時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

闇飴

「大体さ、見舞いに来る根性もお前らしくて馬鹿げてるけど、その見舞い自体もしょぼいよね。何だよそのしなびたミカン、普通病院に持ってくる果物っていったらメロンだろ、もうちょっと気の利いたものを持ってこれないわけ? まぁ衛宮に期待する方が間違ってるか…」
「ほら、慎二剥けたぞ」
「聞けよ人の話を!!」
見舞いに来てもらっている患者の言葉とは思えない皮肉と嫌味のマシンガントークが、どこかすっ呆けたのんびりした声に阻まれて止まる。この病院において日常茶飯事になってしまっていた光景に、廊下を通り過ぎる看護師や入院患者達は開け放たれたドアの向こうに見えるそれにやれやれと苦笑を漏らした。
「ちゃんと聞いてるよ。仕方ないだろ、今家には藤ねぇのせいでミカンが有り余ってるんだ。最近エンゲル係数が高くなったからそんな高い見舞いなんて買えないし、これでも箱の中から美味そうなの見繕って持ってきてやったんだから食べてくれよ。ほら」
寝巻き姿のまま身を起こして不遜に言い募っていた慎二に対し、ベッド横の椅子に座って膝の上で大きめのミカンを剥いていた士郎は、なんの躊躇いも無く一房ちぎったその身を慎二の口元に持っていった。我知らずぎょっとして慎二が後退る。
「? どうした、白いひげも取んないと駄目か? 贅沢な奴だな」
「っ、違うよ! 別に一人で食べれるから寄越せよ!」
きょとんとして首を傾げる士郎に、何故か僅かに顔を赤らめて慎二はミカンをひったくった。無造作に口に放り込んだそれは、確かに厳選されたものらしく味が濃くて甘かった。
その光景に満足げに士郎は頷く。あの突拍子もない戦争から数週間経ち、犠牲は決して少なくなかったが街は元の顔を取り戻しつつある。危うく聖杯に成り果てようとしたところを助け出された慎二も、遠坂ゆかりの病院でこの通り嫌味を言える程には回復した。あれ以降、魔術師に対する歪んだ拘りも、桜に対する理不尽な暴力もなりをひそめている。理由はきちんと理解できないまでも、そのことが単純に嬉しい。
「…何へらへら笑ってんのさ。気持ち悪いな」
不機嫌そうにミカンをもぐもぐやりながら慎二が睨むが、士郎にとっては暖簾に腕押しプリンにお箸。そんなもので堪えているようだったら慎二の「友人」はやっていけない。
「あ、そうだ。桜に聞いたんだけどお前、最近魘されてるんだって? 大丈夫か? ちゃんと眠れてるか?」
ふと本日学校で、彼の妹であり自分の後輩である少女に言われたことを思い出した。わたしが聞いてもはぐらかしちゃうんです、と彼女は言っていた。先輩にだったら、話してくれるかもしれないと。
「あのおせっかい…別に、気にかける程のことじゃないよ。却ってお前がいる方がゆっくり休めないんだよね。桜もまたお前んちに入り浸ってるらしいし、早く帰れば?」
おざなりに食べ終わったミカンの皮を押し付け、慎二はもぞもぞとベッドに潜る。士郎は持ってきたビニール袋にその皮を入れながら、何でもないことのように呟いた。
「なんだ、桜が見舞いにこないから拗ねてるのか? 俺と交代で来てるんだから贅沢言うなよ」
「な、ばっ…何でそうなるのさ!!」
「あ、いけね、今日買い物しないといけないんだった。じゃ、俺帰るけどちゃんと寝とけよ?」
「だからお前聞けよ人の話をっ!!」
壁にかかった時計を見て、徐に立ち上がって帰り支度をする士郎を怒鳴って見送り、慎二は憤懣やる方なくベッドの上に寝転ぶ。
不意に、窓の外を見遣り―――太陽が山辺の向うに沈み、世界が茜から藍に変わっていく様を見て、自分で気付かないうちにぶるりと身体を震わせていた。






体が、ずるずると何かで撫でられていく。
例えて言うなら、あれだ。夏場に海に行くとあちこちに流れ着いている海草。あれが海の中にいるときそのままに、ゆらゆら揺れて足元から絡み付いていく。
(…気持ち、悪い…っ)
やっかいなことに、それはやっぱり海草のようにぬるぬると濡れていて、振り解く事も掴んで剥がす事も出来ない。
その気色悪さにうめくと、それに反応するかのように更に絡みつきが酷くなる。否―――もはや絡みつき等という生易しい代物ではない。肌にぺとりと貼りついたそれは、まるで水面に置かれたようにずぶずぶとぬるぬると、肌の中に沈んでゆく。そのまま溶けて、質量がそのままに自分の体と同化していく。
(嫌だ……いやだ…)
体は少しずつ重くなり、ろくな抵抗が出来なくなり、感覚すら飲み込まれて、何も―――
(助けて、助けて、助けて…!!)
みっともなく泣きじゃくって助けをこうても、もう声すら出すことが出来ないはずなのに。
『どうしたんですか? これは貴方が望んだことでしょう?』
その声を聞いたかのように、返事が闇の奥から返ってくる。
『魔術師になりたいんでしょ? その為にはこれぐらいのこと、いくらでもやらなきゃいけないんですよ?』
気がつけば、自分の中心が痛いほどに立ち上がっていた。こんなことあるわけが無い、体中不快感でのた打ち回っているのに、その一部分だけが酷く熱を持って苦しい。
『もう根をあげちゃってどうするんですか――――』
口調は優しいのに、その声はどこまでも冷たくて、恐怖に駆られて無理やり瞼を開けると、
『ねぇ―――――兄さん?』
いもうとが、わらっていた。
そのまま、じぶんの からだ は  くろいなかに ずぶ  ずぶずぶ ず





「あ、あああっ!!?」
がばっと音を立てて、慎二は布団を蹴立てて飛び上がった。慌てて体中を擦り、あの忌まわしい感触が完全に消えている事に気づき、周りが静かで誰もいないことを確認するため首を巡らし―――
「―――慎二! 大丈夫か!?」
「ッ―――!!?」
徐にシャッとベッドを仕切る味気ないカーテンが引き開けられ、驚きと心配で顔をいっぱいにした士郎が飛びこんできて、慎二の思考は完全に停止した。
「やっぱり凄くうなされてたんじゃないか…うわ、汗も酷い。ちょっと待ってろ、今――」
「…なん、で」
「ん? どうした、慎二?」
「なんでっ、お前がいるんだよ!!!」
混乱した頭のまま、慎二は叫んだ。理解できなかった。夜の夜中の病院、当然もう面会時間は終わっているところに彼がいることも、他ならない彼に、一番見られたくない様を見られたことも。
まだ震えの残っている自分の肩を抱きしめて、慎二は必死に目を逸らす。対する士郎はやはり冷静に、しかも真剣に答えた。
「仕方ないだろ、気になったんだから。一回帰ってから、人気の少ないリネン室で時間潰して今まで隠れてたんだ。尋常な魘され方じゃなかったぞお前、本当に―――」
「…っどうして!」
「慎二?」
真剣すぎる、絶対偽りなど一分も入っていないその言葉で、慎二の堪忍袋の緒がぶつんと切れた。許せなかった。そんな馬鹿なことをなんでもないことだと言いきれてしまう、士郎の馬鹿さ加減が。
「どうしてお前はいっつもそうなんだよ! いっつもいっつも、面倒くさいこと率先して喜んでやってさ! 馬鹿だよお前、正真正銘の大馬鹿!!」
士郎のそんな歪な誠実さが、慎二は大嫌いだった。何故ならそれは本当に歪なのに、どうしようもないぐらい―――純粋で、輝いていたから。眩しくて、見ていられないから。正しいはずの自分の方が―――どうしようもなく醜く、思えてしまうから。
「落ち着けよ慎二、お前が騒ぐと看護婦さんに見つかる」
「うるさいうるさいっ、衛宮なんて大嫌いだぁ!!」
「ああもう子供かお前は…!」
先刻までの夢が拍車をかけてしまったのか、本当に子供のようにむずかって手足をばたつかせる慎二をどうにか落ち着かせようと、士郎は片膝をベッドの上にかけて、暴れる慎二の肩を抱きしめた。驚愕に一瞬慎二の動きが止まるが、すぐさま今までの倍の強さで暴れだした。
「な、何すんだよ、離せよ衛宮っ…!」
「はいはい俺が悪かった、悪かったからとりあえず落ち着け、な? 嫌いでいいから…」
本格的に子供をなだめる言い草に、慎二はまた激昂しそうになった。しかし同時に、背中に回された手がゆっくりゆっくり上下に動き、寝汗が乾いて冷え切った体に与えられた温もりが自然に心地よいと感じた。いつしか抵抗は止み、慎二は大人しく士郎の腕の中に納まった。
「…慎二、さっきのお前はどう見ても尋常じゃなかった」
「………………」
答えは無い。今更ながらに取り乱した自分が恥ずかしくなったらしく、唇を尖らせたまま士郎の肩に額を乗せて表情が見えないようにしている。
「原因があるとしたら、やっぱりあの泥だろ。一度遠坂に見てもらった方が―――」
「冗談…! あんなの見せられるわけないじゃないか!!」
「慎二っ? 何か心当たりがあるのか?」
思わず、という風にがばっと顔を上げて声を荒げた慎二に、士郎の方がきょとんとする。問われて漸く我に返り、はっと目を逸らすが、士郎がその程度で諦める筈も無い。最早開き直って、慎二は早口で矢継ぎ早に言い募った。
「しつっこいな、そんなに聞きたきゃ教えてやるよ…! ああ酷い夢だよ悪夢だよ、毎日毎日同じのばっか! 真っ黒い泥だか海草だか知らないけど、どんどん絡み付いて体の中に沈んでく! 気色悪くてどうしようもないのに逃げることも出来なくて、何よりそれを俺にけしかけてるのが―――桜なんだよ!!」
「な――――」
そのあまりにもな内容に、流石に士郎が目を見開く。却って慎二はそれに快哉を叫び、ますます嘲るように言葉を紡ぐ。
「ははは! 何だよその顔、今更聞かないってのはナシだぜ? あいつがにやにや笑いながら、俺の前に股開いて誘ってくるんだよ! 気持ち悪いのに俺のだけ元気で勝手にそん中に入ってって、そのまま体ごと全部全部あの中に―――!!」
「慎二、もういい!!」
「ッ…!!」
一度離れていた腕が、再び慎二の体を引き寄せた。さっきよりも、強く。
「無理するな、慎二…思い出させて、悪かった」
「は、何いってんのさお前、無理なんか…」
「泣いてるだろお前…! 充分無理してるよ…」
「え――…あ」
言われて初めて、頬が濡れていることに気づいた。
「ごめん。夢だから気にするな――なんて言えないよな」
「あ、当たり前だろっ…! 何だよ、お前が忘れさせてくれんのかよ!」
慌てて無理やり手を伸ばして涙を拭い、必死に虚勢を張る。それが今慎二に出来る唯一の自己防衛だからだ。彼にとっては士郎も、自分を暴き立てる敵でしかない。
「…何か方法があるか? 俺に出来ることだったら、何でもする」
それでも士郎は、やはりそう答えてしまうから。
「ッ―――!」
慎二は怒りのあまり、士郎の体を無理やり引き倒した。
「慎二っ!?」
「何だよ、忘れさせてくれるんだろ? 何でもするんだろ? だったら―――犯らせろよ、忘れさせろよっ!」
「馬鹿、何考えて―――ッ」
慌てた士郎の声が止まる。服の上から無理やり、自分の中心を握り締められたからだ。そのまま慎二は手を止めず、無理やり立たせるように刺激を与えてジーンズの前を寛げた。
「慎、二―――本気か」
「はは、怖気づいたのか? 当然だよな、そこまで出来るわけ――」
「違う、そうじゃなくて」
「うるさいな黙ってろよ…!」
いまいち本気で拒みきれていない士郎に対し、慎二は無理やり士郎のパンツを下着ごと引き下ろす。潤いがあるわけがない後門に、僅かに立ち上がっただけの慎二のそれが押し付けられて、流石に士郎がぐっと喉の奥で息を呑む。
その仕草に溜飲を下げて、慎二は自分の体を押し進めようとして―――

ぞくり、と肌を波打たせた。

「う…あ―――」
か細い悲鳴が、慎二の唇から漏れる。その音は紛れも無い恐怖。夢のシーンと現実が縒り合わされて重なる。
闇の空洞に、そのままずぶずぶと、引きずり込まれて―――
「ひ、あ、や、やだぁああっ!!」
「慎二!!」
恐慌状態に陥った慎二を、三度士郎がその腕で抱き止めた。今度は慎二も抵抗せず、寧ろ夢中で士郎の首にしがみついてきた。
「あ、やだぁ、やだよ衛宮ぁっ…!」
「大丈夫、大丈夫だから落ち着け、」
「こわいよっ…のみこまれるっ…!!」
「大丈夫だ、俺は絶対そんなことしないから!!」
震え続ける慎二の体を抱きしめたまま、どちらからともなく二人はベッドに横になる。それでも未だパニックから戻ってこれないらしい慎二を、少しでも気が紛れればいいと思ったのか、士郎は無造作に縮こまった慎二のそれに手を伸ばして、ゆっくりと撫でた。
「あ…、衛宮…?」
びくん、とやはり体を震わせる慎二の頭を、空いている方の手でぽんぽんと叩いてやる。すっかり大人しくなった慎二は抵抗せず、緩やかなその動きに少しずつ身を任せだした。
男同士、感じやすい場所は解る。それでも出来る限り相手に恐怖心を与えないように、士郎は真剣に、丁寧に手を動かす。じわじわとその部分が充血して、硬さを増してきた。
と、手持ち無沙汰にシーツの上をさまよっていた慎二の手が、不意に士郎のそれに伸びた。
「っ、慎二?」
「ず…るいぞ、お前ばっかり、勝手にっ」
僅かに熱に浮かされていてもその物言いはやはり士郎が良く知る慎二のもので、却って安心した士郎は扱う手を少しずつ早く動かしだした。
「ん…くっ、衛、宮、衛宮ぁ」
「ぅ…あ…、慎二っ…」
お互いの名前を呼ぶと、手の中の塊がびくりと震えるような気がした。お互いの呼吸は知らずに荒くなり、動きは自然に合わさっていく。
「ぁ、ぁ、衛宮、ャバ、ぃっ」
「っ、く、俺、ももうっ…」
「んっ、ア! やっあっアアッ…!」
「く、ぅ――――…ッッ!!」
びくびく、とした痙攣とともに、お互いの手の中に白い液体を吐き出した。どうしようかと一瞬悩み、仕方ないかとシーツで乱暴に拭った士郎は、ふともっと騒ぎそうな相手が何も言わないことに気づいた。
「慎二?」
隣の相手は、絶頂に達したことで気をやったようだった。くったりと体を弛緩させて、そう簡単に戻ってはこれないようだ。
「…ふぅ」
士郎は一つだけ複雑な溜息を吐いた。とんでもないことをしてしまった自覚はあるし、目が覚めた慎二にそれこそこっぴどく怒られそうな気もする。慎二の見た夢の内容も気にかかるし、そうなるとやはり遠坂に相談しなければならなくて、そうすると今夜のことも逐一ばれそうな気がする――――
「んぅ…」
満足げに、きっと夢など見ていないのであろう慎二の寝息が、至近距離で士郎の鼻の頭をくすぐる。それで我に返った士郎は苦笑して、
「…とりあえず明日、考えようか」
それだけ言って、無理やり敷布を引っ張って自分達にかけると、ちょっと考えてそっと両手を伸ばし、慎二の頭を抱きこんだ。寝苦しいかなと心配もしたが、腕の中の柔らかいウェーブのかかった頭は満足げに首筋に擦り寄ってきたので、ほっと息を吐いてそこに自分も体を落ち着けた。
明日の第一声は、慎二の叫びか看護婦さんの金切り声か。
…そんな洒落にならないことを考えつつ、士郎もゆっくり眠りに身を任せることにした。