時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Brotherly LOVE!?

 人間界に置いてある住居のひとつである、白夜町の教会に腰を落ち着け、魔王の長子・ギュンターは優雅に寛いでいた。
 隣には、従者であるイヴが控えている。一見普通の女性としか見えないが、優秀なギュンターの眷属である彼女は、いつも通り彼が欲する情報を調べ、報告するのだ。
「今回の事件における、扇動者を発見いたしました。魔王様441番目の公子、ダエーワ様」
「……知らないな」
 ソファに優雅に腰掛けたまま、心底不思議そうに首を傾げる主に対し、従者は一つ肯いて答える。
「仰るとおり、ギュンター様がお心を割く程の実力も容姿も面白さも持っていない方です。ただ、他者を動かす事に関してはかなりの手管を持ち、更に今回、強力な手札を得たことが原因と思われます」
「ほう、それは?」
 ギュンターが調べることを命じた事件とは、ここ数日のうちの、Blood four襲撃事件である。
 最初は、一番防備が薄いといえる、人間界に居る仁蔵が魔族に襲われた。子供の頃から刺客に狙われるのが日常茶飯事だった彼はあっさりとそれを退けたし、他の兄弟も何ら気にしなかった。
 次に、エヴァリータの城に狼藉者が現れた。実行犯は同族の吸血鬼達だったらしい。魔王城の隣に在り、防御に関しては隣に勝るとも劣らないあの城に。当然敷地内に踏み込まれる前に排除されたのだが、愛する父親から賜った城の壁に傷をつけられた彼女は大層おかんむりで、首謀者を探していつになく真剣のようだ。
 更には、魔王城の内部にある筈の、ヘルメスの大図書館が襲撃を受けた。確かに他ドミニオンに通じる扉は持っているものの、防御に関しては折り紙つきの場所だ。敵はヘルメスの母が組する勢力と相対する、宇宙に秩序を齎す星の大軍勢だという。現在ヘルメスは図書館内で防戦を続けており、動くことは出来ないようだ。
 この、一見ばらばらだが立て続けに起こった、Blood fourに対する襲撃に不信感を持ったギュンターは、急ぎ従者に情報を集めさせていたのだ。
「永遠の命を与える杯。それを餌として、かなりの陣営に声をかけたものと思われます」
「それは、あれかい? この宗教でも有名な、聖なる杯という代物か」
「はい」
 あっさりと肯く従者に、ギュンターはつまらなさそうに、飾りとして首から下げているロザリオを弄る。神に感謝の祈りを捧げることなど有り得ない、全く持って罰当たりな神父である彼は、その胡散臭い伝説も良く知っている。
「長い間、ヤァン・スゥ・ズウロンとグァン・スゥ・ズウロンの宝物庫に眠っていたものが、流出した模様です」
「やれやれ……またあの子達が原因なのか」
 ヘルメスのすぐ下、弟妹に当る竜族の双子を思い返し、流石のギュンターも米神を抑える。変にBlood fourに対して対抗心を持っている彼らは、何につけて変に気張ってトラブルを起こす。今回もそれなのか、と呆れを以って問うが、意外にもイヴは首を横に振った。
「いえ、今回に関しては無実であると、死岬が申し上げていました。彼が宝物庫の虫干しを頼まれており、その際に襲撃され奪われたのだと。これによって彼が受けた傷を私も確認しております」
「ほう」
 そこで、ギュンターは初めて興味を持ち、僅かに身を乗り出した。双子の忠実な従者である死神の男は、例え主の不利益となろうと嘘は吐かない実直な男だ。尚且つ彼が怪我を負ったということは、狂言の可能性は消え去る。どんな理由があれど、あの竜の双子が大切な従者を傷つけるような策は取るまい。
「では、今回はあの子達も息巻いているのではないかい?」
「はい。何があろうと杯は取り返すと、気炎を吐いておりました。手出し無用と嘯いておりましたが、こちらが聞く道理はありませんので――」
 そこで、イヴの表情が僅かに動いた。驚愕を警戒で隠し、主を守れる位置に移動する。ギュンターは逆に悠々とソファに背を預け、実に自然に微笑みながら――
「では、黒幕は彼らに任せようか。私達は――暇潰しと行こう」
 いつの間にか部屋の中にひしめき合っている気配に向けて、開戦の合図を告げた。



×××



 魔王城の図書館。この世界全ての知識が詰め込まれた場所は、いつもと違う様相を呈していた。
 堆い本棚が、僅か数メートル四方の空間を囲み、天井まで届いている。まるで牢のような狭いその部屋に、大人しく集まっているのは男女四人。
「ねぇ、ヘルメスはだいじょうぶなの? けが、してない?」
 不安そうな表情を隠さずに言うのは、美しい緑の髪を持つ幼い少女、ミスル・トゥ。しかし年の頃は千を越える、世界樹から伸びた新芽の化身であり、またヘルメスの許婚でもある。
「ああ……我達も加勢した方が、良いのではないだろうか。ヘルメスを守るぐらいなら、我も出来る」
 その子を膝の上に乗せ、やはり不安そうにしているのは、銀色の鎧に体の殆どを覆われた強大な天使。嘗て天界でその名を馳せ、今や魔王の正妻という位置に収まっている、熾天使ミカエルである。
「ご心配には及びませんよ、ミスル・トゥさん、ミカエル様。確かにヘルメス兄上はちょっと頼りないところもありますが、それでもBlood fourの名を戴いているのですから。ねぇ、アマンダさん」
「事実なのだけど、貴方に指摘されると非常に腹が立ちますわね」
 それを宥めているのは、小さな体を燕尾服に包んでいる魔王の末子、2000番目の息子、キル=シュ。そして豊満な肢体をスーツに包んだ美女、ヘルメスの従者であるアマンダであった。
「……しかしこんな日に限って、よりにもよってこのお二人が遊びに来ている最中の襲撃とは、ヘルメス兄上の運の悪さも群を抜いていますねぇ。いやいや失敬、このトラブルメイカーっぷりはミカエル様の分もかなり含んでおりますよねっ」
 しゅんとした二人に聞こえないように声を潜めたキル=シュを胡散臭げに睨みながらも、アマンダはふんと鼻を鳴らす。
「これしきのことで、ヘルメス様の世界(ドミニオン)は揺らぎません。私の力が必要ならば、あの方は必ずお呼びになります。私達がやるべき事は、ヘルメス様の足手まといにならぬよう、ここで待機するだけですわ」
 つんと上を向いて囁かれた言葉は、僅かな焦燥を押し潰す信頼と自負で満ちていた。主の許婚に対する敵愾心も、若干混じっているかもしれない。それを指摘したい気持ちを、キル=シュはもぐもぐと口を動かすだけでぐっと堪える。何せ自分は、紳士を目指しているのだから。
「恐らく今回の敵には私にも、因縁らしきものが若干あるんですけども〜……まぁ、珍しくヘルメス兄上が張り切っておられるようですから、大人しくしていましょうか」
「珍しく、は余計ですわ」


 本で編まれた砦の外。其処は更に、様相が変わっていた。
 乱立していた他の世界への扉は一つだけに絞られた。全ての本棚がその扉を囲み、まるでドームのようになっている。
 ドン、ドン、と扉を突き破ろうとする音が鈍く響いてくる。ただの打撃ではない、紛れも無い砲撃音だ。外宇宙ドミニオンへ繋がる扉が、テンメテス大船団の一斉砲撃を受けているのだ。攻撃は確実に外壁を削り、世界の壁を抉じ開けようとしている。
 その扉の前に翻る、裏地が赤の外套。
 ヘルメス・トリスメギストスは只一人、扉の前に立ち、何事かを呟いている。
 怯えの嘶き? 否。
 苦悩のぼやき? 否。
「km17a7+38*29(309-756)38a+394=0f463b*53ew890(3w)-292eew*0a10+27{626war7*28}292……」
 それは計算式だ。人間にはとても理解できないほどの早さと省略で行われ、この世界を構築する為の演算。彼の声に合わせて無数の本が、積みあがり、壁と化す。
 この図書館は彼の城だ。彼の思うがままに姿を変え、難攻不落の城砦になる。しかし彼は敢えて、敵地に繋がる扉を一つだけ残しておいた。不審がられないよう、出来る限りの防壁を張り、最大限の注意を払って。ここのみに攻撃が集中するよう、囮となって。
 外――外宇宙ドミニオンの様子は全て、彼の母が衛星通信と意識をリンクさせる事によって送ってくれる。中々穴の開かない防壁に、敵の焦りが募っているのが解る。それでもヘルメスは焦らず、懐から一枚の石版を取り出した。
「出力調整開始。防壁破壊までカウント30。オールクリア、問題無し」
 巨大なエメラルドに彫りこまれた文章は、遥かな外宇宙より齎された知識。それは刻まれた文字そのものが力を持ち、彼の次元を捻じ曲げ、繋げる。
「アクセス。支援砲撃要請。出力420%に調整。次元フィールド展開……カウント10」
 ゆっくりと持ち上げた彼の両手の前に、エメラルドの板が大きく広がる。その中心にぴしりと皹が入った瞬間、ドン! と扉が砕かれ、宇宙を飛ぶ船からの一斉砲撃が飛び込んでくる――!
「反転。エナジー転化。――カウント0」
 緑色に輝く文字を瞳に写したヘルメスの片眼鏡は、狙いを定めるデバイス。その硝子の向こうに見える大船団の砲撃は、全て一瞬のうちに巨大化した緑の輝きに吸い込まれるように消え、ただエネルギーの塊となって、ドミニオンの外側に鎮座している。
 ヘルメスの戦闘能力は決して高い方ではない。まともに肉弾戦を挑まれれば、あっさりと白旗を揚げてしまうだろう。だが此処は彼のドミニオン、彼の領地。この中に入る者は、何人たりともドミネーターである彼に逆らえない。
「全く、貴方方も空気の読めない方ですね。よりにもよって、ミスルが遊びに来た時を狙うなんて」
 彼の人となりを知っていたらお前にだけは言われたくない、と詰られるだろう台詞を言いながら、ヘルメスは改めて懐に手を伸ばす。
「悪いけど、絶対、負けてあげられませんよ」
 いつも飄々としている魔王の三男坊は、いつになく真剣な視線で扉の向こうを睨みつけている。巨大なエネルギーの壁で、見通すことなど出来ない筈なのに。
 懐から取り出したのは、酷くレトロな拳銃。単発式の、威力もそう高くないものだが――この世界に置いては、僅かな力場となるだけで、充分。
 そして彼はいつも通り、何も気負わず――空間に停滞しているエネルギーの塊に向けて、引き金を引いた。
 ぱんっ!
 軽い、火薬が弾ける音。飛び出すのは非常に小さな弾丸。エネルギーの壁にやはり飲み込まれて、消える。ただそれだけのはずだったのに――その瞬間、ドミニオンの力場が全て逆転し、唯一の出口である扉に向けてエネルギーが殺到した!!
 当然、今まさにドミニオンに飛び込もうとしていたテンメテスの船団は逃げ切れるわけもなく、その力場に巻き込まれて次々と爆発していった。
 しかしその惨劇を視界に収める前に――すぐに修復した扉がぱたん、と閉じてしまった。そして図書館はいつものように、静寂に包まれる。
 硝煙を上げる鉄砲を懐に仕舞い、皹の入ったままのエメラルドを抱えてヘルメスはふう、と溜息を吐く。
「母上に叱られてしまいますかねぇ……ああ、それよりここの片付け、大変だ。全部元通りにするのに、どれだけかかることやら……」
 たった一人で宇宙船団との戦争に打ち勝った男は、そこで初めて心底困った風に眦を下げる。
 防壁を作るだけならやりたい放題出来るのだが、それを元通りに直すとなるととても大変なのだ。傷んだ本も出ただろうし、気の遠くなるような作業ではあるが。
 とりあえずヘルメスは、愛しい許婚を安心させる為に、一番奥に作っておいた防壁を剥がす作業から始めることにした。



×××



 襲撃者達は、驚愕していた。
 <死の如く>の異名を取る魔王の次男、フマクトが如何に強い魔物であるか、彼等は良く知っていた。だからこそ出来うる限りの頭数を揃え、尚且つ彼に関わる人間共を盾にするべく、昼日中に彼が通う学校を襲撃したのだ。彼らの目からフマクトは、人に組する愚か者としか見えず、また脆弱な人間など畏れるに足らないのだから。
 だからこそ――今の光景が信じられなかった。
 襲撃者が、剣の一振りで胴を、首を一薙ぎされて倒される。その切っ先は黒く巨大な大剣――ではなく、それよりもずっと細い、光り輝く剣。
「塵は塵と化せ! Amen!!」
 ばさりと光り輝く羽根が翻り、聖なる輝きが次々と魔族を屠る。驚愕の表情のまま円陣を組み、己を囲む魔族達を不敵に睨みつけ、彼は堂々と名乗る。
「我が名は処刑天使レリエル! 人間界を徒に侵す魔族共が、最早貴様等には死以外の裁きは無いと思えッ!」
「しょ、処刑天使だと!? 馬鹿な!」
「フマクトは何処だ! あの裏切り者は、ついに天使とも手を結んだと――ぐはぁ!?」
 叫んだ一人の魔族の口が、ぱっかりと上下に分けられた。
「……冗談でもそのような世迷言を口にするな。言ったものから顎を斬り飛ばすぞ」
 心底不快だ、という顔でレリエルに睨みつけられた魔族達が、慌てて後退する。不機嫌そうな顔のまま、あくまでレリエルははきはきとした声で語る。
「魔王の子息の要望等、却下する以外の選択肢は無い。だが、この地に住まう人々が魔族によって蹂躙されようというのなら、俺が剣を取る理由以外の何者でも無いッ」
 血糊で全く汚れていない、祝福を受けた剣をぶんっと大きく振り、尚も構えて続ける。
「現在此処にいる人間達の防衛は、人間の組織が行っている。人質は通用しない、例え貴様等が卑怯な手を使おうともそいつから首を刎ねる。貴様達が至る終焉は滅しかないッ!!」
 一歩踏み込み、一閃。三体の魔物の首が一遍に飛び、既に襲撃者達の腰は退け始めている。
「無様な。その程度の腕で、あれを殺そうとしたのか?」
 処刑天使の顔に浮かぶは侮蔑のみ。そして、とことん不機嫌そうな顔のまま――一団に向かって駆け出し、叫ぶ。
「実に癪だが――あれは俺よりも強いのだがな!!」


 所は移って、魔界。
 ダエーワを戴いて今回のクーデターに参加した魔族達は、完全なる恐慌に陥っていた。
「あ、あれは――間違いない!」
「フマクト様がお戻りになられているぞおおおおっ!!」
 がりり、と剣の切っ先が地面を擦る。己の身長よりも巨大なその剣を、片手で掴んだままの黒髪の青年は、己を囲む衛兵達に対し、面倒くさそうにもう片手で頭をがしがしと掻く。
「えーっと。一応無駄かもしれないけどさ。首謀者一人の首で終わりってことにしないか?」
 どこか暢気さすら感じさせる言葉だが、彼を囲んだ者達は動けない。
 彼の纏う濃厚な「死」の気配は、魔界の住人すら恐怖を覚えることこの上ない代物だった。一歩でも踏み出せば、自分の首が宙に舞ってしまうという恐怖。更に、大きな戦力は皆人間界へ出払っているのだ。この城の防御力など、今は紙切れ同然。
 すっかり怯えてしまっている周りを見渡して、仁蔵は改めてうんざりとした顔で首を振る。
 目の前に聳えるダエーワの城は地位なりに広そうで、尚且つ衛兵に囲まれ捲っている。人間界の方にはハンターズブラッドに手を貸してもらい、更に布石として知り合いの処刑天使にちょろりと情報を流しておいたが、時間をかける気もあまりない。
「しゃーない、行くか」
 まるで、これからコンビニに行くか、とでも言いたげにあっさりと呟き――無造作に、一歩。
 前に踏み出したと思った瞬間、兵士の首が十は宙に飛んだ。
 横薙ぎにされた大剣の、一撃だけで。
「お前ら、無理せず下がっとけよ。逃げれば、殺さねぇから」
 眉一つ動かさず、それだけ言って。
 仁蔵は、駆け出した。
 彼の動きは、常に無造作にしか見えない。型も足の運びも無い、剣術とは言えない荒い動き。己の身長よりも長く幅広な剣を使っているのだから、当たり前とも言えるが。
 しかし、その剣は彼の分身、彼の力そのもの。完全なる死を平等に齎す、絶対の断罪。
 一振りごとに、死が生まれ。
 一振りごとに、命が消える。
 ドゴンッ!! と鈍い音を立てて、城門が真っ二つになった。両手で振り下ろした剣を軽々と肩に担ぎ、再び仁蔵は走り出す。
 首謀者が何処にいるかは知らない。元々情報収集には向いていないのだ、今回の大規模な襲撃とて、兄に知らされなければ気付けなかったかもしれない。
「ま、とりあえず上かな」
 馬鹿と煙は高いとこって言うし、と呟きながら、仁蔵はそのまま城の内部――には入らず、微塵の躊躇いも無く、城の壁に向けて――己の剣を、ぶん投げた。
 巨大な剣はぐるぐると回転し、がづんっ!! と壁に突き刺さる。腰が引けつつも迎撃に出ていた魔族達が驚愕しているうちに、仁蔵は僅かに膝を曲げ、飛ぶ。
「いよっ、と!」
 真っ直ぐ刺さった剣の上に飛び上がり、柄に足をかける。ギッ、と僅かにしなった勢いを利用し、更に高く飛んだ瞬間、壁に刺さっていた剣が掻き消え、あっという間に仁蔵の手元に戻る。
 そこから溢れ出す不定形の黒い霧は、仁蔵の齎す<死>そのもの。
 城の一番高い尖塔の上まで飛び上がった仁蔵の身体は、そのまま切っ先とともに、地へ向かって真っ直ぐ落ちる――!!
 ドゴガゴゴオオオオオン!!
 搭ごと潰さんばかりの勢いで、仁蔵の体が部屋の中に飛び込む。魔物でも在り得ない動きを見せたその姿に驚愕する、一際豪奢な服を着込んだ魔族の男。その手には、鈍く輝く黄金の杯がひとつ。広そうな城の中で迷って時間を潰すのが嫌で賭けに出たのが、当りを引いたらしい。
「お前か」
 僅かに屈んだだけで墜落の衝撃をいなした仁蔵は、ぶんと一度剣を振り、男に向かって駆け出す。命乞いか、反撃か、とにかく何事かを叫ぼうとした男の喉が動く前に――
 ぞん。
 鈍い音を立てて、男の身体は真っ二つに斬り裂かれた。
「ひ、ひいいいい!!」
「フ、フマクト様! どうかお慈悲を――!!」
 電光石火の襲撃と、一瞬の間に命を失った首謀者。周りの貴族達は恐慌状態に陥り、慌てて次々に平伏し、命を乞う。仁蔵は興味なさげにその死体を見下ろし――何せ弟とはいえ見るのも初めてだったので――剣を仕舞った。
「だから、面倒なこと考えないんだったら何もしねぇよ。今回のことに関しては、親父に知らせとくけど」
 情けに見えるが、決して命乞いを受け入れたわけではない。事実、貴族達の間からは次々と悲鳴が上がっている。並みの者なら、魔王自らの叱責だけで命を落としてしまうほど、その存在は絶対的な恐怖なのだ。
 後継者争いとして、魔王は子息同士の戦いを禁じてはいないが、後始末を頼めばきちんと済ませてくれるぐらいには子供に甘い事を、仁蔵は良く知っている。これ以上彼等が、大きな顔をすることは無いだろう。
 やれやれ、と息を吐き、首を回して鳴らす。誰かの救援に行こうかとも思ったが、すぐに思い直してかぶりを振った。
「ヘルメスの奴は引き篭もりに関しては天下一品だし……姉貴は、手ぇ出したら逆にこっちがヤバいな。兄貴はどうやったって死ぬわけねぇし。帰るか」
 一人で納得し、散歩が終ったような足取りで、仁蔵はぶらぶらと城を出て行った。



×××



 吸血鬼の一族は、その血族を増やす事を美徳としている。
 故に彼等は魔物達の中でも一大コミュニティを築きあげ、かなりの力を持った勢力として知られている。
 その頂点に君臨するのが現在、魔王の長女であるエヴァリータ・マリーア・トランシルバニア。彼女の母親は吸血貴族の中でも有力な一族の出ではあったが、既に夭折している。
 今回ダエーワの甘言に乗ったのは、当然だが其処とは別の貴族の一族だった。数だけならばエヴァリータの一族よりも多い。魔王の後ろ楯が無ければトランシルバニア一族恐るるに足らず、と糊口を凌いできた者達だった。
 彼らの居城は今――血の臭いに満たされていた。嗜みの香水として扱うには、少々きつすぎるほどに。
「この臭いだけは、どうにかならないものかねぇ? 鼻が曲がってしまいそうだよ」
 城の適当な一室ですっかり寛いでいる、エヴァリータのペットである兎は溜息を吐く。部屋の床には、十四、五体の既に事切れた肉塊が転がっていた。
「もう先に帰っていようかな。ご主人様はいつになく頑張っているし、私の仕事だってもう終わったんだから。喋る相手が誰も居ないと、退屈で仕方が無いよ」
 心を言葉で弄する事を何より好む兎にとって、只殺せという命令はあまり楽しいものではなかった。それでも逆らわないのは、あの美しくも恐ろしい主人を、それなりに気に入っているからなのだが。
「たまにはあのデカブツに花を持たせてやってもいい。私は何て優しいんだろうねぇ?」
 言葉が途切れれば、沈黙しかない。いよいよ兎は不満げに、寝転んだ豪奢な椅子の上でばたばたと足を振り回す。
「嗚呼、やっぱり退屈だよ! 言葉に返事が返ってこないほど、つまらないことは無い! ご主人様、早く帰って来ておくれ!」
 大仰に嘆き、そのまま兎はごろんと横に転がり――床に広がった血溜りの中に、ぼしゃんと飛び込んだ。
 極々浅い血溜りであったにも関わらず、そのまま兎の身体は床に沈みこみ、二度と浮かんでこなかった。

 暗い廊下を、優雅にエヴァリータが歩く。豪奢なドレスを着てはいるが、その足取りは軽やかで、まるで舞っているようにも見える。
 しかし、床に飛び散る血と、空気を劈く悲鳴は、彼女が歩くたびに増えていく。彼女は何もしていないのに。
 彼女の目の前に立っている男が、腕を振るう度、道を塞ごうとする手練れである筈の吸血鬼達が、只の肉片となって床に落ちるからだ。大きな塊は蹴り飛ばし、小さな塊は踏み潰す。全ては、主の歩みを止めないがため。
 エヴァリータは一言も発さない。ただ、僅かに笑みを浮かべたまま、歩いているだけだ。この地獄を作り出していく首謀者であるにも関わらず、血に愛された姫君であるにも関わらず、その身には紅の一滴も落ちることは無い。
 身の丈2mを越える血塗れの大男――ルードヴィーグの歩みも止まらない。エヴァリータの一の眷属、彼女の為だけに生まれ生きる怪物。
 彼にとって、エヴァリータに逆らったという事実だけが既に許しがたい。同族でも、同族だからこそ、それが許せない。彼女の命令が無くとも、たった一人でこの城の者全てを皆殺しにするつもりだった。
 美しい少女と恐ろしい大男の踊る残酷なダンスは、やがて最後の部屋に辿り着いた。
 ルードヴィーグの太い足が、鍵のかかった扉を思い切り蹴破る。それなりに年を重ねた老獪な吸血翁が、僅かな怯えを見せて立ち上がった。
「おのれ……トランシルバニアの小娘がぁ……」
 既に一族の殆どを失った身で、この悪態を吐ける程度の気骨は彼にもあった。当然それを聞いたルードヴィーグはすぐさま老体の首をへし折ろうと駆け寄りかけたのだが、それはすぐに止められた。
「ルードヴィーグ」
 鈴を転がすように可愛らしい、そのくせ蜜のようにとろりとした色気すらある声が名前を呼ぶ。それだけでルードヴィーグは完全に動きを止め、僅かに脇に避けて頭を垂れた。
 従者を押さえ、老翁の前に一歩進み出たエヴァリータは、静かだが底冷えのする声で問うた。
「答えなさい。貴方は何故、今回の企みに加担したの? 御父様の地位を脅かす為?」
「フン――愚問よ。我等が一族の誇り高き血は、永遠の繁栄を約束されしもの。それがあの娘が見初められたばかりに、我が一族の血は汚された! 汚らわしい魔王の血などが混じりこんだばかりに、我等に滅びが与えられたのだ! これを許せるわけがあろうかッ!」
「――ルードヴィーグ」
 もう一度、エヴァリータが従者の名を呼ぶ。思わず老翁は身構えるが、彼は動かず控えているだけだ。誇り高き吸血貴族らしく、当主同士の決闘でも行うつもりか――そう考えていた吸血鬼の体が、不意に傾いだ。
「っ、ぐふ!?」
 がくりと両膝を折り、床に突っ伏してしまう。何が起こったのかは解らないが、エヴァリータが何某かの術を使い、重圧によって己を這い蹲らせていることに気付いた翁は、必死に身を捩るが、立ち上がれない。
 かつり、と小さな靴が床を叩く。どうにか視線を上げると、地虫が這いずる様を見下ろしているような、紫色の瞳があって無意識のうちに怯えた。
「貴方は私が裁く価値を得たわ。下らない誇りとやらに踊らされた上、御父様を侮辱する言葉。どれを取っても――ただ殺すなんて、生温いわ」
 朱鷺色の小さな唇は、笑みを形作っている。これほどの恐ろしい笑顔を、千年生きてきて老翁は初めて見た。
 つい、とエヴァリータが手指を宙へ伸ばす。そしてくい、と己の細い小指を曲げると、老翁の手の小指がぽきり、と折れた。まるで枯れ木のように、簡単に。
「うぐっ!」
「ゆっくり、順番に、折りましょう。全部折れたら、次は千切りましょう。次は肘と膝から、もぎ取りましょう。大丈夫よ、首を捻じ切っても、身体を全部切り刻み終えても、生かしておいてあげるから」
 死ぬより辛い拷問を告げられて、老翁の視界は歪むが、決して意識を途切れさせることは許されなかった。


 全てを終えて、エヴァリータが踵を返す。相変わらずその姿には返り血ひとつ無い。
 ずっと控えていたルードヴィーグも、張り詰めていた意識を漸く緩める。先刻から、主を怒らせた不届き者を殺したい衝動を、ずっと堪えていたのだ。
 ただの肉塊と成り果てても生きているモノは、他の従者達によって運ばれていった。二度と復活しないように焼いてしまうのだろう。イモータルといえど、完全に止めをさせば生き返ることはない。
「ルードヴィーグ」
「はっ」
 エヴァリータがルードヴィーグを呼ぶときの声には、様々な意味が混じる。そしてルードヴィーグはほぼ確実に、その意志を読んで動く事が出来る。
 しかし何故か今回は、彼女が何を望んでいるのか読めなかった。己の不明を恥じながら、ルードヴィーグは頭を垂れて傍に控え、次の言葉を待つ。
「立ちなさい。ご褒美をあげるわ」
「は……っ?」
 あまりにも聞きなれない命令に、普段では在り得ない訝しげな返事をしてしまった。慌てて顔を上げると、エヴァリータは微笑んでいる。散々首謀者を嬲って溜飲を下げたのか、先日以来ずっと燻っていた苛立ちは落ち着いたようだった。
「手を」
「は……失礼、致します」
 彼の手は未だ血塗れで、赤黒くこびり付いたものが爪の間を埋めている、散々なものだった。それにも関わらず、エヴァリータの白魚のような手がその大きな手を取り、己の口元に持っていく。
「エヴァリータ様っ!?」
 驚愕するルードヴィーグに構わず、エヴァリータの小さな唇と舌が、ゆっくりと彼の手を拭っていく。何とも知れぬ下賎な吸血鬼の血に汚れているにも関わらず、丁寧に。
 全身の血液が沸騰するのではないかと思うぐらい、ルードヴィーグの体温が上昇する。驚愕と歓喜と申し訳なさが頭を席巻し、言葉の一欠も出すことが出来ない。
 そうこうしているうちに、エヴァリータの戯れは終った。完全にとは言えないが、綺麗になった従者の手に満足したのか、彼女は改めて手を差し出す。
「城に帰りましょう。共をなさい、ルードヴィーグ」
 こう言わなければ解らないのかしら? と言わんばかりに、揶揄の微笑みを見せ。
 ずっと思考が停止していたルードヴィーグは、漸く再起動が可能になり。
「――御心のままに……!」
 万感の思いを込めて、その手をそっと取るのだった。



×××



「ヘルメスには異星人、フマクトには魔族。エヴァリータには吸血鬼が来たというから期待していたが……まさか本当に、大地の眷属までもが甘言に弄されるとはねぇ」
 心底馬鹿にした口調で、ソファに座ったままのギュンターがくつくつと笑った。いつの間にか部屋の中に現れているのは、白絹一枚で身を覆った美しい女性達。彼女達は皆、大地母神の眷属だ。
「ギュンター様。お迎えにあがりました」
「我等が大いなる母上様の元へ、戻られますよう」
 顔形は違うが、声は皆抑揚なくそう呟く。彼女達が母の一部であり、同時に単なる分身であることを納得し、ギュンターはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「薄々予想はしていたがね。お前達の目的は胡散臭い杯でも、父上の力を削ぐ事でもない。私か」
「「「はい」」」
 女達が一斉に答えを返し、深々と礼をする。
「人間の台頭、魔界の隆盛により、我等が大いなる母上様の力は少しずつ減じております」
「ギュンター様、どうぞ我等が大いなる母上様の下へ、お戻り下さいませ」
「――あの方がそうそう弱るとは思えないがね。60億年はもったんだ、あと1〜2億年は平気だろう?」
 一向にソファーから立ち上がろうとしないギュンターに焦れたのか、女達の包囲がじりりと狭まる。身構えるイヴをそっと手を翳して宥めてから、ギュンターはくいと眼鏡を押し上げて笑う。
 大地が弱り続けているというのは、事実だろう。それ故に一部の大地女神達が、彼女等から見れば強力な力を持つ眷属として数えられるギュンターの存在を、元通り大地に取り込むつもりなのだ。
 それに対する罪悪感などは彼女等には無い。彼女達にとって、全ての生物は大地から生まれ大地に還る。それが早いか遅いかの違いだけであるし、命は常に大地が孕み続ける。ギュンター自身の意識や記憶などは瑣末事であると、本気で思っている。ギュンターの母である、大いなる大地母神ガイアであっても。
 あの人のこういう所が嫌いなのだと、まるで思春期の青年のような反抗心を隠し、ギュンターはあくまで優雅に呟く。
「大地の自浄作用というのも、厄介なものだ。しかし何故お前達は、すぐにこちらへ来なかったのだい。わざわざ、ダ……なんだったかな、ダエー……。とにかく、魔族の策略などに乗る必要も無かっただろうに」
「ギュンター様は、大変人望がおありになりますので」
「有力な存在の足止めとして、我等は魔族と契約を結びました」
 おや、とギュンターはレンズの下で目を瞬かせ、僅かに微笑んだ。それは今までの常に相手を揶揄するものではなく、どこか面映そうな笑みであった事に、気付いたのはイヴだけだった。
「なるほど、つまり――私がピンチの時には、颯爽と弟妹達が駆けつけてくれるとでも、思っていたのか?」
 くつくつ、と僅かな笑いが唇から漏れる。あまりにも的外れな相手の言い口に、笑うしかなかったのだ。
「やはりお前達は、心の機微というものを全く理解していないのだね。私達はそんなに青臭さ溢れる仲では無いよ、仲が良いという自負はあるがね? 素直に助けてと言いでもしたら、熱でもあるのかと逆に心配されてしまうさ――いや、それより何より」
 す、とギュンターが手を挙げる。中指と親指をきゅ、と擦り上げてから、一言。
「この程度、ピンチでもなんでもないのだよ」
 同時にぱちん、と指が鳴り。
 一番近くに居た女の胸に、さくりと軽く。
 美しい装飾が施されたレイピアが、綺麗に吸い込まれた。
「「――!!」」
 一人が膝を折り、はっと女達が色めき立った瞬間、更に二人。どちらも、ギュンターが魔力で編み出した刃物を胸に受け、がくりと屑折れる。
「ギュンター様、加勢を」
「必要ないよ、イヴ。お前も大地の眷属だ、彼女達とは相性が悪いだろう」
「は……申し訳ありません」
 悔しげに、それでも律儀に一歩下がる従者の顔を見て、ギュンターは満足げに笑う。仲間が殺されても眉一つ動かさぬ、ただの大地の欠片にしか過ぎぬ彼女達と違い、自分が生み出した従者である彼女は、意志も、感情も、きちんと有している。
「それにね、イヴ? 知っているだろう。私は――『我等が大いなる母上様』が、嫌いなんだよ」
 だからこそ、皮肉でしかない言葉を紡ぎ。
「――はい。存じております、ギュンター様」
 僅かに微笑んでそれを受け止める従者に、満足した。
 こんな楽しい事を放棄して星の一部になるなど、全く以って真っ平御免なのだと――説明しても絶対に理解しないだろう女達に軽く肩を竦め、ギュンターは改めて己の武器をその手の内に作り出した。



×××



 それから数日後。
 へとへとになりながらも、許婚や従者達の協力を受け、図書館を元通りにした三男坊と。
 お礼に飯でも奢ってやろうと思った相手の天使から全力で拒否されて、時間の空いた次男と。
 今回の騒ぎを収束させたとして、父親からお褒めの言葉を受け取ってご機嫌な長女を。
 何の含みも無く豪華な食事に誘い、弟妹から心底訝しげな、疑いの視線で睨まれた長男は。
 何故かそれでも、とても上機嫌で。
 端から見れば、どんな集団か解らない筈の四人は、その日。
 端から見ても、とても仲の良い兄弟のように見えていた、らしい。










おまけ

 散々仁蔵が大暴れした城の中、転がったままの杯。
 其処から僅かに滲み出た雫が、床を零れ、真っ二つにされて転がった死体に触れる。
 ぴくり、とその身が動き、じわじわと傷が繋がっていく。
「……く、くくく。やはりこの杯は、素晴らしいな」
 やがてダエーワの身体は全て元通りになり、満足げに息を吐いて立ち上がった。
「竜族の宝物に、ここまで当りがあるとはな。今回は失敗したが、いくらでも次を吊り上げることができるだろう。フマクトの死すら退けられるとすれば、魔族達はいくらでも――」
 ごきん。
 からんからん、からん。
「……はっ?」
 上機嫌のまま歩き去ろうとしたダエーワが、間抜けな声をあげる。鈍い音の後に、大切な聖杯が床に転がってしまったので、慌てて拾おうとして――
 ごきん。
「ふがっ!?」
 今度は、右足が変な音を立てて、関節が逆方向に曲がった。痛みは一瞬後に来て、そのままどしゃりと床に屑折れる。
 そしていつの間にか、左腕の関節も逆方向に曲がっていたことに気付いた。このせいで、先刻杯を落としてしまったのだ。
「は!? がっ!? なにっ」
 自分に何が起こったのかさっぱり解らず、意味のない悲鳴をあげてもがく彼の後に、いつの間にか二人の人影があった。
 その内の一人が、ころころと回る杯を無造作に拾い上げる。
「やっと取り返したわ。私達の宝物」
「俺達の宝を盗むなんて、身の程知らずもいたもんだぜ」
「お、おま、おまえ、ら――」
 痛みに歪む視界を堪えて狼藉者を睨み上げると、金の髪に褐色の肌を持った、男女の双子が立っていた。
「いつもだったらこれがあれば、死岬の怪我もすぐに治せたのに」
「早く持って帰ろうぜ。死岬の奴を治してやんないと」
 床に這い蹲るダエーワの姿など、全く目に入らないかのように、双子はその場を去ろうとする。
「けど、折角殴りこみに来たのに、この城誰もいなかったわね」
「そうだなぁ。まぁ、簡単に取り返せたんだからいいじゃん」
「ま……待て! 貴様等、それはもう私のモノだ! 返せえええ!」
「「はあ?」」
 そこで初めてダエーワのことを意識に入れたらしく――最初の攻撃は、目的のものを飾ってある台を壊した、ぐらいの意識しか無かったらしい――訝しげに双子が振り返る。
「なにこいつ。知ってる、グァン?」
「なんだこいつ。知ってるか、ヤァン?」
 そして同時に逆方向に小首を傾げ、顔を見合わせている。子供っぽいその姿に、ダエーワは更に苛立ちを募らせた。
 この二人が、Blood fourのすぐ下である、五番目と六番目の兄弟であることは知っていた。そして実力はBlood fourに遠く及ばず、挑んでは負け、お情けで生き永らえさせて貰っているのだという事実も。当然、ダエーワも彼等を舐め切っていた。
「貴様らが持っていても、正しく宝の持ち腐れだろうっ! あんな役に立たない従者を治すぐらいなら、その杯をもう一度私に――」
「「――……はぁ?」」
 訝しげな声。しかし、先刻よりも一気に温度の下がった声音に、ダエーワは自分が何か間違いを犯したことを知った。だが――もう遅い。
「あんた今、私達の死岬の悪口言ったわね」
「お前今、俺達の死岬を役立たずって言いやがったな」
「ねぇグァン、もしかして、死岬に怪我させたのこいつなんじゃないの」
「なぁヤァン、もしかして、死岬を襲ったのってこいつなんじゃないか」
「「――絶対許さない」」
 どこかリズムがずれている二人の声音がぴたりと合わさった、次の瞬間。
 女――ヤァンは無造作に左手を振るい。
 男――グァンは無造作に右手を振るい。
 不可視の圧力がダエーワの身体にかかり、彼の体は再び真っ二つに裂けた。
 凄惨な死体に眉一つ動かさず、竜の双子は踵を返す。
 絶対に触れてはいけない、逆鱗というものは誰にでもある。
 竜族の母に捨てられ、栄光は全てBlood fourに奪われた彼らにとって、決して厭わず、蔑まず、ただ二人平等に面倒を見続けてくれた従者を侮辱され傷つけられることは、何よりも許せないことだったのだ。
「さっ、帰るわよ、グァン。死岬にお土産買っていきましょ」
「よし、帰ろうぜ、ヤァン。死岬にお土産持っていこうぜ」
「真似しないでよ、グァン!」
「お前が真似したんだろ、ヤァン!」
「「……」」
「……死岬が止めてくれないと、喧嘩してもつまんない」
「……うん。早く帰ろうぜ」
 今までの鬼気を全く感じさせず、しょんぼりとした竜の双子は、急ぎ足で最早誰も居ない城から去っていくのだった。