時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

【第六幕】

【第六幕:第一場】

双児の人形の元気が無いことに、Hiverは勿論気づいていた。
賢者がこの部屋に来ることを、快く思っていないことも知っていた。
悪い事をしている、と思う。双児は自分にとって本当に大切な者達だ。自分の代わりに、自分の物語を探してくれる。彼女達はとても優しくて、寂しがる自分の傍にずっと居てくれる。無くしたくない、悲しませたくない相手だった。それでも―――それでも、だ。
「…Savant」
名前を声に出して呼ぶと、胸の辺りが苦しくなる。しかしそれは苦しみだけでなく、どうしようもない嬉しさも篭っていた。
逢いたかった。自分に温もりを、熱さを与えてくれるあのひとに。
そんなことを考えて、いつものように寝台に横になっていたHiverだったが、不意に何かに気づいたように、身体を起こした。


――――僕はSavantに逢いたいと願っているけれど、彼は如何なのだろう?


今まで疑問にも思わなかったことが、急に気になった。確かに彼は「君の話し相手になりたい」と言ったけれど、逢いたいとはっきり言ったことは一度もない。話す事が全部無くなったのなら、もうここに来ないのではないだろうか?
その事実が不意に怖くなり、同時に、自分が彼にどう思われているのか、ということが気になり、止まらなくなった。今まで気にも留めていなかった自分自身の行動が、彼を不快にしていないかという不安が生まれた。自分が酷い粗相をしてはいないかと考え、あの行為で身も世もなく泣き叫んだ己に初めて羞恥が沸いた。
ふとするとある一人の事ばかり考えて、その人の事を思うのが楽しくて嬉しくて、そして同時に嫌われたくないと願ってしまう。
それは酷く、恋というものに似ていたけれど、当然子供は気づかなかった。


コンコン。


思考を切り裂いて、ノックの音が響く。はたとHiverは我に返って、いつもより早足で扉の前に向かった。
「Salut,Monsieur.ご機嫌如何かな? 出来れば今日も―――っと」
相手の様子がおかしいことに気づき、賢者は口上を途中で切り上げた。いつもなら僅かばかりでも、笑顔を向けてくれる彼の顔が、いまいち曇っていた。はて、と首を傾げ、すぐに先日の無体に思い当たる。仕方がないかと、賢者は小さく息を吐く。何せ自失させるまで苛めてしまったのだし。
「失敬、まだ身体が辛いようならば今日はもうお暇しよう。それでは―――」
くん。
踵を返しかけ、袖が引かれて止まった。振り向くと、やはりその袖は細くて青白い指できゅっと抓まれていて、―――しかしその持ち主である彼の顔は、僅かに紅に染まっていた。いつもと違う彼の反応に、賢者は一瞬言葉に詰まる。
「…………部屋に入っても、良いかい?」
「…っ」
遠慮がちな手をそっと取り、優しく告げた促しに子供は頷いてくれた。






【第六幕:第二場】

「―――怖いかね?」
ゆっくりと服を寝台の上で寛げさせながら、耳元で問う。ぶんぶんといつもより強く首が横に振られる。
「それならば―――恥ずかしい、のかな?」
「……っ…!」
かぁ、と紋の入った頬がまた紅くなる。それが、返事の代わりになった。
「可愛らしいことだ。私としては、先日のように無邪気に擦り寄ってくれるのも嬉しいものだが」
外耳を食みながら喋ると、その感触すら感じるのかHiverの肩が震える。
「そうやって恥らう姿も、とても魅力的だ」
「ぁ、ゃ…!」
するりと両手が腰の裏に伸ばされ、服と肌の隙間に潜り込む。思わず腰を上げると、腰の前だけが寛げさせられた。
「こういうのも、悪くはあるまい。そのまま、膝で立っていておくれ」
「…? ぇ、ぁあ…!?」
膝立ちになった状態のまま、既に力を持ち始めていた中心を咥えこまれた。咄嗟に押し返すように相手の頭に両手を置くが、すぐに与えられる刺激に力を込めるのが不可能になり、その髪の毛を握りこむことぐらいしか出来ない。
「はっァ…、Savantッ…、Savant…!」
「大丈夫―――、私はここにいるよ」
「ンぁ、あっ、ひ…ぅっ!」
咥え込まれたまま喋られ、身体が反り返る。腰はしっかりと賢者の腕で掴まれたので、倒れこむことも無いままにHiverは達した。
ちゅ、と音を立てて唇が離れ、力が抜けると共に相手の身体にしがみ付く。
「はぁ…ぁ…」
上がった息を宥めるように背が撫でられ、額や頬に何度も口付けられる。
暫くはうっとりとそれに身を任せていたが、相手がそれ以上全く動かないのが不思議で、顔を上げてみる。すぐ傍に優しい笑顔があって、うん?とばかりに首を傾げられたので、慌てて顔を胸の上へ戻した。
「ああ、本当に。そんな可愛らしい顔をしないでくれたまえ。―――未練が残る」
「…ぇ……?」
銀糸を撫でながら、何事でもないように呟かれた言葉を、一瞬理解することが出来なかった。顔を上げると、やはりそこにあった笑顔は、優しかった。酷く―――優しすぎた。その顔のまま、残酷な言葉が、告げられた。





「Monsieur.私はもう、ここに来ることは出来ないよ」






【第六幕:第三場】

ひゅ、と息を飲む音がして、かたかたとHiverの肩が震えだす。宥めるようにその肩は叩かれるが、ちっとも収まらなかった。
「…ど……ぅし、て、」
掠れた問いに、済まないと言いたげに賢者の唇が髪に落ちる。無意識のうちに背中に回った腕に力を込め、Hiverは必死に言葉を紡いだ。
「僕の…こと、が」
「Non.」
嫌になったのですか、と続けようとした言葉は、いつになく強い否定で遮られた。思わず目を瞬かせるHiverに、賢者は失敬、とまた笑った。今度の笑みは、随分と苦笑交じりに見えたけれど。
「君も気づいている筈だ。私は君を、この最果てに繋ぎとめてしまう存在だと。このまま君が私を選んでしまったら―――君はもう二度と、生まれ出でることが出来なくなってしまう」
容赦なく告げられた真実に、Hiverは俯いてしまった。
自分でも、解っていた。双児が探してくる物語よりも、ここに尋ねて来てくれる賢者を心待ちにしていたのは自分なのだから。
それは、今までずっと自分を支えてくれた双児と、何よりも自分が生まれることを心待ちにしている<母親>への裏切りだ。それは自分にとって何より辛いこと―――それでも、それでも。
「―――でも、僕は」
それを告げてしまえばこの人は、もう二度と自分の元に現れないだろう。それが嫌で、言わなかった。
「貴方と、離れたくない。僕は―――っ」
必死に紡ごうとした言葉は、唇についと伸ばされた指一本で止められた。触れるか触れないかの位置に立てられた手袋を付けたままの指は、ちちちと左右に揺らされる。
「その先は言ってはいけないよ、Monsieur.紡がれた言葉は呪いになる。…君の大切な者達を、悲しませてはいけない」
「…………じゃあ…どうすれば良い…?」
感情の赴くままにしがみつくと、強い抱擁が返って来る。それが却って、とても悲しかった。
「君に必要なのはあと、ほんの少しの勇気だけだ。今の君にとって、始まりの朝を抜け、終わりの夜を迎えるのはとても恐ろしいことかもしれない。だが皆、そうやって生きて死んでいく。その限りある時間の中だからこそ、何かを為そうと必死にね。最期に訪れるのが永遠の停止だとしても―――それを恐れてはいけない」
大きな子供をしっかりと抱き寄せて、賢者は謡うように言葉を紡いだ。彼が躊躇わず、世界に生まれてくることが出来るように。
「私はね、Monsieur.君自身の、その限りある生の輝きが見たいのだ」
自分には出来ないことだから、と言外に告げ、賢者は唇を閉じた。それでもその手は詫びることを止めないように、ずっと銀糸の頭を撫で続ける。
世界の真理を考察し続ける黄昏の賢者。生まれておらず死んでもいない彼に興味を持ったのは、彼が自分と限りなく似た立ち位置にいるからだったのだろうか。たった独りの孤独を、癒す為に。
それでも、彼にはまだ無限の可能性と沢山の物語が残されていた。
それが生まれてすぐに死んでしまう赤子だったとしても。
親に捨てられ、故郷を無くし、大切なものを手から滑り落とし、剣を取ることしか出来なかった少年だとしても。
ある時は妹の為に宝石を掘り出し、ある時は欲望のままに宝石を盗み出す盗賊だとしても。
盲目の少女に付き従う、地平線を越える黒銀の毛並みを持つ犬だったとしても。
その輝きが美しいことを、賢者は知っていた。
だから。



「生まれておいで、Monsieur Hiver。いつか君に逢える事を、祈っているよ」



初めて彼の名を呼んで、そっと口付けた。左右色の違う瞳から、零れる涙を優しく拭い、乱れた着衣を整えてやった。
立ち上がろうとすると、ぎゅっと服を掴まれる。宥めるようにその手の甲を撫でると、ゆるゆると力は抜けたけれど。
「……もう一度、ここを訪れても良いだろうか? 丁度1日、時間にして24時間、分にして1440分、秒にして86400秒。それだけ経ったら、君に逢いに来るよ」
そう告げてしまったのは、最後の未練。子供は俯いて、止まらぬ涙を流しながら―――それでも小さく、頷いた。
その涙を全て拭ってやりたかったけど、それは自分にはもう許されぬことだと解っているので、軽く帽子の鍔を上げるだけの挨拶をして、部屋の外に出た。






【幕間】

双児の人形は、走っていた。
もうこれ以上、あの賢者を自分達の主に近づけるわけにはいかなかった。
それによって主が、あの愛しい子供が、涙を零すことになっても、許すわけにはいかなかった。
双児が最果てに辿り着いた時、丁度賢者が部屋を出たところだった。
怯まずに、今日という今日は許さないと罵声を浴びせようとした双児は―――同時に、唇を噤んでしまった。
扉に僅かに寄りかかり、虚空を見詰める片眼鏡の下の視線が、どうしようもない孤独に満ちていたから。―――それが、彼女達の主の瞳に、酷く似ていたから。
「…おや、これはこれはMademoiselle.そんな怖い顔をしないでくれたまえ」
二対の視線に気づいたのか、賢者はいつも通りの人を食った笑顔を見せる。それでも双児は、何も言うことが出来なかった。
「…もう一度。もう一度だけ、ここを訪れるのを許してくれまいか。それで最後だ。きちんとお別れを告げに来る。君達には本当に腹の据えかねるところだろうが―――恋とは、そういうものだろう?」
声はいつもの通り、からかい混じり。しかし双児は黙ったまま、俯くことしか出来なかった。Hiverよりも良く人間というものを知っている双児は、彼の気持ちが偽りでないと、ちゃんと理解できてしまったからだ。
「…彼が泣いている。どうか、慰めてくれたまえ」
賢者の言葉にはっと少女達は顔を上げ、僅かに身をずらした賢者の横を通り、無作法であることも忘れて部屋の中にそのまま飛び込む。
ぱたりと扉が閉められて、賢者は僅かに息を吐く。髭の下の口元を歪め、自嘲の笑いを浮べると、何事も無かったかのように悠々とそこから歩き去っていった。