時計+人形

のんべんだらりんごった煮サイト

【第二幕】

【第二幕:第一場】

ぱちりと懐中時計の蓋を開け、彼は満足げに微笑むと、
コンコン。
きっちり二回、手袋に包まれた指でその扉をノックした。
「Salut,Monsieur.君と別れて丁度1日、時間にして24時間、分にして1440分、秒にして86400秒、約束通りにここへ来たよ。…と、言っている間にも23秒が過ぎてしまった。今日も君の、話し相手になりたい」
昨日と同じように―――彼にその自覚は無いだろうけれど―――、左右色の違う瞳を一度瞬かせ、Hiverはまた来てしまった客を中に迎え入れた。今度は自分から椅子を勧めてみると、大仰な礼が返って来た。
「Merci,Monsieur.―――ここで紅茶でも飲みたいところではあるが、君には少々荷が重過ぎるだろうね」
「…お好きなように、Monsieur Savant。貴方が飲みたいと望むのならば」
紅茶というものが何であるのかHiverは当然知らなかったが、彼が飲むのを止めるつもりも無い。きっと彼ならば自分の知らないものでもこの部屋に持ち込めるのだろうと予測して。
Savantはその言葉に片眼鏡の下で瞼を僅かに上下させ、すぐに満足げな笑みを浮かべて両手を広げた。
「実に光栄だ。私の名を覚えていてくれたのだね、Monsieur?」
「忘れていた。今貴方が来て、思い出した」
時間や空間すら意味を為さない彼にとって、瞬間は連続しない。規則的に双児の人形を送り出しまた迎えるだけの行動を繰り返し、そしてそれに疑問を持つこともない。
しかし今、同じ客人を再び迎えたことによって、彼にとっての過去と現在が繋がった。それは凄まじい変化であることを、まだ彼は気づかない。賢者は気づいているだろうに、指摘しない。
「さて、今日は何の話をしようか――――。数の数え方等如何ですかな、Monsieur?」






【第二幕:第二場】

ころころ、と小さな硝子球がいくつか蘭机の上に転がり出た。その動きを追うHiverの目が猫のようで、Savantは苦笑しながら言葉を続けた。
「まずは誰もいない、それがzeroだ」
「zero」
硝子球を全部掌で覆い隠し、何も無い蘭机の上を指しながら示すと、鸚鵡返しに答えが返ってくる。手の中から一粒硝子球を取り出し、それをSavantは広げた自分の掌の上に置く。
「其処に私が現れた。それがunだ」
「un」
ころころと掌の窪みで転がる綺麗な球を、Hiverはじっと見詰めている。
「そして君が現れた。それがdeuxだ」
「deux…?」
僅かに声が揺れた。自分はどこにも存在していないのではないかと言う、真剣な問いが混ざっていた。Savantはそれを安心させるかのように、ゆるりと首を振る。
「単純な数式にこそ、真理が宿る。今この場に私がいて、君がいる。私がいる限り―――君はここに在る」
「……!」
弾かれたように顔を上げた幼子が、酷くいとおしく感じ。
Savantは無意識のうちに手を伸ばし、太陽の紋が入った頬を優しく撫でてやった。その温かさが心地良くて、左右色の違う瞳がゆるりと溶ける。
「全く…可愛らしい方だ。さて、続けようか。次はtrois―――」





そうしてまた3時間と7分5秒、椅子の上に腰を落ち着けていた賢者は、「また1日後に」と約束して部屋を出て行った。
残されたHiverは、まだ椅子に座り、蘭机の上に残された硝子球をじっと見ている。
「…un.deux,trois…」
そっと指を伸ばし、ぱらぱらと散った硝子球を一所に集める。
「neuf…dix」
丁度十個。教えて貰った数。何か意味があるわけではないが、全てを数え終えた彼の顔は、僅かに微笑んでいるように見えた。





【幕間】

「ねぇ、Violette」
「ねぇ、Hortense」

「Hiverは如何かしたのかしら」
「Hiverに何があったのかしら」

「Hiverがくれた椅子は素敵な座り心地だったけれど」
「Hiverの座る椅子とは全く違う造型の椅子だったわ」

「誰が持ち込んだのかしら」
「何が持ち込んだのかしら」

「朝でもなくて」
「夜でもなくて」

「黄昏のひと?」
「誰そ彼の者?」

「…Hiverは変わってしまうのかしら」
「…Hiverは変りたいと願うのかしら」

「如何しよう」
「如何しよう」

「…でも、Hiverが望むのなら」
「…でも、Hiverが願うのなら」

「私達は止められない」
「私達には許されない」

「行こう、Violette」
「行こう、Hortense」


「「地平線へ」」