時計+人形

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【第八幕】

【第八幕:第一場】

その日、Savantが最果ての揺り篭に辿り着くと、扉の前には双児の人形がいた。
すわ、お礼参りでもされるかと一瞬身構えた賢者だったが、二人は立ち上がるとドレスの裾を抓み、優雅に礼をした。
「いらっしゃいませ、Monsieur Savant」
「お待ちしていたわ、Monsieur Savant」
「これは驚いた。お二方がこの私を歓迎して下さるとは」
「ええ、今日が最後なのでしょう?」
「ええ、これで最期なのでしょう?」
「「それならば、ご挨拶ぐらいしなければと思って」」
言葉は不敵。しかし、二人は互いの手をぎゅっと握り締めていた。―――彼女達も不安なのだ。これで本当に終わるのか、何かが変わってしまうのかと。
賢者はそれを理解したので、きちんと山高帽を脱いで礼を取った。
「ご安心なさい、Mademoiselle.このSavant,決して約束を違えることは致しません」
「そう、ならばお入りなさい」
「私達の主人がお待ちだから」
双児はそっと互いの手を離し、もう一度礼をしてから扉への道を開けた。賢者がゆっくりとその間を歩き、コンコン、と扉を叩く。
過たず扉は開かれ、彼は無言でその中に入っていった。
ぴたりと閉じた扉の前で、双児はすとんと座り込む。互いの背中を背凭れにして、膝を抱えて。




「…ねぇ、Violette」
「…ねぇ、Hortense」

「…Hiverは如何するのかしら」
「…Hiverは如何するのかしら」

「…………」
「…………」

「Savantは本当に、約束を守ってくれるかしら」
「Savantは本当に、約束を守ってくれるかしら」

「……………」
「……………」

「私に聞かれても、解らないわ…」
「私に聞かれても、解らないわ…」

「………………」
「………………」

「でも」
「でも」


「「どんなことになったって、私達はHiverの傍にいるわ……」」






【第八幕:第二場】

揃いの椅子に座り、二人は向かい合っていた。
交わす言葉は無い。何を言っていいのか、二人とも考えあぐねていた。
想いを告げるには、今更過ぎる。
別れの言葉は、自分が辛い。
でも、このまま黙っていることなんて出来ない。
「「あの、」」
同時に顔を上げた。重なった言葉に目を瞬かせる。
「失礼、君からどうぞ」
「いえ、貴方から…」
「ふむ、では僭越ながら。…このまま黙っていても、時間が無為に過ぎるだけだ」
こく、と銀糸の頭が上下する。
「しかし今、何を言おうと言い訳にしかならない。我ながら、これも未練であるとは思うのだが―――一つ、愚かな提案をしよう」
僅かに椅子から腰を浮かし、蘭机の上に身を乗り出す。指で促すと、相手も同じように近づいてきてくれたので、ちゅっと音を立てて頬にキスをした。
「…もう一度、君をちゃんと抱きたい」
「!」
青白い頬にすぐに朱が散ったので、それを宥めるように撫でてやる。
愚かな行為だと解っていた。自分の事など、忘れさせるべきなのだ。思いの呪縛は幼子に対する枷にしかならない。それでも―――今目の前にいる彼が、愛しくて仕方なかった。
「…嫌かい?」
答えは横に振られる首で返ってきた。それに歓喜するよりも先に、彼の唇が自分から近づいてきた。驚いているうちに、口髭の傍に優しい感触。
「…僕も……同じ提案をしようと、思っていました」
「!」
僅かに目を見開く賢者に、子供は真っ赤になって縋りつく。互いの間の蘭机が邪魔だとばかりに、がたりと音を立てた。
「どんな、形でもいいから―――貴方の事を覚えていたい…、どんな場所に生まれても、貴方の事だけ、は!?」
言葉の途中で、抱きしめられた。もどかしげに引き寄せられて、深く深く唇を合わせた。驚いたけれどそれ以上に嬉しくて、相手の背に腕を回した。
「嬉しいよ、Monsieur.―――寝台へ行こう」
唇を離されて囁かれた言葉に、紅くなったままで頷いた。






【第八幕:第三場】

何度も、何度も、言葉の代りに口付けた。そうしないと、言ってはいけない言葉が口を衝いて出そうだったから。
Hiverの着衣を脱がしていると、彼の手がぐいぐいとSavantの襟元を引っ張る。はて、と思って僅かに身を離すと、その手が自分の服をどうにか脱がそうと躍起になっているらしいことに漸く気づいた。上手く出来ない行為にHiverが泣きそうになっているのが解ったので、僅かに微笑んで自分から手を伸ばした。
乱暴に上着とシャツの釦を外し、脱いだそれを寝台の下に投げ捨てた。彼らしからぬ余裕の無い行為に、Hiverは僅かに目を瞬かせるが、抱きしめて触れ合ってきた相手の素肌の熱が心地良くて、何も言わずに目を閉じた。
「は…ぁ、ア…!」
触れ合う体から熱が伝わり、それがますます自分を昂ぶらせる。声を堪える事も忘れていた、もっともっと、深いところまで触れ合いたかった。彼のことを、覚えていられるように。
それが解っているので賢者も―――ほんの少しだけ、我侭を言ってみることにした。絡みつく腕はそのままに、もう既に自分を待ちわびているその場所に楔を打ち込んでから。
「アッ! ぁ、はぁあ…!」
「ッ、Monsieur――,もうひとつ、愚かな提案があるのだがね…っ」
「ぁ、―――? なに、を」
ふるふると震える腰を宥めるように撫で、耳元でそれを告げた。もう誰も覚えていないであろう、自分ですら忘れかけていたその名を。
「―――Christophe Jean-Jacques Saint-Laurent」
「………?」
「これが私の本当の名だ…覚えていてくれるかな?」
「ぁ、ぁ…、Monsieur Saint-Laurent…」
「Christophe,で構わないよ…」
「あ…ァア…!!」
ぐい、と更に深い所に押し込まれて、悲鳴が上がった。目の裏に火花が散って、意識が攪拌し始める。それが嫌で、Hiverは必死に賢者の首に縋りついてその名を呼んだ。
「Christopheッ…ア、ああぁ…っ、Chri…stophe…!」
「ッ、!!」
「ん、ンンッ…!」
しかしそれは他ならぬSavantの唇で止められた。これ以上呼ばれたら、全ての約束を破棄して彼を黄昏の最果てにまで連れて行きそうになったから。深く深く唇を合わせ、切なる彼の声と自分の愚かな声を同時に封じた。
「ん、んんぅっ…ん―――…ッ!!」
限界が近いらしい身体を、容赦なく追い詰める。全身を撫で上げて、一番良いところを楔で穿つ。程なく内壁がびくびくと震え、絶頂が訪れた。
「ぁ…は……ァァ……」
意識を飛ばして僅かに震えるHiverを宥めるように、Savantは耳元でそっと囁いた。
「…約束しよう。もし君が生れ落ちて、それでも私の事を忘れなかったのならば」
頬に、額に、瞼に、顎に、唇に。何度も何度も、愛しさを込めて口付けながら、その誓いは告げられた。
「その時はまた、君の話し相手になりたい―――」
その言葉が聞こえたのか、聞こえていないのか。
目尻に涙を溜めたHiverは、それでも微笑んでいるように、見えた。






【第八幕:第四場】

次にHiverが目を覚ました時、賢者は何処にもいなかった。
身体は清められ、何事も無かったかのように衣服を直されていて。
菫の姫君と、紫陽花の姫君が、自分を覗き込み、その頬を撫でてくれていた。
――――もう。彼はここには来ない。もう二度と、逢うことは出来ない。
「……ぅ………ぇっ…」
「泣かないで、Monsieur」
「泣かないで、Monsieur」
双児はそっと寝転んだままの子供に寄り添い、頭を撫でて頬に口付ける。
「今は何も考えずに、眠っていいの」
「次に目が覚めたら、行きましょう」
「大丈夫。私が左手を握っていてあげる」
「大丈夫。私が右手を握っていてあげる」
「「私達はずっと、貴方の傍にいるわ」」
双児の声に何度も頷いて、Hiverはもう一度涙を流した。


―――貴方のことは忘れない。忘れない、から。


次に目が覚めた時、自分は旅立つ。最初から終わりが決まっているただ一度きりの旅へ。
恐ろしくないと言えば嘘になる―――それでも。


―――貴方に逢えることを、願っても良いですか…?


そこにどんな物語があるとしても、この願いを希望に変える事が出来れば、きっと自分は歩いていける。
希望を見つけた子供は、そうして最後のまどろみに身を任せた。









【終幕】
やがて―――彼は立ち上がる。

その手を引くのは、菫の姫君。もう片方の手には、紫陽花の姫君。

三人は並んで扉の前に立つ。姫君達が手を翳すだけで、両開きの扉はあっさりと、音すら立てずに開いた。

僅かに臆した、彼の腕に力が篭る。少女達は彼を宥めるように、その手に力を込め返す。



そして、彼は――――一歩、外に踏み出す。





産声が、上がった。