時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

ハングリィナイツ

何故自分がこんな状態に陥っているのか、セイバーは一生懸命考えていた。きちんと正座したまま、形の良い眉の間に皺を作って唸りながら。
その前には焚き火が一つ。ぱちぱちと薪が爆ぜる音が聞こえる赤々とした炎。
その周りに、枝に刺されてその身を炎に晒している哀れ且つ香ばしい匂いを発する川魚が数匹。
「ほら、これもう焼けてっぞ」
それを抜き取りなんの躊躇いも無く自分の前に差し出す、青くしなやかな鎧を付けた、自分の敵である筈の槍騎士。
セイバーはもう一度はぁ、と溜息を吐き、梢の間から見える青い空を仰いだ。








事の起こりは朝まで遡る。
セイバーはいつも通り、自分の主である士郎の作った朝食に舌鼓を打っていた。しかしこの日、衛宮家の朝食は非常に人口過密状態であり、炊いておいた白米が食事半ばで尽きた。性格には、セイバーの腹五分目辺りで尽きた。不満はあったが無い袖は触れない。士郎に「お昼はいくらでもお代わりしていいから」と宥められて落ち着いたものの、やはり満腹にならないお腹は寂しいものがあった。
空腹を堪え、ふらふらと家の敷地外に出てしまった事がそもそもの過ちだ、とセイバーは自分を責める。いくら最近緊張感が無く、家には凛や桜がいるからマスターの安全は保障されている―――別の意味で安全は無いと同義なのだがセイバーはそれに気づいていない―――からといっても、軽率過ぎた。
道の周りが草深くなってきた辺りで、香ばしい匂いを嗅いだ。それはセイバーのやや余裕のあるお腹には随分と魅力的な代物で、それを追うかのように足を向けてしまった。
そして――――
がさり。
薮を掻き分け、細いが綺麗な清水の涌き出る小川の辺に辿り着いたセイバーは。
「………………………」
「………………………」
その川で捕らえた獲物を焚火でじっくりと焼き、今まさに齧り付こうとしているアイルランドの光の皇子と遭遇した。
そのあまりにも非現実的な光景に完全にセイバーは固まる。
そのあまり人には見られたく無い姿を見られたことにランサーも固まる。
暫し、どのようなリアクションを返して良いか解らない二人の英霊の沈黙は。
ぐるるるる。
ぱっと聞きライオンの唸り声のような、セイバーの腹の虫によって破られ。
次の瞬間、ランサーの大爆笑が森に響き渡った。











で、冒頭のシーンに戻るわけである。
「悪ぃ悪ぃ、そんな怒んなよ」
危うく約束された勝利の剣を放たれそうになりどうにかそれを宥めたランサーは、お詫びの印とでも言うのか、良く焼けた川魚をセイバーに向かって差し出した。目の前に正座したまま緊張を崩さないセイバーも、眉間に皺を寄せながらもそれを受け取った。こういう大雑把な食事は決して好きではないが不得手でも無い。
「施しは受けませんが、謝罪と受け取りましょう」
湯気の立つ魚を受け取り、不機嫌な顔のままぱくりと一口齧る。やはり空腹には代えられず、ぱくぱくと素直に口は動く。
その仕草にまたランサーの顔が綻ぶが、青い目できろりと睨まれて不自然で無い程度にそっぽを向いた。
「…大体何故貴方がこのような所にいるのですかランサー。貴方の根城は教会の筈、そこで食事を取れば宜しいことではないですか」
綺麗に骨だけ残した魚を焚火の中に放りこみ、当然の疑問をセイバーは発した。
しかしそれはランサーに対して、劇的な効果を表した。不意に黙っていれば端正な顔がふっと曇り、こ梢の隙間から遠くを見遣る。らしくないその行動に、セイバーの方が戸惑う。ランサーはどこか哀愁を込めた瞳のまま、ぽつりと呟いた。
「………アレは食えたもんじゃねぇ…………」
「………謝罪します、ランサー。私は何か酷い事を言ってしまったようだ」
「いや、気にすんな。…お前は良いな、マスターが料理上手くてよ…」
セイバーは勿論、彼の今の主が臭いだけで人を殺せるような激辛麻婆豆腐が好物であり、ほぼ三食出前まで取ってそれを食している事を知らない。しかし食生活の貧しさによる苦しみには耐えられないセイバーは、今まさにそれを味わっているのであろうランサーの境遇にそっと目尻を拭った。
「ま、別に食わなくても何ともないんだけどな、実際」
がりがりと犬歯で骨まで咀嚼しながら、ランサーが一人ごちる。その事にセイバーははっとした。主の魔力不足を睡眠と食事でどうにか補わなければいけないセイバーと違い、ランサーにはその必要はない。それなのにわざわざ敵地近くの沢まで出向きこうやって魚を捕食している理由は。
「…やはり、全て振り切ることは叶いませんか」
「まぁな。腹が減っては戦は出来ねぇだろ」
騎士として、自分の憧れでもあった誇り高き異国の皇子に尋ねると、どこか無邪気な子供のように彼は笑った。
嘗て戦場に立ち、多くの軍勢を率いて戦った戦士。生きている内の殆どを、血の臭いのする場所で生きた。そしてその場で確かに自分の命は尽きた筈なのに、今また別の戦場に立っている。
もう既に空腹など感じないのに、食事を欲し。
もう既に血など流さないのに、水源が汚される事を恐れて水辺では剣を抜けない。
拘るのは滑稽だ。今や全ての摂理から外れてしまった自分の存在。事実自分達以外のサーヴァントならば鼻で笑ってしまうだろう。
それでも。
この空気は心地良かった。
二人の騎士は暫し無言で、自分の故郷に少しだけ似ている川を、眺めていた。






日がじわりと西に傾きかけた頃、セイバーは徐に立ちあがった。
「帰んのか?」
剣呑な雰囲気など微塵もない、旧い友人に問い掛けるようにランサーの声は柔らかかった。その心地良さに一つ頷いてから、セイバーは冷静に言葉を返す。
「次に会う時は、戦います」
「やれやれ。本当に良い女には縁がねぇ」
自嘲するかのようにランサーは軽く肩を竦め、自分も立ち上がった。
「侮辱ですか」
「褒め言葉だっての。……ほら」
くいくい、と指で近くに呼ばれ、セイバーは首を傾げながらも素直に移動する。警戒を完全に解いたわけでは勿論無いが、卑怯な不意打ちをする輩ではないと彼女が一番良く知っている。
だから――――油断した。
サーヴァント最速を誇るスピードで、不意に腕を取られ。
「!」
振り解こうとした瞬間、もう片方の腕で腰を抱かれ、そのまま―――――
柔らかいものが唇に上から降ってきて、すぐ離れた。
「…………ッ!!!」
ぶんっ!!
白磁のようなセイバーの頬が、一気に紅潮する。次の瞬間、風王結界で守られた剣が思いきり横殴りに振るわれた。
しかし勿論その時には、ランサーは高く後ろに飛びあがり、太い木の枝の上にまで逃げていた。
「ランサーッ!! 降りてきなさい!!」
「はははっ、またな!」
激昂する剣の騎士―――否、今は騎士王でもサーヴァントでもなく、只の潔癖な少女に向かって、ランサーはとても嬉しそうに笑って。まるで風のように枝を揺らし、その姿を既に消していた。
「くっ……不覚…」
頬の赤みが引かないままに、セイバーはぎゅっと唇を噤む。
服の下で確かに動いている早鐘のような心臓を、必死に意識に入れないようにしながら。