時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

【第三幕】

【第三幕:第一場】

賢者はまたこの部屋に訪れる。
前に訪れた時から、丁度1日、時間にして24時間、分にして1440分、秒にして86400秒。窓のない部屋であったけれど、そのおかげでHiverは1日と言う区分を何となく理解できるようになった。
賢者のどこか人を食ったような口調も新鮮で心地良かったし、知らなかった事を沢山教えてくれた。
与えられた変化が、とても心地良いと思っている自分に気づいた。
双児とは違う調子で叩かれるノックを、心待ちにしている自分に気づいた。
…自分のこの変化に、双児の人形はきっと不安を覚えているだろう。Hiverとて知っている、自分が今この場で変わってしまうというのが、どのようなことであるのか。
それでも―――
コンコン。
ノックの音が聞こえた瞬間、寝台から起き上がって扉に向かう自分がいる。
「Salut,Monsieur.ご機嫌如何かな?」
目の前の笑みに、笑い返してしまう自分がいるのだ。






【第三幕:第二場】

「Savantは、何故」
「ふむ?」
「何故――、僕の話し相手になりたいと?」
賢者がこの部屋を訪れて7回目の時、Hiverは始めて彼に対して疑問を提示した。何も知らぬ、外界の刺激を只受け取る事しか出来なかった赤子が、その世界に疑問を持ち始めた。
「うむ、良い質問だ。まず最初に、君に対する興味があった。次に、君の居場所は至極遠い場所ではあったけれど、私ならばここに辿り着ける確信があった。それに対する優越感を満たしたいとも思った」
トン、トン、と組んだ腕の上で指を鳴らしながらSavantは語る。
「そしてこうやって顔を合わせて―――、君と言う存在にではなく、君自身に対して興味が沸いた。こうやって幾度も通ってしまうようにね」
「…?」
彼の言葉の意味が解らずに首を傾げてしまうHiverに、Savantは耐え切れずくつくつと笑った。
「いや失敬。つまりは―――こういうことだよ」
つい、と立ち上がり、Hiverの頬を撫でる。心地良さにより彼の体から緊張が抜けると、その隙を逃さずに腕を取り、ぐいっと引き上げた。
「――――っ…!」
逃れる隙などあるわけもなく、Hiverの身体はSavantの腕の中に納まり、お互いの唇が触れ合った。目を瞬かせる子供に賢者は口元だけで笑い、柔らかい絹に包まれた腰を抱き寄せ、くるりと身体を反転させる。
「ッ!」
勢いでばふり、とHiverの体が寝台に落ちる。衝撃も痛みもたいしたことは無かったけれど、何が起こったのか解らずに、助けを求めるように目の前の男に視線を戻した。
「―――興味は好意に変わる。好意の反対は悪意ではなく無視だ。君に触れ、君を知りたいと私は願った。君は――――受け入れてくれるだろうか?」
言葉はいつもと変わらない、冗談交じりのおどけた声で紡がれる。それなのに、その奥に何か別の切実なものが混じっているように聞こえた。
それが何であるかを考えるより先に、再び唇が降ってきた。
「んっ…!」
自分の唇を啄ばまれ、何かと思った時には口の中に何かが滑り込んできた。びく、と震える肩を宥めるように軽く叩かれる。
「んぅ…ふ、」
息継ぐことが出来ずに微かに喘ぐ喉についとSavantは手袋に包まれたままの指を伸ばし、襟を止めているリボンを外す。
露になった喉元がひくりと震えるので、あやすようにそこに口付けを軽く落とした。
「っ…!」
初めて触れられる場所への熱と刺激に、Hiverは肩を竦めて堪えることしか出来ない。その間にもSavantの手指は伸ばされ、そっと幾重にも包まれた衣装を解いていく。
露になった胸の上、僅かに隆起した天辺に唇が落ちた。
「ぁ―――…!」
触れた部分から、電流といってもいい程の刺激が走り、耐え切れずに喉の奥から悲鳴が漏れた。
「気持ち良いかね? ―――あぁ、ちゃんと熱を持っている。嬉しいよ、感じてくれているのだね」
「…ゃ、な…に、」
「自分で触れたことも無いのだろうね。怯える事はない、男ならば当たり前の反応だ」
つい、と伸ばされた指が服の上から股間を撫で上げ、その刺激にまたHiverは身体を戦慄かせる。
与えられる快楽である筈の刺激を、彼はまだそれと認識する事が出来ない。自分の体に起こった変化が理解出来ず、明確な恐怖が心の中に生まれた。
「い、ゃぁ…ッ!」
Savantの唇が更に下に降りて臍を撫ぜ、腿を撫で上げられて引き攣った悲鳴を上げてしまい――――
つと、離れた。
は、は、と短く何度も息を吐き、漸く自意識を取り戻した時には、既にSavantは身を剥がし寝台の脇に立っていた。口髭を弄りながら、やや気まずそうに。
「……………?」
その顔がぼやけて良く見えないことに気づき、目を瞬かせた途端その目の端に指を伸ばされる。咄嗟に目を閉じると、その端から零れた雫を手袋に包まれたままの指が掬っていった。
「…申し訳ない、Monsieur.君を怖がらせるつもりは無かったのだが」
「…………?」
「ああ、擦らずに。失礼―――」
胸のポケットから取り出したハンカチーフで、朱と水色の瞳から零れ落ちた涙をそっと拭う。その雫が何なのか解っていなかったのだろうHiverは、やはり不思議そうな顔をしていた。
「これは、参った。どうにも私も、まだまだ修行が足りないようだ」
言いながら、丁寧にシャツの釦を一個一個丁寧に留め、リボンを結び直してやる。その間Hiverは、止めることもなくされるがままだった。
「今日はもう、お暇しよう。君のご機嫌が直った頃、また会いに来るよ」
最後に宥めるように頬を一つ撫で、Savantは部屋から出て行く。パタンと扉が閉まる音がしても、Hiverは起き上がれなかった。
ただ呆っと頭上の天蓋を眺め、体全体に残った熱が過ぎ去るのを待つことしか出来ない。
もう触れられているわけではないのに、中々それは冷めなかった。






【幕間】

「おや、これはこれはMademoiselle.此度の旅行は如何でしたかな?」
部屋から去ろうとした賢者は、黄昏の地平線で軽く帽子の鍔を上げる。
「「貴方だったのね。黄昏の賢者」」
双児の人形は敵意も露に、その男を睨みつける。
「いきなりご挨拶なことだ。囚われの姫君を守る騎士達のおつもりかな?」
「Hiverにこれ以上近寄らせないわ」
「Hiverをこれ以上変化させないで」
「寂しがっている囚われの姫君に、ひと時のお慰みを差し上げることに何か問題でも?」
「…それがあの子の望む事なら」
「…私達に手出しは出来ないわ」
「でも、貴方だけはだめ」
「でも、貴方だけはいや」
「「だって貴方が望むのは、Hiverの変化であってHiver自身じゃない!」」
お互いに縋るように手をしっかりと繋ぎ、彼女達は普段とは段違いな程感情を露にして叫んだ。
賢者はその激昂に―――軽く肩を竦めただけだった。
「貴方が望むのは、世界の真理を探す為の材料だけ」
「貴方が欲すのは、世界の真理を暴く為の生贄だけ」
「「そんなものの為に、Hiverを傷つけるのは、私達は絶対許せない!」」
「…やれやれ。怖いお嬢さん達だ。まぁ良い、今日のところは引かせて貰うよ」
「「もう二度と、この扉は潜らせないわ」」
自分達の主、守るべき幼子、彼の為に双児の人形は扉の前に立ち、賢者の背中が消えるまでそこを睨みつけていた。