時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

胡蝶散夢

―――また、夢を見ている。
自分の行き着く終着、赤い平原。
数多の剣が突き刺さったその荒野に、一人立っている。
風も吹かない、乾いた世界。辺りにあるのは触れれば斬らんと鈍く刃を光らせる剣
だけ。
畏れることは無い。これは自分が選んだ道。自分が選んだ結果。
ならば、逃げることなど出来ない。只独りで、ここに立ち、両の手を広げて―――
一度閉じた眼を開いた時、目の前に人影が現れた。唐突に。
「――――――――」
「――――――――」
自分も相手も信じられないものを見つけてしまったと思ったのは同じらしく、お互い目を思い切り見開いて暫し硬直する。
「…何でお前がいるんだよ!!」
「…何故貴様が此処にいる!!」
同時に叫んだ声は、赤くて高い空に無常に響いた。
また、暫しの沈黙。
「…ちょっと待てよ、これは俺の夢だろ? なら何でお前がいるんだよ」
「それはこちらの台詞だ、たわけ。貴様の夢に介入したつもりは無い、私が『居る』場所は此処以外に有り得ん」
腕を組んで肩をそびやかして見せるその姿は相変わらずで、士郎はむうっと露骨に唇を尖らせる。
「少なくとも俺は夢を見てるぞ。寝る前やってた事も今日の夕飯の献立もちゃんと覚えてる。俺の夢に勝手にお前が出てきたんだろ?」
「ほう。ならばこちらも言わせて貰うが、今の私は自分を意識してより後、此処から動いたことは一度も無い。即ち此処は私の固有結界であり、貴様が勝手に―――――っく」
「…ふ、はははっ」
高飛車に言い募っていたアーチャーの声が不意に詰り、耐え切れないというように吹き出した。同時に士郎も、笑ってしまう。あまりにも―――馬鹿馬鹿しくて。
「なんか、馬鹿だな、俺達」
「否定は出来んな。不覚だ」
どちらが夢を見ているのか、どちらを夢に見ているのか。
そんな事、解析するのも馬鹿馬鹿しい。
何故ならこの二人は、同じ起源と同じ遺伝子と同じ気概を持った存在。
同一人物でありながら同一存在では無い、本来この世界には有り得ない表裏の真理。
互いを夢見るならば、間違いなくそれは『本人』以外に有り得ないのだ。
同時に溜息を吐いて、何となく地面に腰を下ろした。
向かい合うのは真っ平なので、何となく背中合わせに座った。
ほんの少しだけ、お互いに寄りかかって。





風も吹かない静寂の大地で、お互い無言のまま時を過ごした。
否、長い時間が経ったのかもしれないし、ほんの一瞬だったのかもしれない。
「…なぁ」
「何だ」
口を開いたのは士郎の方だった。アーチャーも、聞かれるのが解っていたかのように自然に返事をした。
「お前が俺を殺したら、お前は何か手に入れたのか」
答えが解っていた問いだけれど、問わずにはいられなかった。
「否。私の手には何も残らない。只過ちが正されただけだ」
確りと前を見据えたまま、鋼の決意が言葉を結んだ。当然のことという言葉には、皹一つ入りはしない。
「そっか。そうだよな」
こくりと頷き、士郎は自分の片膝を抱えてそこに額を落とした。
自分を殺す事でしか、償いなど出来ない罪悪感。身に纏わる全てを削ぎ落とし、只一振りの剣と化した彼に与えられた最後の望み。
それを、叶えてやる事など到底出来ないし、その答えが正しいとはやはり思えないけれど。
士郎はそっと身体を反転させて。
自分よりかなり広い背中、その首に腕を回してそっと力を込めた。
「…同情か? 衛宮士郎」
静かなアーチャーの声に、黙って首を振る。そんな事、相手だって解っている筈だ。
馬鹿な事かもしれない。只の疵の舐めあいかもしれない。
それでも、それでも。
お互いの往く道は全くの真逆で。
自分の道には誰かがいるのに、彼の道にはもう誰もいない。
それが、どうしても遣る瀬無くて。
自分の手の甲に、そっと自分よりもごつごつした大きな手が重ねられても、抵抗なんてしなかった。
だって此処には―――――お互いしかいないのだから。






自然に唇を食まれた時、情けないがびくりと震えてしまった。
「…生娘か、お前は」
「う、るさい」
呆れ半分笑い半分の低い声音に、むうっと相手を睨みつける。紫がかった鋼の瞳が、僅かに眇められたのを見てとって、背骨がぐっと一層反ったような気がした。
アーチャーの手指が、まるで何かを確かめるように士郎の身体に触れてくる。欲望や慰めではない、只触れている―――その動きが酷く簡素で、却って泣きそうになった。
お互いを高めたいのでも、辱めたいわけでもない。
只触れ合いたかった。
原初の人間もこんな気持ちだったのだろうか、と馬鹿な事を想ったのはどちらだったか。
「っ、ぅ―――」
自分の胸に唇が降りてきた時、流石に士郎の喉が引き攣った。それを揶揄うでもなく、アーチャーは淡々と言葉を紡いだ。
「声を、出さないのか―――?」
「…、出せるか、バカ」
「誰に聞かれるというでも、あるまいに」
「お前、っ! が、聞いて…るっ…」
突起の辺りで囁かれて、言葉が引き攣った。
普段は剣を握る無骨な手が、驚くほど器用に自分を解していくのが解る。翻弄されるのは癪だけど、振り解く事は到底出来ないしする気もない。
緊張と羞恥を押し殺して、士郎はもう一度目の前の身体にしがみ付いた。
確かに感じる互いの熱が、とても心地良かった。




他に何も無い空間で、二つの体がゆっくり絡まる。
茶の瞳と鋼の瞳、
黄味がかった白い肌と浅黒い肌、
茶色い髪と白銀の髪。
正反対の色が重なり合う。
陰陽はお互いを喰らい、絡まり合うことによって大道と成る――――
僅かな水音と軋む音。同時に、腰の下から凄まじい圧迫感が上がってきた。
「ぐ…ぅ、ぁ、ぁ、あ」
「っ…爪を立てるな、たわけ」
「む…りぃっ…つあ!」
魔術回路を繋げる時でもこんなに痛くはない、と思える程の激痛が士郎の体を引き裂こうとする。ぎり、と堪えるに任せて相手の肩を引っ掻くと、アーチャーの詰りが聞こえた。
その台詞にあまり熱は篭っておらず、自分だけ翻弄されるのが悔しくて、生理的な涙で滲んでしまった視界を無理矢理開くと、繋がっている互いが見えた。



――――――一瞬。
ひとつのからだになったのか、と錯覚した。



「っ、くぁー…っ、か、ふぅうっ」
勿論それは錯覚に過ぎなくて。
相手の証は自分の体の中で、存在を失うことなく交わっていて。
それが酷く切なくて、泣きそうになった。
それが酷く嬉しくて、泣きそうになった。
顔を上げると、僅かに眉間に皺を寄せたアーチャーの顔と目が合って。
お互いの考えている事が、同じだと解って。
どちらからともなく、もう一度キスをした。
それが酷く優しくて、やっぱり泣きそうになった。
…結局、最後まで涙を零す事は、無かったのだけれど。





ぼんやりと赤い空を見上げる。
いつ服を脱いでいつ着替え直したのか定かではないが、兎に角お互い身支度は整っていた。
何となくアーチャーの足の間で、胸を背中にして寛いでいた士郎が、不意に立ち上がる。
「そろそろ、行くから」
「そうか」
何の未練も余韻も無く言われた言葉に、アーチャーも立ち上がる。踵を返そうとした背中に、士郎は振り返って、
「俺は忘れないから」
きっともう生まれる事は無いけれど。
エミヤと言う英霊の名前を、けして忘れないからと。
「―――――…」
アーチャーは振り向かなかった。只足を止めただけだ。
でもそれだけで、士郎には答えが解った。
「俺は、お前みたいになりたくないし、なるつもりだって無いけど」
だから、言葉を続けた。
「それでも―――お前に憧れてたよ」
きっと答えは、この言葉と同じだから。
アーチャーはやはり何も言わなかった。只、その背中が言っていた。
士郎にとってアーチャーが、絶対に届かない、憧れの「正義の味方」であった事に対し。
アーチャーにとって衛宮士郎は、やはり絶対に戻れない、美しき過去の憧れであったのだと。
言葉にしなくても、理解できた。
何故なら彼は、やっぱり自分に相違無いのだから―――――――







次に目が覚めた時は、見慣れた土蔵の天井が見えた。
ゆっくりと身体を起こすと、高い窓から朝の光が差している。
当たり前の朝。当たり前の日常。
それを護る為に戦って、今も戦い続けている彼の事を思って。
ぽろりと。
士郎は一粒だけ、涙を零した。
それは哀れみではないし、勿論鎮魂では有り得ない。
只、そう只、
もう二度と逢えないであろうことが、ほんの少し寂しかっただけ―――――――――
子供のような涙を指で拭い、士郎はどこか照れくさそうに、それでも本当に嬉しそうに、そっと笑った。