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向かい傷

夜の闇の中、剣呑な気配に、仁蔵はすぐに気がついた。
生まれてこの方、魔王の第三子にして次男坊、やれ権力争いだの、やれ出自に関する断罪だので、命を狙われる―――「死」の具現化である自分に対して、おかしな話なのかもしれないけれど―――ことには慣れている。慣れたくもないが。
そういうのが只管面倒臭くて人間界まで来たというのに、未だ諦められていないらしい。溜息を吐いて、誘うように人気の無い方へ歩いていく。
やがて、夜には活気が全く無くなる船着場まで辿り着いた。仁蔵は何も気負わず、両手をポケットに突っこんだまま立ち止まり、気配が近づいて来るのを待つ。
それを感じ取りながら、内心で仁蔵は僅かに首を傾げた。魔界からの刺客が自分に浴びせる感情はいつでも、敵意と悪意と殺意、それから恐怖。
なのに、今向けられるその気配には、敵意と悪意が無い。恐怖など微塵も無い。殺意は突き刺さるように感じるが、それに混じって感じ取れるのは―――寧ろ、歓喜?
その事を訝しんだ瞬間、気配が大きく動いた。紛れもなく、自分に向かって真っ直ぐ、殺意の切っ先を向けてくる!
――――ッギィン!
咄嗟に仁蔵は、自分の分身である巨大な剣を取り出し、その刃を受けた。自分のそれよりも細いけれどしなやかな鉄が、幅広の刀身を滑っていく。チ、と僅かな舌打ちが聞こえ、細い刃の持ち主が距離を取った。充分な間合いを取り、仁蔵は狼藉者と向かい合う。
「ボケっとしてるように見えたが、やるじゃねぇか。楽しめそうだぜ」
とん、と細い刃―――確か、物知りの弟が教えてくれた、「日本刀」と言ったか―――で肩を叩き、悠々と構えを取る。その顔には、凶悪な笑みが浮かんでいて、ますます仁蔵は不審に思ってしまう。
何故、この男は「死」と剣を交えて、笑っているのかと。
「…お前、一体何だ?」
訝しすぎて、素直な問いが口から洩れてしまった。こんなモノ、見た事がない。魔の者であるとは解るし、その武器の強さから見て魔器なのも間違いないだろう。だが、魔界の者ならばすぐにその正体を感じ、慄く筈だ。しかし目の前に立つ奇妙な髪型をした男は、そんな様子は微塵も見せない。
父親は自分を恐れなかったし、上の兄と姉、すぐ下の弟もそうだった。「絶対の恐怖」の体現者である魔王と、その子供達なのだから、死を傍に置いても恐れないと理解していたのだが、これは死に挑み、その上で笑っているので―――やっぱり、解らない。
仁蔵の朴訥な問いに、男は何かを得たりとばかりに歯を剥き出して笑い、堂々と月夜の下で言い放った。
「雨崎忠衛―――参る」
それが名乗りだ、と気がついた時には、既に男は仁蔵の間合いに踏み込んでいた。
「っ!」
咄嗟に仁蔵は、大振りの一刀を一歩下がり、顎を逸らすことで回避する。そのまま返す刀で、体格から見れば不可能なほど巨大な自分の分身を片手で持ち上げ、思いきり薙いだ。
「ふッ!」
男はその斬撃を、幅の差が有り過ぎる自らの刀で受け止め、反りに沿って流して見せる。僅かに傾いだ体を逃さずに、二撃目が仁蔵に襲い掛かってくる。
仁蔵の巨大な剣は、本来あまり受けに向かない。受けに使えば、次に攻撃する時に引く際時間がかかり、隙になる。だからこそ、相手の攻撃を避けられる体捌きを学べと、自分に剣を教えてくれた叔父が言っていた。
それに倣い、仁蔵はもっぱら剣の打ち合いをせず、足でかわして攻撃を行うスタイルを取る。今まで自分に襲い掛かってきた刺客に対しては、切り結ぶことすら無く一刀の元葬っていた。
しかしこの男の斬撃は鋭く、速い。どうしても後手に回ってしまう。かわす事が出来ても、上手く反撃を打てない。それでも必殺の太刀筋を避けられるだけ、仁蔵の動きも凄まじいものだ。刀を振るう男にも、決定打を放てない苛立ちが募っている。
「ちょこまか逃げんな、テメェ!」
「無茶言うな!」
理不尽な言い草につい反論してしまう。お互い相手の一撃が当たれば致命傷になると解っているだけに、膠着してしまう。痺れを切らしたのは、やはり男の方が先だった。
「埒があかねぇ…!」
ザッと間合いを取り、深く腰を落として構える。何か大技が来る、と感じた仁蔵も腰を落とし、相手の斬撃に備える。
瞬間、雷光が閃いたかのような光が刀身に走り、今までと段違いの、必中の太刀が仁蔵に襲い掛かる!
アーティファクトのみが使える必殺の一撃。ただ避けるだけでは回避は不可能とその一瞬で感じ取った仁蔵は、自分の剣の力を解放する。黒き刀身と太刀がぶつかり合うその瞬間、夜よりも深い「死」の闇がまるで霧のように滲み出て、雷光を絡め捕った。性質は違えど、全く同じ効果を持つ一太刀で、相手の攻撃を封じたのだ。
ぎゃりり、と不快な音を立てて交わる剣の向こう側、奇妙な髪型をした男が口元に笑みを刻んでいることに気づき、しまったと思うが遅い。
相手もその一撃を同じ力で弾かれると読んだ上での攻撃だったのだろう。互いに二度は打てぬ必殺の一撃、それで潰し合うことによって完全に男は仁蔵の隙を突いた。
刃が迫る。この一撃が当たれば、自分にかりそめの死が訪れると解る。魔物はそう簡単には死なない、あくまでかりそめだ。だが、死には違いない。
それを食らった時、自分がどうなるのか―――この仮の概念殻が破り貫かれ、本来の姿に戻るのではないだろうか?
即ち、自分の母すら滅した、「死」そのものに。
そう感じた瞬間、仁蔵の内にぞわりとした寒気が走った。これは、一度感じた事がある。よく知っている。自分を「死の如く(フマクト)」と名付けた、あの存在が自分に与えた―――紛れもない、恐怖。
「―――嫌だ」
刃が自分の体に滑り込む寸前、ぽつりとそう呟いた。
死にたくない、と。
もうあの姿には、戻りたくない、と。
だって、この肉体を手に入れてから。
自分の父親だと名乗る存在と出会ってから。
食えない男と優雅な少女に、兄と姉だと名乗られてから。
弟や、妹というものが出来てから。
人間界に来て、人間というものに出会ってから。
とても―――楽しかった、のだから。
まだ、死ねない。死にたくない。自分は、死そのものでは、無い―――!!
その、仁蔵の心の震えを感じ取ったのか。
懐に呑みこんでいた「もの」が、ことりと音を立てた。




ブンッ!と刃が空を薙いだ。
「―――!?」
「何ッ…!?」
驚愕を発したのは、二人とも同時。有り得ない事が起こってしまったからだ。互いに、必殺の一撃だと理解していた攻撃が、避けられた。
唐突な危機からの解放に呆然としていた仁蔵だったが、懐の中で何かが音を立てている事に気づき、手を突っ込んでそれを取り出した。
「……? あ」
掌に収まる、不思議な形をした硝子細工。その中に入っている砂が、重力など気にした風も無く、管の間をさらさらと動き回っている。
それは、魔王からの賜り物。ほんの僅かだけ時を巻き戻すことの出来る、神秘の魔器だ。
渡された時に「お前の役に立つだろう」と言われたものの、どう使えばいいのかさっぱりだったし、渡されたことも忘れていたほどだったのだが。
あの一瞬、避けられない一撃が届く前に、無意識のうちに作動したそれが、避けられる位置まで時を戻したのだろう。後は経験によって培われた仁蔵の肉体が、反射的に避けられる攻撃を避けた。ただそれだけの事だ。
「………オイ、ふざけんな。どんな手品使いやがった」
苦虫を噛み潰した顔で、男が仁蔵を睨みつける。間違いなく勝負がついていたところを、理不尽な水入りで邪魔されたと思っているらしい。あながち間違いでは無いので、仁蔵も少々ばつが悪い。
「あー……悪い」
それでも、じわりと仁蔵の内に安堵が浮かんでくる。今までぼんやりとして形になっていなかった、「自分の心」がはっきりと理解できた。
結局のところ―――自分は、どれだけ似合わないと言われても、死にたくないのだ。だって、生きることはこんなにも、楽しい。
「あーあ、興醒めだ。止めだ止め」
そんな仁蔵をどう思ったのか、男は肩を竦めてそう言うと、自分の刀をまるで身の内に取り込むようにするりと消し、もう興味を無くしたという風で踵を返して歩いていく。それを確認してから、仁蔵も自分の分身を仕舞う。と、振り向きもしない男から、声がかけられた。
「おい、次に戦る時はそれ仕舞っとけよ!」
「…………えー」
返事は期待していないらしく、男はそのまま夜闇に紛れて消えてしまったが、仁蔵はまたあんなのに絡まれるのか、と思うと不満げな呻きしか出せないのだった。



×××



―――そんなことを、刀身に僅かについた傷を見て思い出した。
前述した通り仁蔵の分身である大剣は、例え刃が欠けても自然に修復する。それなのに傷が残っているというのは、それだけ強く仁蔵に対しその意思を刻み込んだかということ。
「あれ? 兄上、御身体に傷がついていますよ」
いつの間にか近くに来ていた、最近引き篭もりを返上したのか、しばしば図書館から外に出てくる弟が、目ざとくそれを見つけて問うてくる。全くこいつは人の触れられたく無いところに無意識に足を突っ込むのが上手いなぁ、と思いつつ仁蔵はさり気なく剣を仕舞おうとする、がその動きを止められた。ついと刃先に伸ばされた、何の力も篭めていないように見える手指で。
「ほぅ、確かに。お前にこんな傷を残すとは、大した手錬も居たものだ」
死の刃先に触れても何の反応も見せず、ただ興味深そうにその傷を眺めている兄に捕まり、いよいよ仁蔵は溜息を吐く。別に剣を動かせないわけではなく、寧ろ本気で振るえば簡単に兄を振り解ける。そのことと、だからこそ自分が振り払わないのを承知の上で、魔王の長子である兄はこういう嫌がらせをしているのだ。
「まぁ、無様ね。すぐ直しておしまいなさい」
一人で椅子に座ったまま優雅に紅茶を傾けていた姉―――見た目はどう見ても少女にしか見えない―――が、口元を手で覆ってくすりと笑う。その笑顔に、御父様の息子でありながらその様は何なの見苦しい、という感情が見えずともしっかり篭っているのを感じ、ついと視線を逸らす。正直帰りたいが、良い茶請けを手に入れた兄と姉が今の自分を逃がすわけがない。あんな青臭い話、とても口に出したくないのだが。
「…別に、大したもんじゃない。人間界に行ってすぐの頃、チンピラに絡まれたんだ」
「ははは、只のチンピラがお前に傷を付けられるわけもないだろう?」
「まぁ…確かに、刀持って頭がドレッドの、おかしな奴だったけどな」
「それは物凄い不審者ですね、兄上―――」
からーん、からんからんからん。
不意に、姉の城で一番良く使うこの広い応接間に、甲高い金属音が響く。仁蔵は訝しげに眉を顰め、弟は吃驚して紅茶を僅かに零し、姉はその無作法と不快な音にちょっとだけ不機嫌になり、兄は心底面白そうに口元を緩めるだけに止めた。四人揃って音源に視線を向けると、床に落ちた金属盆と、その前に立っている小さな子供がいた。魔王の子息女達の中では一番の末子にあたる、人間との間に生まれたキル=シュである。色々な意味で父親の寵愛を受け、出入りに厳しいこの城にも殆どフリーパスで入ってくる飄々としたこの子供が、隠しきれない驚愕を顔に浮べている。
「おや…どうしたのだい、キル=シュ? 何か今の話で、君が驚くことでも?」
「いえいえいえ何でもございません! 大変失礼致しました、私はこれでっ!」
面白い餌を見つけたとばかりに、兄が末弟に意識を向けた隙に、さっと立ち上がって仁蔵も部屋から逃げ出した。「あっ、兄上ー、もうお帰りですかー?」という弟の声を背に受けても足を止めず、末子と廊下をすたすたぱたたたと駆けて行く。とりあえずこの状況から逃げられた事を感謝しようかと横を見ると、丁度曲がり角で仁蔵とは逆に曲がっていった為不可能になった。すったかたーっと走っていきながら、
「まさかとは思いましたけど、天裂さん豪胆すぎますよぅ…!」
と何やら呟いていたようだったが、幸いにも仁蔵の耳に届く事は無かった。