時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

双面冠者

始めて邂逅した時から、直感していた。
こいつとだけは、合わない―――――と。






「ふざけるな…! そんな事絶対に認めない!!」
目の前に立つ紅い外套の男をきっと睨みつけた。
理由なんて解らない、ただこの男の言葉だけは認めるわけにはいかなかった。
大を助ける為に小を犠牲にする。それは「当然」のことで、「仕方のない」ことで、そんな事は解っている、誰よりも。
だけど。
それを、目の前のこの男にだけは言われるわけにはいかなかった。言われたくは、無かった。
苛烈な士郎の視線を、紅い外套の騎士、アーチャーはついと瞳を細めるだけで受け流し―――ふ、と鼻からの吐息だけで笑った。
「認める認めないはお前の勝手だが。…もう一度言っておくが、サーヴァントに意見など求めるな。私は凛の所有物であるし、お前のセイバーもそれに然り。こんな戯言など無視して、精精無い知恵を絞っておけ。決して私のマスターの足手まといにだけはなってくれるな」
「っ…!!」
自嘲と忠告に散りばめられた嫌味に、反撃していいのか解らず士郎が詰る。それでもう話は終わりだ、というように、アーチャーはかつりと踵を回した。
「、ちょっと待て! 言いたいことだけ言って帰るな! 本当はお前が一番、そんなシステムなんてぶち壊したいくせに―――!!」
ぴたり、ともう霊体に転化しかけていた足が止まった。
「―――何?」
ぞくり、と背中が震えた。只でさえ冷えている夜の闇が、更に重さを増したような気がした。鋼がかった紫色の瞳が、酷薄な光を湛えて自分を睨んでいる。それでも、負けたくは無かった。必死に丹田に熱を込めて踏ん張り、人間離れした使い魔を見返した。
「…だってそうだろ。お前は、遠坂の意向を無視してまで、俺を殺したいと思ってるんじゃないか! それがお前自身の「意思」じゃないなら何だって言うんだ―――!!」
「黙れ!!!」
静かな空気を切り裂いて叫ぶと、それ以上の激昂が覆い被さった。と、思った瞬間――――


ダァン!!


「っが…!!」
思い切り、叩きつけられた。襟首を掴まれ、自分の家の土塀に。みしりと音が聞こえたのは、壁に皹が入ったのかそれとも自分の骨が軋んだのか。息が出来なくなり、士郎はかは、と小さく吐息を漏らす事しか出来なかった。
「貴様に何が解る―――その未だ何も知らぬ愚者の瞳に何が見えると言う! お前は何も知らなかった、只甘すぎるユメを夢見ただけだ!!」
「―――に、言って…っ」
苦しすぎる息の下から反論しようとすると、ますます指が首に食い込んできた。何とかその手を振り解こうとして、持ち上げた手を―――途中で降ろした。
力では叶わない、と諦めたわけではない。相手が遠坂のサーヴァントならば殺される事はない、と踏んだからでもない。
そんな打算は出来ない。只――――
「…ん、で、」
何で、自分を押さえ込んでいる相手の方が、そんな苦しそうな瞳をしているのか理由が解らなかったから。
二つの瞳がかちりと合わさる。一瞬の邂逅の後、逸らされたのはアーチャーの方だった。
「…だから、貴様は愚かだと―――」
言葉はもっと続く予定だったのかもしれないが、聞き取ることは出来なかった。喋るつもりも無かったのかもしれなかった。
その声は、もう一つの口の中に音にならず直接吹き込まれたから――――紛れも無いアーチャーの意思をもって、士郎の唇へと。
「ん―――――むっ!!?」
丸くて大きな目が更に見開かれ、息苦しさも忘れて士郎は硬直した。押し付けられる乾いた唇と、僅かに感じる吐息と唾液の味が変にリアルで、嫌悪感すら忘れた。
何をされているのか理解出来ず、又したくもなく。
何をしているのか理解出来ず、又したくもなく。
お互い目を見開いたまま、ただ押し付けるだけの口付けは。
どちらからとも無く、振り解くように離れた。
「お…おまっ! なに、考えてっ…!!」
驚愕に喉を詰らせながら乱暴に唇を拭い、一気に羞恥が顔に昇った士郎に構わずアーチャーは踵を返した。何も言わず、寧ろ逃げるようにその身を空気に溶けさせて。
ただ、消える一瞬前。
「必ず――――お前を」
ちゃんと聞き取れたのはそこまでで。



殺してやる、と続いたのか。
殺さなければならない、と続いたのか。


確認できないまま、言葉すら夜の闇に散り切った。



がくり、と士郎の膝が傾いだ。ずるずると土塀に背を預けたまま、その場にしゃがみこむ。もう既に喉の戒めは解けているはずなのに、上手く息を吸う事が出来ない。
「なん、なんだよ…一体……」
さっぱり解らない。あのサーヴァントの意思が。
何をしたいのか、何を叶えたいのか、―――何を残したいのか。何も、残したくないのか。
脳味噌の中の思考は、必死になって彼の行動・言動を全て否定しようと躍起になっているのに。
心臓の周りがぎしぎしと、まるで錆びた金属のように軋み続けていた。