時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

猫はかすがい。

「うっわ〜、可愛えぇなぁ!」
目の前でころころとじゃれ合う毛玉たちを幸せそうに見つめ、祭は溜息を吐いた。
「かわいいのー!」
「本当デスね、ののみサン」
同じく呼ばれていたののみとヨーコも、同じように感嘆する。
彼女たちが見つめているのは、ついこの間この世に生を受けた子猫たち。
衆人環視の状況をものともせず、じゃれあいに夢中になって床を転がっている。
「やっと目が開いてきたからね」
お茶とお菓子を運んできたこの部屋の持ち主、速水はそれをテーブルの上に置くと、祭たちの側に近づいた。
「あっちゃん、ホンマに貰ってええの?」
「うん。四匹も増えたら世話し切れないし…『舞』の世話だけで結構大変だから」
舞、と呼ばれたのは勿論、彼女たちも良く知っている芝村の…ではない。速水厚志、彼が飼っている猫であり、つい最 近子供を産んだ、目の前の子猫たちの母親だ。
「…前々から思てたんやけど、その名前、芝村の舞ちゃんの方は怒らへんかった?」
「ううん?」
不審げに探りを入れた祭の言葉を、いつものぽややんとした顔で首を振る速水。
うーん、愛はやっぱ人を変えるんやろか、と別の感慨に耽りそうになった祭を引き戻したのは、再び速水の声だった。
「だってまだ、教えてないし」
…………しれっと返された言葉に、一同しばし絶句。
「あっちゃん、どうしておしえてあげないの?」
きょとん、という形容詞が似合う顔でののみが問い返す。
「いやぁ、何となくタイミング掴めなくて…」
「速水サン。ソレ、言わない方がいいデス」
「せや。血の雨降るで」
「どうして?」
照れ臭そうに頭を掻く速水にヨーコと祭が両側から突っ込む。
ああもうこのぽややんは。猫好きである彼女を一番に呼ばないのもどうかとは思うが、この秘密(という程でもないが) があの照れ屋にばれたら、全力射撃やジャンプ切りではすまない。本気で士魂号副座型を一人で(!)動かすかもしれない。そうなったら被害は小隊全体に及ぶ。責任持って彼一人に生贄になってもらわなくては。
「……ん、まぁ、ええわ。うちどの子にしよっかなー」
「ののみね、ののみね、このちゃいろいしまのこがいーの!」
「いいよ。大切に、育ててね」
「うん! やくそくするのー!」
「祭サン、どーするデスか?」
ヨーコは次の選択権を祭に譲ってくれるらしい。感謝、とウインクして、じっくり残りの子供達の品定めをし始めた。
一匹目。白くて一番身体が大きい、母親「舞」に一番似ているメス。丈夫そうだし、ちょっとやそっと目を離しても平気そうだ。
二匹目、黒と白のブチ。身体の大きさは一匹目に劣るが、悪くない。一番元気のいいのもこの子で、他の三匹に突進している。あれでも遊んでいるつもりらしい。
三匹目の小さな茶縞のトラは、すでにののみの腕の中。安心した様に収まっているので、大丈夫だろう。命の大切さを誰よりも判っているこの少女に飼われれば。
最後の四匹目。これが、彼女を惑わせている猫だった。
色は真っ黒。あまり他の兄弟達に構わず、輪の外に居る事を好んでいる。身体も一番小さい。突進してくるブチを、苛立たしげに鳴いて威嚇している。
可愛げのない猫。それが、凄く気になった。
(何や、誰かに似とんねん。えーと、誰やったかな―…)
ふと、その黒猫と目が合った。しかしそれは一瞬で、すぐフンとした風に眼を逸らされてしまう。
「あ」
思わず祭は声を上げた。
心当りが判ったからである。
「何?」
ののみとトラ縞と遊んでいた速水が、声をかけてくる。
「ん、いや、何でもないねん! あのな、ウチ、この子貰てええ?」
慌てて手を振り、黒猫を抱き上げる。ふぎゃーっと悲鳴を上げて、手の中でじたばたと暴れた。 
「その子? 結構キツイよ、僕も引っ掻かれたし」
「ええねん。この子、気に入ったし…いたたたっ!」
本格的に抵抗され、思いきり指をがぶりとやられた。堪らず手を離しそうになったが、我慢する。
「オゥ、大丈夫ですカ?」
「ねこちゃん、めーなの。いたいことはめーなのよ」
心配そうにヨーコが手を添え、ののみが猫に説教する。猫の方は戒めが解けなかったので諦めたらしいが、不満そうに鼻を鳴らしている。
「本当に大丈夫? 他の子で良かったら…」
「ううん、ええの。この子の面倒、ウチが見る!」
きっぱりと言いきった。一度差し伸べた手を、引き戻すようなことは絶対にしない。
それは彼女が、この世で一番大切な人に出来る唯一のことだったから。

 

結局ヨーコはブチを貰い、何か聞きたいことがあったらすぐ連絡してと速水に送られて、その日は帰路についた。
寮に帰り、バスケットの中から黒猫を引き摺り出す。しっかり丸まって爪をバスケットの壁にかけて抵抗されたが、何とか勝った。
「こら、ちょっとは大人しくしぃ」
ふぎゃああ、と反抗的な鳴き声をあげる黒猫。
「名前決めんとな…」
そう言って目を泳がせながら、思考は一つの名前に終始してしまう。あかんあかん、と首を振っても、尚更その名しか思いつかなくなってしまう。
「アカン〜、これやったらあっちゃんと同レベルやんか〜」
顔を紅くしてベッドに突っ伏す。戒めからやっと逃れた黒猫が床に降り立った。
「…………夏樹」
ぽしょ、と呟いたその名前に、何故か、今まで反抗的だった猫がちらりと振り向いた。別に彼を呼んだわけでもないのに、更に顔が熱くなる。
「ち、ちゃう! そんな、呼び捨てにしたいわけやなくて! せ、せや、お前の名前は『なっちゃん』や! 違うで!? なっちゃんのなっちゃんは仇名やけど、お前はなっちゃんって名前やねんからな!?」
最早、何を言いたいのか判らない。
錯乱した祭はこの後床を叩いて主張しつつ転がり、下の階の森に怒られるはめになる。


 ××× ××× ×××


「そしたら、なっちゃん。行って来るし」
に゛ーっ。とひねた鳴き声に送られて、祭は通学路を進んだ。
あれから数日経って、どうにか食事を取らせることには成功した。普段懐かれない分、たまに擦り寄ってこられたりすると堪らない。
「ええ傾向やなぁ♪」
ふんふんと鼻歌を歌いながら春の道を歩く祭。最近学校にいっても「なっちゃん」の話しかしていない。
今日あっちゃんに子猫用のおやつの作り方教えてもらおう、とご機嫌な足取りで歩いていく。空気が明るいのは気のせいではないだろう。



所変わって。
何故かピリピリした空気を背負った少年が一人。
スポーツ用車椅子に乗ったまま階段を上がる器用な男、狩谷夏樹である。
「ったく…」
彼は傍目に見えて判るほど不機嫌だった。理由は、本人が気づいていなく、気づいたらますます不機嫌になる代物である。
ここ数日、祭が世話を焼いて来ないのだ。
元々隊長室勤務の事務官と、ハンガー勤務の整備士。クラスも違う。会おうと思わなければ忙しいこの小隊の中、中々会えたものではない。今までなんの停滞もなくほぼ毎日祭が会いに来ていたので、狩谷は気づかなかったのだ。
イライラを払拭する様に首を振り、二組に入ろうとして…一組の中からけたたましい笑い声が聞こえた。
普段なら煩いなと無視する所だったが、車椅子の車輪を転がそうとした手を止めた。笑い声が祭のものだったからだ。
「おおきになぁ、あっちゃん」
「いいよ、これぐらい。それにしても、本当に名前それにしたんだ?」
「あ〜アンタにだけは言われたくないでそれは〜!」
楽しげに話している相手が自分が整備している三番機のパイロットであることに気づき、何となく、車椅子を一組まで近づけてみた。イライラが一層酷くなる。廊下にいたブータが気まずそうに階下に下りていった。
「でもなぁ、実はなっちゃんって甘えたさんなんやで? この前なんかウチのベッドに潜りこんできたんやから! ビックリしたけどもぉ、ホンマ嬉しゅうて」
だがしゃん!
「何だオイ! 何の音だ!?」
「か、狩谷くんが、車椅子ごと横に転んじゃいましたっ!」
「器用…ね……」
「えぇっ! なっちゃん、どないしたん!」
けたたましい音の後、廊下で本田・田辺・萌が騒いでいる中に狩谷と言う名前を聞いた祭が、慌てて廊下に飛び出す。カラカラと回る車椅子の車輪が、少し侘しい。
「なっちゃん、しっかり! 大丈夫!?」
何やどうした誰に何された、と心配を全面に押し出して何とか体制を立て直させようとする祭の肩が、震える手で掴まれた。
「…なっちゃん?」
少しどぎまぎして狩谷を見ると、眉間に皺を寄せて歯を噛み締めつつ顔を真っ赤にしている、何とも複雑な顔をしていた。
「………お………」
「お?」
「お前のせいだ――――!!!」
…今回に限り、彼の台詞はやつあたりではない、と、思う。


「…っちゅうわけやん…ホンマ、ごめんて。なぁ?」
その後。
ハンガー二階左側の金属の冷たい床の上で、祭は正座させられていた。ちょろりと上目使いで様子を窺う相手は、当然目の前にいる車椅子である。
「…言いたいことはそれだけか」
対する狩谷は不機嫌まっしぐらの声で返し、慌てて祭はまた顔を伏せる。
「せやから、ごめんて〜! なぁもう許してやー」
「名誉毀損、人権侵害だ…」
そう言ってから、「自分」が人権を主張できるのかとまた自虐的な思いに囚われ、皮肉げな笑みが口元で歪んだ。
「なっちゃん?」
その笑みに嫌な空気を感じ取り、不安そうに問いかけた。ふっと狩谷が我に返る。
「別に、何でもない。………それより」
「何?」
「…その…最近、姿が見えなかったのは、その猫に構ってたからなのか」
目を逸らしてぶっきらぼうに言うが、やや顔が赤らんでいる。神妙な顔をしていた祭の顔がきょとんとし、次の瞬間にまっと微笑む。
「ヤキモチ?」
「ばっ…冗談は休み休み言え! 誰が」
「あーん、ウソウソ。せや、なっちゃんもなっちゃん見に来ぃへん?」
「断る」
慌てて祭が目の前で手を振る。その後、目を輝かせて前に佇む少年を誘うが、フンと鼻で笑われた。せや、こういう仕草が似てんねんな、とこっそり思う。じろりと睨まれたのでふーいと目を逸らした。
「ややこしい。兎に角名前を変えてくれ」
「えー結構気に入ってんやけど……解ったて! 解ったからそんな睨まんといてェ!」
本人達は結構真剣にやりあっているらしいのだが…端から見れば、
「…いちゃつくんなら他所でやってくれない?」
呆れたような茜の言葉が素晴らしく体現している。
「それより、二人とも仕事始めてください」
「何言っても無駄だよ、義姉さん」
不満げに眉間に皺を寄せて言う森の言葉も、ご機嫌を取ろうと必死になる祭とそれを聞き流す狩谷の耳に勿論入っていなかった。


 ××× ××× ×××


「加藤、「なっちゃん」元気?」
「ん? あぁ、猫の方の? 堪忍、名前変えたんや」
「えー、どうしてー?」
「著作権使用料取られるとこやったんねん」
「???」
ののみの素朴な疑問を受け流す。
「じゃあ、何にしたの?」
「ん、それがな。結構名前気に入ってたし、あの子まだちまいしな。せやから、こう変えたん」
「どう?」
「ズバリ!」
胸を張って言いかける祭に、ふんふんと顔を乗り出す速水とののみ。
「なっちゃんJr.やっ! 普段はJr.って呼んでんねん♪」
ずががががががらがっしゃん!!
「今度は何だ! 何の音だ!」
「か、狩谷君が車椅子ごと階段の下に落ちちゃいましたっ!」
「おいおい、生きてるかぁ?」
「フフフ、見事な階段オチです!」
「何やてー!? なっちゃん、大丈夫かー!?」
顔色を変えて飛び出していく祭の背中を見送って、速水はほにゃりと笑った。
「元気だねぇ」
「ねーねー、あっちゃん。『じゅにあ』ってどうゆういみなの?」
「うん。小さい子とか、息子っていう意味だよ。加藤は単に小さいって意味で呼んでるみたいだけど」
其処で言葉を切って、騒がしい外に視線をやる。
「狩谷の方は深読みしちゃったみたいだねぇ」
「ふぇえ?」
くすっと笑う速水の顔が幾分芝村チックになっていたのに、ののみは気づいただろうか。



5121小隊。
今日も押し並べて、それなりに平和である。