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魔法使いとかぐや姫

「やぁやぁ、なんと麗しい幼子だろう! 流石私とハニーの間に生まれただけのことはある! おっとこれは失礼、改めて名乗らせていただこう、私の名はヴァレリアン・エティエンヌ・フォン・ジルベルスタイン! 気軽にヴァリーと呼んでも良いし、愛を込めてダディーとでも呼んでくれたまえよ!」
 出会い頭に奇矯な外国人からそんな言葉を放たれて。
 大宮司幸は、いつも母から持ち歩くように言いつけられている防犯ブザーをキーホルダーから引っ張り、思い切り警戒音を虚空に放った。



「はっはっは、私の天使は早とちりさんだね。まさかいきなり父親相手に公僕を呼ぶなんて、流石の私も驚いたよ!」
「ごめんなさい。お母さんから、『テンションの高すぎる外国人の50代男性を見たら、何も言わずにまず防犯ブザーを鳴らしなさい』って言われてるの」
「そうかそうか! 全くハニーは心配性だね! 否勿論、君のような天使を守るためならばハニーが過保護になるのも伺える。どこに変質者が潜んでいるか、この時代解らないものだからね!」
 変質者の筆頭に間違えられたことに――しかもあながち間違いですらない事に気付いていないのか気付かぬふりをしているのか。いかに年より大人びていても、齢が十に満たない幸の目で見極めるのは難しかった。
 母の仕事が病院以外で忙しくなってから数ヶ月。突然目の前に現れたこの男は、なんと自分の父親なのだと言う。驚いたり真偽を確かめる前に、ぽかんとしてしまった。自分に父親が存在するなど、幸は今まで考えたことも無かったのだから。
 勿論、学校の友達やその保護者から、父親がいないということに不思議そうに、あるいは不躾に問われたことも一度や二度ではない。その度に幸は母に「私のお父さんってどんな人?」と聞くのだが、聞くたびにその内容は変わった。ある時は「借金を返すためにマグロ漁船に乗っていったのよ」だったし、ある時は「埋蔵金を探しに富士の樹海へ行ったのよ」だったし、またある時は「機械の身体を手に入れる為にアンドロメダ星雲へ行ったのよ」だった。どれにしろ父親というものが遠くに行って帰ってこないのだ、という事実だけは幸にしっかり伝わったし、それを疑う余地も無かった。それぐらいには母のことが好きだったし、父親というもの自体が欲しいともあまり思わなかった。
 だから、母が今勤めているお屋敷に着替えを届けにいった帰り、いきなり現れた不審な男が父親だと言われても、にわかには信じがたい。しかしこの男を振り切って帰るのも難しそうだし、家まで着いてこられるのも困る。多分母が。
 その為、お屋敷から家まで帰る途中にある児童公園のベンチに男を誘い、腰を落ち着けることにした。
「あなたは本当に、わたしのお父さんなんですか?」
「勿論だともっ! 信じられないというのなら、ほらここに出生証明書が」
 いつも常備しているのか、男が懐からすぱっと取り出した書類は、幸が読めない言語や漢字で書かれていたが、ご丁寧にその訳書までしっかり用意されていた。恐らく幸に見せるために、わざわざ用意して来たらしい。
 ちなみに、最初のブザーが鳴った時点で駆けつけた警官は、既にヴァレリアンの言葉巧みさと、ちらつかせた権力の大きさにより引いている。その様を少し離れてみながら、幸は何故か母が珍しく愚痴っていた、「所詮この世は金とコネなのよ」という言葉を思い出していた。
「じゃあ、聞いてもいいですか?」
「なんでもどうぞ、私の天使よ!」
「あなたとお母さんは、どうしていっしょに暮らしていないんですか?」
 間髪入れず「ハニーは照れ屋さんだからね!」と答える父であるらしい男の声を想像していた幸は、ふっと辺りに沈黙が落ちた事に驚いた。この男に会ってから、初めての沈黙だ。
 隣を見ると、男は微笑んでいた。まるで何かまぶしいものを見るかのように、僅かに目を細め――一瞬後には、自信満々で倣岸不遜な、先刻までの顔に戻っていた。
「私の天使は、本当に慧眼だね。教えてあげよう、その理由を。私とハニーの、出会いから今に至るまでの一大スペクタクルロマンスを!!」
「手短にお願いします」
「ははは、全く君はハニーに似て手厳しいね!」
 ベンチから立ち上がり、ごほんと一つ咳払い。片足をベンチにかけ、まるで舞台の上のように男大仰な身振りで
頭を下げ、語り始めた。
「もう十年も前の話になるね。あの時の事を、忘れることは出来ないよ」
 かつかつと踵を鳴らして公園内を歩き回りながら、男は続ける。
「私は当時、私個人として既に満たされていた。富も権力も名誉も、既に私の膝元にあり、全て自由に振るうことが出来たからね。それ故に私は、何かが欲しいと、切望する事自体あまり無かった。欲しがる前に与えられたし、必要なものは殆ど揃っていた」
 滑り台を逆に昇っていき、階段を駆け下りる。昇り棒を片手で掴みくるりと回ってから、幸に手を差し伸べて男は近づいてくる。もう一回ブザー鳴らしたほうがいいかなぁ、と幸は真剣に考えていた。
「唯一無かったものといえば、家族だった。うむ、そうなのだよ。血の繋がった両親は既に果敢なくなっていたし、兄弟もいなかった。縁戚はいたものの、親しく付き合うことは無かったね。皆私の富と権力には引かれるものの、私を目の前にすると皆尻込みしてしまうのだよ! この私の誠実さに、己の疚しさが恥ずかしくなったのだろうね!」
 確かに恥ずかしくなったのだろう、こういう人が親戚だという事実に対して。幸はそう理解したが、指摘はしなかった。
 そして恥ずかしい男は更に、ジャングルジムをよじ登ると最上階を舞台と化してポーズを取る。
「愚かにも当時の私は、妻を娶るということに意識さえ向かなかった。私の世界は私だけで完成されており、ほかの物を入れる余地が無かったのだよ。己の血を次代に繋げることにも、興味は無かった。そんな私に、ある日運命が――そう、宿命、星の巡り、幸運、と言い換えても良い。私はこの世界で一番、その手のものに愛されているのだと実感をした日だ。そうとも、その日私は、この世で一番美しく賢く、気高く可愛らしい、私のハニーに出会ったのだよ。とう!」
 ひらりとジャングルジムから飛び降り、ぐぎり、という音がした。あ、と幸は思ったが、男は僅かに足を前後に振っただけで、笑顔を保って見せた。娘に無様な姿は見せたくないという親心だろうか。幸は初めて、自分の父親であるかもしれないこの男を、ほんのちょっぴりだけ尊敬した。
「あの時の私の喜びは、何にもたとえようもない程に激しく素晴らしかった。ハニーに出会い、私の世界はすべて崩壊し、あっという間に彼女を迎え入れようと再構築されたのだよ。そう、あの一瞬で! 私は正に! 恋に落ちてしまったのだ!」
 オペラばりの声量を掲げて、両手を広げて朗々と謡う父親らしきものを冷静に見ながら、幸もそれなりにこの男との会話――9割相手の一方的な演説だったけれど――を楽しんでいた。父と母の馴れ初めには、やはり興味が沸いてしまう。絶対に母は語ってくれないだろうと解っているから、尚更。
 しかしそこで、先刻まで煩かった男はまた口を閉じた。何かを堪えるように目を瞑り、天を仰いでいる。また足が痛くなったのかな、と幸は少し心配するが、そうではなかったようだ。
「……だが、ここで私は、最後にして最大の過ちを犯してしまう。哂ってくれ給え、私の天使よ。私は愚かにも、ハニーから全てを奪おうとしてしまったのだ」
「なにを、ですか?」
「まず、私はハニーにプロポーズをした」
「直球ですね」
「そしてそれは素気無く断られた。ならばと思い、私は持てる財の全てをハニーに捧げようとした」
「グレードアップしすぎてないですか?」
「しかしそれも断られた。何考えてるの貴方馬鹿なの馬鹿でしょ、という罵倒の形を取った照れ隠しがついてきたよ」
「多分本気のばとーだったんだと思います」
「しからばと私は、持っている財の他に、ジルベルスタインの地位も、誇りも、すなわち私の持っているもの全てを捧げようとした。返事は、手加減なしの木刀の一撃だったよ。ハニーの奥ゆかしさは正に天井知らずだね!」
 うん、これは逃げるなぁ、間違いないなぁ、と幸はしみじみ思った。母は確かに肝の据わった、中々に破天荒な女性ではあるが、その生活や身上は、娘と共に心穏やかに過ごす慎ましやかなものだ。分不相応な富や権力など、母の肌には合わないだろう。
「――私には、何故自分が拒まれるのか、愚かにも全く解っていなかった。ハニーが私の傍にいてくれるのならば、何を捧げても惜しくは無かったし、ハニーが望むのならばどのようなものでも手に入れる自信があった。そんな私に、ハニーは――今やめっきり漁獲量も減ってきた、幻のクロマグロが食べたいと所望してくれた」
「えっ」
「当然私はすぐさま漁村と魚市場を買い取り、全力でクロマグロを探させてハニーに捧げた。すると今度は、トクガワのマイゾウキンというものを是非見てみたいと言ってくれた。勿論私はすぐに研究チームと発掘チームを組織し、発見させた」
「発見できたんですか」
 確か学校の図書館に置いてあった本には、未だに見つかっていない幻のものだと書いてあったはずなのだが。私に不可能など無いのだよ! と無意味に胸を張る男の姿に、幸は思わず小さくだが拍手してしまった。
「するとハニーは、銀河鉄道に乗ってアンドロメダ星雲まで行って見たい、と何と新婚旅行の行く先を提示してくれたのだよ! 私は有頂天になって、銀河鉄道の開発に着手した。私の富と権力と技術力をもってしても非常に難しく、ようやっと開発の目処が立った頃には――ハニーは、私の国から去っていってしまった」
 がくり、と地に膝をついて嘆きのポーズを取る父(仮)を座ったまま観察しながら、お母さんかぐや姫みたい、とこっそり思った。母としては無茶ぶりをして相手の興味を削ぐ事が目的だったのだろうが、なまじ相手の頑張りが凄かったせいで、最終的に銀河鉄道建設まで提示したのだろう。
「そこで漸く、私は自分の愚かさに気がついた。私がやっていたことは、美しく賢く、気高く可愛らしいハニーを、特製の檻に閉じ込めて愛でようとする無様であったのだということを。反省したさ、反省したとも! この過去を振り返らない男、ヴァレリアン・エティエンヌ・フォン・ジルベルスタインが!」
「すごい! ちゃんと解ったんですね!」
 嗚呼! と頭を両手で抱え天を仰ぐヴァレリアンに対し、幸は彼を褒め称えた。話を聞く限り、この男が己のした事を顧みて事実を知るという行為自体がとてつもないことだ。言葉の内容よりも、娘から賛辞を受けたことが満足だったらしく、男はうむうむと肯いてから、その場でくるりと回り、再び語り出す。
「それ故に――私は決めたのだよ。もう決して、ハニーを私の傍に縛り付けるような真似だけはしないと。ハニーが望まない限り、私の力を徒に行使しないことを。それでも会えないということは、私の心を千々に乱れさせるが、この地で仕事が入ったのは正しく僥倖であったよ。ハニーに久々に会えるばかりか、私の天使にまでも会えるなんて!」
 不意にひらりと、彼の両腕が幸の脇に伸び、持ち上げられた。一瞬もう一度防犯ブザーを鳴らそうと身構えてしまうが、下から見上げてくる男の顔がとても穏やかで、ついつい絆されてしまう。
 色々と規格外だし、迷惑な事この上ないが、この男性が母と自分をこの上なく愛しているのだということは、幸にも理解できた。
 だから、不思議に思って幸は問う。
「お母さんと、結婚しないんですか?」
「麗しき私の天使、君がそう思ってくれるのはとても嬉しいよ。だがそれは、ハニーが最も嫌う、ハニーを私の傍に縛り付けることだ。許しておくれ、私の天使。途方も無いほど、君を愛しているけれど――この世で一番私が愛しているのは、ハニーなのだよ」
「じゃあもし、お母さんが結婚してくださいって言ったら?」
「それは私の望外の幸福だよ天使ィイイイ!! 嗚呼、何と言う甘美な夢だろうか! その一言で君は私に永遠に覚めぬ魔法をかけてくれたよ!!」
 すっかりテンションが上がってくるくると娘を振り回す父親、である男に対し、幸はこっそり溜息を吐く。どうしてこんなに強引且つ手前勝手に見える男が、少なくとも幸が物心ついたときにはその姿を欠片も見せず、母との生活に一切干渉してこなかったのか、という理由も解ってしまった。仕事という建前がなければ、それにこじつけることもせずに、決して近づこうとはしなかったのだろう。
 だが、母は。
 昔の事を思い出す。父の事を尋ね、突拍子も無い法螺話を聞かされて。真面目に話して! と怒る娘に、椿は本当のことよ? とくすくす笑いながら。
『本当だったら。――もし帰ってきたら、一緒に暮らすのも悪くないわね』
 勿論、幸がそれを望んでくれるならね? と付け加えた母の顔は、どこまでも優しくて。
 つまり、もしこの色々と規格外かつひょうきんで煩い壮年男性が、己の財とか権力とか名誉とか放っぽり出して、身一つでプロポーズでもかましてきたら、決して悪い気はしない、ということではないだろうか。
 しかしそんな事を彼がやろうと思い至る事は無さそうだし、それを指摘する母でもない。どちらかが折れるのも、想像がつかない。
「――お父さん」
「何かな、私の天使?」
 思ったよりも簡単に、その単語は出て来た。相手の男は――父は、そう呼ばれたことに微塵の動揺も見せず、ただ愛しい我が子の声を聞こうと、抱き上げたままじっと見詰めてくる。
 ここできっと、もうちょっと愛情表現を抑えて、と告げたとしても間髪入れず無理だと言われるだろう。この短い邂逅だけでも、そう言われる予想はついた。だから――
「お母さんの事、よろしくお願いします」
 抱き上げられたまま、ぺこり、と頭を下げることだけで答えた。
 勿論だとも私の天使ー! と満面の笑みで再びくるくると持ち上げて回られ、流石にちょっと目が回ってきたが我慢する。
 初めて味わう父の抱擁は、決して不快ではなかったから。
 もし本当に父がもう少し謙虚になって、母がもう少しだけ素直になってくれたら。
 自分は絶対に反対せずに、父母を祝福しよう、と幸は心の中だけで誓った。