時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

融けず、届かぬ

 ――その青年を見かけたのは、まだ「魔王」の恐怖に国が脅かされていた頃の話だ。
 沢山の冒険者と、それに対して商売を営む者たちがひしめくギルドの中で、荷物を山のように背負った金髪の青年。
 身の丈はそれ程ではないが、体つきはしっかりとしている。しかし立ち居振る舞いに武術の心得等は無い、一般市民であることは、歩き方だけで容易に知れた。
 背負い籠に山のような鉱石袋を詰め込んだ青年は、ギルドの片隅に置かれている箱の中を、僅かに腰を屈めてじっと見ていた。
 何をしているのか、と疑問を提示する前に、その答えが箱の中から聞こえてくる。
 にゃあ。
 か細く掠れた猫の声。箱の中からぽこりと顔を出したのは、随分と小さい白猫だった。いつの頃からかこのギルドに住みつき、なんとなく客から餌を貰って生きている半野良らしい。
 小さな命を、彼はまじまじと見つめていた。その横顔は微笑んでいるようにも見えたし、今にも泣きだしそうにも見えた。相反する二つの表現がそのまま鎮座しているような、不思議な横顔だった。
 彼はそのまま、何事か唇を動かしたが、賑わうギルドの中では全く聞こえない。
 そして彼は白猫に手を伸ばし、抵抗もせずに収まった小さな体をひょいと拾い上げ、抱きかかえたまま踵を返す。もう用は済んだとばかりに、振り返らないまま。
 彼がつい最近己の店を得たばかりの、腕の良い鍛冶師にして武器屋だと知ったのは、ほんの少し後のことだった。


×××


 最後の客がドアベルを鳴らして去っていくのを見届けて、この店の店主は軽く息を吐いた。
「今日もお疲れ様でした」
「ああ、お疲れ様」
 いつもレジに入ってくれる日雇いの女性が笑顔で会釈し、出ていくのに軽く返し、売れ残った武器を倉庫へ仕舞う。床の掃除が全部終わった後は、いい時間になっていた。
 これからいつも通りギルドへ向かい、注文していた武器の材料を受け取ってこなければならない。日々の武器のトレンドを調べ、集客を増やすためコンサルタントに頼み、店の増築について大工と話す――やることはいくらでもある。
 客に注文されていた武器を全部背負い籠に入れ、さて出かけるかと思った時、いつもはカウンターの上で寝ている白猫の姿が見えないことに気付いた。箱好きの飼い猫が、販売用の箱に潜り込んでいるのではないかと一個一個調べたが、何処にもいない。
 もしや先刻ドアが開いた隙に外へ出てしまったのか。僅かに眉を顰め、速足で店の外へ出た瞬間――
「――! おや、これは」
「……あんたは」
 目の前に、猫がいた。正確には、自分より頭一つ高い背の男に抱き上げられて、こちらを向いてにゃあ、と嬉しそうに鳴いた。そしてそれを抱いて、今まさに店の戸を叩こうとしていた男は、非常に馴染みのある顔であったが、この場所で出会うのは初めてだった。
「ああ、やはりこの子は、あなたの飼い猫だったのですね」
 ニーッニーッと高い声を上げ、腕の中からじたばたと抜け出そうとする猫に苦笑し、目の前の男――紫紺の外套を身に着けた、愛国騎士団長は、美丈夫の顔に貴婦人達が見たら色めき立つような笑顔を浮かべてこちらに差し出してきた。
「……すみません」
 猫を受け取り、宥めるように頭を撫でてやってから、ひょいと首根っこを摘んで店の中に放り込み、ぱたんとドアを閉める。恨みがましい鳴き声とドアを引っ掻く音が聞こえるが、脱走したお前が悪い、と思いながらしっかり鍵を閉めた。
 すると、僅かに空気を揺らして吹き出す音が聞こえ、振り向くと口元を拳で抑えて笑う騎士団長が立っていた。
「何か」
「ああ、いえ、すみません。失礼を」
 指摘すると慌てて笑い声を飲み込んだようだが、何故笑われたのか解らないので武器屋は首を傾げる。騎士団長はその際一瞬の動揺を見せたが、次の瞬間にはすべて払拭し、あくまで柔らかい声で「これから、ギルドへ?」と問うてきた。
「御所望の品は揃えたので、良ければここで引き渡しますが」
 それに頷き、背負っていた籠を下ろそうとすると、何故か慌てた様子の騎士団長に肩を掴んで止められた。
「いえ! ……その、このような往来で武器のやり取りをするのは、少し」
 指摘されてはたと気が付いた。いつも武器に囲まれ武器を作って生活しているせいで、街中を歩く一般人にとっては物騒なものであることをつい忘れていた。流石町の治安を守る騎士団長は慧眼であると武器屋は納得し、改めて籠を背負い直す。
「失礼、軽率だった」
「いえ、こちらこそ。良ければ――ギルドまでご一緒しても?」
 冒険者が集まるギルド内では、武器の売買も大っぴらに行える。促しに頷いて、武器屋は騎士団長と並んで歩きだした。


×××


 不思議な人だ。隣に歩く金髪を目の端に留めながら、騎士団長はつくづくと思う。
 大荷物を背負っても全く足取りが緩まない彼は、恐らくこの国でも一番腕の良い鍛冶師だろう。部下である兵士の中では彼の打った剣を持つことが一種のステイタスとなり、冒険者達も信頼がおけると、他国からでも挙って彼の店に集うという。
 商売も順調であり、また店を大きくするという噂がギルド内でも飛び交っているが、そんな話題の中心人物である彼は、まるで俗世のことなど興味ないと言いたげに、毎日鉱石を買い、武器を作り、それを売り続けている。
 騎士団長も、彼の打った剣と槍を持っている。初めて見た時、武器とはこんなにも美しいものであったのか、という震えすらした。本来の役目である筈なのに、この美しい白刃を血にまみれさすことは酷い罪悪であるような気がして、戦場に持っていくことを躊躇ったことすらあった。勿論、死ぬかもしれない魔王との戦いにそんな愚かな真似は、とても出来なかったけれど。
 ――わたしがそんな事を思っていると知れたら、彼に軽蔑されてしまうだろうか。
 埒もない空想にふと腹腔が寒くなり、僅かに体を震わせると、不意に金髪の頭がこちらを向いた。そしてその時点で、騎士団長は武器屋の頭を、歩きながらずっとまじまじと見ていたことに気付いてしまった。
「何か?」
「は――いえ、失敬! その……」
 不機嫌でもなく、ただ不思議そうにこちらを見上げて問うてきた顔に一瞬喉が詰まり、しかし貴族達との腹芸で鍛えられた精神は、動揺をすぐにかき消すことが出来た。丁度いい言い訳の台詞も思いついたので。
「あなたの店では、武器の手入れというか、磨き直しは行っていないのでしょうか?」
「――……」
 意外な言葉だったのか、僅かに首を傾げて武器屋は考え込む。内心の焦りを押し殺しつつも、騎士団長は以前から部下の間で希望が上がっており、かつ自分も望んでいることを現実に出来ないかという目論見があったので、歩みは止めないまま黙って返答を待つ。
「……今は。作成と、販売で手一杯なもので」
「そうですか……。差し出がましいことを言ってしまい、申し訳ありません」
 やがて答えられた否定の言葉による落胆を押し殺しつつ、微笑んで首を横に振ると、彼は僅かに肩の力を抜いたようだった。
 ――申し出を蹴るのを、心苦しく思って下さったのか。
 彼は本当に優しい人だ、と騎士団長はつくづく思う。市民の中には彼を、危険な武器を作って人々を戦場へ送り出すと嫌う者がいるらしいが、そんなことを聞くと騎士団長は苛立ちを覚えてしまう。彼の武器は勿論、彼の人となりも知らぬくせに、何を言うのだ、と。
「……武器は、消耗品だ。どんなに大事に使っても、いずれは折れて砕ける」
 不意に、彼の声が聞こえて騎士団長は思考を打ち切る。隣を見ると、彼は前を向いて歩いたまま、ぽつぽつと呟くように続けた。喜んでいるのか悲しんでいるのか、どちらとも取れない伏し目がちの瞳を僅かに揺らしながら。
「一回切れば、切らなかったものよりもどうしても切れ味が悪くなる。打ち直すよりは、買い換えた方がずっと良いかと」
 そこまで言って、彼の口の端が僅かに緩む。初めて見る様に騎士団長が驚く間もなく、片目だけ視線を向けて彼は言った。
「その方が、生業としては有難いもので」
 ふ、と僅かな吐息を漏らし、彼はほんのわずかであったけれど、明確に、微笑んだ。驚いて言葉を無くし――今のが彼なりの冗談だったことに漸く思い至り、騎士団長はたまらず吹き出す。
「それは、確かに! 一本取られましたね」
「毎度ご贔屓に、ありがとうございます」
 商売人としての抜け目ない一言に、騎士団長はまた笑った。そのうちに彼の方の笑顔はひっこめられてしまい、それを残念に感じてしまったけれど。


×××


 ギルドに到着し、改めて注文していた武器と金子を交換すると、武器屋はすぐに素材発注のカウンターへ向かってしまった。構成員と何か話をしつつ、荷物を受け取っている彼を、エール酒で口を濡らしながら何気なく目で追っていると、いつも通り籠を鉱石や魔法石で一杯にした彼が、しかし騎士団長の座るテーブルへまっすぐに歩いてきた。右手にはエール酒のジョッキ、左手には布に包まれた小さな荷物を持っている。普段ない行幸に驚きつつも、隣の席を促すと、武器屋はごく自然に腰かけて酒を一口呷った。割といける口であるのは、一度食事に誘った時に意外と健啖家であることと同時に知った事実である。
 そしてジョッキを置くと、逆にテーブルに置いてあった包みを手に取り、慎重な手つきで剥がす。つい身を乗り出してその中身を見ると、僅かに金色に輝くが、決して宝石のように美しくはない無骨な石がひとつ。
「これは?」
「ジークフリート。クリームヒルトの国で取れる、珍しい鉱石だ。暫く前に依頼していたのが、今日やっと届いた」
「では、これを使って新しい武器を?」
 騎士団長の問いに頷く彼の顔は、まっすぐに石へ向けられている。これからこの石に如何に命を吹き込むかという思いで夢中になっているのだろう。彼が楽しそうにしている嬉しさと、彼の視線が己へ向かない寂しさ――これは無意識だったが――がない交ぜになり、次の言葉をどう紡ごうか致しかねていると、不意に彼の視線がこちらへ向いた。
「……騎士団長」
「はい、何でしょうか?」
「魔王との決戦は、近いのか」
 言われた言葉に、騎士団長は一瞬迷うが、然りと頷いた。事実、魔王軍はその数をかなり減らし、今や魔王の命も風前の灯火だと言われている。油断はしないに越したことはないが、どちらにしろあと少しで、決着がつくのは間違いない。
「では、……貴方はその討伐隊に、参加を?」
 問いの意味が咄嗟に理解できず、目を瞬かせる。しかし彼に嘘や誤魔化しを言うのは、随分と姑息な真似である気がして、彼の目をまっすぐに見返して答える。
「いいえ。私はあくまで愛国騎士団の指揮を執り、冒険者達の戦いを手助けするために動きます。現場まで出向きますが、最前線に出る予定は今のところありません」
 もどかしい話ではあるが、己の地位を考えたらそうするしかないのが当然。軽く、武器屋が作ってくれた剣の柄を叩いてそう答えると、武器屋はふと俯いて。
 騎士団長が何故か、と思ううちに石を丁寧に包み、エール酒を一気に飲み干して立ち上がった。
「これから仕事なので、そろそろ失礼」
「、ええ。お疲れ様です」
 深く会釈して、いつも通りのせかせかとした足取りで去っていく彼の背中を見ながら、騎士団長は原因もわからないのに、何とも不思議な居心地の悪さを味わうことになった。


×××


 店までの帰路を歩きながら、手の中の石を見つめて武器屋は僅かに息を吐く。
 ジークフリートという鉱石を使って打ち出される剣の銘は、バルムンク。英雄が手にした神剣の名を関するそれは、この世で最大の攻撃力を誇ると言われている。その刀身が無骨すぎるせいで、販売価格は他の稀有な武器に比べかなり落ちるのだが。
 ――強い武器を強い人が持てば、戦争は早く終わる。
 彼はそれを知っている。武器は何も語らず、何も齎さない。必要なのは、使う人間が何を思い、何を齎さんとするかだ。
「あの人なら、きっと――」
 高い身分の持ち主でありながら、一介の武器屋でしかない彼の腕だけでなく、彼自身を尊重してくれるあの人ならば。かの剣を持つのに相応しいのではないかと、思ってしまったから。
 ごつ、と布に包まれたままの鉱石を自分の額に軽くぶつける。酷い自惚れだ、と自嘲しながら。
 己は剣を作るだけのものであり、持ち主を選ぶ権利などない。あの人が剣自体を見て、それを振るいたいと望まないのならば、己の思いなど単なる傲慢に過ぎない。
「駄目だな」
 溜息を吐いて、不純を捨てる。武器を打つにあたって、余分な混じり物は不要。混ざったら、弱くなるだけだ。
 いつも通り、鉱石を並べ、火を起こし、鎚を振るって刃を打つ。己にはそれしかないし、それだけでいい。
 ――ただ、あの人に死んでほしくないのだと、そんな未練も全部、火にくべてしまうことにして。
 彼はいつも通り、喜びと悲しみが丁度半分混じったような、何とも不思議な瞳を揺らしながら、たった一匹の家族が待つ家へと辿りついた。