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Wish.(Zero未発表時の第4次捏造)

召喚の円陣を描くのはそう難しいことではなかった。
並の魔術師程度には魔力の備蓄はある。ただし媒介は何も無い。流石にそのようなものを手に入れようとしたら、監視役である父に見咎められるだろう。
それは避けたい。ある程度の地固めが出来るまでは、監視役には生き残って貰わなければ面倒な事になる。そう考えながら、言峰は改めて円陣の前に立った。
実の父の命を絶つことに関しては何の感慨も沸かない。どうせ殺すのならばもっと御膳立てをしてから、という純粋な愉しみしか浮かばない。―――神の家では唾棄すべき存在である自分の存在を、容認するのはもう慣れた。
この歪みを抱えたまま、敬虔なる神の使徒として生きていくことも決して難しい事ではない。ただそれは自分にとって絶え間ない苦痛であり退屈であるという事実だけが存在する。
―――その状況に我慢できなくなったわけでは決して無い。
ただ、どうしようもなく不快に思った者が存在し続ける事が、我慢出来なかった。
「…さて、鬼が出るか蛇が出るか」
一体如何なる英霊とやらが、自分の歪んだ霊格に合わせて現れるのか。純粋にそのことに興味を持ち、言峰は密かに笑んだ。




―――意識が、ゆっくりと凝固していく。
それが如何なる状況であるのか、そんなことは彼にとっては瑣末事である。
彼にとって、自分が自分であると認識できるのであれば、それ以外のことは須らく瑣末である。
ただ、自分に向かって伸ばされた掌の、あまりの歪さに彼は嗤った。
誕生した瞬間から致命的な部分を間違えている、哀れな道化。だが、それは決して醜くは無かった。
―――こんなモノは始めて見た。だから、気に入った。

「―――良かろう。この世全ては座興に過ぎぬ、せいぜい無様に踊って見せろ!」

そして彼は不遜にも、自らの主にそう言い放ってその手を掴んだ。




一瞬部屋に満ち溢れた光は、すぐに収まった。
否、魔力の輝きなど消し去る程に、神々しい輝きが網膜を焼いた。
金色の鎧に身を包んだサーヴァントは、ぐるりと辺りを見回してから不満そうに鼻を鳴らした。
「フン、斯様な狭い場所に喚び出しおって、無礼者が」
心底、自分の嗜好に反する場所に呼び出されたことが不快であると、全身から全力で主張している使い魔に向け、言峰は如何にか込上げる笑みを口の端で噛み殺し―――
「これは失礼した。生憎我が家で一番広い場所がここだったのでな」
驚いた事に、自らの不敬を詫びて見せた。
「ふむ? 王に許可無く言葉をかけた無礼は許そう。貴様が我のマスターか」
「如何にも。私の名は言峰綺礼。寡聞にして申し訳ないが、王の名をお聞かせ願いたいのだが」
「この我の名を知らぬと申すか。マスターでなければそっ首刎ねている所ぞ」
露骨な苛立ちを紅玉の瞳に乗せ、ぎらりと睨むその視線を悠々と言峰は受け流す。まさかこのような当たり籤を引けるとは、と自らの幸運を内心喜んでいる。
見る限り、霊格の高さは申し分ない。並の人間ならば意味が解らぬままに頭を垂れてしまうであろう絶対的な存在感。普通のマスターならば僅かに会話を交わしただけでその扱いにくさに辟易するところだが、言峰にとっては却って僥倖。唯々諾々と命令に従う従順なる使い魔等、使役しても何ら面白くない。
そしてその喜びは、彼の真名を聞くに当たって歓喜に変った。

「その魂に刻み忘れるな。我はアーチャー、英雄王ギルガメッシュ。貴様はこの我をサーヴァントとする幸運を手に入れたのだ」

瞳と同じ色の外套を翻し、朗々と宣言する絶対者に対し、言峰は自然に膝を折った。本来自分が使役すべき相手にする有り得ぬ行為も、神に対してよりは容易に行えた。
世界最古の王、全ての神話の原典となる叙事詩に名を刻まれた半身半人の王。例え人の記憶に残る力で劣っても、その在り方は他のサーヴァントに対して絶対的な強さを誇る。積み重ねてきた年月の差が違いすぎるのだ。
「それでは、感謝を」
頭を垂れながら、やはり言峰は笑んでいた。強力な手駒を手に入れた嬉しさと同時に、その強さと共に、どうにも出来ぬ程刻まれた瑕を抉れるかもしれない悦びも多分に混じっていたが。
芝居がかった、端から見れば馬鹿にしているようにすら見えるその仕草に、しかし金色の王は鷹揚に頷く。
「良い心がけだ、雑種。その心意気に免じ、名を呼ぶ名誉を与える。―――言峰、綺礼」
意外な程流麗な発音で名を呼ばれ、一瞬虚を突かれて言峰は顔を上げた。主の不遜に従者はまるで、
「覚えておけ、言峰。この我が在るということは、お前は全てを手に入れられると同義だ」
飼い犬を褒めるように腕を伸ばして髪を梳ってやった。


×××


ドンドンドンッ!!
宝具の雨霰を受けて、サーヴァントはそのマスターと共に悲鳴を上げる間もなく絶命した。辺りに残るのは血溜まりと肉片、そして雲散霧消する魔力の残滓のみ。
「―――詰まらんな。この程度の輩に我の力を使うまでもあるまい」
指を鳴らすだけでその惨劇を創り上げた英雄王は、後ろに立っている主を不満げに睨む。言峰はやはり何の感慨も見せず、淡々と言葉を紡いだ。
「最早退く事も逃げる事も出来ず壊れかけたモノだ。慈悲の一つも与えてやるべきかと思ってな」
聖杯という願望器を求めて手を伸ばす魔術師の、矮小な瑕を切開し追い詰めたのは他ならぬこの神父だ。結果的に相手は絶望に身を委ね、半分自滅のような形で命を散らした。しかし慈悲という言葉も本気なのだろう、僅かに瞑目し祈りを捧げる姿は正しく敬虔なる神の使徒だった。
しかしその姿は、ギルガメッシュにとって不快しか齎さないものだったらしい。大股で主に近づくと、無遠慮に腕を言峰の後頭部に伸ばし、髪を掴んで自分の傍に引き寄せる。
「―――下らぬ。慈悲を与えるは我だ。神等に感謝を捧げるな」
「…これは失礼した。非礼を詫びよう」
吐息が触れ合う距離で眦を吊り上げる従者に対し、素直に肩を竦める主は、それでも嬉しそうに嗤っていた。この完璧な玉と思える程に美しいこの英雄王の魂に、明確に刻まれた瑕に指を突きたて続けるのが、とても愉しいと言いたげに。
手指の力は抜けて腕は引かれたが、ギルガメッシュの機嫌はまだ治っていないようだった。笑いを残す主を―――というよりも、それを通してもっと遠くにいるものを見据えている。その視線のいつにない真剣さに、言峰も気付いて笑みを納めた。まるで消えぬ苛立ちを宥めるように、不敬と知りつつ逆にその白磁のような頬に手を伸ばしてそっと撫でた。一瞬皮膚がぴくりと緊張するが、拒んではいない。
「不満があるのならば言うが良い。我慢とはらしくないぞ、英雄王」
「…誰が我慢なぞするか。口に出すのも腹が立つ故、今まで言わなんだが」
僅かに低い場所から見据えられる視線は侮蔑すら含んでいるが、そんな事に慄く言峰ではなく、ただ無言で続きを促した。
その落ち着いた態度が却って癇に障ったのか、ギルガメッシュがブンッと腕を振る。
ジャララララッ!!
「―――ッ!」
ガキンッ!と一瞬で宝物庫より伸ばされた鎖が言峰の首に巻きついた。呼気が塞がれ、こふ、と僅かな呻きが唇から漏れる。その鎖の端を握り締め、心底不快そうに吐き捨てた。
「気に食わんぞ言峰。我の主の分際で、未だ神の評価等に囚われるか!」
ぎち、と鎖が更に皮膚に食い込む。並の魔術師とは比べ物にならない身体能力を誇る言峰でも、鍛えられぬ場所は人並みの防護しかない。脳に酸素が行き渡らず、膝から力が抜けてアスファルトに落ちる。
打ち捨てられるか、と何の感慨も無く思った時、温かいものに身体が受け止められ、息苦しさの下からでも言峰は驚愕に目を見開いた。
偶然にしか過ぎないのであろうけれど。
倒れ伏そうとした言峰の体は、他ならぬギルガメッシュによって受け止められていた。無論鎖を持つ手の力は微塵も緩んでおらず、彼の怒りは収まっていない。それでも、まるで愛しい相手に囁くかのように、近づいた耳元に篭絡の言葉を紡いだ。
「見捨てられた哀れな愚者よ。なればこの我が、お前の存在を肯定しよう。生まれ出でた時より歪なままに、ここまで生き延びたことを褒めてやろう。しかと受け止めるが良い」
それはまるで、砂漠にかけられた清水の如く。
一瞬で、虚ろな男の身に吸い込まれた。
言峰の瞳に理解の色が広がったのが解ったらしく、満足げに王は笑い戒めを解いてやる。げほ、と小さく咳き込むだけで神父は呼気を取り戻し、彼にしては非常に珍しく、苦笑という部類に入る笑みを浮かべて見せた。
「身に余る光栄、と言うべきなのだろうな」
たったそれだけの言葉で、何が変るわけでもない。
自分の心はとうに決まっていた。愛そうと思った女を愛せなかった、その結論を出すことを放棄した時に。
人並みの幸福など享受出来ぬまま、それでも生きていくと決めた。揺らぐことは無い己の在り方を、しかし、
「当然だ。我のモノが我以外の秩序に縛られることなど許されぬ。肝に銘じておけ、言峰」
唯一の友の名を冠する鎖を仕舞い、不敵に笑う原初の王に。
ここまで何の躊躇いもなく肯定されたことは初めてで。本当に、苦笑しか出来なかった。
「善処しよう。―――成程確かに、お前をサーヴァントとして迎えられたのは望外の幸運だったようだ」
「今更気付いたか。遅いわ」
悪態を吐きつつも自分の満足いく答えを聞いたお陰で、ギルガメッシュは満足そうだった。
「では―――聖杯ではなく、お前に願おう」
「ほう? 許す。聞かせるが良い」
唐突な言葉に、興味深げに王は先を促す。言峰もやはり笑んだまま、呪いの一言を放つ。
「―――自ら歪になろうとする男の、完膚なきまでの消滅を」
「セイバーのマスターか。良かろう、俺がアレを手に入れた後ならば、何をしようと構わん」
月の出ない夜に、改めて密約は結ばれ。
何かの誓いを立てるかのように、神父は王の差し出した手に服従の口付けを落とした。