鳴と怒号が交錯し血と煤と死体の臭いが充満する地獄に。
「………ぁっ!!?」
耐え切れずに飛び起き、シャムロックは我に返った。
「あ…」
気が、ついた。
木で出来た狭苦しい二段ベッドからすぐ上にあるのは古ぼけた天井で。床は畳が敷かれ、開け放たれた窓から吹き込んでくる、既に日が昇り切っている外からの風は、僅かに潮の香りがした。
ここは港町ファナン。城塞都市トライドラから遥か遠く離れた港町だった。
故郷を撃ち滅ぼされ、主君を失った騎士は、かつての敬愛する先輩や召喚師達に連れられてここまで落ち延びて来ていた。
あれから、少しは時が経った筈なのに、あの時の苦い記憶は未だシャムロックの胸を責め苛む。
帰るところを失ったら一体どこへ行けばいい?
自分の右手を左手で握り締めて、ぐっと目を瞑った。
こん、こん。
『シャムロックさん、起きてますか?』
ドアの外から自分の名前を呼ばれて、はっと目を開けた。
「はい、アメルさん。遅くなってしまって申し訳ありません、すぐに行きます」
『いいえ、トリスなんかまだ寝てますから、気になさらないで下さい』
くすくすという笑い声と一緒に言われた告げ口に、シャムロックも苦笑する。
ドアの前から気配が消えるのを待って、夢の残滓を頭を振って払拭すると、ベッドから飛び降りた。



「祭…ですか?」
「うん、そう! モーリンが言ってたんだけど、今日は街全体で凄く大きなお祭りがあるんだって! 皆で一緒に行こうよ」
大所帯での朝食が終った後、トリスが切り出した言葉にシャムロックは目を瞬かせた。彼女の提案の中身があまりにも現実離れしていたので。
「君は馬鹿か!?」
思った通り、すぐさま保護者のツッコミが入った。
「今まさデグレアが攻めてこようとしている時に、何を考えているんだ」
「むぅ。解ってるわよそれぐらい。でも、そういっつもピリピリしてたらこっちが参っちゃうでしょ? たまには息抜きしたっていいじゃない」
「君は息抜きの合間に緊張しているんだろう」
「あ、バレた?」
「トリス!」
飽きもせず繰り広げられる師弟漫才に、全員から失笑が漏れる。
「ま、どっちにしろあたいは行くけどね。手伝いもしたいし」
「面白そうじゃん。ま、いいんじゃねぇ?」
「祭ねぇ…パレードとかもあるのかい?」
「晴れ江戸? 何のことでござるか?」
「屋台とかもたあっくさん出るのよ」
「わぁ、ルゥ行きたーい!」
「ネスティの言いたい事も解るけど、息抜きも必要よね」
「はい、姉様」
「しかし…」
「ねぇ、お願い!」
「ネスティさん、ご主人様のお願い、聞いてあげてください!」
「うっ…」
お祭り好きの面々が次々と賛成してしまい、四面楚歌になりつつあったネスティに更に、トリスとレシィによる上目遣い(しかもやや涙目)おねだり攻撃がダブルで襲い掛かる。仲間内でこの攻撃に勝てるものは滅多にいない。
「ネスぅ…」
「ネスティさぁん…」
「くっ………………………………………………解った…好きにすればいい…」
「やった――!! レシィ、一緒に行こうね!」
「はいっ、ご主人様!」
目を逸らし切ることの出来なかったネスティの負けである。
飛び上がって護衛獣と手を打ち鳴らす妹弟子を苦虫を噛み潰した目で見つめている。
「てめぇら、マジで行く気かよ…」
最後まで渋っていたリューグも、
「リューグ、駄目?」
のアメルの一言であっさり崩落した。


「お前ね、そのカッコで祭行く気か?」
いつも通り身支度を整えたシャムロックに、現在同室であるフォルテの呆れた声がかかる。
「はい…どこか、おかしいですか?」
「あのな。そんながちがちの鎧着込んでったらどう見ても警備の衛兵だろうが。屋台のおっさんも退いちまうぞ。俺の服貸しちゃるからこっちこい」
「フォルテ様のお手を煩わせるわけには…」
「だーから、そう呼ぶなっての」
すったもんだと数分後。
僅かにだぶついたフォルテの普段着を着せられたシャムロックが出来上った。これだけは、と外すのを嫌がったので大剣は腰に下げたままだが。
何となく落ち着かなさを感じながら、賑わう人込みの中を歩いていく。
三々五々分かれて、食べ比べをするもの、振る舞い酒を遠慮なく頂くもの、屋台の力試しに興じるもの、様々に祭を楽しんでいる。
今まで祭と言えば城塞都市の厳かな祭典しか知らなかったシャムロックにとっては、この賑やかさは少し戸惑うものだった。
まるで、ここに自分が存在してはいけないような、違和感。
それは、彼が今まで騎士として拠り所にしていた国が無くなったことを考えれば仕方の無い事で。
自分だけが裸で街を歩いているようで、右手で左の二の腕をぐっと握り締めて俯いた。
そうやって、立ち止まったまま俯いていたシャムロックの視界に、

ふっと、葡萄酒色の髪が横切った。

「!?」
目を上げた時には、黒衣の騎士がその髪を靡かせて、路地裏に消えていくところだった。
馬鹿な。
馬鹿な。
あの男がこんな所にいるはずがないと解っているのに。
それなのに。
気がついたら、駆け出していた。




人込みの中を縫うように走るシャムロックと対称的に、危なげなく抜けて行く黒衣を見失わない様に必死に追う。
「待て! ……待つんだ!」
声を荒げるシャムロックに何事かと辺りの人が目をやるが、あっという間に引き離した。
狭苦しい路地をいくつか走り抜け、いつか周りに人が居なくなった時。
前の男が足を止めた。
シャムロックも止まらざるを得なかった。
上がる息を必死に堪え、くっと相手を睨む。
目の前で、男は漸く振りかえった。
髪と同じ葡萄酒色の瞳が、僅かに驚きに見開かれたがシャムロックは気付かなかった。
「何故だ…何故お前がここにいる! ルヴァイドぉっ!!」
怒りではない、戸惑いを滲ませた声でシャムロックは叫んだ。
彼の前に立つのはまさしく、デグレアの騎士・ルヴァイドだった。
有り得ないはずだった、彼にとってここは敵国の一部以前に自分が攻め落とすべき街なのだから。
「偵察と言ったところか…貴様等がいたのは計算外だったな」
「ふざけるな…」
王国の騎士であり、更に隊長である彼が偵察になど来るわけがない。そう言おうとして、シャムロックの頭に別の事象が浮かんだ。



「あのね、ルヴァイドの事…そんなに悪い人じゃないと思うの」
仲間になってすぐ、自分を叱咤し助けてくれた召喚師の少女が言ったのはそんな言葉で。
「何を言うのですか! 奴はあんな騎士として恥ずべき行為を―――」
「違うの!」
「えっ…」
「あんな酷い事をやったのは、ビーニャっていうあの召喚師よ。ルヴァイド達は止めようとしてたの。アメルの村を焼き尽くした時だって…あの人、村人達のお墓作ってた」
きゅっと眉根を寄せて、懇願するようにトリスは続ける。
「きっとルヴァイドも、本当はあんな事やりたくないのよ。あの召喚師達みたいな偉い人に、命令されてるんだと思うの」
「……!!」
目から鱗が落ちるというのはこういうことか、と思った。
怒りに我を忘れ、彼が騎士として取った行動の事を忘れていた。
途端に、自分の詰りが情けない理不尽な物に思えて、恥ずかしくなった。
それ以来、彼に対する憎しみの感情が…消えてしまったわけではないが、どこか、薄れてしまった。
代わりに生まれてきたのは、戸惑い。
許せるわけが無いのに、責める事が出来ない。
解ってしまったから。
自分と彼は似ているのだと。




そんな事を考えているシャムロックをルヴァイドは感情の篭らない視線でじっと見つめ続けていた。
「……お前は、恨まぬのか」
「えっ?」
「お前の故郷を滅ぼした俺を憎まぬのか」
「…………」
彼によって、自分は亡国の騎士となった。それは解っている。
目の前の男は、どんな詰りも責めも受けるとでも言うように、超然と其処に立っている。
「……解らない」
それなのに、そうとしか言えなかった。ぽつりと呟かれたシャムロックの言葉に、ルヴァイドの身体に動揺が走った。   
「解らないんだ…お前と言う男が。あれだけの事をして、あれだけの行為を認めて…それなのに何故此所に居る? 何故私の前に現れた? これではまるで―――」
「言うな!!」
これではまるで、裁かれる事を望んでいるようではないか―――
続けようとした言葉は、いきなり肩を掴まれ、古びた石壁に押し付けられる事で止められた。容赦なくぎりぎりと押し付けられ、肩が軋む。
「くっ…」
「俺を憎め」
苦しさに上げた声が、耳元で囁かれた呟きで遮られた。
「何を、言って…」
「憎むがいい。デグレアを、お前の居場所を奪った男を」
葡萄酒色の瞳の奥に自分の顔が映っているのを、確かにシャムロックは見た。それが閉ざされた瞬間、目の前が暗くなった。
唇が、柔らかいもので塞がれて。
「…………!!」
何が起こったのか分からなかった。経験は乏しかったし、予想だにしなかったことであるし、何より。
…決して、不快ではなかった。
少し冷たくて、柔らかいそれが自分に押し当てられるのが、心地良いと感じた。
それが、つと離れていくのに気がついて、目を開けたら。
孤独を湛えた瞳が見えた。
どくり、と心臓が一つ鳴る。
似ている、と思った。
拠り所を無くして、泣く事も出来ない迷い子のようなその瞳が。
自分と、似ていると、思った。
どうしてそんな目をするのだと問おうとしたら、また唇が近づいてきたので、今度は自分から目を瞑った。
彼は少し驚いたようだったが、それでももう一度唇を合わせた。
「…何故だ?」
次に離れた時、疑問を口に出したのはルヴァイドの方だった。
「何か…解ると、思ったから」
頭に霞がかかったまま、シャムロックは思うがままに呟いた。
「お前には何も解らない」
それだけ言い捨てて、もう一度顔を近づける。
「何も、解らなくていい」
また、冷たい口付けが三度繰り返されようとしたその時、

ドン!!

と花火が鳴った。
はっと同時に我に返り、間合いを離した。
ぱらぱらと光り輝く火の粉が夜空を彩る。
そちらにシャムロックが一瞬視線を移した瞬間、ルヴァイドは踵を返して路地の闇に消えつつあった。
「! ま、待て!」
「…次は、戦場で会おう」
低い声で言われた真実に、足が固まってしまった。
そのまま、黒衣の騎士の姿は闇に溶けた。
「ルヴァイド…」
どこか途方にくれた声で、彼の名前を呼ぶ事しか出来なかった。
冷たいものが当たっていたはずの唇が、何故か酷く熱く感じた。