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のんべんだらりんごった煮サイト

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来須は帽子を深くかぶりなおした。
夜の中で、燐光が、ゆっくりと輝き始めた。
小さな光の珠達が、来須を、めぐりはじめる。
淡い光に照らされる来須。
その姿を見た瞬間、胸が高鳴った。
「お前には、これが見えるのか」
舞は、小さくうなずいた。
「…。この光は、想いだ。 かつて生きていて、遠い未来を夢見ている。死してもなお俺を守り、青につくす数多の願いだ」
来須は、手をゆっくりとさし伸ばすと、天に帰した。
光が、なごり惜しそうに来須をめぐると、天に帰っていく。
来須の無表情な横顔が、ひどく悲しく思えた。
高い背に、広い肩。誰もが頼る程大きいが故に、人に見えない悲しみを負った人。
「…いつか、俺もこの光になるだろう」

その台詞を聞いた瞬間。
舞は、問答無用でその頬を殴り飛ばしていた。







「まいちゃん、まいちゃん。ぎんちゃんとけんかしたの?」
「ぶっふ!!」
日も暮れかけたグラウンドはずれにて、一仕事終えて早めの夕食を取っていた舞は、同じく仕事後のおやつを食べていたののみに唐突に質問されて、口に含んでいた焼そばパンを盛大に噴出すという女子としても芝村としてもらしからぬ失態を見せてしまった。
「ななななぬを、っ」
ごほん、と一つ咳。
「何を突然言い出すのだそなたは」
「ちがうの?」
「ぐっ」
何とか体勢を立て直そうとして、純真な真ん丸お目目に見つめられて失敗する。ぎごちなく視線を逸らすと、グラウンドの真中でもくもくと訓練をしているスカウトが二人いた。
「……喧嘩、などではない」
「ふえ? そうなの?」
「ああ、そうだ。不覚だが、私だけが腹を立てているに過ぎん。そういうのは、喧嘩とは言わぬだろう?」
姿を視線に入れた途端、思わず吐露してしまった。それもあやつのせいだ、と苛立ちを込めてグラウンドのシルエットに冷たい視線を投げるが、気づく様子もない。それがますます舞を腹立たせる。
「どうして、ぎんちゃんのことおこったの?」
「…ののみ。他の者には話すなよ」
「うん」
釘刺しに小さな頭がこっくり上下するのに少しだけ微笑み、舞は淡々と言葉を紡いだ。
「先日、日曜にあ奴と出かけたのだ」
「でーとなのね」
「ち、ちがっ…否、論点はそれではない。帰り道、公園に寄った際、精霊なるものを見せられた」
「ふえ?」
「――――青い、光だ」
かの日、確かに舞はその目で見た。寡黙な戦士が翳した手の上に舞い落ちる、無数の青い光を。
「あやつは、その光を想いだと言った。死して尚戦おうとする、戦士達の想いであると。そして―――」
そこで一瞬舞は言葉を詰らせ、眉根を寄せた。
「いつか自分も、その光になるだろうと―――言ったのだ」
声に僅かに色が混じった。抑えようとして、抑えきれなかった激情が。
「ふざけるな。例え我らに死が相応しいと言っても、端から死を思い突撃するのが兵士だと言っても、そのようなことは私が許さぬ――――」
「まいちゃん」
ののみの縋るような声で、舞は我に返った。きゅ、と小さな両手が自分の肘を握り締めているのを見遣り、苦笑すると空いている方の手でそっとののみの頭をぎこちなくだが撫でた。
「すまぬな。―――あやつをカダヤと決めてから、私は少しおかしい。無様で、滑稽であろう?」
自嘲混じりの舞の言葉に、ののみはふるふると首を振る。
「まいちゃんはおかしくなんかないのよ。すきなひとにずうっとずうっといきていてほしいのは、あたりまえなのよ。ののみも、たかちゃんにしあわせになってほしいのよ」
「瀬戸口か」
舞の指摘に、ののみは僅かに柔らかい頬を染めて頷く。
「たかちゃんは、いままでずうっとかなしかったの。かなしくてかなしくて、たたかうことをしなくなったの。でもたかちゃんは、ののみをかなしませたくないからののみをまもってくれるのよ」
どこか、とても遠くとてもいとおしいものを見るような瞳で、ののみは笑った。夕焼けに映えるその笑顔に、舞は目を奪われた。
「ぎんちゃんもきっと、まいちゃんをかなしませたくないからまいちゃんをまもってくれるのよ。だから、まいちゃんもぎんちゃんをまもらなくちゃめーなのよ」
「そう、か…。ならば、そなたも瀬戸口を護らねばならぬぞ」
「うん! ののみはたかちゃんをまもるのよ」
拙い言葉で紡がれた、その言葉の何と重い事か。
決意を誓い合う少女達の元に、長身の人影が近づいて来た。
「あ、ぎんちゃん」
ぴきゅ、と舞の身体が固まる。それを見送りベンチから飛び降りて、仕事を終えたらしい人影―――来須に近づいたののみの頭に、ぽふんと大きな掌が降りる。軽く撫でてすぐ離すと、来須はすたすた歩いて舞の前に立った。
「………」
「………」
沈黙が重なる。元より来須はこの上ない寡黙だし、舞も演説以外の言葉の紡ぎ方はそう得意ではない。
来須はどうか知らないが、その時舞の脳はフル回転していた。
先日のことは、どう考えても自分が悪い。相手に誘ってもらい、共に出かけ、その1日の締めを拳で追えてしまったのは自分の責任だ。謝意を表さなければなるまい。それなのに、引き攣ったように唇が動かない。
「…………っ、わ、若宮はどうした」
漸く言えたのはそんな台詞で。来須は一瞬帽子の鍔の下で目を瞬かせ、軽く顎をしゃくった。
それに合わせて舞が振り向くと、丁度仕事を終えたらしい整備主任に笑顔で駆け寄って行く巨体が見えた。
「な、成る程。……く、来須。昨日のことは―――、殴ったことは詫びよう。すまなかった」
「………」
「だ、だが! そなたの適切でない言葉に関しては詫びぬぞ。安易に死を望むものは戦場には要らぬ、自重せよ」
ののみが来須の後ろから、そんないいかためーなのよ、という視線をぶつけてくるが、舞は目を逸らして耐えた。許せ、ののみ。自分でも情け無いが、こんな風にしか言えない。
来須は小さく頷いただけで、後は無言だ。それ以上言葉を紡げなくなり、舞は俯いた。
―――不意に、来須がその引き結ばれた唇を開けようとした、瞬間。

『 101v1、101v1、全兵員は教室で待機。全兵員は教室で待機。繰り返す。101v1、101v1、全兵員は教室で待機せよ 』

「「「!!!」」」
既に日の落ちかけた空気を割いて、ノイズ混じりのスピーカーから聞こえてくるサイレン。
「…行くぞ、来須!」
「…あぁ」
きっと空を見据え、振り向いた舞の顔は既に戦士のものとなっていた。来須は唇を結び直し、ただ応と答える。ののみの手を引き、舞は走り出した。後から追いかけてくる足音を確信して。




武尊に身を包み、もう既にスタンバイを完了した来須の通信回線が不意に開く。
『…来須』
聞こえてきた、緊張を含んだ涼やかな声に、来須はメットの下で軽く瞠目した。彼女が戦前に、このように個人回線を開いて会話することなど初めてだった。
『……先程の話は、戦闘が終わってから続ける。だから―――、…死ぬな』
ブツッ、とそれだけ言って通信は切れた。来須は隣の若宮に見えないであろうことを感謝して、メットの下で顔を顰めた。
――――揺り動かしてしまったか。
昨日。月の眩しい夜。
精霊の光を見せたのは、決して気紛れではなかった。
人型の兵器に乗り、恐れる事を知らぬように戦場を駆けて行く芝村の姫。
彼女は強者であるが故に孤独で、故に傷つき易い事を来須は知っている。
だから、彼女の味方を指し示し、安心させてやりたかった。―――どうにも、逆効果になってしまったようだが。
誤算だった。彼女は自分が旅人であることを知っている。だから、自分との別れを提示しても、堪えてくれるだろうと思っていた。
そこまで考えて、来須は不器用に唇を歪めた。
自分が漂泊の民であることを否定したがっているのは――――あの少女の元から離れ難いと思っているのは自分の方なのに、と。
『歩兵部隊、出るぞ!!』
「―――了解」
若宮の声と共に、トラックのハッチが開かれる。今までの意識を全て払拭させ、土埃の上がる戦場に来須は降り立った。




阿蘇特別戦区。
最強の幻獣と呼ばれるスキュラが、当たり前のように発生する場所。
不気味な紅い目から発せられる光線を必死に避けながら、舞は参号機で突っ込んで行く。
『舞! 突出し過ぎだ! 一旦下がれ!』
「口出し無用! 外すなよ、茜!」
『はん、誰に向かって言ってんだ!』
指揮車の司令・速水から入って来る通信に一言だけで返し、砲台操縦席の茜に激を飛ばす。不敵な返事と共に、必中のミサイルが背の砲台から発せられた!!

 ドキュドキュドキュドキュウウウウンン!!

地響きが辺りを揺らす。ミサイルの雨は、辺りにいたゴブリンやナーガ、ミノタウロス達をほぼ全滅に追い込んでいた。生き残っていたスキュラを、漸く追いついてきた壬生屋機や滝川機が仕留めていく。
ほぼ戦局がこちらに傾いたことを確信し、安堵の息を洩らした瞬間。
『敵、増援接近中!!』
悲鳴のように甲高い、ののみのオペレートが入った。
緊張する間もあればこそ、空を黒く染めるほどのスキュラの一団が、こちらに近づいているのを見て取り、舞は歯噛みする。消耗した状態では立ち向かえない。補給に戻る時間も無さそうだ。
「ちっ…如何する」
舌打して、指揮車と通信を取る。一瞬黙った司令は、搾り出すような声で命令を下した。
『…参号機、丘陵より南下。囮となって一団を南へ向かわせろ。側面から壱号機・弐号機、及び歩兵による一斉攻撃準備!』
懸命な判断だ、と舞は胸を撫で下ろす。スキュラの攻撃範囲は広い、迂闊に撤退を始めれば背後から殲滅させられてしまう。ここは一番突出し、操縦の実力もある自分が囮となるのが最良だ。
「そういうことだ。茜、付き合って貰うぞ」
『ふん、貧乏籤だとでも思ってるのか? 僕は死ぬつもりはないよ』
「奇遇だな、私もだ!」
最初はいがみ合っていたこの少年も、今は大事な戦友だ。恐れを見せぬ答えに満足げに頷き、舞はスキュラの射程範囲ぎりぎりで南下を始めた。



ザムッ!! ザムッ!!
足元すれすれの地面を、紅いレーザーが抉っていく。フルスピードで逃げまわっているが、早さは副座型である参号機がもっとも不得手とする能力だ。致命傷には至らない傷が、どんどん増えていく。
ズガガッ!!
『っ、ぐあ!?』
「茜ッ!?」
副座の砲手部分にレーザーが掠り、舞の声が上擦る。幸い直撃はしなかったようだが、衝撃で気を失ってしまったのか、茜の返事はない。
「くっ――――」
足を止め、太刀を抜く。この辺りまでくればもう配置は終わっただろう。それならば、少しでも時間を稼ぎ一団を留めるのが良い。
降下してくるスキュラに狙いを定め、太刀を振り翳そうとしたその時―――

紅い瞳を遮る、青い光が見えた。

「―――来………!!」
名前を呼ぶ前に、青い光が辺りに溢れ。
今にもその顎を開こうとしていたスキュラは、ぼろぼろと崩れ落ちた。その前に立つのは、士魂号とは比べ物にならないほど小さく脆弱な歩兵の姿。しかしその背中は、満身創痍の戦車を護るかのように微動だにしない。
彼は後ろを振り向きもせず、その右手を翳す。青い光がくるくると辺りに舞い広がり、次々と降下してくるスキュラを迎え撃とうとしている。

ジュバババババッ!!

紅い光の一斉掃射。当たれば死が間違いないはずのその攻撃を、彼は避けようとすらしなかった。何発喰らったのか解らないが、僅かに膝を傾がせただけで来須は再び前を向く。
「ば………馬鹿者ッ!!」
夢中だった。夢中で、太刀を振るった。たった一人で戦うスカウトを守る為に、飛び出した。
沢山の紅い光が自分の鎧を薙いでいく。染み出した油と人工血液が、ウォードレスを濡らしていく。
「お前を―――お前を光になどさせはせぬっ!!」
泣きそうな―――実際泣いていたのかもしれない―――声で、舞は叫んだ。
そしてまるで踊るように戦場を舞い、忌まわしき幻獣達を切り捨てていった。





『…るす!! 来須ッ!!」
くぐもっていた声が不意にクリアに聞こえて、来須はぱちりと青い瞳を開けた。自分のメットが取り払われたのだと気がついた時、目の前に顔が現れた。
目の前に、髪を振り乱した―――トレードマークのポニーテールは解けてしまったのだろう―――、
顔を色々な色の液体で濡らし―――油と白い血液に塗れ、それでも彼女は美しかった―――、
そして、苛烈な色のはずの瞳に涙を一杯溜めて、自分の名を呼び続ける少女がいた。
「しっかりしろ…目を覚ませ! 覚ましてくれ…来須…!!」
命令が懇願に変わったのが解り、来須は殆ど力の入らない腕をどうにか持ち上げて、少女の頭を撫でた。
「!! …き、貴様、狸寝入りか!? 悪趣味だ! 悪趣味だぞ!!」
どこか子供の駄々のように聞こえる詰りに、来須は舞に解らない程度に口の端を緩めた。
「…戦況は」
「む…案ずるな。我らの勝利だ」
ずっ、と洟を啜ってから、ばつが悪そうに舞は身体をどけた。それに合わせて来須も、じりじりと上半身を起こす。
――――生きている。
何に感謝するわけでもないが、安堵した。
「…たわけ。何故あんな無茶をした。後で速水に灸を据えて貰え」
「…………すまん」
軍人としては最低のことをした、と勿論来須も理解している。
それでも。来須はもう一度舞の髪を撫でた。くすぐったさと恥かしさに、舞が居心地悪そうに肩を捩る。
「…俺は、お前を守る」
ぴく、と舞の肩が震える。
「…馬鹿者。馬鹿者。私は芝村だぞ、自分の身如き守れずして何とする」
ぐ、と汚れたままの手が来須の襟首を掴んだ。来須は何も言わず、されるがままになる。
「そしてお前も私を守る精霊とやらになるつもりかっ? 馬鹿だ。お前は、馬鹿だ…!」
どん、と拳が厚い胸板を叩く。来須は無表情のままだが、幾分戸惑ったように、舞の肩に手をやった。
「………………………」
やはり、何も言わない。言えない。搾り出すような舞の言葉に、自分の心の奥底の望みを見透かされたような気がしたから。
どのような形でも、戦いが終われば――――自分は、新しい世界に旅立つ。全ての過去を無くし、たった独りで。
それならば今ここで生を終えて―――――――純然たる力となって、彼女の傍にいたいと、望んでしまった。
愚かなことだった。やはり、誰か近しいひとを置くべきでは無かった。愛する人は自分にとって枷にしか成り得ないことは解っていたのに。
言葉が無くても、来須の瞳は雄弁に語っていた。それを感じた舞は、涙に濡れたままの瞳をきりきりと吊り上げ、もう一度だんっ!とびくともしない胸を叩いた。
「馬鹿者! 馬鹿者!! 何を考えている! そなたが漂泊の民であるなど、とうの昔に解りきっている!」
どん、どん、と何度も胸を叩きながら、舞は悲しそうに、辛そうに、何より悔しそうに言葉を紡ぎ続けた。
「それでも私はそなたを選んだのだ! 全て承知でカダヤとして迎えたのだ! そなたがどこへ行こうとそなたは私のカダヤだ! そなたが何と言おうと、私が決めたのだ!!」
零れ落ちる涙を拭おうとした手は払われた。もういい、と言うように肩を押えようとした腕も。
ひたり、と二人の視線が合わさる。
「生きよ! どのようなことになっても生き延びよ! さすれば、私も生きよう! たとえいかなる理由があろうと、そなたの亡骸なぞ私は見たくないのだっ…!!」
「――――――!!」
咄嗟に、来須は舞の細い身体を抱きこんだ。こんなに小さな身体で戦士として戦っていることに、今更ながら驚いた。
「ふ…ッ、笑うがいい…芝村ともあろうものが、この様だ…。そなたが自分の意志でここを去るのならば、私は笑って見送ろう。だが…今生の別れなど、御免だっ…」
軋む身体を堪えて、来須はますます強く舞を抱きしめた。言葉よりも、瞳よりも、雄弁に語るその態度で、舞は漸く安堵したように体の力を抜いた。

「……………誓おう。お前が死ぬまで、俺は、死なない」

それは多分、戦場では尤も意味をなさない言葉だったはず。
しかし、来須は耳元で囁くように誓い。
舞は、笑顔でそれを受け止めた。
未だ粉塵が収まらない戦場で、それでも明日を夢見て。