時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

夜明けまで

かつり、と靴の踵が床を叩く音が聞こえた気がして、凛と士郎は同時に息を止めた。気配を殺して、ドアの向こうを伺う。
ざっと1分、外に何の動きも無いことが解って、また同時にふぅーっと息を吐く。
「なぁ遠坂、やっぱ止めないか?」
「今更何言ってるのよ、ここまで来たら絶対やるわよ」
まぁそうだけどさ、と床に描かれているほぼ完成された魔方陣を見下ろして溜息を吐く。
―――あの戦争から何年経っただろうか。今や時計搭の中でもかなりの地位と実力を築きあげた魔術師である彼女の弟子として、自分も住み込みを始めてからもかなりの時が過ぎた。自分も今では、「時計搭女子寮のブラウニー」というありがた迷惑な徒名で呼ばれる程には顔が売れてしまった。
そんな大変でありつつも楽しい毎日、突然自分の師匠である少女(もうそう呼ぶには失礼な程に美しくなったけれど)に、「儀式魔術やるから手伝いなさい」とのお達しを受けた。それならば何の躊躇いもなく引き受けるのは当然だったが、その内容を準備し始めてから知らされて、流石の士郎も難色を示さないわけにはいかなくなった。
何せ、聖杯の助けなく、英霊をこの地に呼び出そうというのだから。
無論、彼女が何の勝算も無くこんな賭けをしようとはしないのは良く理解している。秘蔵の宝石剣に魔力を充填させ、召喚に一番相応しい時と場所と、触媒も用意した。しかし―――
「バレたら怒られるじゃすまないだろ」
「当たり前でしょ」
魔法並みの奇跡をたった一人の手で行うのだ。もし時計搭の重鎮達に知られたら、良くて取り上げ悪くてモルモットである。第一、
「俺を触媒にするってのは無茶すぎるんじゃないか」
「何言ってるの、これ以上ないってぐらいの代物じゃない。曲がりなりにも同一人物なんだから」
「む」
そう、彼女が呼び寄せたいのは、嘗てあの夜を共に駆け抜けた紅い従卒。まだ誰にも知られていない、もしかしたら生まれないかもしれない、それでもその生き方のみが其処に存在する、そんな男だった。
士郎としては何とも複雑である。この世界で一番近く、だからこそ相容れない存在。万一呼び出されたとしても、呼び出されなかったとしても、どうにも居心地が悪い。
「…まぁ、呼び出せない時はそれでもいいわ」
「え」
驚きに、目を見開いた。彼女があの男に再会する事を渇望していたのはよく知っている。何故、と問おうとして、彼女の横顔を見て口を噤んだ。
彼女は微笑んでいた。これだけの準備をして、もし呼び出せないとしたら―――これは自分の実力不足では決してなく、士郎と「彼」が別人となりつつあることの証明になるのだから、とその顔が言っていた。
「…解ったよ。とっとと済ませちまおう」
「あら、いきなり素直になったわね。何よ」
「波風立てずに早く終りたいんだよ」
心に沸き上がる感謝の念を如何にか堪えて、ぶっきらぼうに士郎は呟く。
だから、うっかり失念してしまったのだ―――後から考えて、自分も師匠に毒されてきたのかと頭を抱えるぐらいには。
そう、肝心なところで、うっかりとんでもないミスをやらかす、遠坂凛の遺伝的欠陥を――――。


×××


ロード・エルメロイU世は、不機嫌であった。彼の機嫌が良い時の方が珍しいと言うのが事実ではあるが、いつにもまして不機嫌であった。
自分の教え子の中では一番の実力者であり同時に一番の問題児である娘が、弟子を引き連れて何やらやらかそうとしているらしい、というタレコミが、彼女のライバルから注進されたのである。
「ったく、世話のかかる…」
ぶつぶつと愚痴りながら、大股で廊下を歩く。魔術師としての実力は、教え子の方が絶対的に高い為、下手な使い魔の捜査では逃げられてしまう。やむなく、魔術師としては下策である、地道に足で稼ぐというようなことをやらざるを得ない。
しかしそれでも、グレートビッグベン☆ロンドンスターの通り名は伊達ではなく(本人としては馬鹿にされているとしか思えない通り名であるが)、やがて彼女達が潜んでいるであろう部屋を突き止めることが出来た。耳を澄ませば、何やら呪文を唱える気配。遅かったかと舌を打ちつつ、何の躊躇も無くその部屋のドアを蹴り開けて飛び込む。
「お前等! 一体何をやって―――」
「えっ!!?」
「馬鹿遠坂、途中で止めるな…!」
儀式に集中して全く気づいていなかった凛、慌てて静止をかける士郎、そして部屋に踏み込み、彼女が何の儀式をしようとしていたのか、自分が踏んだ魔方陣を見て気づいたエルメロイU世――――
そんな三人の思考を断ち切るかのように、



――――どんがらがっしゃ――――――――んん!!!



落雷が、落ちた。そうとしか思えない音が、学園中に響いた。
この部屋にではない。もっと上階の―――例えば、教師達の私室があるところあたり。
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙が、痛い。
全員、後から後から沸き上がる嫌な予感に、口を噤むことしか出来ない。
「…………ミズ・トオサカ。話はじっくり、後で、聞かせてもらう」
漸く、エルメロイU世が口を開いた。その声は果てしなく重いが、どこか戸惑っているようにも聞こえる。幸い、もうどうにでもなれといわんばかりに俯いている士郎と、重圧に耐えつつそれでもちゃっかり一番ばれたくない宝石剣を隠している凛はそれに気づく事は無かった。
「上は私が見てくる。ここの片づけが終ったら―――否。明日で良いので、私の研究室に来るように」
「は、はい」
凛の返事を聞く暇も無く全力疾走でそこから駈け去る、非常に珍しいエルメロイU世の姿を見送って…どちらかとも知らず、はぁーっと長い溜息を吐いた。
「…意外だったわ。もっと怒鳴られるかと思ったんだけど」
「呆れてものも言えなかったんじゃないのか」
「う」
珍しく士郎の突っ込みに応えられずに凛が黙る。改めて宝石剣を取り出し、むぅ、と唇を歪めて見せた。
「…ああ、もう! あれだけ貯めておいたのに殆ど無くなっちゃったじゃない!」
「なんでさ。儀式は失敗したんだろ?」
「だって、無くなってるんだもん」
子供のような言い合いをしてから、はた、と目を合わせ直す。
あれだけ貯め込んでおいた魔力が、一体何処にいったのか。霧散したとしても、今この場のマナの密度は余りにも薄すぎる。
それに気づいてから、師弟は―――先刻からの嫌な予感が消えずに更に膨らみ、もう一度顔を見合わせるのだった。





廊下を蹴立てて、エルメロイU世が走る。生徒や同僚に奇異の目を向けられても気にせずに走る。
自分の部屋に近づく毎に、その気配が濃くなるのが解る。そうだあれはいつだって、自分の気配なんか消しもせずに。そのせいで自分がどれだけ苦労させられたか。
散漫になる思考を堪えて、息が上がってきたがそれでも走る。自分の部屋の周りに出来ている人だかりを掻き分け、「始末が終るまで誰も入るな!」と怒鳴るのが精一杯、幸い無事に堅牢さを保っていたドアの隙間に滑り込んで、鍵をかける
ところまで動けた。安堵に息を吐いた瞬間、
「おう、久しぶりじゃのう坊主! なんじゃ随分と背が伸びおって! 良い良い、実に結構!!!」
胴間声がびりびりと部屋中に響き、エルメロイU世―――もう呼ばれることが滅多に無くなった本名を、ウェイバー・ベルベットと言う―――は、
「…っ、第一声がそれかぁッこの馬鹿サーヴァント――――!!!」
驚愕も感動の涙も全てすっ飛ばしてそう叫び、馬鹿でかい男の赤い頭をすぱーんっ! とひっぱたくことしか出来なかったのだった。
「なんじゃ、久々の再会につれないのぅ」
「お前に! 言われたく! ないッ!! 何でいるんだ何でなんだおかしいだろこんなのー!!」
全く揺らぎもせずぽりぽりと頭を掻く、古臭い鎧に身を包んだ男に対し、ウェイバーは却って痛くした腕を振りながら噛み付いた。喋り方も一気に10年以上前に戻ってしまっているが、気付く余裕も無い。
「第一、何でボクのこと覚えてるんだよお前ッ! 座に戻れば記憶なんて消える筈…!」
そう、英霊とは時の流れとは分断された一夜の夢のようなもの。英霊自身にとっても、現世はつかの間見る夢でしかない。
いかにサーヴァントとして呼び出されようとも、その間如何なる運命を歩もうとも、座に帰ればその経験はあくまで「知識」としてしか残らない。彼の記録の中にあるのはあくまでウェイバー・ベルベットであってロード・エルメロイU世ではない。
その筈、なのに。

「何を言うか。盟友と認めた男を余が忘れるわけがあるまい」

そんなことを。本気で、さらりと言い放つから。
「おぅ、泣け泣け。それは恥じる涙では無いぞ。お主も中々、余の軍勢に加わるという意味を解ってきたようだな、んん?」
茶化すように、それでも優しい声にどうしようもならなくなって、ウェイバーの喉の奥から、堪えきれない嗚咽が漏れた。
大きな手が頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるが、それを咎めることも止めることも出来なかった。




研究室に持ち込んでおいた酒瓶は粗方空になっていた。かの征服王のおめがねに叶って逃れることなど出来ないのは解っていたし、ウェイバーも止める気は無かった。
王手ずから、なみなみと注がれた酒を躊躇い無くウェイバーが一息で飲み干すと、イスカンダルはやんやと喝采して、嘗てよりかなり広くなった背を遠慮は無用とばかりばしばしと叩く。
「見事見事! さし合えるようになったではないか、余のマスターとして相応しいぞ」
「…訂正しろ。お前と私はもうマスターでもサーヴァントでも無い」
酒のせいだけでなく目の縁を赤くしたウェイバーは、先刻までの動揺を知らぬげに、冷静に言葉を紡いだ。数時間前の、叫んで暴れて口癖も昔に返ってあまつさえ泣いた、という不名誉この上ない記憶をドラム缶に詰めて北極海に沈めたい。
この酒盛りはそう願ってしまった故の酒精への逃げでもあった。
「何を言っておる。今余がここにおるのは間違いなくお主が繋がっておるからだぞ。そら、正しくあの時の再現ではないか」
「マスター」のつれない言葉を豪放に笑い飛ばすイスカンダルを睨みつけながら、やはりそうかと内心ウェイバーは溜息を吐いていた。あの時、教え子の組んでいた魔方陣と、擬似的に繋がったパス。どんな奇跡を起こしたのか、或いはどんなポカをやらかしたか知らないが、本気であの教え子は自分の力だけでサーヴァントを呼び出すという暴挙をやってのけたらしい。乱入者のせいでかなり捻じ曲がった召喚と契約になってしまったようだが、しかしそれなら。
「なんでお前が来るんだよ。お前を呼べるだけの聖遺物なんてそうそう手に入るものでも―――あ」
疑問を提示しているうちに答えに辿り着いた男は、隣の男の不思議そうな視線をかわして苦虫を噛み潰した顔をする。そうでもしないと、口の端が裏腹に緩んでしまいそうだったからだ。
あの時、魔方陣に入り込んでしまった自分が、この目の前の馬鹿でかい―――自らの王を呼んだのだとしたら。
恥ずかしいのか嬉しいのか情けないのか、判別のつかない感情を押し殺す為、ウェイバーは杯を重ねることに躍起になった。
アルコールで緩んだ瞳で、隣を見る。馬鹿でかい男は、一体何が楽しいのか、やはり豪放な笑顔を振りまいて杯を呷っている。
ウェイバーの心も自然と沸き立つ。もう二度と会えないはずの、自分の王が、今ここに存在している。有り得ぬ邂逅が叶った事が、何より嬉しい。
だがそれと同時に、ウェイバーの優秀な分析力は冷静に今の現状を把握している。言いたくないと駄々を捏ねる自分の餓鬼臭い葛藤を押し込めて、静かに言葉を紡いだ。
「で、お前。いつまで保つんだ」
「うん? そうさなぁ…」
一度目をぱちりと瞬かせたイスカンダルは、まるで悪戯がばれてしまった子供のように誤魔化し笑いをすると、それでもやはり悠々と宣言した。
「ざっと見積もって、日の出までと言ったところか。まったく短すぎるのぅ、これでは戦も出来ん」
「ッ……」
反射的に叫びそうになった罵声を喉の奥で如何にか磨り潰した。そう、解っているのだ、こんな出鱈目な奇跡が長続きするはずなど無いと。僅かな時が過ぎれば、全て消える。夢の、ように。
「おいこら、また泣くでないぞ」
「誰が泣くか!!!」
慌てて瞬きし、潤みかけた目尻を誤魔化す。それに気付いているのかいないのか、イスカンダルはあくまで鷹揚に笑った。
「なに、戦でなくても構わん。折角現界できたのだ、美味い飯が食いたいのぅ。坊主、いい店を知らぬか」
「…坊主言うな。それと、この国の食事には全般的に期待しないほうが身の為だ。略奪したってそれに見合うものは手に入らないと見ていいな」
「何と!!? 嘆かわしい、美味い飯は人生を楽しむに不可欠なものだというのに」
大袈裟に頭を振って嘆くイスカンダルを見て、そう言えばとウェイバーも思い至った。初めてこの大男と出会った時、言われた台詞を。曰く、人生を楽しむとは戦、眠り、食事、そして―――
「……………いや、違う。違うだろ普通。何考えてるんだボクは」
脳裏にぴかりと閃いたその単語と作戦を、慌ててウェイバーは封じ込めた。抑え切れない動揺が語尾に滲んでいるが、幸いなことに気付かれなかった。
「ふーむ、仕方ないのう」
「ってオイ待て何処へ行く!!」
「飯が駄目なら美女を探すぞ。まさかそれまで期待できぬほど世知辛い場所ではあるまい?」
「こんの馬鹿アアアア!!! 外へ出歩くなあ!!!」
しれっと言い放った王の言葉に、再びウェイバーは叫ばざるを得なかった。こんな「歩く奇跡」をこの部屋から一歩外へ出したらどんなトラブルが降りかかるか解らない―――主に自分に。怒鳴られまくって流石に気分を害したのか、むうと眉間に皺を寄せてイスカンダルも反論する。
「では如何しろと言うのだ」
「何も! するな! 頼むからッ!」
「それでは折角、三度この地に降り立った楽しみが何もなく終るではないか!」
「だからッ…ああ、もう!!」
子供のような駄々捏ねでしかないのに、言葉に詰まってしまったのは、イスカンダルが発した「終る」という言葉で。
酒で思考力も低下していた、うっかり思いついてしまった、色々と言い訳は出来るが、結局は。再び会えた彼の願いを少しでも叶えたいと思った、ただそれだけで。
「そんなにしたいならボクを使え、この馬鹿ッ!!!」
一秒後に後悔する、そんな台詞を叫んでしまったのだった。




「……無理はせんで良いぞ?」
「っ、無理なんかしてない!」
珍しく、本当に珍しく、素で気を使うような台詞をイスカンダルに言われてしまい、やはり条件反射でウェイバーは意地を張ってしまう。
「やれやれ、泣いても止めんぞ」
「だから誰が泣―――ッ!!?」
不意にぐいっと腰から太い腕で引き寄せられ、叫ぶ唇を無理矢理塞がれた。
「ふ、む―――…ッ、ん、ぶ」
「…、泣いたではないか。一度」
「ッッッッ!!!!」
嫌な記憶を掘り起こされて、ウェイバーの顔に一気に朱が集まる。反論しようとしたが、腰と着衣の間に無遠慮に手を突っ込まれて、その感触に肌が粟立って止まってしまう。
「う、ぎゃ!?」
「色気無いのぅ」
「あってたまるか! お前こそ乗り気じゃないんなら手ェどけろ!!」
「まさか」
羞恥混じりの反論は、あっさりとした声音で封じられた。え、と小さく呟くウェイバーから目を逸らさずに、彼の王は笑って言った。
「友と肌を合わせるも、美女とはまた違った趣がある。坊主が良いのなら、止める理由は無いわい」
あ、そういえばコイツ、キリスト教が広まる以前の存在だった、と今更ながらウェイバーも気付く。所謂同性愛が禁忌とされたのはかの経典が確立されてからのことだ。本当に彼にとっては、あくまで趣味嗜好の問題であって忌避は無いのだろう。
思考が一瞬逸れた隙を狙ってか、無骨すぎる掌が中心を掴み取る。力はゆるりと込められたが、急所を握りこまれた為の緊張が背を硬くする。しかし宥めるように先を撫でられると、その力も段々と抜けていった。
「…、ッ……」
僅かな水音が皮膚の間から聞こえて、自分の無様な姿が想像できて目を瞑ってしまう。しかしそのせいで、しがみついている体温がより熱く感じ取れて、それが却って快楽に転化された。それを見越したかのように、相手の手の動きが早まる。
「ぁ、ぅ、ちょ、待…ッ!」
「そら、一度気をやれぃ」
「ンぐ! ぅ―――…!」
容赦の無い擦り上げに、耐え切れずウェイバーは白濁を吐き出した。は、と短く息を吐いてから、我ながら早すぎないかと屈辱と羞恥が蘇る。
―――そんなにも、自分は。この男に触れることを望んでいたのか。
相手の肩にしがみついたままぼうっとしてしまったウェイバーをどう思ったのか、よいせ、と小さく声を入れてイスカンダルがウェイバーを引き剥がす。
「まだ終っとらんぞ。良いのか?」
「…嫌だって言ったら、止めるのかお前」
「いや、それは御免被るが」
「だったら聞くな!!」
「あー、よしよしがなるな」
ひょいとまた、まるで子供のように抱きかかえられ、嘗てよりずっと伸びたはずの身長でも届く事すら出来ないことに気付かされて機嫌の波が下がる。
「誰のせ―――ぅうあ!!」
ぐり、と後ろに擦りつけられていた太い指が、皮膚の内側を抉ってきた。反射的に痛みを叫びそうになる唇を噛み締める。この男の前でもう弱音は吐きたくなかった。
外見内面ともに成長した筈なのに、こんな所だけは変わっていない自分のマスターのそんな姿を横目で見て、やれやれとイスカンダルは苦笑する。
「全く、意地の張り所が違うと言うに。痛かったら痛いと言え」
「っ、誰、が…!」
生理的に涙を浮べながらそれでも堪えるウェイバーを素直にするべく、イスカンダルは積極的に前後に這わせた指を動かしてやる。
「ぅあ、あ、っぐ、ん――!」
ぬるついた指は自分の吐き出した液のせいだと解るのがまた羞恥心を煽り、内臓を掻き回される感触に快感と不快感が同時に襲ってくる。上擦る声が嫌で、丸太のような首筋に咄嗟に歯を立てて堪えた。
と、狭い部分にぐりり、と熱いものが押し付けられ、びくりと震えた。昔一度だけ見た、あまりと言えばあまりにも凶悪なあれが、自分に押し付けられているのであろうことが感触で解った。
正直青褪めるが、逃げるのは嫌だし逃げたくも無い。次の瞬間来るであろう痛みと衝撃を耐える為、思い切り息を吸い込む。
めり、と音がした。
「いッッ…〜〜〜〜〜〜!!!」
勿論気のせいのはずだが、そう聞こえたと思える程の蹂躙だった。痛い。あの聖杯戦争の時だってこんな痛い思いはしなかった。
声も出せずに、がりがりと相手の背中を掻き毟る。きっと血が滲んでいるのだろうが、そこまで気を回すことも出来ない。
「ようし、もうちょい我慢しろ」
「っ、まだ、かよ…!」
「まだ先っぽだけだぞ」
「マジで…?」
痙攣しかける歯を噛み締めながら、恨みがましく隣を睨みつける。どうやら蹂躙者もきついらしく、苦笑を返してきた。
「一旦抜くか?」
「いっそ一息にやれぇ…!」
「おぅ、解った」
こんな痛みを2度3度味わうなら1回きりで終ったほうが幾らかマシだと思ったのだが、一呼吸も入れずに先刻以上の衝撃が来た。
「――――ッッ…!!!」
目を見開き、背を仰け反らせた。息苦しさと痛さに声も出ない。宥めるように無骨な手が、何度も背を撫でる。
その手も、汗ばむ肌も、今自分の中に在る楔も、腹立たしくも間違いなく、今ここに存在しているのに。
「ッ……る、な」
「うむ?」
漸く搾り出した声は聞かれなかったらしく、不思議そうに問うてくる。もう耐え切れず、理性を振り捨ててウェイバーは叫んだ。
「消える、なぁ…ッ!!」
またがりり、と広い背中に爪を立てて叫んだ。生温い液体が指にこびりつくのすら解るのに、もうあと僅かでこの体躯が消えうせてしまうのが、どうしても嫌だった。
イスカンダルは、困ったような顔で、それでもどこか満足そうにぽりぽりと自分の頭を掻いてから、答えずにただ、ウェイバーの頭をぽんぽん、と撫でた。





腰から全身に重い鈍痛が走り、立ち上がるのは愚か動くことすら出来ない。このまま意識を飛ばしてしまいたいほどに、疲労が身体を苛んでいる。
そんな状況で、ウェイバーはそれでも必死に下がる瞼と格闘していた。隣には、この惨状をやらかした男が大の字で寝転がっている。
窓の外は明るい。もうじき、夜が明ける合図。
「寝ないのか、坊主」
「……………」
イスカンダルの声にからかいが混じっているのは解ったので、不機嫌そうに眉を顰めるだけで答えた。日が昇ったら、きっとこの男は消えてしまう。何事も無かったように、後腐れなく。
箍を外して本音を叫ぶのは、あの一度きりでいい。答えが貰えるわけでもないし、覆す術もこの身は持たない。
ただ、覚えておきたいだけだ。この男が此処に存在したという証を、最後の最後まで。
と、何を思ったのか不意にイスカンダルがごろりと寝返りをうち、伸ばした片腕でウェイバーを抱き寄せた。
「っ、おい?」
「寝ろと言うに」
「止めろ気色悪い!」
「供寝をしたというのに、つれないのぅ」
当然言葉以外の抵抗は出来ず、太い腕の中に諦めて収まることになった。疲れた体に人肌の温もりは耐えがたい拷問だ。瞼との戦いがどんどん不利になっていく。
更にまた、宥めるように頭を撫でられて。
「安心せい、お前が起きるまではここにおるさ」
そんな優しい、嘘を吐くから。
「…子供扱い、するな。とっとといなくなれ」
自分もそうして、嘘を吐いて。
硬い温もりに包まれて、目を閉じることにした。
意識が落ちるその瞬間まで、頭を撫でるその腕は、ずっとそこに在った。