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アゲハ蝶ver.β

「たかちゃん、たかちゃん」
「なんだい、ののみ?」
無邪気な中にどこか照れを含んだ声で名が呼ばれると、その相手が蕩けそうな声で聞き返す。
その声を発しているのが、『5121小隊の凸凹カップル』或いは『犯罪オペレーターコンビ』などと言われている二人、瀬戸口隆之と東原ののみである。
一見兄妹下手をすれば親子に見られかねない体格と年齢の差があるのだが、れっきとした「恋人同士」である。
「えっとね、えっとね…」
「うん?」
紅葉のような両手を後ろで組んでもじもじとしているののみを、本当に幸せそうな顔でじっと見つめている瀬戸口は確かに一歩間違えれば(もう手遅れか?)犯罪者のレッテルを貼られてしまっても間違いないような気がしないでもないが。
「あのね。…ののみを、だっこしてほしいの」
きょろきょろと辺りを見まわして、校舎裏のハンガー前に誰もいないことを確認してから、瀬戸口の側まで近づいて、顔を上向かせる。察した瀬戸口が屈んで耳を傾けてやると、顔を赤くしながら小さくそれだけ呟いた。
「仰せのままに、お姫様」
「ふええ…」
もうすぐ夕方、仕事は終わり。パイロットやスカウト達はこれから訓練に明け暮れる時間だろうが、自分達にはそうそう用事はない。もし仕事時間中に瀬戸口の方からこう言えば「めーなのよ」と言われることが間違いないので、瀬戸口は嬉しさを隠そうとせず、ひょいっと愛しい人を抱き上げる。バランスを取るために曲げた腕の上に座らせ、首に腕を回させた。
「いっしょに、かえろ?」
「勿論」
やはり恥ずかしそうに呟くその声がいじらしくて、ぷくぷくした頬に軽く口付けると、ますます赤くなる顔に少し笑って、二人分の鞄を持って歩き出した。




「今日は随分甘えたさんだな。どうしたんだ?」
「ふぇ…うん。あのね、だっこしてほしかったの。おとうさんみたいに、だっこしてほしかったの」
夕暮れの閑散とした住宅街を歩きながら瀬戸口が問うと、きゅ、と抱きつく力を強めてののみが呟く。父親かい、とちょっとがくっと来たが、堪えて平静を装う。
「あのね、いつもとおなじなのに、さみしくなったの。いつもとおなじほうかごなのにね、とってもさみしかったの」
「そうか…」
「それでね、たかちゃんにあいたかったの。あいたくて、だっこして、ぎゅってしてほしかったの」
無邪気に。無垢に。ただ自分に身体を預けてくれるこの少女がとても愛しい。
この少女だけは、守りたい。自分の持てる全てを賭けて、守りたい。
汚したくない。真っ白な新雪だけを集めて作り出したような、純粋なこの少女を。
「こんなことで良かったら、もう喜んで。いつでも言ってくれよ」
「うん!」
返事にもうどうしようもない淋しさは感じ取れない。安心して、もう一度抱き上げ直そうとしたその時――――


ゴウン…ゴウン…


「!」
不気味に空に響く音が近づいて来て、瀬戸口はきっと空に視線を向ける。
赤みがかった空と雲の間に、鈍く光る黒い身体と紅い瞳が見えた。
「スキュラなの…」
不安げなののみが、しっかりと瀬戸口にしがみつく。安心させるため、背中をそっと撫でた。
「大丈夫だ、あの高度ならここらが目的地じゃないだろ」
「うー…」
実際、不気味なフォルムの幻獣は地上を睥睨することもなく、雲の合間に飛び去ってしまった。どちらからともなく、ホッと息を吐く。
「助かったー。今日も出撃なんて言ったら、シャレになんないからな」
「えへへ」
心底助かった! という瀬戸口に、緊張がほぐれたののみが笑顔を洩らす。それが却って、こんな小さい子供が戦争をしているということを再確認させてしまい、瀬戸口は心の中だけで眉を顰めた。

ズガッ!!

「!!!」
その時、一瞬。赤い光りが、空を薙いだ。掠められた家の屋根が、がらがらと崩れ落ちる。とっさにののみを抱き込み、背を向け庇った。
「…たかちゃん、あそこ!」
腕の中から無理矢理顔を出したののみが、原因を発見して悲鳴をあげる。はっとなって振り向くと、深手を負ったキメラが瓦礫の中から今まさに這い出そうとしていた。
「友軍の撃ち洩らしかっ…ったく、掃除はしっかりしとけよ!!」
思わずこう愚痴りたくなるのも無理はない、まさしく目と鼻の先に幻獣がいるのだ。こちらはウォードレスは愚か、武器ひとつ持っていないのに。
向こうも半分死にかけているが、最後の力を振り絞ってもう一発レーザーを撃とうとしているらしい。考えている時間は無かった。
鞄を放り投げ、腕からののみを降ろそうとして、止めた。抱いている方が、どこに飛んでいくか解らないレーザーから護るにはずっと安全だ。
「ののみ。大丈夫だ、絶対に助ける」
「う、うん」
「だから、しっかり掴まってろよ?」
「うんっ」
真っ直ぐ見つめられた視線を信頼し、ののみがしっかりと首にしがみつく。
「それと―――もうひとつ」
「ふえぇ?」
きょとんとしたののみの目の前にすっと指を2本伸ばし、ゆっくりと下ろして瞼を閉じさせる。
「目を瞑ってるんだ。俺がいいって言うまで、絶対に開けないでくれ」
「…うん」
「よし」
ぎゅっとののみが自分で目を瞑ったことに感謝し、瀬戸口は視線をキメラに向けた。その、普段の彼を知るものにはとても信じられないだろう真剣な冷たい瞳は、普段の濃い紫色からどんどんと赤みが強くなって行く。猫のような瞳孔はきゅうっと縮まり、ぴしり、と指先で乾いた音がする。ざわざわと軽く撫でつけられていただけの髪が逆立ち、彼の自慢のひとつである長い指の手が、どんどんと色を変じ爪を伸ばしていく。
「――――オオオォオッ!!」
僅かに牙が伸びた唇から漏れ出たのは、獣の咆哮。
僅かに腰を落とし、ダンッ! と地を蹴ると、あっという間に伏したキメラの背中に着地し―――
どぶっ!!
あまりにもあっさりと、自らの左手をその背中に突き刺した。
ギュオイイイイイッッ!!!
開かぬ口から悲鳴をあげ、その一瞬後ふっと姿が消え去る。最後の一撃を放つ余裕もなく、絶命させられたのだ。
何事も無かったようにその場に降り立った瀬戸口は、軽く腕を振るう。瞬きする間にその手は人のものに戻った。
「ののみ」
「……だいじょうぶ?」
「あぁ、もう平気だ。目を開けていいよ」
ぎゅーっと瞑っていた目を、ゆっくりと開ける。目の前に柔らかく微笑んだ、ののみの大好きな笑顔があった。
「たかちゃん!!」
またぎゅっと抱きついたののみを、両手で抱き締めようとして―――一瞬左手を伸ばすことを躊躇い、逡巡し、しかしやはりしっかりと抱きしめ返した。
見られたくなかった。
この少女にだけは。
「…もう帰ろう。報告は、明日にでもすればいいから」
「うん…」
これも嘘。絢爛舞踏である自分の動きは、上層部・芝村一族には全て押えられている。多分迂闊にこんな住宅街で「正体」を見せて、とまた責められることは間違いない。それでも、彼女が巻きこまれ責められるかもしれないことを考えれば、自分一人が責を負う方がよっぽどましだ。
だから、嘘を吐く。
この少女を、汚さないための嘘を吐き続ける。
それぐらい、平気だから。




瀬戸口は知らない。
あの一瞬の戦いの中、ののみの大きな瞳はぱっちりと開かれていたことに。
そして、幻獣の「めーなこころ」と「かなしいこころ」の中に、瀬戸口の「かなしいこころ」が吹き出しているのも知っていたことに。
そしてそれを知られたくないと瀬戸口が思っているから、ののみは絶対に言わないことに。
(ののみは、だいじょうぶだからね)
きゅっと首に回した腕に力をこめて、今度は自分の意思で目を閉じた。しがみついているはずなのに、それはどこか目の前のでかい図体の男を抱きしめているかのように見えた。
(だいじょうぶなのよ。せかいはよくなるの。たかちゃんがなかなくてもいいひがきっとくるのよ。それがせかいのせんたくなのよ)
本当は、一番大人なのは彼女なのかもしれない。




「ののみ? …眠っちゃったのか?」
腕の中で僅かに笑みを浮かべて小さく寝息を立てる天使に、苦笑して。お休みの意味を込めて、額に口付けを落として。
「お休み。…せめて、いい夢を、な」