時計+人形

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アゲハ蝶ver.α

きぃ、きぃ、と車椅子が回る。
時たま耳に飛び込む不快な軋みを聞くたび、そろそろ油を挿さなければと思う。
「このへんも…随分淋しぅなってしもたねぇ」
車椅子を押していた祭がふと辺りを見まわすと、やけに視界の良くなった住宅街が見えた。度重なる幻獣の攻撃で家がどんどんと倒壊していき、人々は避難所でのキャンプ生活を余儀無くされているという。
「…戦争、酷くなってきてるんやろか」
問いかけの言葉だが、今ここにいる彼女以外の人間である車椅子の上の男、狩谷夏樹は答えを返さない。いつものことなので祭も期待してはいないが、それでもやっぱり淋しい。
「これやったら、今年のお祭りなんかやれるわけないかなぁ…せやけど、夏になったら幻獣っていなくなるんやろ、そしたら―――」
言葉を続ける祭の目の前に、ひらりと何かが横切った。
「わっ」
「どうした?」
小さな悲鳴に、ぱっと狩谷が振り返る。心配してくれたんやろか、と僅かな喜悦が浮ぶ。
祭に悲鳴をあげさせた原因は、ひらひらと黒い羽を羽ばたかせて、車椅子の手すりにふわりと止まった。
「それや。キレーな蝶やなぁ」
「アゲハだな…詳しい種類は、解らないけど」
「ふーん」
簡単ながらも、言葉がキャッチボール出来たことが思ったより嬉しく、羽を休めている黒い蝶々に感謝、とウインクして見せた。
「なんや、綺麗なドレスみたいやな。黒地に、黄色とか青とかのアクセント入ってる感じの。なんちゅーか…この景色に良う似合うわ」
赤茶けた瓦礫の空き地に、怖いぐらいに赤い夕焼け。それをバックに、ひらひらと舞うアゲハ蝶。確かに凄く絵になる光景かもしれない。
どこかうっとりとした目でその蝶を眺める祭の視線に、狩谷はささくれ立った自分の心がまた逆撫でされるのを感じた。
がっ、と乱暴に蝶を払う。掴んで握り潰そうと思ったのだが、素早く逃げられた。それがまた、動けない自分をあざ笑っているように見えて、ますます歯軋りする。
「なっちゃん!? …どうしたん?」
半分非難、半分不安を声に滲ませて、祭が狩谷を見る。気まずそうにそっぽを向くと、
「早く動かしてくれ。寄り道してるひまなんかないんだぞ」
「あ、ゴメン!」
慌てて祭が車椅子を押し出す。また、きぃ、きぃ、と車輪が回る。
暫く、沈黙が続く。
「…違うんだ」
「えっ?」
ぽつり、と呟かれた狩谷の言葉に何か、と祭が腰を屈める。
「…お前を怒った、わけじゃない」
こんな言葉しか言えないけれど。
本当はもっともっと、大切にしたいのに。
それでも、彼女は安心したように笑って、
「うん、わかっとる。大丈夫」
そう言ってくれるから。
「あ、せやっ」
「?」
良い事考えた、と言う風に喜色まじりの声が後ろから聞こえ、不審に思って振り向く。
「うちな、夏になったら浴衣作ろう思てたんやけど、柄、さっきの蝶々みたくしよかな。黒地に、縫いとりつけて。似合うと思わん?」
「さぁね」
「なっちゃんも同じのでいい?」
「っ、何で…それより、僕のも作る気か!?」
声が上ずる。対する祭は酷く上機嫌で、
「せやかて、同じ布の方が安く済むねん。大丈夫、うちの腕信用してや、なっちゃんのならタダで作ったるし」
「そう言う問題じゃない…」
「ええやんか〜、それ着て、お祭り行こう?」
「祭なんて、この状態で出来るわけないだろ」
「だからぁ、もしあったらやって」
能天気すぎる声に、狩谷の堪忍袋の緒が切れる。ぎっ、と無理矢理車椅子にブレーキをかけ、祭にたたらを踏ませた。
「簡単に言うな! 僕も、お前も。いつ死ぬかなんてわかりっこないのに」
絶望するなら早い方がいい。どうせ夢など叶わない。
…そうしなければ、潰れてしまう。起きあがる気を、失ってしまう。
一度絶望に叩き落された魂は、こんなにも臆病で。
ぎりっ、と自分の膝に爪を立てる狩谷をどう思ったのか、祭はきゅっとその手を取って握り締めた。何を、と狩谷が言う前に、
「だから。解らんから、約束するんやん。そしたら、約束守らな、って一生懸命になって、絶対死のうと思わんからな」
今パイロットの少女は、しっかりと自分の機体の整備士の目を見つめて、はっきり言いきった。彼の息が止まるほど、真摯
に。
「約束ってのは、守れるかどうか考えるモンやない。守るモンなんやから、な」
にっこり笑って、手を離す。また車椅子の後ろに回り、押し出す。
「………守れるのか」
「守るよ」
きぃ、きぃ、と車椅子が鳴く。
「…だったら。してやる」
「…! うん!!」
いつのまにか日は沈み、月が登り始め。僅かに残った草叢から、小さな虫の声が聞こえる。
もうすぐ、夏が来る。