時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

Smile-Smile.

ころころころ、と干草の間をボールが転がっていく。
ぽてぽてぽて、とそれを追って四足が走り、はっしとそれに噛み付いた。暫くそれにじゃれついてごろごろと遊んでから、もっとしてくれと言わんばかりにボールを元の持ち主のところに持っていく。
その一連の動作を見て、岩崎仲俊は彼にしては非常に珍しく、心底からの笑みを浮かべた。きゅうん、と鼻を鳴らして甘えてくる小さな獣を抱きしめて、頬擦りする。
「うんうん、ハヅキさんは可愛いねぇ」
自分の胡坐をかいた膝の上に収まる小動物が可愛くて仕方ないと言いたげに、その喉を優しく撫でてやる。目を細めてうっとりと指を受けるその姿は、とても動物兵器である雷電とは思えない。
「…甘やかしてるばっかじゃ強くなんねぇぞ」
「うん? やぁやぁ、源君じゃないか」
頭の上から声をかけられて、岩崎は振り仰ぐ。目の前に、部隊の一員である源健司が逆さまになって立っていた。彼の雷電は隣の厩舎にいるし、抱えている荷物を見ると餌をやりに来たのだろう。そんな彼は不機嫌な顔のまま、更に言葉を紡いだ。
「今のうちにもっと訓練させとけよ。ほら見ろ、そんな臆病のまんま戦場出せるか」
成る程、確かにハヅキと名づけられた雷電は、突然の乱入者に怯えて岩崎の腹にしがみ付いてしまっている。大丈夫だよ、とその背をゆっくり撫でてやりながら、岩崎は苦笑とも微笑とも取れる笑みを浮かべて答えた。
「うんうん、君の言うことは最もだ。もっとしっかりしないといけないね」
いまいち真剣みの足らないその顔に、源は眉間の皺を増やしてから踵を返す。この月の初め、寄せ集めの部隊がこの村に駐屯を始めてより、隊長として就任したこの男が、源はどうしても気に入らなかった。
この男は得体が知れない。こちらに転戦してくる前は青森にいたらしいが、それ以前の経歴が全く謎だ。参謀を自認する芝村の英史と何やら胡散臭い作戦を練っているかと思えば、こうやって雷電幼生とじゃれていたりする。
どうしても認めたくなくて喧嘩をふっかけたら、あっさり買われて拍子抜けた。お互いずたぼろになったが最後には源が勝ち、気絶した彼を保健室まで運んだものだ。
『こうでもしないと、君は認めてくれないと思ったからねぇ、うんうん』
意識を取り戻した岩崎は、ばつの悪そうな源に向かってやはり笑顔のままこう言った。それがやはり胡散臭くて、源は問うた。
『テメェはいったい、何するつもりだ』
『…この戦争に、勝つこと。とりあえずは今、生き残ることかな? 僕達全員でね』
言葉はいつも通り軽いものだったけれど、顔つきが違った。普段の曖昧な笑みがなりを潜め、すう、と静かに座った目が虚空を見ていた。
その顔が、どうしても忘れられず―――苦手だと解っているのに、声をかけてしまう。警戒と不快感、そして恐らく本人も気づいていないだろう、僅かな期待と共に。
「四月になったら」
「?」
不意に後ろからかけられた言葉に、源は我に返って立ち止まる。振り向くと、岩崎は相変わらず膝の上の雷電を撫でていた。その体勢のまま、まるで独り言のように呟き続ける。
「四月になったら、多分大攻勢がある。それまでには仕上げるから、心配しないで」
「…何言ってやがる? お前―――」
現在、補給もままならないこの部隊に於いて、自分達は善戦をしている。少なくとも今までの幻獣の攻撃は全て押し返してきた。このままいけば生き残れる、そんな希望が村人達からも出始めている。それなのに、何故そんな事をというのが源の尤もな疑問だった。
座って背を向けたままだった岩崎が、漸く振り向いた。その顔に笑みは無い。静かな、据わった目をしていた。
「…だって彼らは、希望を潰す為に現れる絶望だから。彼らが、望むと望まざるとに限らずに」
それが光り輝けば輝くほど、彼らはその輝きに集まる。消してしまおうと、飲み込んでしまおうと、―――それと共に潰えてしまおうと。
一瞬幻獣共生派かと思われかねないそんな言葉を、はっきりと口にして。
「―――うん。頼りなく見えるのは解るけど、信じてくれると嬉しいなぁ」
いつもと同じ、笑顔に戻った。
そのこと自体が、何故か酷く源の癇に障った。ぎ、と奥歯をかみ締め、再び踵を返す。
「…知ったこっちゃねぇ」
自分の苛立ちがどこから来るのか解らないまま、だんだんと音を立てて大股で歩き去る。それを笑顔のままで見送り終わって、岩崎はふうと小さく息を吐いた。
「……やれやれ、嫌われちゃったかなぁ?」
きゅう、と膝上の雷電が主を心配するように鳴き声をあげたので、毛並みを撫でてやりながら、緩く首を振る。
「うんうん、いいんだよ。僕が好きな人は僕を好きにならない方が、とても嬉しい」
それは彼の不文律になっている自虐の言葉。恐らく彼本人は、そんな矛盾混じりの自分の言葉を自覚すらしていない。それほどまでに、彼の中の事実になっている言葉。
―――きっと今自分の顔が、泣き笑いのようになっていることにも気づいていない。冬の青森では出来ていたことが、今出来なくなっていることに。
彼の母親代わりの少女の名を貰った雷電は、そんな主の頬をぺろりと一つ、慰めるように舐めてやった。




それから3週間ほどが経ち、ハヅキは立派な成獣雷電へと成長した。幼生の柔らかな茶色の毛並みは美しい銀色に変わり、足の速い狐になった。
そしてそれに合わせるかのように幻獣達の攻撃が激化する。陸の孤島を守る為の絶望的な戦線維持が始まった。
殆ど毎日のように起こる戦闘は、兵士達の気概を削ぎ落とす。それでも彼らは戦い続けていた。
「ここより2km、偵察ヒトウバンを発見しました。主力部隊はまだ見えません」
「…戦車部隊、東ルートより回り込め。友軍と合流の後、本隊出現まで待機。偵察部隊はこちらで片付ける」
『『了解』』
英史の報告に、岩崎は端的に命令を発する。戦車兵の倖と紅が通信で返事を返すうちに、岩崎はハヅキに跨り先行して森に潜む。使い慣れた狙撃銃を構え、スコープを覗いたと思った瞬間、もう発砲していた。
ターンッ…!
撃ち出された弾は正確にヒトウバンの目を射抜き、その身は赤い光になって消えた。その時にはもう、岩崎はもう一丁の銃を肩に構えている。装填時間が長い狙撃銃の弱点を補う為の方法だ。
その手前を横目で見ながら、源は歯を剥き出しにして闘志を漲らせるグリンガムを押さえ、突撃命令を今か今かと待ちわびている。一度戦場に出てしまえば、自分達は何も考えずに戦うだけだ。ウォードレスのカバーの下で、隊長殿がどのような目をしているかなど気にしなくてもいい。
やがて、スコープではなく肉眼でも幻獣達の赤い瞳が多量に見え出した時―――戦車の咆哮と、炎が見えた。
「―――一斉突撃!!」
隊長の号令を引き金として、騎兵部隊は戦場へ駆け出した。




一度戦線がぶつかり合ってしまえば、後は敵方を押し返すまで戦うだけ。
火線と剣戟が飛び交う戦場で、一進一退の攻防が続く。しかし膠着状態は、ひとつの報告によって簡単に崩れ去る。
『戦車部隊、挟撃を受けています!』
「!」
「んだとぉ!?」
「…友軍の戦線が崩れましたな。だらしのない」
悪態を吐きつつも、英史の声にも焦りがある。現在は多すぎる敵を戦車の砲火で釘付けにして、何とか戦線を保っている。それが無くなれば、一団が騎兵部隊に襲い掛かってくるだろう。幸い向こうも損傷は激しいが、こちらが向こうを全滅させるのが早いか、戦車部隊が全滅させられるか、どちらが先となるかは解らない。
「………このまま、戦線維持を続行。各個撃破し、戦線を壊す」
「そちらの方が、勝利を迎える可能性は高いでしょうな」
き、とシェードの下で唇を噛み、あくまで冷静に岩崎は言葉を紡ぐ。英史は納得したように一つ頷き、弾の残り少なくなった銃を構え直す。
しかし、源は動かなかった。否、動いた。一瞬俯いてシェードの下でにやりと笑い、東の方向―――戦車部隊のいる場所へ。
「源君!!」
疑問ではなく、純粋な静止として岩崎は彼の名を呼んだ。源は振り返らない。グリンガムは主の気概を先刻承知らしく、最早足を止めることすらない。
「隊長さんよ。俺は頭が悪いから、仲間より大切なものなんてわからんわけよ。以上、通信終わり」
プツリ、と通信が途切れる。そしてその背中はあっという間に、遠ざかっていった。
「―――ッ!!」
ターンッ!! と岩崎の銃が火を噴き、瀕死のミノタウロスが崩れた。全て弾を使い切ったらしい銃を背負い、ハヅキの首筋を撫でて方向を変えさせる。
「隊長。貴方まで馬鹿に成り下がるおつもりで?」
英史の呟きには、苛立ちと揶揄が常にある。そしてそれ以上に、仲間を案じていることを岩崎は知っている。
「うん、でも英史君、君はそんな馬鹿が好きだろう?」
振り向いて、岩崎は笑った。そうしたことが、シェードの下からでも英史には解った。その笑みが普段のそれとは違う、心からのものだったとは、流石の彼も気づく事が出来なかったけれど。
「本当は僕よりも、源君を隊長にしたかったんだろうに」
「あれは、私の言う事など一切聞きませんので」
「―――無理せずに。少しずつ引き付けて、森まで入ったら退却してくれ」
「了解しました、隊長」
軽くお互いに敬礼を返し、岩崎はハヅキを走り出させた。英史は心底呆れた風に息を吐き、大分数の減った一団を睨みつける。
「全く、大局を読めない馬鹿共が。すまんなクイーン、今少し付き合ってもらうぞ」
言葉とは裏腹にどこか愉快そうに聞こえさせている声音に、美しい鵺は答える様に遠吠えを上げた。




源は走っていた。グリンガムと共に。その足は決して止まらない。
あの状況で、最も効果的なのは彼の隊長が発した策であると、彼はちゃんと理解していた。その上で、命令に逆らった。それを認めることは、自分が兵士となった意味を無くしてしまうことだったからだ。
戦車部隊は、殆どが大破させられ、多くの兵士が逃げ出すうちに幻獣に潰し殺されていた。それでも、自部隊の戦車はまだ無事だった。砲火はかなり受けているが、動けないわけでは無さそうだ。
「行くぜ、グリンガム!!」
「オオオオオォォォ!!!」
何の躊躇いも見せず、戦車に纏わりついているアンフェスバエナの群れに突撃する。ありったけの銃弾を群れに向かって叩き込み、弾切れの銃を地面に放り捨てると、予備武器の青竜刀を抜き放ち、鵺から飛び降りた。
ザムッザムッ!!
一振り剣を振るうごとに、悲鳴一つ上げず化け物が消えていく。自ら囮となって飛び込んだお陰で攻撃が緩んだ戦車達がゆっくりと後退していく。向こうの一団からの攻撃も殆ど無くなっている。長距離攻撃の得意なものは全て潰れたのだろう。
ならば、自分に今出来るのは、目の前の敵を倒す事だけ――――!
『敵、増援接近中!』
「―――ッ!!」
息を呑む暇もあればこそ、じわじわと空に何かが見え始めた。
「…チ。最悪だな」
思わず悪態をつくことしかできない。グロテスクな様相を呈する空中最強の幻獣、スキュラ。数は僅か三体だが、今の自分達にとっては泣き面に蜂。更に源は有効な対空兵器を持っていない。今逃げ出しても背中にもろに食らうだけだ。源が出来るのは、戦車達が補給を負えて戻るまでの時間稼ぎぐらいだ。
「…上等だ! かかって来やがれ!!」
それでも、源は退かない。このまま死ねるのならば本望とばかりに、一歩も退かない姿勢を見せる。
その姿に何か感慨でも持つわけもなく、紅い巨大な瞳は地を睥睨し、獲物に向かって狙いを定める。そこから滅びの光が生み出されようとする様を、源ははっきりと目を逸らさずに見た。
その一瞬――――目の端に銀色の光が見えたと思った瞬間、思いっきり源は突き飛ばされていた。
「っどわ!!?」
バジュンッ!!
自分がいた場所をレーザーが抉る音で我に返り、自身に覆い被さっている誰かに気がついた。
「―――お、ま…」
「…下がって、源君。頼むから」
荒げようとした声は、とても小さな地声で遮られた。一瞬泣いているのかと錯覚してしまうほど、その声は細く震えていた。
「大丈夫。不相応だと解っていても、僕は剣を持っているから」
源にとっては意味の解らない言葉を伝え、岩崎は立ち上がる。全速力のハヅキから飛び降りて転がったショックで、既にぼろぼろだったウォードレスは軋みをあげているけれど、構う事は無い。
空を仰げば、敵は三体。剣は三本。守るべきものは背の向こうにある。これで勝てないわけがない―――――!
そして、彼は歌う。
故郷で幼い少女に教えて貰った、交響曲を。
「それはただ明日がいい日だと証明するために 旅をする旅人 悲しみの鎖を断ち切って我はそう 幸せを取り戻すためにやってきた」
歌声は、遠い世界の言葉で紡がれる。意味など理解できない筈なのに、何故か誰もが知っている。
「いくつもの夜で震える貴方 いくつもの闇で凍える貴方 故郷のない貴方 貴方に触れて初めてわかった 私が愛するそのことに」
歌に応え、精霊が舞う。青い光が帯を作り、闇を屠る剣を生み出す。
「貴方の夜を晴らすため炎を越えて地獄を行こう 忘れていた自分の役割 大切なことを思い出す」
発した光は過たず、天を覆う闇を突き破る。その威力は絶対で、全ての欠片を打ち砕く!
「貴方の愛があるのなら いままたまさに おそれるものは何もない 翼を広げ 闇を抜けよう ガンパレードガンパレード」
敵の攻撃は彼の身を削り、鎧を弾き飛ばす。そこから現れた顔には、敵に対する怒りも悲しみも無く、ただ悪夢を払おうと戦う瞳があった。
「千の夜よりも一つの朝を 翼を広げ 闇を抜けよう ガンパレードガンパレード」
最後の光が、翼を広げる。
「明日が来たぞ 死ね今日よ」
最後の剣が、闇を貫いた。




その姿を、源は呆然として見ていた。
まるで御伽噺のようなその光景に、何も言うことが出来ない。
青い光が弾けて消えて、一つ息を吐いた岩崎がくるりと振り向く。
「…源君、怪我はないかい?」
その顔は、いつも通りの笑顔に戻っていて。ぴんと意識が戻った瞬間、頭に一気に血が昇った。立ち上がり、自分のメットを乱暴に地面に叩きつけ、大股で岩崎に向かって走る。
「こ、のッ…馬鹿が!!!」
いきなり怒鳴りつけられて目を瞬かせる隊長に構わず、がっと両肩を掴んで揺さぶる。何でお前までここにいるとか、さっきのアレは何なんだとか、色々言いたいことはあったのだけど、これだけは言わなければならないと思ったことが口から飛び出した。
「笑いたくもねぇのにヘラヘラ笑ってんじゃねぇ!!」
「――――……」
え、と唇が小さく動くが、声は出なかった。それは言われた事があまりにも唐突だったこともあるし―――それが、図星だったこともあるのだろうか。表情の無くなったその顔は、普段とは段違いなほど子供っぽくて、彼が自分より年下だった事を唐突に源は思い出した。
「それが一番腹立つんだよ…ったく!!」
ばつが悪くなり、突き放すように肩を押すと、僅かにその身体はよろめいた。それを見ることもなく、源は背を向けてしまったが、それ以上は動かなかった。
暫し、二人無言で時が過ぎる。気がつけば戦闘のざわめきも無くなっている。大物を倒したことによって、敵は撤退を始めたのだろう。
――――生き残った。今回も、どうにかというところではあるけれど。
「…………おい。何か言え」
結局、沈黙に耐え切れなかったのは源の方で。岩崎は何かずっと考えごとをしていたようで、それでふと顔を上げる。
「…うん、僕は源君が好きだよ」
「っはぁ!!?」
慌てて振り向くと、そこには、笑顔が無かった。
どこか途方に暮れたような顔で、岩崎は源をじっと見詰めていた。
「好きだから。好かれたくなかったんだけどなぁ」
「…なんだそりゃ」
「うん。だって、僕に好かれるのは不幸なことだからね。それで更に僕のことを好きになっちゃったら、もっと不幸じゃないか」
岩崎の口元が緩んでいる。多分、笑顔なのだろう。それを見て源は漸く、彼がいつも見せていて、且つ自分が苛立つその微笑が、自嘲の笑いであったことに気付いた。
そうしたら、すとんと納得がいった。そんな気分の悪いものを見せられたら苛立って当然だと、源は一人で頷いた。
僅かに首を横に傾げる岩崎に再び大股で近づき、だらりと垂れ下がったままの腕を取った。
「おら、帰んぞ。英史の嫌味はお前も聞けよ、同罪なんだからな」
「…うん。ええと、源君?」
「……安心しやがれ、テメェのことなんざ俺は大嫌いだ」
「………………ぁ」
ぽつりと言われた、あまりと言えばあんまりな言葉に、岩崎の口元が再び上向きになる。浮かんでいるその笑みは、何故か本当に―――心底から嬉しそうな、笑顔に見えた。
―――その、何も含まない笑顔に、源は少しだけ安心した。そんな安らぎは彼にとって排すべきものだったので、慌てて首を左右に振ったのだけれど。
まだぎごちない二人を助けるかのように、いつのまにか近づいてきていたグリンガムとハヅキが、お互いの主にするりと寄り添って押す。
「うお、何だよっ」
「ハヅキさん?」
ぐいぐいとくっつけられて、歩きにくい!と言い合う二人の顔は、いつしか両方とも笑顔になっていた。
硝煙の臭いが辺りに充満する戦場で。きっと明日も同じように殺し合いを続けるのだとしても。
何故だかその場所は、とても居心地が良かったから。