時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

君は誰

アルサックの樹が生い茂る川面に、浮きが二つぷっかぷっかと浮いている。
緩やかな流れの中、一つの浮きがぽこっと沈む。
「………よっと!」
その隙を逃さず、釣り竿が引き上げられる。針の先にぴちぴちと跳ねる魚をつけたまま、釣り糸は川原に踊った。
「マスター、やりましたの〜!!」
「きゅっきゅー!!」
二人(一人と一匹)で叢でころころ転がりながら遊んでいたモナティとガウムが、慌てて走ってきて歓声を上げる。
「あーん悔しい! また負けたー!」
いまだぴくりとも動かない浮きを付けた竿を持ったトリスが、天を仰いでそのままごろんと川原に寝そべった。
「勝負してるわけじゃないんだけど…」
苦笑しながらトウヤは、びちびち跳ねる魚を片手で捕らえて、口から針を外すと川に戻してやった。一定以上大きくない魚はリリースすることにしている。小さい魚ではとてもあの大所帯をまかなえないし、川の自然も守らなければならない。正直なところこの川の魚は貧乏レジスタンス・フラットにとって大切な食料なのだ。
「トウヤって、強くて召喚術も得意なだけじゃなく、魚釣りも上手いんだねぇ」
「そうですのー! マスターはとってもすごいんですのー♪」
針を上げ、餌だけ盗られているのに顔を顰めながらも、トリスは新しい餌をつけて川に投げ込む。隣のモナティはまるで自分が誉められたようにえへん、と胸を張って見せて、またトウヤの笑いを誘った。
とてものどかな、昼下がりの風景。
今一生懸命夕ご飯の為の釣りをしている青年と少女が、この世界の危機を幾度となく救った「誓約者」と「調律者」だと誰が思うだろうか。
三人と一匹から程好く離れたところで所在なげに座っていたネスティは、その光景に軽く眩暈を起こしていた。
彼の脳裏にはそんなミスマッチによる呆れだけでなく、自分がこの世で一番大切な少女に笑いかける涼やかな青年に対する僅かな敵愾心や、その青年に対する尊敬と同時にどうしても沸く違和感等が色々と交じり合って渦を巻いている。
そう、違和感―――もっとはっきり言えば、どうにも居心地の悪い「苦手意識」とでも言えば良いのか。恐らく読み切れない相手に対する警戒心だと思うのだが、更にそれがかなりの不敬であることも解っているので、何を考えている落ち着け、と眼鏡の下の瞼を閉じてゆっくりと深呼吸――――
「随分疲れてるな?」
「!!!!」
した瞬間、後ろから唐突に声をかけられてその息を飲み込んでしまった。
「…っ、ソル、…」
振り向きながら呟くと、茶色の髪の護界召喚師は人の悪い笑みを浮かべて笑って見せた。
全然気配を感じなかったことを不覚に思いながらも、悔しいが自分より数段上の魔力を持った相手ならば解らなくても仕方が無い、と自分を納得させる。
「あいつはアレが地なんだ。下手に勘繰っても疲れるだけだぞ?」
ネスティの葛藤に構わずソルは彼の傍に立つと、また釣り竿を垂らしている白い外套の後姿を視線に入れて、先程とはかなり色の違う笑みを浮かべた。
「…そう、か。いや…失礼だが、彼はどうも浮世離れしていると言うか…どこか、僕達と雰囲気が違う印象を持ったもので、それが気になったんだ。勿論彼が、『誓約者』だということの証なのかもしれないけれど―――」
人間不信の気があるネスティでも、自分とどこか空気が似ているソルは気がおけないらしく、わりと饒舌になる。ネスティの言葉に、ソルは一度驚いたように目を丸くし、「流石だな。気づいてるのか」とまた笑った。
「と、言うと―――?」
「何だ、心当たりが解らないのか? あんた達の仲間の中にも居るだろう。『名も無き世界』から来た、人間が」
「!! ―――そんな、まさか――――」
「あぁ。トウヤも、そこからやってきた人間だ。…俺が喚んだ、な」
ネスティは完全に絶句した。かの『誓約者』…このリィンバウムと四つの世界を司る『エルゴの王』が、この世界の人間では無いと言うのか。ソルは僅かに自嘲の色を瞳に浮かべてから、トウヤの背中から視線を外し、ネスティに向き直った。
「何でだ、って顔をしてるな」
「…あぁ……」
「…俺は運命なんて言葉、信じたくはないが。でも、あいつこそが『エルゴの王』になる存在だったんだと思う」
何故そう思う?という視線を受けて、ソルはかしかしと頭を掻いた。
「あんたには少々不愉快な話だろうが、聞いてくれ。俺達リィンバウムの人間は、召喚術を使うのが『当たり前』になっている。例え召喚したもの達の中に、あんたみたいな高い知力と文化を持った者がいても、それを『使役』するのを多かれ少なかれ、召喚師じゃなくても皆、心のどこかで当然だ、と思っている。こればっかりは、今までの歴史が積み重ねた記憶だ。そう簡単に覆せない」
「―――あぁ」
それは、辛いことだが事実。「常識」は時にいとも簡単に、沢山の違和感を押し流し払拭してしまう。それによりネスティ達融機人は迫害されたと言ってもいいので、やはりいい気分はしないが頷いた。
「しかし、だ。あいつには、そんな『常識』は通用しない。あいつの世界に召喚術は存在しないし、亜人も機械兵士も鬼も悪魔も居ない。だから俺達がそいつらを誓約で『無理矢理』言うことを聞かせるのに違和感を感じる。嫌悪感と言ってもいい」
そこで言葉を切り、大物がかかったらしく大騒ぎしながらトウヤの竿に集まる面々を見やる。
「だからあいつは『お願い』するんだ。自分に力を貸して欲しいと、何の躊躇いもなくな。あいつにとってどんな召喚獣も使役する対象じゃない、『友達』なんだ」
息を呑むネスティに、ソルは満足げに笑った。
「心底からそう言える、お人よしこそが――――『エルゴの王』になれるんじゃないか?」
ばしゃーん、と大きな水音がして、かなり大きな魚が土手に打ち上げられた。歓声を上げるモナティ達に苦笑してから、ソルはもう話は終わった、とでも言うようにトウヤ達に向かって足を進める。
「大漁みたいだな」
「まぁね」
勢い余って後にひっくり返ってしまったかの誓約者の顔を上から覗きこむと、柔らかい笑顔が帰ってきた。ソルは手を伸ばしてその身体を引っ張り上げてやり、髪についた草の葉を払ってやる。その仕草が酷く当たり前に見えて、ネスティは思わず眼鏡をかけ直した。
「ネスぅ、どうしたの?」
捕らえた魚を篭に入れたトリスが、とたとたとネスティのところまでやってきた。
無邪気としか言えない大きな瞳に見つめられ、不意にネスティは先程の苦手意識の正体に気づいた。
当たり構わず笑顔を振り撒く所も、召喚獣を友達扱いするところも、誰よりも強い意志の持ち主であることも。
「……君と、同じじゃないか」
「え? え?? 何が???」
不覚、としか言い様が無く、ネスティはうずくまったまま手で顔を押さえて俯いてしまった。
話が見えず目をぱちくりさせる向こう側で、大きな籠を背負おうとして失敗したモナティが川に落ちかけ、ソルが素早く篭を確保し、モナティを支えようとしたトウヤが巻きこまれて川に落ちていた。
「きゅっきゅきゅー!!」
ガウムの切羽詰っているのに暢気な鳴声が、辺りに響いた。





無論その後全員フラットに取って返し、戦利品を手渡した母・リプレに、ずぶ濡れのモナティとトウヤは服を剥ぎ取られてしまった。
モナティはお風呂にすぐ向かったので、暫くトウヤが一人でびしょ濡れのままでいるはめになったのだが、手際良く毛布を用意していたソルのおかげで事無きを得た。
誓約者より調律者より護界召喚師より機界の守護者より―――、やはり母は強いらしい。